第122話 17-12.
おっとり刀で駆けつけたロンドン師団近衛連隊の幕僚と口角泡飛ばしてやりあっていたマズアは、その光景を見て大声を上げた。
「軍務部長! 大丈夫ですか? 」
小野寺が涼子を抱き上げ、メディックが運び込んだストレッチャーに寝かせていたのだ。
少しずれた上着を架け直してやりながら、小野寺はマズアに向かってニヤリと笑い、メディックに行け、と顎をしゃくって見せて、そのまま床にドサリと座り込む。
「大丈夫な訳ない。あー、痛ぇ。……あ」
小野寺はマズアを見上げた。
「おい、煙草1本、くれ」
どうやら小野寺の煙草は、涼子に架けた上着とともに病院送りとなったようだ。
自分は吸わないんですと答えようとした途端、横からアメリカンスピリットの箱がス、と差し出される。コリンズだった。
「今、ホプキンス部長から連絡が入りました。たった今、コルシチョフ部長とグラント国防大臣との間で話がついたらしいですよ」
マズアが振り返ると、近衛連隊の幕僚が、悔しそうに顔を歪めていた。申し訳ない、と心の中で謝っておいた。
コリンズは器用に箱を振って1本、飛び出させる。
それを咥えて抜き取った小野寺に火を差し出しながら、コリンズは相変わらず冷静な口調で言った。
「それと、軍務部長。室長代行は医療本部付属ロンドン野戦病院へ搬送します。事前に医療チームをワイズマン博士が特別に編成してくれていたらしくて。博士ご自身も、今ロンドンへ向かっているそうで、後、1時間程で到着するとの事です」
自分も煙草を咥えて、美味そうに煙を吐き出すコリンズを見上げて、小野寺は呆れた表情を浮かべた。
「どうでもいいが貴様、少しは俺の心配もしろよ」
コリンズは無表情のまま、答える。
「してますよ。貴方も、須崎艦長が回してくれた
小野寺は、呼吸を整えるように大きく煙を吐き出すと、疲れた表情で呟いた。
「それにしても、今回はサム」
一旦小野寺は言葉を区切り、やがて諦めたように、続けた。
「サムには世話になりっぱなしだ。……助かったには違いないが、後で、何を言われるやら」
彼の言葉に引っ掛かりを感じてマズアは首を捻る。
けれどその答えに行き着く前に、美香が担架を担いだメディックを連れて割り込んできて、マズアは思考を放棄した。
「あーもう、艦長! 寝とらないけんって、言うたやないですか! おい、
小野寺が閉口したように言う。
「大丈夫だって。弾は抜けてるから。ちょっと、血が足らんだけだ」
美香はバチン! と彼の背中を叩く。
「いってえっ! 」
思わず呻き声を上げる小野寺に構わず、美香は怒った口調で答えた。
「格好つけるのは、涼子の前だけでええって! 」
小野寺とは古馴染みだとは聞いていたが、アドミラルにも遠慮なしだなとマズアは美香の美しい横顔をまじまじと見てしまった。
マズアの不躾な視線もそのままに、美香は小野寺に野戦用無針注射器の赤~
何処へ行くのだろうと眼で追うと、美香は、マズアのすぐ背後で、RPG弾頭の入っていたらしい空の木箱に腰掛け、呆然とした表情で虚空に視線を彷徨わせていたマヤの傍らにしゃがみ込んだ。
目の前に現れた美香に、マヤは驚いたような声を上げた。
「まあ、須崎様」
美香はマヤのドレスの裾をさっと上げて、裸足で血の滲んだ足の裏の治療をしながら、一転、優しい口調で話しかけた。
「殿下。よく頑張られましたわね」
小野寺とはえらい違いだと、マズアは可笑しくなった。
マヤは哀しげな微笑みを洩らして、首を左右に振る。
「でも私、皆様のお邪魔ばかりしてしまって……。けれど、あの方……」
美香は、小野寺の方を見ているマヤの顔をチラ、と見上げ、すぐに眼を彼女の足に戻す。
「ああ、あのおっさんですか? 」
コクン、と頷き返してマヤは、独り言のように零した。
「凄い……」
美香があはは、と控えめな笑い声をあげた。
「まぁ……、凄いって言うのか、単なる馬鹿って言うのか」
美香はくるくると白い包帯を足に巻きつけると、ゆっくり立ち上がって、肩を竦めた。
「涼子もまぁ、コワイおっさんに惚れたもんだわ」
そして悪戯っぽい瞳でマヤをみつめて、小声で付け加えた。
「ですが、そういう意味ではマヤ殿下も充分、コワイですわよ? ……そうそう、こう言うのをなんて言うか、殿下はご存知? 」
小首を傾げたマヤに、美香が教えた正解を聞いて、マズアは思わず、大きく首肯してしまった。
「類は友を呼ぶ、ってね」
「失礼いたします、統幕本部長。情報部長からです」
副官に手を上げて応え、マクラガンは手近の電話の受話器を上げる。
「マクラガンだ」
ホプキンスから、涼子生存で救出、しかし意識不明でロンドン野戦病院搬送中、犯人は駐英武官補佐官で射殺との報告を耳にして、マクラガンは長い溜息を吐く。
「了解した。で、彼女の容態は? ……そうか、じゃあ、それも判明次第報告を頼む。……ああ、構わん。ああ。……ともかくホプキンス君、まずはありがとう、ご苦労だった」
マクラガンは、同じ会議に出席していたハッティエン政務局長を目で呼び、会議室を出て随員待機室へと誘った。
「石動の件ですか? 」
マクラガンは頷き、ホプキンスの報告内容を簡単に伝えた。
ハッティエンは、手近の随員待機用の椅子にドサリと座り込み、両手で顔を覆って低く呟く。
「意識不明か……。しかし病名は判らんですか。あの博士は脳腫瘍か白血病か、言うておったが」
マクラガンも眉間を指で揉みながら、ハッティエンの肩に手を置き、自分を納得させるかの様に、ゆっくりと語りかけた。
「まあ、ワイズマン博士が優秀な医療チームを結成して現地で対応しているからな。後は、運を天にまかせるしか、ないさ」
マクラガンは溜息混じりにそう言うと、徐に傍らの副官を振り返った。
「言い忘れていた。ロンドンのコルシチョフ三将に連絡して、今回のUNDASN内部犯行は徹底的に隠蔽せよ、と。可能ならば、拉致事件自体の存在も隠蔽するようにと伝えてくれ」
そう言いながら、彼の脳裡にはグローリアスのデリック下で、美香に抱きついて子供のように泣いている涼子の姿が浮かんでいて、一層不安を募らせている自分を、どうすることもできなかった。
「しかし、なあ、ったく」
「”空飛ぶ統幕”の俺達が、ロンドンまでタクシー代わりとか、泣けてくるぜ」
「だけど、二尉。なんだかロンドンじゃエライ事になってる見たいじゃないですか。サラトガの陸戦隊2個中隊が勝手に英国陸軍の演習場に展開したとかなんとか」
フライトエンジニア席から若い一曹が答える。
機長は、コクピット内の部下の会話を聞きながら、若いコパイが次に発するだろう言葉を予想してみた。
「それはさっきも聞いたって、ダック。けど、その事件とあの金髪美人が、どう関係すんだよ? 」
予想通りの言葉だ。正解だ、だから自分にご褒美を。
機長は、パッとスティックから手を離しながら言った。
「さあ、交替だ、ヒューイ。ユー・ハヴ」
「アイ・ハヴ」
機長はショルダーハーネスを外して立ち上がりながら言う。
「あのブロンドのアドミラルは、UNDASN医療本部が『世界に誇る頭脳』、サマンサ・ワイズマン博士だ。何度かノーベル賞候補にもなってるって大したドクターらしい」
それが誰であれ、俺達にとっては積荷だ。詮索無用で指定された時間までに、目的地まで安全に届ければそれで良い。
ラインアウトしてからこの方、戦略輸送航空団で”おおわし”や”スカイエレファント”の
けれど若い部下達は、違うところに食いついた。
「へえ! あんな美人が……」
素直に驚くダックに比べ、どうやらヒューイは、積荷がどれほど美人であろうとも、自分のフライトがタクシー代わりに使われるのが不満らしい。
「確かに美人でセクシーですがね。でも、医者1人運ぶだけでシリウス1機貸し切りとはねえ。おエライさん達は何を考えているんだか。ロンドンが無医村って訳じゃあるまいし」
「そうボヤくな、ヒューイ。なんでも、マクラガン本部長特命の緊急作戦の一環らしい」
それを聞きながらも納得していない表情を浮かべるヒューイの姿に、機長はやれやれと肩を竦めてコクピットを出た。
若いってのは、もちろんいい面悪い面あるのは確かだが、もっとも忌むべきは羞恥心が鈍くなるって事だな。
その『UNDASNが世界に誇る頭脳』の持ち主、サマンサは機内の通信室でロンドン野戦病院と現場上空の対地支援管制機の三元通話に没頭していた。
「ロンドン003HP、聞いてたわね? 予想されていた最悪のパターンを考える必要が出てきたわ。クランケが到着したら、私を待たずに術前検査始めちゃって。意識不明の原因が急性くも膜下出血とか急性硬膜下血腫とかだったら……。うん、可能性は低いと思うけど、もしもの時は救命措置始めちゃって。……と、あ、fMRIとMRIだけは私が到着してから。生検も待っててね、状況によっては考えるけど、下穿刺法は出来るだけ避けたいから」
ロンドン野戦病院との通話を切った途端、サラトガ艦載機からのレポートが入ってきた。
「欧州室長代行の他、もう1名
「WIAがもう1名? 」
サラトガ陸戦隊、警務部、情報部の誰かが、救出作戦で負傷したのだろうか?
首を捻るサマンサは次の言葉で心臓が止まるかと思うほどのショックを受けた。
「えー、未確認ですが……。統幕軍務部長が拳銃で左胸を撃たれた模様。えー、貫通銃創……、出血多量……」
「軍務……、部長? 」
ええと、統幕軍務部長って、誰……、ああ、アイツか。
そうそう、アイツ……、ん?
アイツが?
アイツ、なにやってんの?
そうよ、言ったよねぇ私?
サマンサは思わず立ち上がる。
瞬間的に喉がカラカラになり、上手く声が出ない。
胸部貫通銃創、出血多量。
なんだソレ?
なんで、アドミラルが、そんな鉛弾飛び交うようなところに臨場して、しかも弾に当たってるんだ?
なんだよ、ソレ?
「ワイズマン博士、追加
口の中でブツブツ呟いていたサマンサは、再度のサラトガ対地支援管制機の呼び出しに我に帰る。
「軍務部長がお話したいとの事です、今から繋ぎます」
続く言葉が衝撃的過ぎて、喉に痞えていた言葉が飛び出した。
「話したいって、ちょっと! 出血多量じゃないのっ? 」
噛みつく様に叫ぶと、チャネルは既に切り替わっていたらしく、インカムからは聞き覚えのある声が流れてきた。
「よう、サム。久し振りだな」
声は元気そうだが、息が荒く、声も掠れているように思える。
それともそれは、ノイズか?
「あ、あんた、ねえ! い、いったい、どーなってんのよっ? 出血多量って」
怒りで自分でも五月蝿い位の叫び声を、けれど小野寺はさらりと流して、しれっと答えた。
「うん。だいぶ出たからなあ」
その口調が更にサマンサの怒りを煽ったが、取り敢えず今はそんな状況ではない事に気付き、聞きたい事を訊く。
「一体、どうしたの? 犯人に撃たれた訳? ……って、だいたい、なんでアンタが現場にいるのよっ? 」
暫くノイズだけが流れる。
「え、ちょ」
待ってよ、ちょっと待て馬鹿。
なんで黙るのよどうなってんのよなんか言いたかったんでしょクタバるなら先に言ってからにしなさいよいやそれより以前にアンタさっきから私に怒鳴らせてばかりじゃないそんなのが最後の会話になるなんて勝手過ぎよ我儘よ甘えてんのナメてんの私を馬鹿にし過ぎじゃないの。
胸に渦巻く言葉の嵐が臨界を突破し、最初に唇から飛び出たのは自分に腹が立つくらいの、縋る女のステロタイプみたいに見っとも無い涙声だった。
「ちょっとおっ! どうしたの返事しなさいよねえったらあっ! ちょっとねえ、アンタぁっ! 」
刹那、耳にふぁあっ、と吐息が聞こえた。
「お前のそんな声も、色っぽくていいなあ」
安心すると同時に、恥ずかしくなり、顔が熱くなるのを感じる。
「バ、馬鹿ッ! メタボのエロ親父っ! 」
けれどサマンサは、安堵のあまり頬に溢れ出る涙を止める術がない。
「いや、まあ、現場にいたのは全くの偶然、遭遇戦ってヤツだ。だが、撃たれたのは必然だ。……
ヒュッ、と喉が鳴った。
サマンサは、一瞬にして理解した。
彼は、小野寺は、ゲシュタルト崩壊を起こし第二の人格~冷酷で残酷な~に乗っ取られた涼子に、撃たれたのだ。
言葉が出なかった。
思った事、言いたい事、山ほどあるのに、何一つ、言葉にならなかった。
全部、泣き言になりそうで。
言葉にしてしまったら、際限がなくなりそうで。
ひとつ言葉にするたびに、唇を噛み瞼を固く閉じ溢れる涙で枕を濡らし、暗黒の闇に落ちそうな果てしない後悔を夜毎日毎に繰り返し、己の両腕で己の震える身体を抱き締めて漸く乗り越えてきた今日までの切ない努力が、全て崩れ去ってしまいそうで。
この期に及んで、みっともない、格好の悪い、面倒臭くて五月蝿い女に落魄れるのだけは、本当に勘弁して欲しかった。
だから、無言のままでいた。
けれど腹の立つことに彼は、サマンサの想いなどお構いなく、言葉を継いだ。
「で、サム。甘えついでにもうひとつ、甘えさせて欲しいんだが」
どうせ自分は、この厚かましい中年男に逆らえる術などなにひとつ持っていないのだ。
だったらこれ以上みっともなくなる前に、大人の女の懐の深さって奴をみせつけてやる。
「……早く言いなさいよこの厚顔無恥のブタ親父」
だけどこれじゃあまるで、子供じゃないか。
「俺もどうやら、ロンドン野戦病院へ運ばれるらしいんだが、
ああもう、この馬鹿男!
涙が溢れて胸が詰まり、声にならなかった。
腹が立つ。
こんな台詞を吐く、この男に。
こんな台詞を吐かせる、涼子に。
こんな台詞を聞かされて泣いている、自分に。
悔しい。
だから、言い返してやる。
大きく深呼吸して、漸く息を整えて、掠れる声で答える。
「あんたって、ほんっとに、稀に見る大馬鹿だわ! 」
本当の馬鹿は、私だ。
サマンサはしみじみ、思う。
「やったろうじゃない、昔みたいに! 『リトオオ
ほんと、馬鹿、私。
だって、こんなにも彼を想って、死にそうだもの。
だって、こんなになってもまだ、聞き分けの良いいい女を演じているのだもの。
私は、とっくに負けているのに。
はは、と苦しげな笑い声がインカムに響いた。
「そりゃ、痛そうだ。……痛そうだけど、まあ、頼んだ」
インカムにホワイトノイズが乗った刹那。
もう、いけなかった。
なにもかもどうでもいい。
この通信室には、10人以上の兵員が詰めているのは知っていたけれど、もう構わなかった、と言うより構ってなどいられなかった。
サマンサはその場に崩れ落ち、大声で、泣き喚いた。
床を叩き、自分を含む全ての存在への呪詛を吐き散らした。
誰も嗚咽交じりのその言葉は理解できなかっただろうけれど。
「くそっ! くそっ! 」
みっともない。
みっともないけど、どうしようもない。
「ファック! あの馬鹿、クソッタレが! 」
なんで。
「私に! ……私に、頼むなんて! 」
なんで私が、こんな目に。
9m/mパラベラム弾を至近距離から左胸に喰らって貫通銃創、そう聞いた瞬間から、重態だってことは判ってる~いや、あのマンストッピング能力の高い弾丸が、素直に貫通してくれたのは不幸中の幸いだけど~。
その原因を必然だと彼に言わせる涼子を今から救いに行かねばならない惨めさと、全身麻酔を拒み局部麻酔を頼む彼への憎しみと、そしてそれを瀕死にも関わらず自ら依頼してくれた彼の優しさへの感謝と捨てきれない愛情を、どう整理して良いのか判らないまま、サマンサは突っ伏して泣き喚いた。
煙草が吸いたくて、堪らなくなった。
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