第118話 17-8.
ヘッドライトに浮かび上がる黒いデイムラーを見てブレーキペダルを踏んでから、コリンズは初めて周囲の景色に目を向けた。
車は何時の間にか、フェンスに囲まれた広大な草原地帯に入っており、その奥には鬱蒼とした黒い影を落とす森や、夜の闇にぼんやりと浮かび上がる赤茶けた地表が剥き出しの、凹凸の激しい”荒野”が広がっている。
「英国陸軍近衛師団の演習場だな」
マズアがマップを確認しながらドアを開いて地面に降り立つ。
リザ、銀環もその後に続き、コリンズは最後に外に出て、自分が走ってきた方向を振り返った。
フェンスがひしゃげ、ヒギンズの車が踏みしだいて突入した形跡が伺える。
「事前に、フェンスの警報装置を解除したのか、元々設置されていないところを選んだのか・・・・・・」
いずれにせよ、拉致後の逃走先として事前に計画を練っていたことが伺えた。
続いて止まったジャガーから小野寺とマヤが降車するのを待って、コリンズはゆっくりと銃を内懐から抜き、セイフティを外した。
「
コリンズの問い掛けに、マヤを除く全員が手を上げる。
「私と駐英武官が、先頭に立ちます。副官二人、後詰めを頼む」
コリンズは銃を構えながらゆっくりと乗り捨てられた車に近付き、車内を懐中電灯で照らした。
リアウィンドウは勿論だが、フロントガラスもきれいに吹き飛んでいて、車内の内装も焼け焦げている。先程車内からぶっ放したRPGの
「無人だな」
「何処へ逃げたんでしょうか? 」
マズアの呟きとリザの不安そうな声が背中にぶつかる。
「まあ、順当に考えればこの演習場のどこか、だろうが」
「車内に遺留品は? 」
小野寺の問いかけに、コリンズがリアシートを照らした。
「RPG……、いや、
マズアが照らしたライトに浮かび上がった、運転席足元の細い金属製の筒状の物体をコリンズは拾い上げた。
「野戦用の無針注射器か」
「即効性の麻酔薬か何かで眠らせたんだな」
コリンズは小野寺を振り返り、さっきから頭に浮かんでいた疑念を口にした。
「軍務部長。いくら室長代行がスレンダーだとは言え、意識のない成人女性1人担いで、徒歩でそう遠くへいけるとは思えませんな」
「確かに」
そうだとすれば、眠る涼子を抱えて彼は、ここからどうやって消えたのか?
暫く首を捻っていた小野寺が、振り返って副官達に声を掛けた。
「
コリンズは、ドライバーズシートの下をまさぐり、トランクをリリースする。
「がらんどうです。スペアタイアも入ってませんね」
リザの声に全員、トランクの中を覗き込む。
コリンズは懐中電灯で照らしたトランク内を覗き込み、底に溜まった粘着性の高そうな液体に目を留めた。
液体を指ですくい、匂いを嗅ぐ。
「こりゃ……、エタノールだな。軍務部長」
彼は頷いた。
「小型のバイクかなんか、積んでたんじゃないかな? 」
「それで涼子様を積んで逃げたんですね? 」
マヤだった。
そう言えば厄介な荷物を持ったままだったんだな、とコリンズは思わず顔を顰めてしまう。
けれど小野寺は気にした風もなく、無言で頷き返しながら、ローバーへ戻ってダッシュボードから車載無線を取り上げた。
「チャンネルは作戦周波数に合ってるか? 」
「イエッサー。そのままお話しください。作戦周波数ですので、スタックヒルもおそらくは傍受できていないでしょう」
コリンズの答えに小野寺は頷くと、トークボタンを押した。
「サラトガ
間髪入れずに、美香のハスキーボイスが暗闇に響いた。
「FOB軍務部長、TF須崎。送れ」
「現在地はフォローしてるな? バイクか何かに乗り換えて逃げたらしい。貴様のところのホークアイとアウルアイで探せんか? 」
「お待ちを」
再びトークボタンを押しこむ。
「
「ホプキンスだ」
「ああ、ホプキンスさん。丁度良かった、小野寺です。そちらのチャネルで、コルシチョフさんに連絡して、英陸軍ロンドン師団演習場の詳細地図を入手して欲しいんです。加えて、現在この演習場に人がいるかどうか? いるのなら、可及的速やかに撤退させて欲しい。それと」
小野寺の言葉を遮って、ホプキンスが早口で捲くし立てた。
「それと、その演習場でのサラトガ
「アイサ。ありがとう、よろしく願います」
打てる手はこれで全て打った事になるな、とコリンズはそっと吐息を漏らす。
「さて、後は時間との勝負、だな」
独り言のつもりだったが、小野寺の答えが返ってきたのには少し驚いた。
「そう、だな。……オールド・サラの鷹と梟の眼が、頼みだが」
その時、ジャガーの方から銀環の困惑したような声が聞こえてきた。
「マズア武官。駐英武官事務所、外務1班長からです」
「どうした? 」
「駐英イブーキ大使館から、凄い剣幕でクレームが入っているそうです」
ああ、やっぱりな。コリンズはマヤを振り返る。
全員の注目がマヤに集まっていた。
小野寺を除き。
俯くマヤを見て肩を竦めた小野寺は、肩を竦め、口に咥えていた煙草に火を吸い付けながら、言った。
「仕方ないさ」
彼は、苦笑を浮かべているようにコリンズには見えた。
「いいよ、構わん。俺が責任持って連れて行く。ここで追い返す訳にもいかんし、な」
「小野寺様」
マヤが顔を上げて、嬉しそうに言うのにそっぽを向きながら、小野寺は白い煙を空に向かって、不味そうに吐き出した。
「なんか言われりゃ、俺が腹ァ切る。……そろそろ予備役に放り込まれてもいい頃合だ」
そう言って小野寺は、コリンズの方を見て、口調を改めた。
「それより、他の地上班を全員、大至急ここへ集合させろ。コリンズ二佐、君のチャンネルで連絡してくれ」
「艦長、
機長の声に、美香はトルーパーシートから立ち上がってコクピットに飛び込み、ヘッドセットを掴む。
「DA02002、
「ポイント298302、低周波の電磁波発生の
地上から連絡のあった、犯人が逃走に使用した自動二輪に違いない。
美香は、ヘッドセットのマイク部分を手で押さえ、コパイに指示を出す。
「ホークアイに連絡。ポイント298302に地上構造物がないか、家電程度の電磁波発生の有無、出来れば生体と思われる熱源の有無、
マイクから手を離し、ホーネットに呼びかける。
「ポイント付近、他に移動しているものはないか? 送れ」
「ポイント298302から2km程南南西、ポイント298405に、UNDASNのIDカードを複数、感知。徐々に集まってきてますから、これは我が
「ラージャー、DA02002。引き続き周辺哨戒を継続、
ヘッドセットを取ろうとした瞬間、今度はホークアイからのレポートが耳に飛び込んできた。
「DA01001、DC01001須崎。送れ」
「地上構造物がポイント98302に存在する模様。比較的小規模ですが、耐爆構造の強化建築物のようで、微かな熱源反応と微弱な電磁発生を捉えましたが、詳細までは不明です。送れ」
「DA01001、DC01001ラージャー。引き続き任務続行、アウト」
美香は、夜のロンドン上空、暗幕をぴっしりと張り巡らせたようなキャノピーに映る自分の姿を呆然とみつめる。
唇が震え、顔色は白を通り越し、蒼い。
熱源反応が弱い、即ち生体反応がない若しくは弱い、ではないのか?
それは地上構造物がホークアイの報告通り、耐爆構造だからか、それとも『本当に生体反応が弱い』のか?
キャノピーに映る自分が、ぶるっ、と震えた。
早く。
涼子の下へ。
美香は、キャノピーから眼を逸らし、チャネルを切り替え、噛み付くような口調で言葉をマイクに投げ付ける。
「
返って来たホプキンスと名乗る情報部長の落ち着き払った口調が、美香の苛立ちを掻き立てる。
「少し待ってくれ、須崎艦長。……今、ロンドンでコルシチョフ国際部長が内務省、国防省と」
怒鳴り返そうとした矢先、唐突に声が途切れる。
通信が切れたかと思ったが、そうではないようだ。
空電の隙間で、微かにヒューストン側の喧騒が聞こえてくる。
何が起こったのか?
下唇を噛み締めた瞬間、先程とは打って変わって興奮したようなホプキンスの声が、耳に痛いほど響いた。
「今、
「
美香の押し被せるような質問に、不思議な間を一拍置いた後、ホプキンスが叫んだ。
「部隊展開も許可は得た。現刻を持ってポイント98302の地上構造物をブルズアイと定め、ブルズアイを
一瞬、その空白の意味が気になったが、美香は身体中の力が抜けているのに気付いた。
きっと、入れすぎた気合を外してくれたのだろう。
「アイサー」
「イエッサ」
美香とコリンズの声が、殆ど同時にヒューストンのシミュレーションルームに響いた。
ホプキンスがガタンと崩れ落ちる様に椅子に座り込み、大きな吐息を吐いた。
殆ど出番が終わったミシェルは、その様子をじっとみつめていたが、彼が椅子に腰を下ろすと同時に立ち上がり、サーバーからマグへコーヒーを注いだ。
少し温くて、しかも煮詰まっているコーヒーは如何にも不味そうだけれど、まあ、いいだろう。
何せ、この私自ら、サービスして差し上げるのだもの。
マグをホプキンスの前に差し出すと、彼はまるで、悪戯しているところを見つかった子供のように、ビクッと身体を震わせて、ゆっくりとミシェルを見上げた。
「あ……。す、すまんな、ありがとう」
マグを両手で受け取る姿が妙に可愛く見えて、ミシェルはクスクスと笑いながら、問い掛ける。
「部長、いいんですか? あんなこと言っちゃって。……資料と情報は入手したけど、コルシチョフ部長、まだ英国側の許可は下りてないって」
ホプキンスはゴクンとコーヒーを一口飲み、呟く様に答えた。
「なに、構わんさ」
言ってから、やっぱり煮詰まったコーヒーが不味かったのだろう、彼はこれみよがしに口を歪め、しかし続く言葉は、どこか楽しそうな口調に聞こえた。
「この
ミシェルは、決まり悪そうにマグの中の褐色の液体をみつめながら、ぶつぶつ言っているホプキンスの姿に、思わず微笑を浮かべてしまう。
よし。大サービスだ。
ミシェルは、ホプキンスの耳元に唇を寄せ、無声音で囁いた。
「ぶ、ちょ、お。マジ、かっけー」
真っ赤な顔を向けて何か言おうとホプキンスは、暫く酸欠の金魚のように口ををパクパクさせていたが、やがて諦めた様に視線を戦術ディスプレイに戻し、小声で言った。
「馬鹿者! 」
ベタだなぁ。
それがまた、笑えるのだけれど。
「火器保守部品倉庫……、か」
携帯端末に表示された演習場内地図を見て、小野寺は呟いた。
「そんなもの耐爆構造にするなんて、よほど予算が余ったものと見えますな」
コリンズも同じ感想を持ったのだろう、苦笑を浮かべながら彼を振り返って声を掛けてきた。
「軍務部長」
小野寺は頷き、声を低めて答える。
「
背後にいたマズアが、驚いた様な上擦った声を上げた。
「し、しかし軍務部長! 奴は人質を取っているんですよ? この場合、非正規戦専門のレンジャー部隊か何かでまずストーキングから、が原則では」
小野寺は、マズアらしい意見に内心頷きつつも、首を横に振って見せた。
「いや、ここは派手にガンガン騒いでもらおう。ヒギンズの野郎、どうせ、俺達を撒いたと高を括ってるだろう。サラトガTFにも派手に騒げと伝えろ」
奴も、いくら変態だとは言え、命は惜しいだろう。
「まさか、ここで正規軍を展開する程大掛かりだとは気付いちゃいまい。周りで騒いだ方が、逆に涼子に手を出し難くなる」
そう言って彼は、ふとマヤを振り返る。
「殿下」
呼ばれてマヤは、瞬時に表情を硬くする。
きっと、これから言われる台詞が予想できるたのだろう。
「ここから先は、どうやら本当に荒事になりそうです。……我々としても正直、安全を保証できません。ここでお待ち下さい」
マヤは泣きそうな瞳で、じっと彼をみつめ、儚げに首を左右にフルフルと振った。
「厭。厭です。……お願い! 連れて行って下さいませ! 」
言葉の後半は、叫び声に変わっていた。
どうにも、苦手だ。
小野寺は溜息とともに肩を竦め、助手席のドアを開けた。
「じゃあ、早く乗って」
「小野寺様! 」
無言のまま、マヤを助手席に押し込み、小野寺は短く吐息を零す。
「……やれやれ、この分じゃ、本当に馘が飛びそうだ」
いざとなりゃあ、涼子が食わせてくれるだろうからまぁ、いいか、とも思える。
ヒモ生活も、一度くらいはいいかも知れない。
……言った途端、マヤには殴られそうだが。
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