第114話 17-4.


 涼子がお手洗いに立った後、暫くして会場に駆け込んできたのは、マズアとコリンズ、それに涼子の副官二人だった。

 第一種軍装ドレス・ブルーのマズア達はともかく、普通のダークスーツ姿のコリンズは流石に目立つ。

 何事かとみつめていたアンヌと目が合った途端、マズアが恐ろしい形相で一直線にこちらへ向かってきた。

 思わず数歩後退するアンヌに構わず、マズアは息がかかる程顔を近づけて小声で訊ねた。

「い、石動1課長は? どこへ行った? 」

「りょ……、1課長なら、5分ほど前にお手洗いへ」

 変わって、コリンズが顔を突き出す。

「内幕部長や軍務局長達は? 」

 アンヌがぐるりと首を回して背後を振り返ると、新谷とボールドウィンが、やはり表情を固くしてこちらへ足早に近付いてきた。

「新谷内幕部長、ボールドウィン局長。お話が」

 ボールドウィンが頷いて、低い声で訊ねる。

「石動君の件、か? 」

 涼子の件?

 そういえば、今朝から涼子の周辺が妙に慌しかったが。

 首を捻るアンヌの横で、コリンズが冷静な口調で話し始めた。

「そうです。室長代行を狙っている犯人が判りました。……駐英武官補佐官、ヒギンズ・スタックヒル三等空佐です。スター・インテリジェンスによると、奴は既にこの宮殿内に侵入しています」

 涼子が、狙われている?

 驚くアンヌを他所に、リザがやはり低い声で補足した。

「会場へ入るまでに、出会った宮殿内のSPには伝えましたが。……あ、通信は使わないで下さい。相手が相手です、通信情報漏洩スロッパーの危険性が高いので」

「スタックヒル……、あの武官補佐官か! 」

 驚きと悔しさの綯い交ぜになったボールドウィンの呟きに、マズアの頭が一層低く垂れる。

 新谷が、比較的冷静な口調で、訊ねる。

「で? 石動は知っとるんか? 」

「いえ、今、お手洗いに行かれているとの事で、まだ伝えていません。SPには石動1課長発見次第保護せよとは命じました」

 新谷は大きく頷いて、全員を等分に見回した。

「よっしゃ。まずは石動の確保じゃ。王将キング、いやクィーンさえ掴んでおけば、負けはないわい」

 そして最後に、コリンズに顔を向けて声を低めた。

「それで貴様、後はどうする? 」

「は。万が一に備えて、統幕本部長命令による救出作戦用の正規部隊のロンドン市内展開を準備、行動に移りつつありますが、この件について、条約に基く英国政府への事前通知を」

 コリンズに皆まで言わせず新谷は振り返った。

「コルシチョフ君、ちょっと来てくれ! 」


 マズアとコリンズ、それに小うるさい涼子の副官コンビが舞踏会招待者用受付ゲートを通り抜け、宮殿の階段を駆け上がって中へ消えたのを確認して、ヒギンズは溜息を漏らしながら柱の影から現れた。

 ついに嗅ぎ付けられたか。

 間一髪だった。

 ヒギンズがメッセージを伝えた外来者ゲートは一般外来者受付で、常時設置されている設備である。自分を追ってきた彼等が20m程離れたところに臨時に開設されている舞踏会招待者受付へ回ってくれたことはラッキーだった。

 一般外来者ゲートを使用されたら、隠れようもなかっただろうし、上手く隠れたとしても武官事務所3号車はすぐに見つけられただろう。

 額に浮かんだ汗を手の甲で拭った刹那。

 背後から肩をポンと叩かれた。

 頭の血が、ザッと足元へ落ちて行く感覚に思わずフラリとする。

「どうした? 三佐。顔色悪いぞ? 」

 聞き覚えのある声の方を振り向くと、小野寺が怪訝そうな表情を浮かべて立っていた。

「あ……。ぐ、軍務部長。ご、ご苦労様です」

 漸く敬礼する。

 何故、こいつがここを、一般外来者ゲートを使う?

 ひょっとして、知っているのか?

 バレたのか?

 破裂しそうな勢いで跳ねる心臓、歪む視界。

 そんな彼の緊張を余所に、軍務部長は普段と変わりない無愛想な口調で話しかけてきた。

「こんなところでどうした? 誰か待ってるのか? 」

 これはバレてはいないのか? それともトラップか?

「あ、はぁ。ぐ、軍務局長を」

 駄目だ。

 我ながら、不審過ぎる。

 気取られなかったかと小野寺の表情を盗み見ると、彼はいつも通りのスカル・フェイスのままだった。

「見かけたら言っておこう」

 彼がゲートをくぐってゆっくりと階段の上に消えた瞬間、どっとヒギンズの額から汗が噴き出した。

「……助かった。軍務部長には伝わってなかったようだな」

 そして再び柱の影に隠れてズボンのポケットをまさぐる。

「ある」

 ヒギンズは左手の甲で額の汗を横殴りに拭い、ポケットの中の右手で固く冷たい”もの”を握り締め、暗い微笑みを庭園に向かって放った。

 この魔法の薬さえあれば。

 手に入る。

 俺だけの、涼子が。


 個室の洋式トイレに座り込んで、暫く腰を叩いていた”歳相応”の涼子だったが、少しだけ、楽になったように思えて立ち上がった。

「もう1720時ヒトナナフタマルだわ」

 艦長、もう到着してるかな、と思いながら個室を出て、洗面台の鏡に向かい合う。

「お化粧、最終確認! 」

 さっき、ちょっと泣いたからな。

 踊って汗もかいちゃったし……。でも、まあ、大丈夫か!

「艦長、また、あの時みたいに……、『綺麗』って言ってくれるかしら? 」

 小野寺の滅多に見られない放心状態のような表情を思い出した途端、鏡の中の自分が真っ赤になった。

 恥ずかしくなって、慌ててトイレを出たところで、赤い服の近衛兵に声を掛けられる。

「UNDASNの石動涼子代将閣下でありますか? 」

「ええ、石動です」

 衛兵は不動の姿勢でスッと紙を差し出す。

「一般外来者自動車用玄関外で、駐英武官補佐官スタックヒル少佐と仰る方がこれを、と。直接お返事を貰えるはずだから、お待ちしているとの事であります」

 涼子がメモを開くと、そこには見覚えのある筆跡でこう書かれている。

 『フォックス派逮捕者の件で、英国内務省より交渉要請あり。詳細面談の上、指示頂きたい』

 そう言えば、今朝はなんだか、コルシチョフ部長やマズア、リザ達がバタバタしていたけれど。

 この件だったのかしら?

 そういえば、マズアやリザ、銀環はまだ宮殿に到着してないようだけれど、心配ね、なにかあったのかしら?

 涼子はメモを畳んでポケットに仕舞いながら、衛兵ににっこりと微笑みかけた。

了解アイです。お手数かけました、ありがとう」

 衛兵は着ている服以上に顔を赤くして、敬礼した。

「し、失礼いたします! 」

 今回の一連の事件では、見事なほど役に立たなかった英国政府のことだ、きっと『花を持たせ』てはくれまいか、そんな交渉だろう。

”いいけどね。別にウチが手柄を吹聴したい訳じゃないんだし”

 とにかく、会って聞けば事情も判るだろうと、涼子はトイレから30m程離れた裏玄関に向かって歩き始めた。

 と、そこへ後から声を掛けられた。

「室長代行! 」

 振り向くとSPが血相を変え、息を切らせて走ってくる。

「ど、どしたの? 」

 驚いて涼子が尋ねると、SPは声を顰めて言った。

「聞かれましたか? スタックヒル三佐の件」

 ああ、私を探してたんだ、と涼子は納得する。

「ああ、うん。今聞いた。メモもらったわよ」

「へ、あ、そうですか。……で、どちらへ? 」

 SPが拍子抜けしたような口調でそう訊ねた時、玄関の方で声がして涼子達は一斉にそちらを向く。

「おう、石動」

「艦長! もう、遅いよー! 」

 涼子は瞬間的に頬が緩むのを抑えられず、せめてと口調だけは怒りを表す。

 言ってからSPの質問の途中だった事を思い出し、再びSPに顔を向けた。

「あ、ごめんなさい、それで、ええと」

「あ、いや、ええ、軍務部長なら、問題ありません、いいんです。失礼しました。しかし、お話が終わり次第、すぐに会場にお戻りを! 」

 SPは早口でそう言うと、踵を返し歩み去った。

「? 」

 頭からクエスチョンマークを飛び出させながら、しかし、とにかく涼子は彼のもとへ駆け寄る。

「艦長」

「そう文句言うな。徹夜だったんだか、ら」

 彼の台詞が途切れ、その表情が徐々に真剣なそれに変わる。

「……艦長? 」

 彼は涼子の足元から頭の先までをじっと見て、溜息とともに、呟く様に言った。

「涼子……。今日のお前は」

 一旦言葉を区切り、数瞬の後、吐息交じりに、言葉を継いだ。

「凄いな……。綺麗だ」

 小野寺の言葉に、頭の中が真っ白になった。

「艦長ぉ」

 漸くそれだけ言った途端、涙が両目からボロボロっと零れた。

 あ、また泣いちゃう。

 気付くと、彼の胸に飛び込んでいた。

 誰かに見られちゃ拙い、という思いと、ずっとこのままで彼の心臓の鼓動を感じていたい、という矛盾した思い。

 けれど、身体は確かに彼から離れまい、彼を放すまいと大きな背中に回した腕に、一層力がこもる。

 諦めた瞬間、胸の中に溜まった想いが、湿った声で零れた。

「私……、私ね? ……ほんとは、この零種軍装も、お化粧も、ダンスも、大嫌いなんだよ? でもね、でも……。艦長にもう一度、綺麗って、そう言って欲しくって……。頑張ったんだよ? ね? 私、頑張ったの」

 これ以上、喋れない。

 息が苦しい。

 胸が詰まる。

 どこまで彼に伝わっただろうか?

 私の想いは、彼の心に、届いているのだろうか?

 そんな不安がどうでも良くなるほどに、彼の身体は大きくて、暖かかった。

 彼の手が、涼子の髪や背中を優しく撫でる。

 それが心地よくて、思わず眠りに落ちそうになった刹那、彼の声が耳朶を優しく撫でた。

「ほら、泣くな。折角俺が、らしくないのを承知で誉めたんだから。……な? 」

 頷く。

 何度も、何度も。

 彼の胸に額を打ち当てるように。

 そうやっていれば、彼に想いが届くのだと、そう信じて。

 涼子は暫く、人目も気にせず彼の胸に顔を埋めていたが、やがて、身体を離して泣き笑いの表情で言った。

「ごめん、ごめんね、艦長。……うふふふ、今日は私、なんか、おかしいんだ」

 彼も安心したようにフ、と表情を緩めた。

「お前がおかしいのはいつもの事だ。……それよりどうした? こんなところで? 」

 言われて涼子は、思い出した。

「そうだ、ヒギンズ、忘れてた! 」

「ん? ……そう言えば武官補佐官スタックヒルが、玄関で待ってたな。だけど、確かボールドウィン局長を待ってるって」

 涼子は今更ながら、衆人監視で彼に甘えてしまった恥ずかしさもあり、ハンカチで涙を拭きながら玄関に向かって小走りになる。

「そうだった? だけど、私もメモもらったから……。ちょっと、行ってくるね、艦長」

 早いとこ、用事を済ませて。

 艦長にダンスを申し込んだら、いったい、どんな顔するかしら?


 なんだか、話がややこしくなっているような。

 小野寺は、すっきりしない胸の内をそのままに、とにかく一旦、会場へ顔を出そうと、駈けて行く涼子の後姿から視線を無理矢理引き剥がした。

 歩き出した途端、刺すような鋭い視線が背中に突き立つのを感じて、思わず立ち竦む。

”……なんだ? ”

 恐る恐る振り返ると、柱の影から顔半分を覗かせ、じっとこちらを睨み付けている人影が、そこにはあった。

”……見覚えがある”

 よく見ると、それはマヤだった。

 視線が合うと、彼女の怒りの表情は一瞬のうちに哀しげなそれに変わる。

 なんとなく事情は理解したつもりになって、本当ならば無視したいところを相手の身分も考えて目礼すると、それを待っていたかのようにマヤは、踵を返して涼子を追う様に、廊下を駆けて行った。

”なんなんだ、ったく”

 苦笑を浮かべつつ短い溜息を零し、小野寺もまた、踵を返して反対方向へと歩き出した。

 多分、あれは。

 嫉妬、だったのだろう。

 何故あの姫君が、自分と涼子との仲を知っているのか、たぶん涼子自身がそんなことを彼女に言う筈もなく、それこそ、ツーショットを目撃されたとすればグローリアスのアットホームくらいで、そうだとすると所謂ひとつの、女の勘、という奴なのだろうが。

 相手が涼子だ、互いに想いが通じた事自体、奇跡と呼べるほどの僥倖で、だから、それこそ顔見知りから始まり世界中の名も知らぬ”涼子ファン”何百万、何千万人を敵に回したつもりでげっそりしていたが、それでもまさか女性まで、とは。

 女性の嫉妬は恐ろしい、とはよく言われていて、彼にも心当たりはあるものの、女性が女性を求めて恋敵の男性に向ける嫉妬というのは、何故だか、普通~言葉は悪いが、ヘテロに基準を置くならば、だ~よりも恐ろしい気がする。

「やれやれ、だ」

 一人肩を竦めた途端、名前を呼ばれて小野寺は再び立ち止まった。

 いや、呼ばれたと言うより、名前を叫ばれた、と言った方が良いほどの緊迫した声、その主はマズアだった。

「軍務部長! 」

 マズアは声の通りだが、彼に続いて走ってくる涼子の副官コンビ、それにあのコリンズまでが、顔色を失くし、緊迫した表情だった。

「どうしたっ? 」

 驚いて訊ねる小野寺の質問を無視して、マズアが上擦った声で反問する。

「い、1課長を、見、見かけませんでしたか? 」

「落ち着け、駐英武官。石動なら、今そこで会って話をしたところだ」

 そして、比較的冷静さを保ってそうに見えるコリンズに顔を向ける。

「いったい何があった? 」

「例の、ストーカー。犯人が割れました」

 途端に、彼の背中に悪寒が走る。

 同時に、ついさっき見た涼子の泣き笑いの顔が脳裡に浮かんだ。

「……まさか? 」

 なんの根拠も裏付けも、いや、推理さえ働かせはしなかったが、何故か、一人の男~親しくはないが、見知った男だ、何故なら涼子の部下なのだから~の顔が浮かぶ。

 次の瞬間、コリンズの答えが、それを肯定した。

 肯定してしまった。

「スタックヒル。駐英武官補佐官のヒギンズ・スタックヒルが犯人です」

 彼はコリンズの台詞を全て聞かず、振り返って叫ぶ。

「涼子、待てっ! 」

 続いて4人を顧みる。

「涼子は、スタックヒルに呼び出されたって言って、今玄関の方」

 刹那。

 彼は背中で、空気を切裂くような、鋭い女性の悲鳴を聞いた。

「きゃあっ! 涼子さまっ! 」

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