第113話 17-3.


 フィルハーモニア管弦楽団メンバーによる室内楽団の演奏で、華やかに舞踏会は始まった。

 初日の晩餐会と違い、最初から会場内はリラックスした雰囲気が漂っている。

 流石に世界中のハイソサエティが集っているだけあって、音楽が始まると同時に、フロアは数十組のペアがあっという間に出来てダンスが始まる。

 そんな雰囲気の中、さすがにUNDASNの連中は花より団子だなあ、と涼子は苦笑を浮かべた。

 新谷を先頭に、チェンバレンやボールドウィンは酒へ、若い幕僚や各艦の艦長クラスといった佐官連中は料理へ群がっている。

 もちろん涼子も、料理を皿に盛っていた。

「あれ? カルダンさん、美香先輩は? 」

 生ハムのマリネを皿に取っているグローリアス艦長、ヘンリー・カルダン一等艦佐をみつけて涼子は声を掛けた。

 グローリアスの僚艦、サラトガ艦長である美香も、この舞踏会に招待されていた筈だが、姿が見えないのに気付いたのだ。

「よう、石動、相変わらず大食いだなぁ。えぇと、須崎君か? 彼女は、なんだか外せない用事があるとかで今日は欠席だ、と聞いたが」

「えー、そうなんですか。なんだ、昨日のお礼をしようと思ったのに」

 美香の零種軍装ドレス・ゼロを、涼子は実は密かに楽しみにしていたのだ。

 美香とくれば、ワーキング・カーキ、のイメージしか浮かばないのだが、あれほどの美人だ。

 きっと大輪の薔薇の花が開いたような、艶やかさと華やかさがあるだろうに。


 涼子がカルダンに声を掛けていた同時刻、話題の美香は、エレガントでゴージャスな零種軍装には程遠い、しかも第二乙ワーキング・カーキどころではないBDU、都市迷彩アーバン・カモの第三種陸戦軍装に身を固めて、サラトガ戦闘指揮艦橋CDCで仁王立ちになっていた。

 サラトガは統幕本部のホプキンス情報部長よりミッション・エントリの指令を受けてすぐに戦闘態勢発令バトル・ステーション後に抜錨、メインマストに『安航を祈るUW』の旗流信号を掲げたグローリアスに見送られて港内最大速度ハーバーフルで港外を目指し、今はサザンプトン沖合10マイルを原速で航行中だ。

「艦長! C甲板V107、3機スタンバイ完了! 」

 サラトガは、F010のシップ・ナンバーを持つ事からも判る通り、かなりの艦齢の空母だが、ネームシップのF090レキシントン同様~サラトガがネームシップより古いシップナンバーを振られているのは、先代同名艦のシップナンバーを受け継いだからだ~、その流麗なシップ・デザインが人気で、特にIC2に所属していて地球本星の人々の眼に止まり易いこの艦は、オールド・サラのニックネームで親しまれている~ちなみにレキシントンの愛称はレディ・レックスだ~。

 それでも162万トンの巨体、3段の航空機発着甲板を持つ威容は、戦場へ出れば威圧感たっぷりで、さすがに主力艦と呼ばれるに相応しい。

 3段航空機発着甲板の一番上段、C甲板と呼ばれるオープンフライトデッキ上では、艦載輸送VTOLが3機、エンジンを噴かして今にも離艦しそうな勢いだった。

 美香は片手を挙げてそちらに了解の返事をし、傍らの副長を振り返る。

「副長、陸戦隊の準備は? 」

「先程、アーミングエリアより報告ありました。車両装備は出撃準備完了、搭載作業中。現在は人員装備点検中、10分以内に離艦可能とのことです」

 美香は大きく頷き、足元に置いていた装備をさっと肩に担ぐ。

了解アイ。じゃあ、副長。私も出る。後を頼む」

「アイマム。艦長、お気をつけて」

 一旦踵を返した美香の足が、不意に止まった。

「ああ、そうだ。飛行長」

 エアボス席についていた飛行長が振り向く。

「イエスマム」

「陸戦隊の出撃後、早期警戒機ホークアイ対地支援管制機アウルアイ、発進させるようになってたでしょ? 追加で、電子哨戒機ホーネットも上げて」

「ホーネットを? や、上げるのは了解ですが、一体何をさせるんです? 」

 首を傾げる飛行長の質問に、美香はあっさりと答えた。

「わからん」

「は? 」

 頭からクエッション・マークを飛び出させている副長や飛行長に、美香は見事なウィンクを贈った。

「わからんけど、使い道はナンボでもあるわ……。ま、役に立つ筈やから、上げとき、な? 」

「アイアイ、キャプテン」

「アテンション! 艦長、出撃されます! 」

「CDCより航海艦橋ナビブリッジ、発艦作業開始、舵中央へ戻せヘルム・ミジップ

D旗デルタ掲揚」

 副長の号令を聞きながら、C甲板へ向かうエレベーターの中で、美香は表情を引き締めた。

 待っときや、涼子。

 私が行くから。

 それまで、どうか。

 無事で。


「まだ繋がらんのか、電話は? 」

 マズアの苛立った声に、コリンズは閉じていた目を開いた。

「王室庁は何をやっとるんだ! ちゃんとUNDASN緊急親展と伝えたのか? 」

 銀環が身体を小さくして頭を下げている。

「申し訳ありません。何度も言ったのですが、案内の最中やら首相の挨拶中やら国王陛下のどうやらだと言われて」

 それまで無言だったリザが、立ち上がり、銀環を庇う様に言った。

「もう、リスクを考慮している段階は過ぎたのでは? このままでは手遅れになる可能性もあります。直接、宮殿へ行きましょう。それが一番早くて確実です」

 銀環がうんうんと頷く。

「そ、そうです、そうしましょう。未だ監視衛星には引っ掛からないし、って事は、武官補佐官がIDカードのアンテナを破壊していると仮定して、次に引っ掛かる可能性は宮殿外門の入場チェック時。非接触型ICが効かなくとも、磁気スリットは通す筈、となればその時点で発せられる微弱な電磁波捕捉がチャンスです。それがまだ検知されないと言う事は、武官補佐官はまだ宮殿には入っていない可能性が高いって事ですから」

 副官二人の言葉に、マズアはうんと唸り、コリンズを振り返った。

「どうする、ジャック」

 リザの言う通りだろう。

 時間が経過するにつれ、ヒギンズを刺激しない策と刺激する恐れのある策~それは英国側にこちらの内情を察知され難い策と察知され易い策とイコールだ、まぁ察知された場合のカバーストーリーも用意はしているのだが~、それぞれの危険度がバーターとなり、しかも全体的なリスクは急激に跳ね上がっていくだけだ。

 コリンズはうんと頷き立ち上がった。

「判った。君達の言う通りだ。直接行こう」

「パトカーの先導エスコートを手配しましょう」

 リザが内線に手をかける。

 コリンズは通信員を振り返って言った。

「我々は直接バッキンガム宮殿へ向かう。引き続き、宮殿へ電話をかけ続けろ。それと、ヒューストンCPにもその旨、伝えておけ」

 チラ、と壁の時計を見上げる。

1650時ヒトロクゴーマルか……」

 ここから宮殿まで、パトカーの先導でも15分。

 イヤな予感がチラリとコリンズの脳裡をよぎったが、信じたくないという風に軽く頭を振って、マズア達に続いて部屋を出た。


第2管区クリスマス島警戒監視スター・衛星団情報インテリジェンス! ……監視衛星A78009201にターゲットHの感あり、マッピング情報オーバレイ中」

 通信管理員の声に、サマンサは椅子から立ち上がった。

「ICカードのアンテナを壊した可能性があるとか言ってたけれど」

 サマンサの呟きに、ホプキンスが追い抜きざま答えた。

「今英国上空で張り付いている衛星は、ルックダウン能力の高いヤツだ。アンテナが壊れていても、磁気スリットを通した際の微弱な電磁波程度なら検知可能らしい」

 説明は有難いけれど私を追い抜くとは情報部のクセにどういう料簡なのと腹が立って、結局二人は押し合いへしあいしながら戦術情報ディスプレイの前まで駆け足する事になってしまった。

 呆れた様子のオペレータを無視し、サマンサはホプキンスと顔を並べて戦術情報ディスプレイを食い入る様に覗き込んだ。

 赤い輝点が点滅する画面に、ロンドンの1/2000の市街地図が重ねて表示オーバーレイされる。

「! 」

 声が出なかった。

「……もう、バッキンガム宮殿の中じゃないか」

 ホプキンスは振り返って怒鳴る。

「関係部隊へ通報! ターゲットHは1655時ヒトロクゴーゴー現在、既に宮殿内にあり! ブルズ・アイを現刻よりバッキンガム宮殿とする! 」

 手遅れかも知れない。

 一瞬、そんな考えを浮かべた自分を、サマンサは叱りつける。

「まだ。まだよ」

 呟きが聞こえたのか、怪訝な表情で振り返るホプキンスの姿が視界の隅に映るが、構ってなどいられなかった。

 私は、医者。

 まだ、打つべき手は、あるんだ。

 そう信じ込もうと、サマンサは、お呪いのように私は医者、私は医者と繰り返した。


「艦長! CDC、副長より入電! 」

「須崎だ、送れ」

 V107の1号機コクピットでヘッドセットを被っていた美香は、一瞬身体が硬くなるのを感じた。

ヒューストンCP情報。監視衛星によると、1655時ヒトロクゴーゴー現在、ターゲットHは既に宮殿内にあり、現刻よりブルズ・アイを宮殿とする、送れ」

 遅かったか、と美香は一瞬目を閉じる。

 が、未だ手遅れと言う訳ではないだろう。

「須崎、アイ。サラトガ任務部隊TFはこれより作戦行動オンステージに入る旨、CPへ伝えろ! 作戦参加機は順次、戦闘序列に従って離艦開始、オーバー」

 ヘッドセットの向こうで副長が驚いた声を上げる。

「ええっ? 艦長、しかし、まだどこに展開するかは不明ですよ? まさか宮殿ブルズ・アイ降下地点DZにする訳じゃないでしょう! 」

「判ってから離艦じゃ遅いでしょ! 滞空時間は最短でも5時間あるんだから、先にロンドン市内空中観光よ! 」

 そう言って美香は通信チャネルを発艦デパーチャー管制コントロール周波に切り替え、機長の肩を叩きながらマイクに叫ぶ。

発艦デパーチャーコントロール、こちら艦長。Cデッキクリアランス出せ、Take off! Go、Go、Go! 」

「ラージャー! 」

 美香はグッと両拳を握り締める。

”涼子、誰にも手出しさせへん……。待っとき、涼子! 先輩が助けたるけん”

「艦長、艦長! 」

 燃える気持ちに水をさす様に、機長ががなり立ててきた。

 声の方を向くと、ヨークハンドルを握っている汎用機隊長が呆れたような表情で見上げていた。

「なんね? 今、ええとこやったのに! 」

「何が”ええとこ”だったのかは知りませんけど、離艦しますから、ホラ、席戻ってベルト閉めて下さい! 」

 恥ずかしくて、顔が赤くなるのが判った。


「失礼いたします。IDカードのご提出とご要件をお願いいたします」

 バッキンガム宮殿の裏門、一般車通用ゲートで衛兵はやってきたジャガーの運転席に声をかけた。

 運転席の窓がおり、中からIDカードが出される。

 受け取ってリーダーにかざす。が、不具合でもあるのか、情報読み取りエラー、已む無く、磁気情報読み取りスリットを通すと、今度は正常に読み取りが完了した。結果はグリーン。

 特別職国際公務員、外交官、Aレベルまでの通行常時許可。

「国連公務。舞踏会出席者への緊急極秘連絡任務だ」

「申し訳ありません。貴官のIDカード権限では宮殿内には立ち入れません。舞踏会招待状をお持ちでしたらご提示願います」

「招待はされていない。宮殿ゲートで呼び出して頂こう。……それなら構わん筈だ、な? 」

「それでしたら結構です」

 IDカードを受け取り、UNDASNの旗を立てたジャガーはゆっくりと宮殿内に入る。

 運転席の男の唇が、捲れ上がる様に歪んだように見え、衛兵は呼び止めようと手を上げかけたが、続いてやってきたメルセデスのクラクションで、それを諦めた。

 まあ、UNDASN士官であることには間違いはないのだから、大きな問題にはならないだろう。


 係員は、UNDASNの旗を立てたジャガーがゆっくりと裏玄関車寄せ前の一時駐車スペースに停車したのに気付いた。

「申し訳ありません。本日宮殿内で公式行事開催中につき招待外来客用駐車場が混雑しております。キーをつけたままそこへ置いて下さったら」

 そう声を掛けながら、降り立った運転手と入替りに駐車場へデリバリしようと歩み寄ると、それを運転手は手で制して静かな口調で言った。

「いや、メッセンジャーだ。返事をもらったらすぐに出すから、そのままアイドリングで置いておいてくれ」

 そう言うと、運転していた男は真っ直ぐ玄関通用ゲートに向い、衛兵に敬礼をして見せる。

「済まないが、舞踏会出席者にメッセージをお願いしたいのだが」

 そう言って、男はポケットから紙を1枚取り出す。

「どなたへお渡しすればよろしいですか? 」

「UNDASN統合幕僚本部政務局国際部欧州室長代行、石動涼子代将へ。多分、直接返事をしてくれる筈だ。それまで自分はこちらで待たせて頂く」

「貴官は? 」

 男はIDカードを差し出しつつ、初めて目深に被った制帽を脱いで、衛兵に顔を見せた。

「自分は、UNDASN統幕政務局国際部欧州室欧州1課、在英国駐在武官事務所武官補佐官、ヒギンズ・スタックヒル三等空佐である」


「あ、あの、その私……。ほんと、すいません! 不調法なもので」

 涼子は額に汗をかいて、さっきからコメツキバッタの様に頭を下げ続けていた。

 舞踏会が始まって、第1クォーターを終了した時点から、ダンスの申し込みが殺到し始めたのだ。

 最初の頃こそ、手近のパートナーを選んで踊っていた出席者達が、まるで一渡りの義理は果たしたとばかりに、しかも男どころか女性まで、涼子に手を差し伸べてくるのだ。

 涼子自身、最初は『花より団子』で食べ物に群がっていたのだが、腹八分目になってからは手持ち無沙汰になり、壁の花を決め込んでぼんやりしていたところを、狙われたらしい。

「そうですか……。残念です」

 見覚えのある、EU経済外交委員会の特別アナリストである細面の彼は、一旦そう言って頭を垂れたものの、すぐにガバッと顔を上げた。

「で、では、あのっ! せめて今宵の思い出に、一緒に写真を撮って頂きたい」

 外交官として相手にそこまで言われては断れず、涼子は並んで写真に写る。

 すると今度は、我も我もと写真を是非にと言ってくる。それがSNSにアップされるのかと考えるだけで、うんざりしてしまった。

 もちろん、米国のスタスキー国務長官や、ホスト国である英国ブラウン首相からのダンスの申し出は、断る訳にはいかない。

 加えて、大国の高官相手に、足を踏んづけない様に踊る事が、涼子の体力と気力を消耗させた。

 なかでも一番気を遣ったのがジョージ皇太子とのダンスだった。

 出席者全員が愛らしいカップルだと温かい眼で見守っている中で、背の高さが違う為に無理な姿勢を取り続けなければならない。

 ダンスが終わった後、涼子がジョージのキスを両頬に受け、2人で拍手に応え終わってから、涼子はひそかに壁際に戻って、腰を叩いていた。

 疲れた。

 知らぬうちに隣に立っていたボールドウィンが、笑いながら涼子の肩に手を置いた。

「おう、ご苦労さん! いや、可愛いカップルだったなあ」

「もう、それどころじゃないですよ、軍務局長。腰が痛くて」

 思わず唇を突き出してボヤいてしまう。

 それをボールドウィンはニヤニヤ眺めながら、さらりと酷い事を言う。

「そうやって腰叩いてる姿を見ると、歳相応だなあ、うん」

「ふぁあ! 言ってはいけないことを! 」

 ボールドウィンとの他愛ない掛け合いで、少しだけHPを回復させた涼子は、そっと壁掛け時計を見上げた。

 1707時ヒトナナマルナナ

 舞踏会はまだ1時間は続く。少しはセーブしなければ。

 おそらく、チャールズ国王からもダンスに誘われるだろうし、後はマクドナルド事務総長とマヤ殿下と。

 今のうちに、一服させてもらおうかしら。

 涼子は近くにいたアンヌに小声で囁いた。

「アンヌ、ちょっとトイレでも行って休憩してくる。もう疲れちゃったよ」

 アンヌはワイングラスを目の高さまで上げて嫣然と微笑んだ。

 結構、飲んでいるようで、ほんのり赤い目許がセクシーだ。

「そうね、涼子。貴女まだ、本命のパートナーのお相手が残ってるものね? 」

 涼子はアンヌの言う意味が解らず、小首を傾げる。

「もうすぐじゃないの? 軍務部長の到着は」

「い、意地悪っ! 」

 涼子は瞬間的に真っ赤になった顔を両手で覆って踵を返す。

 アンヌの控えめな笑い声を背中で聞きながら、涼子はふと、思った。

 艦長、私がダンスに誘ったら……。

 暫く立ち止まり、首を捻ってその光景を想像してみようと頑張ったが、どうにも上手く思い起こすことができなくて、涼子は諦めて再び歩き出す。

 艦長がワルツを踊る姿なんて、想像できない。

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