第112話 17-2.


「お疲れ様でした、軍務部長」

「君達こそ、割り込まれて迷惑だっただろう。ありがとう」

 グローリアス戦闘艦橋CDCのトップダイアスで、小野寺は席を立ち、うんと伸びをする。

「それにしても、今回のミクニーの動きは思わせぶり、と言うか、絶妙だったな。取り敢えず、ウエスト=モズンとドットのラインにまで押し込めることが出来て、まぁ、良かったが」

 隣に立ったグローリアスの戦闘長も、正面戦闘統合情報スクリーンを見上げて頷く。

「ええ。後は今回の動きを陽動とした場合、他の戦線が動くかどうか、ですね。そっちは警報レポート入り次第ご連絡しますから、どうぞ、舞踏会の方へ向かって下さい」

 今日のバッキンガム宮殿での舞踏会は、昨日の観艦式とその後のアットホームの返礼として英国王室と英国政府が共催するもので、これまでのUNDASN訪英メンバーに加えて、今回は特に観艦式に関わったIC2の幕僚や各艦長等幹部が招待されていた。

 太陽系外幕僚部の作戦行動である今回のイースト=モズン方面の緊張に直接関係のないIC2幕僚やグローリアス初め所属各艦長、副長は、既に定刻通り艦隊を出発して宮殿に向かっていた。

 ボールドウィンを先に送り出し、終結監視の為小野寺だけが今まで残っていたのだが、遠い宇宙での彼我の動きも、どうやら膠着状態になったと見てよさそうだった。

「ああ、さっき頼んでおいた……」

 CDCが一望できる、ガラス張りの将官用監視席は喫煙可だ。

 煙草を咥えながらドアの手前で立ち止まって振り返ると、戦闘長は若々しい笑顔を浮かべてハキハキと答えた。

「ああ、車の件ですね? 港務部の来賓用のジャガーを1台借りてあります。デリック下に1530時ヒトゴーサンマル……、ああ、この時間ならもう届いてますよ。舷門衛兵がキーを預っている筈です。車の返却は明日の朝で良いとの事です。……でも、本当に運転手なしでいいんですか? 」

「ああ、構わない。携帯端末は常時オープンだから、何時でも構わん、何かあったら連絡してくれ」

「アイアイサー」

 監視席に入り、煙草に火を吸いつけながら腕時計を見ると、既に1600時ヒトロクマルマルを過ぎていた。

 サザンプトンからロンドン市内のバッキンガム宮殿まで、ITSのゆったりした流れに車を任せても45分程度だ。

「面倒くさい、このままでいいか」

 指定ドレスコードである零種軍装は持って来ていたのだが、女性ほどではないにしろ、ごちゃごちゃと飾りが多く、着付けるだけでも20分くらいは充分にかかるだろう。

 それに元々、零種軍装は好きではなかった。

 涼子の言い分ではないが、と彼は一人苦笑を浮かべながら、煙草を灰皿で揉み消し席を立った。

 本来なら罰則ものだが、今回は対ミクニーの手当て、という遅刻の大義名分もある事だし、左程うるさくは言われないだろう、と高を括って取り敢えず自室へ戻り、顔を洗って髭を剃り、帽子だけを被って第一種軍装で宮殿へ向かう事にする。

 部屋を出る間際、少し迷ったが、銃を持っていくことにした。どうせ、宮殿入り口で預けることになるだろうが。

 今夜は、シャバで涼子と二人きりだ。勘の鋭い後任副官は意味ありげな笑みを浮かべて堂々ときょう1日の休暇を申し出て、許可を出した途端私服に着替えて舷門をスキップで出て行った。

 とにかく、銃に出番がないことを祈るが、備えあれば憂いなしだ。

 舷門の衛兵からキーを受け取り、デリックを降りながら桟橋を見ると、外交官ナンバーと部隊ナンバーを2枚つけた黒のジャガーが停まっていた。

”今夜はあのジャガーで、お姫様の送迎、か”

 彼は運転席に乗り込み、車をスタートさせながら考える。

 涼子の零種軍装姿を見たのは、一昨日が久し振りだった訳だが、あの時は落ち着いて『鑑賞』する間がなかった。

 今日こそはゆっくりと拝見できる訳だ。

 楽しみだ、さぞかし綺麗なことだろう。

 取りとめもない事をあれこれ、鼻歌混じりに考えている自分が、年甲斐もなくウキウキしている事にふと気付いて、驚く。

 なんだ、俺は?

 ルームミラーに映る、見飽きた筈の自分の顔が、気持ち悪いほどに緩みまくっていた。

 サザンプトン軍港のゲートで衛兵の敬礼を受けながら思わず、笑顔を苦笑へマイナーチェンジさせる。

「ああ、馬鹿だ、俺」

 別にこれまで、ピューリタンの様に生きてきた訳ではない。

 それどころか、遠い昔、入籍こそしなかったが、幹部学校の同期の女性と結婚同然の同棲生活を数年、経験した事さえ、ある。あれはサマンサと別れて暫く経ってからだった。

 その彼女とも別れてしまったものの、それは別に浮気や女遊びが原因、という訳ではなかった。

 現に、女遊びなどこれまでした事がないし、異性との肉体関係を含む交遊も~同棲相手と付き合う前も、別れてからも~、全て、それなりに”ちゃんと交際”している、その範囲だけであった。

 軍という特殊な環境の為、それはシャバ程自由があった訳ではないし、いや、そんな言い訳等不要なほどに、性欲に関しては淡白な方だと自分で思っていた。

 しかも、歳とともに、それもだんだん希薄になりつつあった、筈だった。

 そんな俺が、なんだ?

 尻の青い若造の様に、夜のデートに胸をときめかせるなんて。

「こりゃあ、涼子に知れたら、なんて言われるか」

 しかし、涼子に会いたいと気の逸る理由が『もうひとつ』あることも、嘘ではない。

 自分が、涼子の傍にいてやれたら。

 もうこれ以上、涼子の硝子細工のように繊細な心に、刃を向けさせてはならない。

 もしも今、もう一度でも襲われたなら、涼子の精神は、いや、生命は、いったいどうなってしまうのか?

 サマンサの会議での発言が脳裡に蘇り、彼は額に冷や汗が浮かんでいるのに気付く。

 自分が傍にいれば、大丈夫なのか?

 根拠など、これっぽっちも、ない。

 それでも涼子の『恋人』として、傍にいたかった。

 傍にいなければ、一生後悔しそうな気がして、焦った。

 アクセルを踏む足に、知らぬ間に力が入っていた。

 そう言えば、と彼は唐突に思い当たる。

 例えば、同棲していた彼女と、別れた理由。

 例えば、サマンサと、別れた理由。

 それぞれ全く違う理由があったし、時々の環境や心理状態も違ったけれど、突き詰めれば、必要なときに互いが、手を伸ばせば触れ合えるところに存在することが出来なかったせい、それも小さくない理由だったのではないだろうか。

 物理的な距離、ではないのだろう。

 同棲相手だって、サムにしたって、どちらも軍籍に身を置く人間だったし、俺だってそうだ。

 そしてそれは、涼子にしたって、変わらない。

 だけど。

 それこそ若造の吐くような青臭い台詞ではないが、抱き締めるだけで耐えられる何かを、二人の間にさりげなく置く行為が、いつの間にか徐々に少なくなっていたのは、確かだった。

 だから。

 だから、俺は涼子に。

 何がしてやれる?

 知らぬうちに車はITSの制御を外れ、マニュアル運転に切り替わっていた。

 パトカーに止められないうちにアクセルを緩めITSに復帰するべきだったが、どうにも足から力が抜けずに、困った。


「聞きましたよ。大変でしたな、内幕部長。御無事で何よりです」

 涼子が新谷、ボールドウィン達と共にバッキンガム宮殿宴席会場控え室に顔を出した途端、先に宮殿に到着していたIC2のウィリアム・チェンバレン司令長官が声をかけてきた。

「やあ、ウィル」

 新谷はチェンバレンの差し示した隣の席に腰をかけながら言った。

「全くだよ。それでもまあ、今回はカミカゼみたいな感じでな。手際が悪かったんでこっちは助かったが、少々後味が悪い」

 新谷はそう言って、チラッと、涼子に視線を投げ掛けてきた。

 きっと、犯人射殺のこと、そして、自分が元気のないことを言っているのだろうと気付き、涼子は思わずぺこりと頭を下げてしまう。

 一瞬、新谷の顔に後悔の表情が浮かんだように思えた。

 チェンバレンの方は不思議そうな表情を浮かべていたが、涼子はどうにも居た堪れなくなって、折角座ったばかりの席を、すぐに立った。

「ちょっと、化粧室へ」

 ついてこようとするモンランを押し留め、一人廊下に出た途端、深い溜息が零れた。

「あー、駄目だわ。もっと、しっかりしないと」

 自分で自分に気合を入れて、トイレに入る。

 顔を洗いたかったけれど、折角アンヌに化粧をして貰ったことを思い出し、手を洗い、嗽をするだけに留めた。

 思い切りガラゴロガラゴロと喉を鳴らすと、少しだけ気が晴れた。

 鏡に向かい、無理矢理の笑顔を浮かべるが、すぐに崩れる。

「なんで、あんな無茶するのよ」

 見も知らぬ、口をきいた事さえない、今はこの世にいない犯人に問いかける。

 軍人になって、何年たっても、人が死ぬ事には臆病なままの自分が、そこにいた。

 軍人という、単なる”職業の1種類”と言うだけで、他人の~地球人はもちろん、ミクニーも含めて、だ~愛する家族や財産を奪えるのか?

 部下に、死地に飛びこめと命令する権利が、果たして自分にあるのか?

 UNDASNに奉職して20年近く経ち、未だにそんな青臭い悩みで鬱鬱としている程、繊細ではないし、そもそも繊細ではやっていけない。

 そう思おうと努力したし、そう思わなければやっていけないのも確かだ、そして10年を過ぎた頃には、涼子も割り切って~昔に較べて、だが~考える事ができるようになった。

 だが、やはり周りで人が死ぬと、実際は堪えた。

 要は、”程度”の問題なのだ。

 ミクニー人が死んだのか、地球人が死んだのか?

 死んだのは涼子の直接の部下なのか、違うのか?

 涼子の命令なのか、遭遇戦なのか?

 その線引きは曖昧模糊としてあくまでも主観的であり観念的でありすぎ、言い訳にしか過ぎないこともまた充分理解した上で、それでも、せめてもの己の心の均衡を保つ為には必要不可欠だ。

 それこそが『繊細ではやっていけない』正体なのかも知れないが、とにかく。

 今回、射殺されたというあの男は~フードで顔すらよく見えなかったほどの~、UNDASNに敵対するテロリストであり、下手をすれば自分達の命が危なかったのだ。

 理屈では判っていても、しかし、地球人同士が殺し合う事の嫌悪感が、今回は特に、堪えた。

「でも……。仕方ない、仕方ない……。ほんとは仕方無くなんかないんだろうけど、でも、仕方ない……。仕方ない、なんて言っちゃいけないんだけど、でも、今回は」

 そう口の中で呪文の様に呟きながらトイレを出た刹那、「涼子様! 」と大声で呼ばれて、驚いて振り返る。

 そこには、黒い瞳を潤ませて唇をわなわな震わせているマヤが立っていた。

「まあ、マヤ殿下! どうなさったんですの? 」

 マヤはその可愛らしい唇を、金魚のように数度パクパクさせたが声にならず、いきなり泣き叫びながら涼子に抱きついてきた。

「涼子様、涼子様! 」

「で、殿下? 」

 涼子は驚いて目を白黒させてしまうが、取り敢えず、優しくマヤの背中を撫でてやりながら、耳元で囁く。

「殿下。泣いてばかりいらしては、涼子は判りませんわ? さ、大丈夫ですよ、涼子がついていて差し上げます。ですから、どうか落ち着いて」

 漸く泣きじゃくるマヤを廊下隅のロココ調のソファに誘って、座らせる。

「さあ殿下。落ち着いて。よければなんでもお話し下さいませ」

「涼子様、私、私……。ご、ごめんなさい! 」

「なにが? 」

 マヤは、涙をハンカチで拭い、鼻を啜り上げながら、痞えつつ話しはじめた。

「私……。涼子様がヒースローについたあの時、ダッフルコートの男を見ていたんです。それで、オペラハウスでそのダッフルコートの男に襲われたって聞いて……。それで、それで、涼子様、涼子様のお身体に何かあったら、どうしようかと……。でも、それで……。えっえっ……、ううう」

 子供の様に泣きじゃくるマヤを宥めすかして聞き出していくと、涼子にもマヤの泣いている事情がだんだん見え始めた。

 なんて私は幸せ者なんだろう、心の底からそう、思った。

「判りました、殿下。さあ、もうお泣きにならないで、ね? ……こちらこそ、殿下に御礼を申し上げなければなりません」

 一夜、袖触れ合っただけの人間を、4年間、一瞬たりとも忘れず、その上、無事を祈りながら、空白の時間を大切に胸に抱き続けてきてくれた事。

 小なりと雖も立派な一国の王室の一員、純粋培養の本物のお姫様が、たった一晩だけの薄い縁でしか繋がっていない、しかもどこの馬の骨ともしれない人間を、宿を脱出してまで単身出迎えにきてくれた事。

 そして~なぜ、マヤが『ダッフルコートの暗殺者』のことを知っていたのかは不思議だったが~、襲われたと聞いて形振りかまわずに心を痛めてくれていたであろう、この数時間は、潰れてしまいそうになるくらい、辛く心細い時間だっただろう事。

 そんなあれこれを考えると、逆に涼子の方が涙を零してしまいそうだ。

 こんなに自分を想ってくれる人がいる。

 それは、マヤだけではない。

 彼だって、艦長だって、そうだ。

 一昨日の夜、それこそ心配だという一事だけで、サザンプトンからロンドンまで、飛んできてくれた、彼。

 その事実は、男女や恋愛と言った感情を乗り越えて、肉親に先立たれ孤独を抱いて生きてきた涼子だからこそ、彼の想いとマヤの想いは、身悶えする程、心に染みて嬉しかった。

 そしてそれを思うと、自分達を襲った犯人が射殺された事で曇っていた心も、忘れられないにしろ、ゆっくりと、けれど確実に、晴れていくのが手に取るようにわかるのだった。

「涼子は、今、心の底から、殿下のお気持ちを嬉しく想っています。……さぞかし、心細かったでしょう? さぞかし、苛立たれたでしょう? それを、よく……。本当にありがとうございました。涼子は、どんな顔をして殿下のお顔を拝見すればいいのか……。もう、判りません」

 漸くそれだけ言って、涼子はもう後が続かず、両手で顔を覆ってしまう。

「涼子様、私は、涼子様がご無事なら、と思って……。ごめんなさいね、こうして涼子様の元気なお姿を拝見できて、ほんとうに嬉しいの、ね? だからもう、泣かないで下さい、ね? 」

 今度は涼子がマヤに慰められる番であった。

 涼子はえへへと泣き笑いの顔を上げ、ハンカチで涙を拭いながら応える。

「今日は、涼子も殿下も、泣き虫ですわね? 殿下はともかく、涼子のようなオバサンが泣いてちゃ、みっともないですし、さあ、もう、笑いましょう! 」

 マヤも泣き笑いで答える。

「まあ! 涼子様、そんな事なくってよ。マヤは泣いてる涼子様も、お可愛らしくって、大好きです」

「もう、殿下ったら! こんなオバチャンをからかってはなりません! 」

 2人でひとしきり笑いあった後、どちらともなくソファから立ち上がり、お互いに瞳をみつめる。

「それでは、涼子様。昨夜のお約束、憶えてらっしゃいますわね? 」

 マヤの言葉に、涼子は力強く頷いて見せた。

「ええ。勿論。ラスト・ダンスはお手柔らかにお願いいたしますわ」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る