17.発症
第111話 17-1.
「警務部、トァン・スー二等陸曹です。ギャラン三尉、よろしく願います」
階級つきで本名を呼ばれたのは何年ぶりだろう、とマルドゥク・ギャランは奇妙な感慨に捉われた。
武官事務所から借り出した4WDに乗り込んで臨場したトァンを最後に加えて、ともあれ俄か仕立てのフォア・マン・セルの突入部隊が揃ったわけだ。
「こっちこそよろしく。まぁ、気楽に行こうや。ところで、インドア・アタックの経験は? 」
「警務1課~内務強行犯担当セクションだ~にいた時に5回ほど」
「そいつは頼もしい」
マルドゥクは頷いて見せて、自分の腕時計に視線を落とした。
「俺が
マルドゥクのカウントで、他の3名がそれぞれの腕時計を合わせる。
取り寄せた家の見取り図を車載端末のディスプレイに表示させた。
「俺が正面玄関、トァン・スーは裏口。ラマノフはこの窓から。シャルル、君は反対側のテラス。配置についたら、1回鳴らせ。10秒経過後、俺から2回でレディ、アラームでエントリ。ターゲットは生存で確保を
全員無言で頷く。
マルドゥクが小さくパンと手を叩くと、全員、無言のまま車を降りて、さっと指示された配置へ散っていった。
「さて。久々の荒事だが」
一抹の不安が残る。
マルドゥクとシャルルは情報部だが、トァン・スーとラマノフは警務部SPだ。
理想を言えば、情報部だけ、または警務部だけと、互いにスキルを理解しあったチームで対応したい。
もっと言えば、今回のようなシチュエーションの場合、本当ならば警務部にお願いしたいところだ。
それは、情報部だけでは人手が足りない、と言う物理的な問題ではない。本来、映画や小説と違って、情報部のエージェントは基本、荒事は避けて通るものなのだ。
その点、日常の勤務が荒事の連続と言う警務部からの応援は、正直有難い。
「しかしまあ、その場その場で臨機応変、与えられたリソースだけで事に当たる、ってのも俺達らしいと言えば言えるんだが」
けれど、警務部と情報部の混成部隊でぶっつけ本番という状況はやはり不安が残る、マルドゥクは内心で溜息を吐きながら、正面玄関へゆっくり向かう。
案の定、鍵は閉まっている。
コリンズから齎された情報通りのナンバーをつけたヒギンズの
いるのか、いないのか?
そっとドアに耳をつけてみるが、屋内から物音はしない。
マルドゥクはショルダー・ホルスターから、使い慣れたSIG-SAUAR-P229を抜き、ノブへマズルを向け、イヤフォンに耳を澄ます。
イヤフォンに「コン」という、軽いスイッチ音が流れた。1つ……、2つ、3つ。
全員配置へついたようだ。
腕時計を見る。
10秒経過。
マルドゥクは、自分の通信機本体のスイッチを、2回押した。
トリガーにかかる右手の人差し指に少しだけ力を入れつつ、左手で通信機のアラーム・スイッチに指をかける。
「ピーッ」
通信機のアラーム音と同時に、トリガーを落とす。
ドアノブが吹っ飛び、マルドゥクは素早くドアを開いて玄関に身体を滑り込ませた。
正面、右、左、天井、足元、再び正面。
ロンドン郊外の一戸建て。
そうか、佐官になると、官舎は一戸建てになるんだ。
マルドゥクは頭の中で、ヒギンズの官舎と、ヒューストンにある自分のアパート型の官舎~もう数年も帰ってないから『自分の』という言葉の放つ違和感は絶大だ、いつもは世界中に点在するセーフハウスを巡回しているのだが~を比べながら、セオリー通りに各部屋を調べて行く。
ウォークインクローゼットや戸棚、床下収納庫、天井……。隠し部屋はないか? さっきまで人がいた痕跡はないか?
時折、同じ部屋で人の気配を感じ、緊張しつつも素早く、マズルを向ける。
味方だ。軽く手を上げ、無言で互いに次の部屋へ。
だんだんと緊張感が緩んでくるのが、自分でも判る。
最後にダイニングへ入ると、殆ど同時にシャルルとラマノフが風呂場やキッチンから入って来た。
3人顔を見合わせ、妙な間合いでそれぞれが吐息を洩らした。
「やはり、いないようだな」
「空気も冷えてます。出掛けてから、かなり時間が立っているみたいですね」
シャルルが周囲に視線を飛ばしながら答える。
「隠し部屋とかも、ないか? 」
「ざっと、一通りは調べましたけど。奥の部屋でエアコンとテレビが点けっぱなしでしたから、電気メーターはそれでしょう。彼の携帯端末もそこに置きっ放しになっていました」
ラマノフが手の甲で額の汗を拭いながら言った。
「応接に置いてあったパソコン、自動アクセス設定がされていて、特定のアドレスのサイトへのアクセスリトライを繰り返していました。相手はNotFoundですがね……。電波の発生源はそれですね」
マルドゥクは銃をホルスターへ戻しながら呟く。
「車はあるし、徒歩かタクシー」
そこまで言って気がついた。
「そう言えば、トァンはどうした? 」
全員が一斉に緊張を顔に浮かべた。
「
途端にトァン・スーの叫びにも似た声が、イヤホンと肉声、両方から聞こえてきた。
「寝室! 」
3人は再び銃を握り締め、脱兎の如く寝室へ向かう。
「大丈夫かっ? 」
銃を構えて駆け込んだマルドゥクの視界に飛び込んできた光景は、まず、灯りをつけた寝室内の中央で、銃をだらりと下に向け、呆然と立ち尽くすトァン・スーの背中。
「なにがあっ」
続いて視界に入ってきた光景に、マルドゥクは言葉を詰まらせた。
チラ、と見ると、トァンは自分の手で自分の口を押さえている。
見たくもない犯人の、心の中のドロドロを見てしまったのだ、そりゃ気持ち悪くもなるだろう、とトァンに同情を覚える。
他人のことを気遣っている場合ではない、ついさっきまで、仲間だと思っていた人間の、異常性を垣間見たショックに、マルドゥクもまた改めて打ちのめされる。
奴は日々、この無数の視線に身体を貫かれる感覚に身を委ねながら生きてきたのか。
狂っていたから出来た暮らしなのか、この視線に狂わされたのか、いや、その狂気を増幅させるアンプリファイアだったのか、この部屋は。
壁、天井は勿論、机、本棚、クローゼット、その他まるで隙間が空いている事が恐怖だとでも言う様に、ビッシリと貼られた、無数の涼子の写真が、そこにあった。
プレス・リリースされた写真は勿論、どこかで隠し撮りされたとしか思えないアングルの写真。
笑う涼子、怒る涼子、泣く涼子、クールな涼子。
古い写真は、小学生時代の卒業写真らしきものや幹部学校時代のクラス写真、初級士官時代の特種軍装や
実は狂っていた仲間の心象風景がさらけ出された空間の中、4人は、呆然と立ち尽くす。
まるでヒギンズから「お前達も共犯だ」と指差されているような、背筋を伝い這い登ってくる背徳と後悔、冷酷なほどの愉悦に、身体も思考も固まってしまう。
「これは……? 」
マルドゥクはベッド脇にあるサイドボードの側面に貼られた、数枚の写真に気付いた。
それは全裸の涼子が複数の男と乱交に及んでいる写真だった。
「アイコラだな。首から下は合成ですね。インターネットからでも落としたんでしょうか? 」
彼の手許を覗き込んでシャルルが呟く。
エージェントらしくもなく、彼女の顔もまた嫌悪感で歪んでいた。
「くそっ! ……変態野郎め! 」
ラマノフが声を震わせて、低く怒鳴る。
マルドゥクは写真を元の位置に戻し、冷静さを装って言った。
装わざるを得なかった。
狂気は、静かに伝播する。
抵抗するための唯一の手段こそが、それだった。
「こいつは、
聞き込みは、無駄に終わるだろう。
「くそっ! ヒギンズの野郎っ! ……お、俺が殺してやるっ! 」
マルドゥクからの報告を聞いてマズアは、普段の冷静沈着な”外交官”の仮面をかなぐり捨て、呻く様に吼えた。
「クソッ、誰か! 1課長に至急電」
「まあ、待て。アーネスト」
コリンズはマズアの言葉をわざとゆっくりとした口調で遮った。
怒り、逸るマズアの気持ちは判るが、ここで、在英代表である駐英武官に感情だけで突っ走って欲しくはなかった。
「確かに早く知らせなきゃならんが……。さっきも言った通り、室長代行に張りついてるSPに直接通信はできないんだぞ? 何せ、相手はUNDASNの士官だ。SPの持つ通信チャネルはUNDASNの一般職が通常業務で使用する一般回線だ。常に傍受されていると思わなければならん。もちろん一般の通信電波とは違いUNDASNの暗号処理がかかってはいるが、そんなことは奴もご存知で、キャンセラーくらい準備しているだろう。情報部エージェントなら、情報部独自の暗号化がされている特殊なチャネルだから問題ないが」
「しかし、今ヒギンズの官舎に踏み込んだ中には警務部SPもいたじゃないか? 」
「警務部から借りた数名には、情報部チャネルと暗号処理機を渡してある。だが、もう他へ渡せる予備機はない」
もともと、情報部独自の回線と最高強度の暗号体系は、情報部エージェントが非公認非公開で活動する為のプラットフォームだ。それ自体がトップシークレットであるインフラを、警務部とはいえ一般将兵に貸与すること自体、本来ならば馘首ものの行為なのだ。今次のように制服組の最高指揮官直隷作戦でなければ。
マズアはぐっと握り拳を作り、机の上で震わせる。
「じゃあ、どうすれば」
「それをっ! 」
コリンズはマズアの肩に手を乗せて、一言づつ区切るように、大きくはないが力強く語りかける。
「それを、アーネスト、貴様に考えてもらいたいんだ! わかるな? それが今、貴様がやるべき最優先任務だ」
マズアはじっとコリンズの目をみつめ、やがてがっくりと項垂れる。
しかし、暫くして再び上げたマズアの顔は、普段通りの冷静沈着さを取り戻している様に思えた。
「わかった。すまん。……今、
もとより、UNDASNの連中は任務中に軍用電波への影響のリスクがある為に個人用の携帯電話は基本的に持っていないからな。これが現状だ」
そこでマズアは一息ついて~まるで、自分自身を落ち着かせる為に必要な儀式のような語り口だった、いや、きっとそうなのだろう~、口の端を微かに釣り上げた。
「残された手はひとつだ。舞踏会参加者への連絡手段は、予め英国政府より指示されている。まあ、緊急連絡用じゃないから結構繋がり辛いんだが、それを使おう。固定電話だ。宮殿代表番号とは別に招待者窓口用回線が英国外務省管轄で設置されている」
「電話、か。よし」
確かにマズアの言う通り、公衆電話回線まで盗聴している訳ではないだろうし、それこそまさか、バッキンガム宮殿の交換機にまで細工を施している可能性は低いだろうとコリンズは考えて、頷いて見せる。
マズアは腕組みをして言葉を継ぐ。
「それと、ヒギンズの現在位置を早急に掴む必要がある。そちらも一刻も早く室長代行に伝えなければ」
「先程、武官事務所総務班長に確認しました。武官補佐官は昨夜退勤時に、武官事務所3号車を借り出しており、それは現時点で武官事務所に戻されていません。同車の車種、外交官ナンバー及び所属部隊ナンバーは既に把握していますが」
リザの言葉が力なく途切れた後を、銀環が悔しさを滲ませながら引き取った。
「ですが、スコットランドヤードへの通報、手配要請はしていません。というか、出来ませんでした」
止むを得ないだろう。UNDASNの車両の手配、捕捉を英国政府へ頼むなど、UNDASN部内でイザコザがあったと自白しているようなものだ。
今後の国連と英国の関係にとってのマナイスポイントを今更曝すことなど出来ない相談なのである。
悔しいけれど。
「それは仕方ない、いや、良い判断だった」
やはり悔しさを隠した口調で副官達をフォローしたマズアの態度に、コリンズは今更ながらホッと安堵した。
「電話もいいですけれど、誰かバッキンガム宮殿へ直接走った方が良いのでは? 」
リザが、落ち着いている様子を装いながら、けれど今にも自分自身が走り出しそうな表情で言った。
「英国政府はともかくとして、もう、涼子様達には武官補佐官が犯人だってバレたっていいんじゃないですか? でないと、こうしている間にも涼子様がっ! 」
銀環もリザに釣られたのか、焦れたような声を上げた。
「落ち着け、君達」
コリンズは静かな口調で宥めた。
「君達の案は、確実にヒギンズと室長代行の間に物理的距離または物理的障壁がある場合のみ有効だ。もしも接触中だとしたら、余計に厄介な状況に陥ってしまうぞ」
「でもっ! 」
叫ぶ銀環に、今度はマズアが落ち着いた口調で言った。
「気持ちは判る。けれど、今、1課長がいらっしゃる場所が問題だ。最悪、我々がターゲットへ到着する数十分の間に、ヒギンズが室長代行と接触していた場合、バッキンガム宮殿内でこれ以上英国政府のメンツを潰すような騒動を起こすわけにはいかん、それは君達なら判るだろう? だから、確実にヒギンズには知られない内に1課長へ危険を伝え、その上でヒギンズを英国側に知られないよう確保する必要があるんだ。その危険を冒してまで宮殿内に伝令に走る場合、警務部か情報部の猛者が適任だろうが、宮殿内立ち入り許可を持った警務部SPは全員既に宮殿入りしているし、情報部は正式に招待されている……、というか本件捜査のために直前で無理矢理招待者リストに捻じ込んだコリンズ以外は宮殿内へは入れない。入れるとすれば、元々招待を受けていた我々だが、その場合、想定し得るリスクをヘッジ出来るだけの力量がない」
正論だった。
悔しそうな表情を浮かべて俯いた副官二人に、柄でもないが励ましの言葉でも贈ろうか、とコリンズが口を開きかけた刹那。
通信要員がこちらを振り向いて叫んだ。
「クリスマス島、
銀環が不思議そうな表情を浮かべ、呟くように言った。
「IDカードって、自動的に信号を発信しているんでしょう? いったいどうやって信号発信を阻止してるのかしら? 」
リザが忌々しそうにそれに答えた。
「IDカードの発信アンテナは、意図的に破壊しようとすれば簡単らしいわ。私もさっき衛星団のテクニカルから教えてもらったんだけど。IDカードは非接触型IC埋め込みでしょう? カード表面にあるアンテナ回路を釘やコインで軽く引っ掻くだけで、発信を止められるらしいわ」
「捨てた可能性はありませんかね? 」
銀環の質問に、今度はマズアが答えた。
「ヒギンズが1課長を狙うとすれば、バッキンガム宮殿だろう? 今までだって、大胆に宮殿内で課長を心理的に圧迫し続けてきたあの野郎だ。宮殿内に入る気ならIDカードは手放さないさ」
全員がうんと唸って口を閉ざした。
「とにかく、
コリンズは一気にそう言うと、通信機のスイッチを上げた。
「オーバーロード、
視界の片隅で、頭を抱えて椅子に座り込むマズアの姿が目に入った。
出来るのならば、俺だってそうしたいよ、と苦笑が漏れた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます