第109話 16-9.


「さあ、アーネスト。頼みたい事がある」

 コリンズは、ヒューストンとの通信を切ると、背後に座っているマズアを振り返った。

「俺が絞り込んで、今さっきヒューストンに送った検索結果の人物を、この内務省から借り出した画像データで検索サーチしてくれ。入場門の監視カメラに撮影された人物の画像だ。UNDASN所属の人間を画像認識ツールで抜き出して編集済みだ」

「……了解だが、それで、何を見ればいいんだ? 」

 マズアはコリンズの視線を嫌う様に、AFLディスプレイを真っ直ぐみつめながら、冷めたコーヒーの入ったマグカップを口に運んだ。

 こいつもなにか、感じるものがあるのだなと思ったが、言わない訳にはいかないとコリンズは出来るだけ平板な口調で続ける。

「今から貴様が検索するのは、当該時間に宮殿にいた人物だ。そして、その中から、宮殿内に出入り可能で、且つ、その時間に宮殿にいない筈の人物を探して欲しい」

 マズアが覚悟を決めたように、マグをテーブルに置いて、こちらを振り向いた。

 今度はコリンズの方が視線を外す。

 が、辛いのはマズアの方だろうと思い直し、再び彼へ視線を向けた。

「いいか? 今、俺が絞り込んだのは、全て貴様の部下ばかりだ。そして、貴様なら、その時間に宮殿内にいない筈の人物が特定可能だ」

 覚悟していたのだろう、マズアは一瞬眼を閉じたが、やがてゆっくりと頷いて、コリンズがセットした端末のディスプレイに向かい合う。

 暫く、目を閉じて呼吸を整えていたが、ひとつ、長い吐息を落とすと眼を開いて、作業に着手した。

 コリンズは静かに椅子の背凭れに身体を預け、旧友の横顔を観察する。

 普段の執務と同じように、生真面目な表情で端末に向かってはいるが、心中穏やかではないだろう。

 自分の部下が、軍事機密を民間に、しかもネット上に垂れ流した挙句、直接その魔の手を、自分の敬愛する上司に向けようとしているのだ。

 しかも、マズアにはそれを庇う根拠がない。

 それどころか、ますますグレーはブラックへ、ゆっくりと、だが着実に近付いているのだ。

 『金の為』、『主義主張の為』と言われた方が、まだ割り切り易いだろう。

 ところが、彼がこの数分後に指摘するだろう人物は、アブノーマルな自分の性癖と欲望を持て余した挙句、現実と妄想の境界線を見失った末の犯行なのだから、救いがない。

 ぼんやりとそんなことを考えていると、通信が入った。

「ロンドンFOB、コリンズ」

「ああ、コリンズ。ホプキンスだ」

 ホプキンスの声は心なしか震えているように聞こえた。

「実は、そっちで少し裏を取って欲しい件がある」

 ホプキンスの話は、代品プリペイドカードの受け取り人、ジャック・リバーの犯人像の確認の件だった。

 コリンズは、ディスプレイに齧り付くように向き合っているマズアを横目で睨みながら、少し声を落とした。

「了解ですが、部長。もう少しだけお待ちを。実は今、こちらでも内務省から入手した宮殿出入りの人間の画像を、駐英武官が確認中です。その画像を持たせてその運送屋へ向かわせた方が確認も取り易いでしょう? 」

 ホプキンスは少しだけ沈黙した後、答える。

「それはそうだが、あまり時間がかかると……」

「然程時間は掛からない筈です。ある程度、目星はついています」

 無言の中に、逡巡を感じ取る。

 慎重にもなるだろう、内部犯行説を採用しているのはヒューストンとて同じだ。

「勿論、下手に動くつもりはありません。こちらで判断します。時間がかかるようなら部長の仰る通りに致します」

 少し強めの口調で言うと、今度は直ぐに返事が返ってきた。

「判った」

 マズアの言葉に無言で頷き返しながら、コリンズは、今自分の脳裏に浮かぶ、そして数分後にはマズアが指摘するだろう人物に、胸の中で語り掛けた。

”貴様の、好きにはさせん”


 別に、無駄な時間ではない筈だ。

 ロンドンでは、駐英武官やエージェント達、警務部SP達が必死で活動してくれている筈だし、このヒューストンにいるホプキンスやミシェル達も同様だ。

 だから、これはけっして無駄な時間ではなく、私達は、一歩一歩確実に、『解決』に近付きつつあるのだ。

 さっきから、無理矢理自分にそう思い込ませようとしている行為が、結局無駄で、それこそ時間の浪費にしか過ぎないのだと、サマンサは厭と言うほど判っていたが、それでも、壁掛けの世界時計、壁面の統合情報ディスプレイ、自分の腕時計、手近の端末のディスプレイ隅の時計と順に廻る『眼の運動』を止められない自分自身に、彼女は苛立っていた。

 苛立ちの原因が別にあることは、理解していた。

 時間が無駄に感じられる事、それは、遂には自分達が犯人に追いつけないのではないかという怖れ。

 その怖れが現実のものとなった時に、眼前に晒される筈の『解決の姿』が、真の苛立ちの原因なのだ。

 苛々している暇があったら、身体を、いや、頭を働かせろ!

 自分で自分をそう叱咤しつつ、やはりサマンサのブルーアイは、室内の時計廻りへと、数十回目の旅立ちを果たしてしまった。

 世界時計のGMTが1514時ヒトゴーヒトヨンから1515時ヒトゴーヒトゴーへと変わった刹那。

 ミシェルが、彼女らしくない大声をあげた。

「検索照合システム、コンプリート! 抽出結果、4名! 」

 ミシェルの声を聞いて、その場で飛び上がらんばかりに立ち上がったサマンサとホプキンスだったが、何故か、足が竦んで、動けなかった。

 ホプキンスはとそちらを見ると、彼はミシェルの元へ駆け寄ろうとしたのだろう、足を一歩踏み出し前傾姿勢になってはいたものの、サマンサが動かないせいか、その場でフリーズしていた。

 その漫画のような姿が可笑しくて、クスッ! と笑ってしまい、笑った瞬間、力が抜けて、右足が一歩前へ出た。

 ヒールの音を室内に響かせて、サマンサはミシェルに近付く。

 今まで自分の足音など気にもならなかったこの部屋なのに、それほど今は全員の注目が集まっているのだろうと思った。

 後ろからホプキンスの靴音もついて来ていた。

「4名? ……どれ? 」

 ミシェルの指差すディスプレイを覗き込む。

 ホプキンスが隣で息を飲む気配がした。

 最後の一手は、自分が打たねば。

 サマンサは、手近の電話を取り上げる。

「医療本部、サマンサ・ワイズマン三等艦将です。……マクラガン統合幕僚本部長、緊急最優先」

 ホプキンスがギョッとした表情でサマンサをみつめる。

 サマンサはホプキンスに微笑みかけた。

 つもりだったが、どうやら哀しそうな表情になってしまったようだ。

 自分には似合わない、そう思い直し、すぐに元の意思の強そうな表情に戻した。

 戻した途端、相手が出た。

「統幕本部長、ワイズマンです。会議中申し訳ありません。……は。……例の件ですが、容疑者が数名まで絞り込めました。……は。……は。……それで、お願いがあります」

 サマンサは言葉を一旦区切って、小さな声で続けた。

「実は、その数名のプロファイリングを早急に行いたいのですが……。ええ……、そうです。医療データベースのカルテ情報の当作戦参加者ミッション・メンバーへの開示を、大至急許可頂きたいのです」

 ホプキンスやミシェル、いや室内全員の視線が痛かった。

 いや、判ってる。

 痛いのは、職業倫理という鵺のような化け物の巣食う、心だ。

 そんなもの、捨ててしまえ。

 捨てたと思った瞬間、許可が、出た。

「ありがとうございます……。では、結果判明次第お知らせいたします……。はい……、失礼いたします」

 受話器を置くとサマンサは努めて無表情に、ミシェルに言った。

「聞いてたわね、ミシェル。統幕本部長の許可が出ました。医療本部長許可はおっつけ取れる筈。医療DBの閲覧を許可します。大至急、かかって」

 ミシェルはサマンサの迫力に飲まれて、黙ってコクリと頷き、端末に向かう。

「博士」

 ホプキンスの声は、どこかサマンサを労わるような響きがあって、一瞬、床に座り込みそうになった。

「ヘンダーソン医療本部長には、統幕本部長が直接話をするって。……誰か、防衛医大東京校のフェルナンデス教授を緊急最優先で捕まえて」

 再び、視線をミシェルに向ける。

「カルテDBで、この4人の情報を検索し、何もかも纏めてフェルナンデス教授に転送して。緊急親展最優先、セキュリティレベルは、医療情報取扱最上級」

 言った途端、煙草が欲しくなった。

 ポケットから箱を取り出し、ホプキンスの顔の前で振って見せる。

 黙って頷いたホプキンスに、サマンサは笑顔で言った。

「ふふっ。医者失格だわ」

 サマンサの肩を、ホプキンスは優しげにポンポンと叩き、小さな声で言った。

「しかし、博士。生命の危機にあるものを救おうって言うんだ。本来的な意味で、君は立派な医者だと私は思うが? 」

 急に泣きたくなった。

 だけど、コイツの前では泣かないんだ、私。

「ありがとう、アーサー。嘘でも、嬉しいわ」

 はたして上手く笑えたのだろうか?

 判らなかった。


 空気が、一瞬凍った。

 スコットランドヤードから借り上げた狭い室内に詰めていた、コリンズやリザ、銀環、それに応援の情報部エージェント、警務部員、駐英武官事務所メンバー、全員が、マズアの一言で。

「……間違いないか」

 コリンズの確認に、マズアは、ディスプレイをみつめたまま、身動ぎひとつ見せずに、正確に、全員をフリーズさせた答えをもう一度再現した。

「……スタックヒルだ。ヒギンズ・スタックヒル武官補佐官だと……、思う」

 やはりか、とコリンズは短い吐息を零し、己の予想が正しかった事実を噛みしめた。

 ヒギンズが臭い、と彼の脳裏に武官補佐官の情報が浮かび上がったのは、昨夜遅くだった。

 彼自身が上げたバロン・デッセが彼の名を捉えたのだった。

 昨夜、涼子がマヤとお忍びデートに出掛けるという情報を知る者知らぬ者、その線を引いた後。

 警戒監視衛星団スター・インテリジェンス・コントロールに対して、涼子のIDカード電磁波を辿った現在地問い合わせが、駐英武官事務所武官補佐官IDで行われていた事実が、部下よりコリンズに齎されたのは今日未明だ。

 問い合わせの受付時刻は、ロンドン時間の昨夜1930時ヒトキューサンマル2048時フタマルヨンハチの2回。

 本当に涼子がホテルへ着替えを取りに戻っていただけならば、とっくに武官事務所へ帰ってきていても良い筈の時間。

 警戒監視衛星団クリスマス島への問い合わせは専用部内WEBサイトに入ったが、その発信元は駐英武官事務所の武官補佐官のUNDASN固定端末からであることはIPアドレスで確実~当然、部内からの問い合わせでなければ、警戒監視衛星団には接続すらできないのだから~。

 ヒルトンホテルに着替えを取りに戻り、その夜は武官事務所に宿泊するという欺瞞情報を与えられていたヒギンズが、戻ってこない涼子を心配して問い合わせを行った事は充分にあり得ることだ。

 そして問い合わせた時刻における涼子の現在位置情報が、充分に怪しむべきところをうろついていることを知ったであろう武官補佐官は。

 その直後に、何もなかったかのように、彼の同僚達に、どうやら風邪を引いたようだと言い残して退勤していた。

 涼子が予定を外した行動を取っている事を、武官にも、情報部員にも、誰にも告げることなく。

 この非常事態エマージェンシー進行中にも関わらず。

 コリンズはけれど、己の予想的中を、そして己が張り巡らせた罠の精巧さを、これっぽっちも誇る気にはならなかった。

 彼はゆっくりとマズアに近付き、隣に腰を下ろした。

 なんと声を掛けようかと迷っているうちに、マズアが、妙に平坦な声と口調で、勝手に喋り始めた。

「時系列に添って話すと、まず、パレード直後の謎の記者質問だ」

 マズアは、幾つか表示されている画像サムネイルのうちのひとつをクリックする。

「この時、ヒギンズは確かに正式な任務で宮殿内に入った。だが、俺が記者質問を耳にした時には、奴は俺と一緒ではなく、宮殿内で別行動だった。俺は統幕本部長に従って拝謁室にいたんだが、奴は控え室で居残り。暫くして1課長に指示されて俺達を呼びに行かされたらしいが、あいつは来なかった。俺が控え室に戻って記者団を排除にかかった時、てんで別の方向から走ってきたよ」

 画面には、宮殿内廊下を一人歩くヒギンズの姿が映っている。

 それがマズアの操作で、別の画像に切り替わった。

「次が、同日夜の晩餐会、トイレに落ちていた予告状。あの時、証拠物件でもある予告状をスコットランドヤードへ届ける為に、ショートランド三佐経由で事務所で留守番だったヒギンズに命じて、事務所の庶務係の艦士長を受け取りに来させた」

 確かに画面には、東洋系らしいドレスブルー姿の女性が通用ゲートを通り抜けるシーンが映っている。

 その画像が、同じゲートを通り抜けるヒギンズの姿に切り替わった。

「だが、地下鉄で来た艦士長がゲートを通るその前に、ヒギンズが同じゲートをくぐっている」

 画像隅に表示されている時刻は確かに艦士長よりも15分ほど早かった。

「この時点でヒギンズは、本来ならメキシコとの調印式の準備で英国外務省にいる筈だった。……だが、晩餐会が丁度終わるこの時刻に、何故か彼はバッキンガム宮殿に」

 そこまで言うと、マズアは、ガクリと項垂れた。

 声を掛けようとして、躊躇い、コリンズは結局マズアの背中をポン、と叩くだけに留めて、画像ディスクを端末から抜き取ると、自分の携帯端末にそれをセットした。

「在英全情報部員、前線作戦指揮所FOBだ。今から犯人の画像を送る。全員、遂行エントリ中のアクションを中断キャンセルせよ。画像に添付した住所の最寄りの者は、運送店へ行き画像の人物の面取りを行え。残りは全員、可及的速やかにFOBへ帰還せよ。……以上アウト

「それと、衛星管制団司令部クリスマス島へ依頼を。ヒギンズ・スタックヒル三等空佐の携帯端末、またはIDカードの現在地特定を急がせろ」

 リザが指示を出している間も、石膏像のように項垂れたまま動かないマズアに、コリンズは、一言だけ、声を掛けた。

「お疲れさん」

 そう。

 これは、任務だ。

 自分にとっても、マズアにとっても。

 だから、どんなに辛くとも、気が乗らなくても、やる。

 だから、仕事が終わった後にかける言葉は、ひとつしかないのだ。

 言い訳だ、と思った。

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