第108話 16-8.


「うーん。コリンズ情報を検索条件に加えても……。まだ多いな」

 ホプキンスが背凭れに身体を預けて天井を見上げて呟いた。

 サマンサは、そんなホプキンスを睨みつけ、愚痴っぽいオヤジめ煩いのよと心の中で罵りながらも、自分も腕組みをしたまま吐息混じりに呟いてしまった。

「238人、か」

 自分のせいではないのに身体を小さくしているミシェルの姿を見て、サマンサは決心した。

「ねえ、アーサー」

 振り向いたホプキンスが、少し表情を緩めた。

 ごめんねアーサー、名案じゃないの。

「やっぱり、コリンズ情報は省こう。対象人数は逆戻りだけど、あやふな情報で、ここまで縮めてしまうのは危険だわ」

 ホプキンスは表情をさっき以上に暗くして、しかし頷いた。

「そうか……、そうだな。……しかし、対象人数は逆戻りで500人弱。……さて、どうするかな」

 腕組みしてふむと唸ったきり、瞼を閉じてしまったホプキンスを放置しておいて、サマンサは、肩身が狭そうなミシェルの傍に行き、優しく語りかけた。

「ほら、ミシェル。貴女のせいじゃないんだから、元気だしなさい! ……あ、そう言えばメールアドレス隠匿の方はどう? 」

 ミシェルは救われたように顔色を明るくする。

「あ、はい! えと、ちょっと苦労したんですけど、相手のアクセスポイントまでは判りましたよ。回線種別も……。多分、モバイル端末ですね」

「アクセスポイントが判った? 基地局が判ったって事か? 」

 ホプキンスが即座に反応した。

 ミシェルは嬉しそうに頷いて、手早くキーボード上で指を躍らせる。

「アクセスポイントはここ……、あ、地図情報オーバーライドさせますね」

 ディスプレイにロンドン近郊の地図が出る。

「ロンドンの郊外? 」

ロンドンシティ・オブ都心部・ロンドンじゃないのか?」

「ええと、ケンジントン・アンド・チェルシーとブレントの境界辺り、ですね」

「モバイル端末、って事は逆探知を恐れて移動しながら情報をリークし続けているってことか? だとしたら、アクセスポイントが1ヶ所割れたからと言って、決め手には欠けるな」

ミシェルはクスリと笑ってホプキンスに言った。

「それが部長、アクセスポイントは他にはありませんでした」

「モバイルじゃないってことか? 」

「ご存知の通り、インターネット接続用の回線ってのは大抵の住宅には設備されています。ケーブルTVだとか、衛星発電の電力受電アンテナだとか。なのに、わざわざ無線アクセスを選んでる理由としては、そう言った固定設備を使わずにどこでも自由にネットに接続したい、って場合にモバイルを使いますよね、Wifiなんかが良い例です。ええと、例えば転勤が多いとか、出張が多いとか、そんなひとはわざわざ場所が変わる都度契約やり直すのが面倒ってなりますし、それに無線の方が回線速度が速いなんてのも理由の一つですよね。ウィークポイントは、情報漏洩スロッパーのリスクが高い、ってことかな。まあ、この犯人の場合なら、自宅にいながら、住居固定の終端設備を使わずにカモフラージュしたかった、ってことじゃないでしょうか? 」

 ミシェルの説明に、サマンサは思わずホプキンスの方を振り返る。

 視線が合った。

 ホプキンスもサマンサを見ていた。

 これは、いけるかも。

 二人、無言で頷き合う。

 と、そこへこの場の緊迫しつつある雰囲気にそぐわない、”リンゴーン”という牧歌的な鐘の音が端末のスピーカーから流れてきた。

 ミシェルがささっと素早くキーボードを操作する。

「あ、ファイアウォール付きの無線ルータだな……。部長、これたぶん、BMNWって英国大手キャリアの無線アクセスです。キャリアに申し入れすれば契約者割り出せますよ」

 ホプキンスが椅子から立ち上がり大声をあげた。

「ボブ! 大至急だ! BMNW社からこのログの契約者を割り出せ! 手段は選ばん、大至急だ! 」

 サマンサは再び椅子に腰を落ち着けたホプキンスに話しかけた。

「アーサー、だけど契約者名だって偽名かもしれないわよ? 」

「かも知れん。しかし、少なくとも、アクセスポイントまでは割れてるんだ、犯人のベッドが近くにある、いや、最悪でも犯人の日常行動圏内がその周辺だと絞り込んでもよかろう」

 サマンサはホプキンスの言葉に思わず頷いてしまう。

「そうか……。その地区に居住する者という条件で再検索させればいいのか」

 よし、いいぞ。

 漸く、犯人に手が届くところまで来た。

 後は、時間との勝負だ。

 けれど。

 それが一番の問題に思えた。


「ご希望の品だ」

 スコットランドヤード内『デザート・ローズ・レスキュー』前線作戦指揮所FOBに、コルシチョフがそう言いながら入ってきた。

 彼の表情を見て、マズアは密かに溜息を吐く。

 結構荒れてる、後のフォローが大変そうだ。

 コルシチョフの背後に控えるリザが、疲れたような溜息をそっと洩らしたのが、彼の機嫌の傾斜度を表していた。それでもまだ、復元限界を超えている訳ではないようだが。

 敬礼で迎えるコリンズや銀環、それに非番の駐英武官事務所メンバーを中心に編成された応援の本部要員達への答礼もそこそこに、コルシチョフは手近の空席にドサリ、と乱暴に腰を下ろす。

 リザが黙ってアタッシュケースをマズアの前のテーブルに置き、開いて中を見せた。

「国際部長、どうもご苦」

 コリンズの言葉を遮って、コルシチョフが苦虫を噛み潰したような表情で鬱憤をぶちまける。

「くそったれの内務次官め。ガタガタ細かいことばっかり言いよって! 」

 それからフゥッ! と太く短い溜息を吐き、普段の平静な口調に戻して、リザに声をかけた。

「ショートランド三佐」

 リザが一歩前に出て、アタッシュケースの中を指差した。

「こちらがバッキンガム宮殿の入場者データ、それとリンクしている画像ディスクがこちらです。時間がありませんでしたので、どちらも圧縮保存のまま、解凍をお願いします。解凍パスワードはこちらのメモに」

 2枚のディスクとメモを受け取りながら、マズアがコルシチョフに言った。

「ありがとうございます、助かりました。ですが部長、まさか」

 コルシチョフがギロリとマズアを睨む。

「まさか、なんだ? 心配せんでも、喧嘩などしとらん! これでも国際三部門勤務は通算12年だぞ? ……この後の正規軍展開の件もある事だし、無茶はしとらん。但し、これが済んだら、ただじゃおかんぞ、あの気取り屋め! 」

 隣でリザが苦笑を浮かべながら頷いている。

「あっちの方は認めてもらえたんですか? 」

 溜息混じりに問うマズアに、コルシチョフは少しだけ声量を落として答えた。

「正規軍展開時のサラトガ艦載機の領空飛行についてなら、テロリスト制圧作戦行動支援の為飛行承認なしで領空へ入る可能性があると伝えておいた。作戦行動中コンバット味方識別信号・スクォークの発信を忘れるなとサラトガに伝えておけ」

「やけにあっさりと承認してくれたんですね」

「承認したかどうかなんぞ関係ない。UNDASN駐留条約の当該条項のコピーを叩きつけて退室してやった」

 マズアはディスクをクライアントにセットしながら、内務次官の細表の顔を思い出しながら少し彼に同情する。

”コルシチョフ部長の英仏独嫌いときたら、本物だからな。本当にただじゃ済まんかもしれんな”

 それにしても、これだけ偏見のあるこのロシア親父が、よくもまあ12年間も国際三部門でやってこられたもんだ、とマズアはしみじみと思う。

 その事実は、UNDASN部内では七不思議のひとつに数えられるほどだった。

 マズアは入場者リストをディスクにセットし終えて、傍らのコリンズに声をかける。

「おい、貴様の方はどうだ? 」

「少し……、待ってくれ……。よし、オーケーだ。これでデータのクレンジングは終了、3D画像人相識別ソフトも起動した。並行してそっちの入場者リストとAND検索をかけよう」

 マズアが、コリンズより聞かされた作戦とは、こうだった。

 まず、犯人がバッキンガム宮殿内で脅迫状を涼子のポケットに忍ばせたと思われる時間帯~晩餐会開始前から終了後まで~と、謎の記者質問のあったパレード終了後、バッキンガム宮殿内にいた人物~勿論、UNDASNの人員名簿に貼り付けられたバストショットの本人画像と入場者の監視カメラ画像でマッチングしたメンバーで、だ~を絞り込む。

 そして、その絞り込んだメンバーと、今朝マズアが事務所から入手して来た今日の出退勤情報、外出者リストでANDを取る。

 こちらのデータは、既にマズアの手で、脅迫状に使用された封筒が唯一入手出来るダブリン監督官事務所への出入りがあった人間に絞り込まれている。

「これで、当該時間帯に室長代行に近付く事の出来た人物が絞られる、筈」

「どれくらいかかるんだ? 」

 コルシチョフがマズアの背後から端末画面を覗き込んで訊ねた。

「いや、実は持ち込んだマシン・スペックと警視庁ここの回線スペックが頼りないもんで、1時間……。や、数時間はかかるかもしれませんね」

 コリンズが少し眉根を曇らせて答える。

「駐英武官事務所のサーバと並列処理してるんですが、どうにもスコットランドヤードの回線足回りがボトルネックでして」

「そんなにかかるのか……。今、1245時ヒトフタヨンゴーか、ちょっと厳しいな」

 腕時計を睨み付けながら唸るように言ったコルシチョフに、リザが溜息混じりで執り成すように言った。

「とにかく、待つしかありませんわ、国際部長。ヒューストンでも別の角度で犯人絞り込みをやってますから、そっちの方が早いかもしれませんし」

 コルシチョフは吐息を返事にして、帽子を被りながら言った。

「少し遅刻しそうだが、私はこれから予定通り王立歌劇場へ向かう。駐英武官、君の事務所で私の副官が待機している筈だ、歌劇場へ来るように連絡を頼む」

「イエッサー」

 マズアは電話を取り上げる。

「ああ、私だ……。国際部長副官はそちらにいるか? ……ああ、……なに? 見えない? ……そう、うん。スタックヒル補佐官と一緒じゃな……。そうか、ヒギンズは休みだったな……。まあいい、とにかく副官がみつかったら……」

 電話しながらマズアは、それまでじっとディスプレイを眺めていたコリンズの目が鋭く光ったことに気付いた。


「部長。BMNW社なんですが」

 ボブと呼ばれたエージェントが、通信機の前からこちらを振り向いた。

「裁判所命令がない限り、リストは提出できない、と」

 ホプキンスは苦笑を浮かべてサマンサを振り返った。

「ねえ、ボブ。なんとかならないかしら? 」

 ボブは困ったような表情を浮かべる。

「少し時間を頂ければ、可能ですが」

「どれくらい? 」

「現地のエージェントを使ってよろしければ」

 ボブの言葉を遮ってミシェルが、はーいと元気良く手を上げた。

「私がハッキングしましょうか」

 振り向いたサマンサとホプキンスに、ミシェルはニィッ、といい笑顔を浮かべて言った。

「非合法ですけど」

 ホプキンスがふっ、と短い吐息を零し、頷いた。

「やってくれ。どれくらいかかる? 」

「5分下さい」

 ミシェルはサマンサの手からメモを奪うと、鼻歌交じりで端末に向き合い、鼻歌が1曲終わらぬうちに、振り向いた。

「契約者情報、入手ー。契約申し込みのサイト画面から潜り込んだら、後は基幹システムへのアップロード用CSVフォーマットを隠れ蓑にして一発でした! 」

 本当に? と声を上げそうになったサマンサに、ミシェルはやっぱりいい笑顔を向け、言葉を継いだ。

「それで、この中から例のアクセスポイントへ当該時間帯にアクセスした契約者のログ検索ですよね? 後、1分下さい」

「任せたぞ、ミシェル」

 ホプキンスも、怪しげだけれど、それでもやっぱりいい笑顔で応える。

 さっきまでフォンダ一尉と呼んでいたのが、知らぬうちにファーストネーム扱いになっているのが可笑しくて、サマンサはホプキンスの横顔を見ながら思わずクスリと笑みを洩らした。

「ん? サム、なんだ? 」

「いえ、なんでもないわ。……それより、ロンドンの方は大丈夫かしら? 予定じゃもう、国立歌劇場へ入ってるわよね? 」

 壁の時計はGMT1430時ヒトヨンサンマルを表示している。

「そうだな……。しかし、あっちは警務部がピッタリ涼子ちゃんに張りついてるし、今のところなんの連絡もない。まだ、大丈夫」

 とホプキンスがそこまで言った時、オペレータが声を上げた。

「情報部長! ロンドンFOB、コリンズ二佐より緊急! 」

 サマンサとホプキンスは思わず顔を見合わせ、お互い一瞬で顔色を蒼褪めさせる。

 体型に似合わぬ素早さで、ホプキンスが通信機に飛びつく。

「どうした、コリンズ? 」

「ああ、部長……。コリンズです、すいません、緊急呼び出しを使って」

「何かあったのか? 無事なのか、RIは? 」

「いや、そっちは今のところ無事です」

 コリンズの答えを聞いて、サマンサは思わず椅子にドサリと崩れ落ちるように座ってしまう。

 ホプキンスも手の甲で額の汗を拭って大きな溜息を吐きながら言った。

「驚かすな、コリンズ……。いや、いいんだが、何だ? 」

「実はこっちでも、独自にUNDASN関係者の犯罪実行者特定を行ってみたんですが」

 と、コリンズは手早く検索条件とその根拠を話す。

 サマンサがそれを聞いて割り込んだ。

「それは確かに盲点だったわ。……そうか、今日、配置にいなくて、脅迫状や記者質問時に宮殿内にいた人物、か。じゃあ、そのデータを」

「ええ、そちらでの絞り込み結果とANDを取るとより精度が上がるかと思いまして、そっちへデータを、今転送しました」

 ミシェルが受信結果を確認し、到着の合図を指でサマンサに送る。

「オーケー、コリンズ、ちゃんと届いてる。今から検索かけるから、もう暫く待ってて! 」

 通信を終えて、ホプキンスが立ち上がる。

「ここへ来て、漸く絞り込めて来たな。……で、ミシェル。ネットアクセスした契約者の方は? 」

 しかし、今度はミシェルの表情が優れない。

「どうした? 」

「なにがあったの? 」

 尋常ではないミシェルの様子に、サマンサはホプキンスと一緒に彼女の傍へ駆け寄った。

「これが、アクセスした……、契約者、です」

 掠れる声でミシェルが、ディスプレイの一点を指差した。

「ビンゴ」

 そう言った自分の声も震えているのが判った。

 隣では、ホプキンスが生唾を嚥下する音がヤケに大きく響く。

「契約者本人氏名……。ジャック……、ジャック・リバー」

 ホプキンスがディスプレイの情報を読み上げる。

「ジャック・ザ・リッパー……、か」

 名前のもじり方が、最悪だ、もうちょい捻れよ、とサマンサは内心で突っ込んでみたが、背筋を走る冷たさはなくならなかった。

「住所や連絡先は出鱈目ですね……。あ、料金支払も、ネットマネーか。これじゃ追跡は難しいかも。……ん? 」

 ブツブツ呟いていたミシェルの声が、最後の最後で大きく響いた。

「どうしたの? 」

 藁をも縋る思いでサマンサが問い掛けると、ミシェルが一転、笑顔を浮かべて振り向いた。

「ほら、コレ! 」

 ミシェルの指先がディスプレイを、今度は弾いた。

「BMNW社は、無線アクセス用のルータにプリペイド方式のカードを差し込んで利用料精算をさせる方式なんですけど、ほら、この記録」

 サマンサはホプキンスと頬をひっつけるようにしてディスプレイを覗き込む。

 微かな煙草の香りに思わず文句を言いそうになるが、自分だって喫煙者だ、同じ匂いをさせているのかも知れないと、罵声を喉の奥に押し込んだ。

「ハードウェア要因の障害トラブルがあったらしくて、プリペイドカードの交換をボーダフォンに要求して、受け入れられてます」

「ってことは、代品の遣り取りがあったってことだな、”物理的”に? 」

 ホプキンスの言葉にミシェルが頷く。

「そうです、部長。代品の送付先ってのが……」

 ミシェルの細い指がキーボードの上を踊る。

「えーと、ロンドンスェッブ運送合資会社第12地区物流センター止めってなってますね」

「受け取り人は? 」

「ジャック・リバー。契約者と同じ名前です」

「その物流センターの住所は? 」

「ケンジントン・アンド・チェルシー、無線アクセスポイントのすぐ近所です」

 サマンサは画面から顔を離した。

「やっぱり犯人の土地勘があるのね、その辺り」

「サム」

 呻くように自分の名を呼ぶホプキンスの声に、サマンサは得も知れぬ悪寒を覚える。

 返事もできず立ち竦むサマンサに、ディスプレイを覗き込んだままのホプキンスが追討ちをかけた。

「この無線アクセスポイント、そして物流センターから、それぞれ徒歩5分圏内にUNDASNの幹部用借り上げ戸建官舎と兵員向け第2待機寮がある」

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