第107話 16-7.
「さて、情報リテラシとネットワークスキルがハイエンドな人物、と言う条件で421人まで」
ミシェルの言葉に、サマンサは頷いた。
「さっき届いた、ロンドンからの情報を入れるとどこまで落ちるか、ね」
サマンサの直感はしかし、違うとさっきから警報を鳴らしっ放しだ。
どうにも、プロファイリングで浮かび上がった犯人像とは違う気がして仕方がない。
そんな情報を検索条件に加えても、抽出されてきた結果は却って、真実から遠ざかるのではないだろうか?
しかし、それを論理的に説明する術もなく、既に3回目のデータベース検索は、たった今始まったところだった。
「ここまで具体的なら、結構絞れるんじゃないか? 」
ホプキンスはやや楽観的な見通しを口にしたが、それがサマンサの心を更に苛立たせた。
それに気付いたのか、ホプキンスは眉をクイ、と上げて、ミシェルを気にしつつ小声で訊ねてきた。
「博士、何か気に入らない事でもあるのか? 」
おや、意外、というかさすが情報部らしいスキルを持ってるわねこのアナクロオヤジ。
「なんか、ね。……違う気がする」
「コリンズの情報が? 」
サマンサは頷いて、胸の内の痞えを吐き出す気になった。
「……どこがどうとは言えないんだけど。でも、空港で誰かに不用意に話しかけたりとか、そんな事はしないと、思うんだ。第一、
そしてホプキンスを振り向いて小声で話す。
「それにコリンズ……、だったっけ? とにかく、その彼が言うように、フォックスのシンパって可能性もある訳だし」
ホプキンスは、うんと唸って腕組みしながら首を捻っていたが、やがて、宥めるような口調で言った。
「それは君の指摘の通りだ。コリンズの勘って奴は当る事の方が多いしな。しかし、未だGMT
彼の言う通りかもしれない。
今回は検索対象の母集団が極端に少ないせいもあり、彼の言うとおり、30分もかからず検索は終わるだろう。
私は、確かに焦りすぎているのかも知れない。
サマンサは気分を変えるつもりで、別の話題を持ち出した。
「で、どう? メールアドレスの件は? 」
「今やってまーす」
ミシェルはサマンサを振り向かず、キーボードを素早く操作しながら、けれど暢気そうな答えを返す。
「えと、クライアントの方は、ロンドン市内の
「で? そっちはやってるのか? 」
ホプキンスの質問に、今度はミシェルは楽しそうな笑顔を向けた。
「今、準備中です。なにせ、こっちが逆探を撒く準備をしてからの話ですからね。いま、ダミーシステムを8台用意し終えたところです。後15分ほどでもう2台ダミーをセットしますから、それが済んだら、
確かに、とホプキンスが頷くのを見て、サマンサは驚いた。
いつの間にか、ホプキンスがミシェルに素直になっているのだ。
当のミシェルは、そんなホプキンスの変化もお構い無しに、目をキラキラさせて喋っていた。
「UNDASN内部の逆探を撒いて、ICPOの情報犯罪捜査局の国際回線監視網を撒いて、英国内務省のネットワーク犯罪摘発特別本部の監視網を撒いて……。手強いのはそんなトコロかな? ……だから、ダミーやデコイの準備が面倒で。なにせ、電通本部の開発室にあるプライマリ・ネットワークサーバまで内緒で使ってますからね、それを誤魔化すのにもひと苦労! 」
ミシェルのご機嫌が上昇するのに反比例するホプキンスの表情に笑いを堪えきれなくなって、サマンサは思わず吹き出してしまった。
不機嫌そうに振り返ったホプキンスの肩を、力任せにバシンッ! と叩く。
「あははは! シャバだけじゃなく、UNDASN内部にも非合法侵入だってさ! アーサー、後始末、よろしくねー! 」
憮然と横目でサマンサを睨みつけるホプキンスを見て、ミシェルがクスリと笑った。
幼い笑顔が、とてもそんな天才的~というか犯罪的~クラッカーには見えなかった。
色んな一級職がいるもんだ、と溜息が零れた。
「今言った人相風体を、在英の警務部全員に流せ。……ああ、構わない。通常の回線を使え。フォックス派情報だ、盗聴されたっていい。……スコットランドヤードと英国関係はこちらから情報を流す。……よし。……頼んだぞ」
マヤから聞き出した情報の伝達を終えて振り向くと、マズアがドアのところで立っていた。
が、どうも様子が変だ。
心ここにあらず、と言った頼りなさげな雰囲気がぷんぷん匂う。
クソがつくほど真面目なクラスメイトにしては珍しい、と思いながらも、コリンズは何気ない風を装って、片手を挙げた。
「おかえり、ご苦労さん」
といっても、この部屋はスコットランドヤードに間借りしてるだけなんだが、と思わず苦笑が浮かぶ。
内部犯行説の線で捜査を進める、という本部の決定に基づき、それなら駐英武官事務所の外の方がなにかと都合が良い、という判断で、とうとうこの間借り部屋が作戦本部のようになってしまっていた。
「そう、だな……」
声まで気が抜けている。
遅れて入室してきた銀環に何があった? と眼で問うて見たが、彼女は横目でマズアの様子をチラリと見ると、苦笑を浮かべて肩を竦めて見せた。
”……それほど、大したことではない、と言う事か”
然程心配する必要もないか、とコリンズはマズアの方を見ずに、まっすぐ部屋の隅にあるコーヒーサーバへ向かってコーヒーを3杯入れながら説明する。
「いや、ちょっとした情報が入ってね……。かなり詳しく人相風体が判る不審人物が1名浮かんだから、SP達に手配したところだ」
そこで言葉を区切り、マグカップを差し出しながら、訊ねた。
「どうした? なにかあったのか? 」
マズアは、暫くコリンズの差し出したマグをぼんやりみつめていたが、やがてそれを受け取って、ほわん、とした口調で言った。
「なあ、ジャック」
「ん? 」
マズアは、遠い目をして、言った。
「天使って……、本当にいるんだな」
「! 」
コリンズは思わず口にふくんだコーヒーを吹き出してしまう。
隣の銀環は、危ういところだったようだ。
目を丸くして、ハンカチで口を押さえながら、マズアの顔を凝視している。
「何言ってんだ、貴様? どうかしたのか? 」
旧友の口から出た言葉とは思えなかった。
「いや……。事務所出がけに、1課長に会ったんだ。零種軍装だったんだが、奇麗だったなあ」
「何言ってる? そりゃ、美人なのには異論はないが。一昨日だって零種だったじゃないか? 」
マズアはコリンズを憐れむ様に見て、同情タップリと言った感じで答えた。
「いや、それが貴様。違うんだよ。一昨日とは、また違う……、なんか、ここ数日で、どんどん奇麗になって」
コリンズは一瞬、自分が今日は未だ会っていない『自分の信奉する女神』の美しい姿を、同僚が先に見た事に激しい嫉妬を感じ、そして腹立ちを覚える。
思わず手に持ったマグカップを割れる程の勢いで机に置き、同僚に大声を出した。
「その天使が狙われてるんだ、ぼーっとせずにシッカリせんか! 」
マズアはマジマジとコリンズの顔をみつめていたが、やがて少し俯いて言った。
「そうだな、すまん。ジャック」
マズアの顔に漸く理性が戻りつつあるのを見て取って、コリンズは、気まずく思いつつも、平坦な口調で言った。
「いや、いいんだ。……それより、頼んでいたモノ、手に入ったか? 」
マズアは少し顔を赤らめながら、銀環に頷きかけた。
銀環はポケットからスティック・メモリをふたつ取り出し、コリンズに差し出した。
「二佐のご指示通り、陸上総群各師団や航空隊、サザンプトン造艦基地関連部隊を除く、在英施設の本
「そうか、手数かけたな」
そう言ってディスクを受け取り端末にセットしていると、マズアが背後から訊ねてきた。
「で、その出退勤関連のデータ、何につかうんだ? 」
コリンズはキーボードを操作しながら、説明した。
「うん……。今日、1課長を狙ってるって奴は、きっと今日がオフか、休み取ってるかって思っただけだ。単純な話だがね。それと過去1ヶ月ってのは、
「なんで、陸上部隊、航空隊や造艦基地は除く? 」
「なんでって、基地ってのはそこら中に衛兵もいるし、基地内に行動が限られる、それに営内居住者の下士官兵なら休みだろうが何だろうが毎朝点呼があるだろう? その点、事務所勤務は、例えば食事にしても外食オーケーだし、ちょっとしたお使いって感じでシャバとの行き来も基地や駐屯地に比べりゃ自由だし、な。それとやっぱりファンサイトの更新は夜が多い。これは、管理者が夜、仕事を終えて更新ってのもあるが、情報源の送信自体も夜が多いってファンサイト管理者達の証言に基いて、だ。基地は
マズアは黙ってコリンズの説明を聞いていたが、やがて、小さな声で囁いた。
「なあ、ジャック」
「ん? 」
「貴様、さっき……。俺が羨ましかったんじゃないのか? 貴様も1課長見たかったんだろ? 」
コリンズは、マズアの言葉を無視して作業を進めた。
何故かははっきりとは判らないが、妙に腹が立ったからだ。
マズアは諦めたようで、短い吐息を残してコリンズから離れ、デスクに座って携帯端末を触りだした。
10分も経過しただろうか。
コリンズは、突然、自分の腹立ちの原因が判った気がして、手を止め、背後のマズアに声を掛けた。
「羨ましかった」
やっぱり俺は惚れてるんだな、と思った。
隣で作業を手伝ってくれている銀環の生温かい視線が、妙に痛かった。
日航ロンドンのロビーに涼子が入った途端、丁度チェックアウトのピークを過ぎたところだったらしく、行き交う人々は然程多くはなかったものの、それでも100名近い人間がいたのだが、そのざわめきは一瞬にして静まりかえった。
「え? ……あれ? 」
涼子は思わず、その場で立ち竦む。
ドキリとして、慌てて服装チェック。
ボタンかけ違えかな?
どっかファスナーでも開いてるかな?
顔に何かついてるのかな?
それとも服かな?
あ、スカートの裾でゴミでも引き摺ってるのかな?
が、どれも違う。
後ろのSPを振り返る。
「ど、どこかおかしいかしら? 」
SPは二人とも、困ったような笑顔を浮かべて、首を横に振る。
「? 」
そして、思い当った。
また、『あれ』だ。
仕方がない。
……のかな?
思わず零した溜息が、ヤケに重々しく静寂のロビーに響いて、自分でも驚いた。
誤魔化すようにSPに笑顔を向ける。
「じゃ、内幕部長、お呼びしてくれるかしら? 」
「イエスマム」
SPがフロントへ行っている間、ソファに座って何気ない風を装って手近にあった新聞を手に取るが、なかなか活字に集中できない。
こんな時、リザか銀環が傍にいてくれたら、気も紛れるだろうに、と考えて思わず吐息を零す。
どうしっちゃったんだろう、二人とも。
普段は密着と呼んでも差し支えないくらいに、傍についていてくれるのに。
腹を立てているらしい自分に気付き、自己嫌悪。
仕方無く、ロビーの片隅でボリューム最小にして放映されているテレビ画面をぼんやりと眺める。
「あ……。ピングー」
TV画面の中では可愛らしいペンギンが元気よく動き回っている。
「この仔も、昔っからいるよね」
自分が小学生の頃には既に~いや、幼稚園だったか? ~、母から買ってもらったペンギンのぬいぐるみを~ああ、当時存命だった母方の祖母だったかも~持っていた記憶がある。
あのぬいぐるみは、どうしたっけ?
……中学校入学の時にはまだ、勉強机の上に飾っていたような。
結構、大切にしていたんだけどな。
お母さんに、ぬいぐるみの洗い方とか、教えてもらったり。
捨てた記憶、ない。
……どこにいったんだろう。
「あ……、れ? 」
頬に冷たい何かが流れた感触を覚えて、思わず声を上げる。
涙だった。
今朝、折角アンヌにきちんとメイクしてもらったばかりなのに。
涼子は、ハンカチで目元を、そっと押さえる。
今朝も、自分でも訳が判らないままに、泣いてしまった。
アンヌが、優しくハグしてくれて、まるで子守唄のように耳元で囁いてくれた言葉が蘇える。
幸せ下手。
幸せが、怖い。
知ってしまった幸せを、いつか失くしてしまうのではないかと、それが怖い。
確かにそうかも知れない。
一度でも温もりを知ってしまうと、それまでは膝を抱えてなんとか遣り過ごしてきた日々が、もう二度と耐えられないのではないか、と怖れを抱く。
逆に考えれば、それほど今は幸せなのだ。
だから、泣いてしまう?
でも。
「ほんとに、そう、なのかな」
思わず呟いた言葉の自分の声とは思えない冷たさに、ビクリと肩を震わせた、その刹那。
聞き覚えのある迫力満点の『怒声』が、ロビーの静寂を破り、涼子の思考を中断させた。
「なんじゃ、石動! 子供やあるまいしマンガなんぞ真剣に見よって! ええ加減にせんかい! 」
驚いて傍らを見上げると、新谷がニヤ、と笑って見下ろしていた。
「……校長? 」
「先にやる事と言う事があるじゃろ? 」
慌てて立ち上がり、敬礼する。
「おはようございます、内幕部長。お迎えにあがりました」
涙声になってしまったのが恥ずかしくて、思わず周囲を見渡すと、そこは雑然と人々が行き交い、数ヶ国語が川のせせらぎのように高い天井に木霊している、いつも通りのホテルのロビーの風景が戻っていた。
挙動不審だったのだろう、涼子を見て、新谷は大笑いする。
「なんじゃ! 折角
今度は、さっきとは違う意味での静寂がロビーに訪れた。
グロブナーと並ぶ五ツ星、ホテル日航にはあまりにも相応しくない新谷の大声と振る舞いに、人々が注目している。
涼子は、自分の顔がみるみる赤くなっていくのを覚え、新谷の腕を取る。
「もう! 校長、笑いすぎ、声デカ過ぎですってば! ほ、ほら、早く! 早く行きましょう! 」
口では文句を言いながらも、今の自分には、心に沁みる優しいフォローだと、涼子は嬉しかった。
さっきからの針の筵の衆人監視の状況を、田舎ジイサンの如き粗野な振舞で注意をそらしてくれただけでなく、新谷は涼子を、いつもの通り『出来の悪い教え子』として変わらぬ扱いをしてくれているのだ。
実際、新谷とて日本語は岡山訛りはあるものの、日系アメリカ人11世であり、ましてや近い将来の統幕本部長とまで目されている~過去の人事を振り返ると、艦隊マーク出身の一等艦将が、系外艦隊総群幕僚監部幕僚長、系外幕僚部長、系内直接地球防衛第一艦隊司令長官、系内幕僚部長と歴任してくると、九割以上の確率で統幕本部長へと進むという不文律、謂わば、エリート中のエリートコース~人物である。
表面上はどんなハイソサエティなレベルでも、何ら苦労する事なく対応可能な筈なのだ。
きっと、様子がおかしいのに気が付いたんだ、と涼子は新谷の腕を引っ張ってエントランスへ早足で歩きながら、思う。
そして、ハンモッグナンバー中以下だった頃と同じように接する事で、周囲の注意を逸らし、同時に自分を元気付けてくれたのだろう。
そんな新谷らしい心遣いに感謝しつつ、これからも、時々でいいから、あの頃の私と同じように接してくれたら嬉しいな、そう思った。
知っている。
理解している。
つもり、だった。
今の涼子が、どんな状況におかれているのか。
今の涼子のアキレス腱は、どこにあるのか。
昔の涼子はどんな人間だったのか。
そして、自分と出会うよりも更に昔、涼子に何があったのか。
知っている、理解しているつもりだった。けれど。
エレベータの扉が開いた瞬間、ロビーに流れる異様な空気を敏感に察知し、次の瞬間、その中心で孤独に震えている涼子が、一瞬、幹部学校入校当時の孤独な影を引き摺っていたあの頃の姿とだぶって見えて、自分の認識が間違っていた事に新谷は気付いた。
だから、咄嗟にとった行動だった。
涼子には、生徒時代から、何故かしらそうしてやりたくなるのだ。
”成功したのか、どうなのか……”
ロールスロイスのリアシートに収まって、密かに吐いた溜息は、どうやら気付かれた様子はなく、涼子は隣で、照れ隠しのつもりか赤い顔をして毒づいている。
「ほんっとにもう、校長と一緒だと、恥ずかしいです! 」
生意気な、と思う反面、よくもまあ随分と、真っ直ぐで明るい、いい士官になったものだ、としみじみ思う。
思った瞬間、手が動き、頭をペチリと張っていた。
「偉そうな事言うな! 」
ふぇっ、と子供のような声を上げて頭を擦る涼子をチラ、と見て、すぐに反対側の窓に視線を移し、言葉を継いだ。
「こん歳なって、お前みたいなチャラチャラしたベッピン連れて歩かにゃならん、わしン方が恥ずかしいわい! 」
涼子が、クスクス、と笑う。
生徒時代の面影が浮かぶ幼い笑顔のまま、仕事の話を持ち出した涼子に、新谷は内心胸を撫で下した。
「ところで内幕部長、最初のブラウン首相への表敬訪問なんですけど、メッセージ、読んで頂けました? 」
「読んだ。しかし、あの襲撃事件の件、ちょっと触れ無さ過ぎじゃないか? 」
涼子はポシェットからメモを取り出し、差し出した。
「私もそう思いまして、追加草稿です、それ。ご一読頂いて、よろしければ」
新谷はさっと読み下して、涼子に突き返す。
「……なにか、拙いところでも? 」
「もう覚えた! 」
怒ったような声が出てしまった。
「ふぇ? 」
本当に、いい士官になった、と思う。
「お前の書いた草稿じゃ。……丸覚えの方が間違いなかろうて」
それは、けっして自分の教育が良かった訳ではなく、素直に、涼子の人柄だろう、それがなにより嬉しかった。
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