第104話 16-4.
サマンサの思惑通り、
ボールドウィンをサザンプトンのグローリアスに残して戻ってきたマクラガンは、同行したハッティエンを隣に座らせ、ソファでじっと二人が持ち込んだデータの表示されたディスプレイを眺めていたが、サマンサが一通りの説明を終えて口を閉じると、短い溜息を吐いた。
マクラガンの様子をチラと見たハッティエンが、まず口を開く。
「狙いは判るが、未だ状況証拠ばかりだ。その上で、ロンドン市内で、いくら英国駐留部隊ではないとは言え、実施部隊を展開させようというのは、博士、どうも」
サマンサはピクリとも表情を変えず、ハッティエンに視線だけを向ける。
「仰る事は理解できます、政務局長。ですから現在、現地のエージェントを始めとしてこのミッション支援要員が物的証拠固めの最中です」
「しかし、最初から内部犯行説だけで攻めるのもどうかね? 少し危険過ぎやしないか? 」
サマンサが反論しようと口を開いた刹那、突然ホプキンスが話し始めた。
「御指摘はご尤もですが、政務局長。犯行が本日中とある意味予告が為されている状況では、あらゆる面から捜査する事は不可能と考えます。このまま内部犯行説に絞り込んで包囲網を縮めて行くのが、ベストではなくともベターかと」
サマンサがチラリとホプキンスを見ると、彼は微かに頷いて、続けた。
「それに今のところ、ワイズマン博士の推論は事如く的中し、しかも内部犯行説もますます状況証拠は揃いつつある状況です。このままの捜査方針堅持を進言いたします」
サマンサは驚き、次に驚きを顔に表わしてしまったかと心配して正面に座るアドミラル二人の様子を見、自分のポーカーフェイスの成功を確信して胸を撫で下ろし、それから改めてホプキンスの発言に驚いた。
確かに、駄目押しで頭を下げましょうとアイコンタクトを送りはした。
が、まさか、彼が自分への評価を判断基準のひとつとして口に上すとは、想像していなかった。
ぶっちゃけ、ホプキンスは、サマンサ・ワイズマンという専科将校を医者と言う観点から評価しつつも、軍人という立場では評価していないだろう、そう考えていたからだ。
ずっと無言だったマクラガンが、やにわに表情を緩め、そして初めて口を開く。
「よろしい、判った」
そしてサマンサとホプキンスを交互にみつめて言葉を継いだ。
「捜査方針は、内部犯行の線で継続。ロンドン市内での正規軍の展開も条件付きで許可する」
サマンサは、ホプキンスが相方でよかったと改めて思いつつ、隣の様子をチラリと盗み見る。
が、ホプキンスは口をへの字に結んで、自分をちらっとでも見ようとはしなかった。
けっ、可愛くないヤツと脳内で彼をくさしながらも、サマンサは微笑んで頭を軽く下げる。
「ありがとうございます。それで本部長、その……、条件とは? 」
「まず、内部犯行説に関しては英国政府に知られるような事があってはならない。あくまでフォックス派関係の捜査で押し通す。それと、使用する兵力は、現在サザンプトンにいるIC2の兵力に限る。駐英実施部隊は決して使うな。加えて、重火器や
そこまで言って、今度はハッティエンの方を向く。
「そこで政務局長。やはり条約的には事前通告か何かが必要かね? 」
ハッティエンはさほど反対する風でもなく素直に答える。
「そうですな。この場合だと、5年ほど前に英国が批准した『改正UNDASN基本条約第5章駐留地域の治安維持行動、及び駐留包括条約の駐留隊員の安全保護に必要な行動条項』を使うことになるでしょうが、多分、英国政府への事前通告が部隊展開1時間前までに必要だった筈です」
思わず不満を顔に表わしてしまったサマンサだったが、すぐにハッティエンは言葉を続けた。
「ですが、それが10分前になろうが事後であろうが、大した問題ではないでしょう。まあ、国際条約部……、っと、ボスコフ部長は今、ロンドンか……。まあ、とにかく条約5課か法務部に研究させておきましょう」
思わず安堵の溜息を吐いたサマンサだったが、それがホプキンスとほぼ同時だったことに、妙に腹が立った。
マクラガンはそんな二人の様子に気付いたのか、軽く笑いながら、ソファから立ち上がる。
「ワイズマン博士、ホプキンス部長。以上だ。本日私は外出予定を全てキャンセルし、終日在席する。途中何件か会議にも入るが、緊急なら最優先で君達に会えるよう手配しておく。疲れているだろうが、よろしく頼む」
「アイアイサー」
「イエッサー」
これまたホプキンスと同時にソファから立ち上がり、しかし返事はそれぞれのマークである艦隊式、陸上式だったことに僅かな救い~そんな大袈裟なものでもないが、何故か拘ってしまう自分がちょっと可愛い、とサマンサは思った~を感じながら、二人は並んで退室した。
「ふぅ」
ホプキンスが思わず吐息を零すのを聞いて、サマンサは”相方”の肩に手を置く。
「ん? 」
振り向いた彼に、サマンサは取り敢えず自分の中で『Bランク』に位置づけているウィンクを贈り、耳元で囁いた。
「ありがとう、アーサー。アンタのお蔭よ」
見る見る赤く染まっていくホプキンスの頸筋を眺めていると、彼は怒ったように、サマンサを置いて乱暴な足取りで歩き始めた。
「ちょっとぉ、どこ行くのよ? 」
「トイレ、だっ! 」
アハハハとサマンサは笑い、呟く。
「まったく、アナクロねぇ」
そうだ。
サマンサはほくそ笑む。
トイレの前で、出てくるのを待っていてやろう。
サマンサとホプキンスが退室した後、マクラガンはハッティエンに向き直った。
疲れたような声が出たのには、自分で驚いた。
「こう言うのを、贔屓の引き倒し、とでも言うんだろうね? 」
ハッティエンも、力無い笑みを浮かべて答える。
「そうですな。……しかし、まあ、それもやむを得ないでしょう」
マクラガンは頷きながら、背凭れに身を任せた。
「うん。君がそう言ってくれると、有難い」
苦笑が答えだとでも言うように、ハッティエンはゆっくり立ち上がった。
「新谷内幕部長とロジェストヴェンスキー
普段よりも早足に思えるハッティエンの背中を見送りながら、マクラガンは多分誰よりも涼子のことが心配でならないであろう彼の心中を思う。
今回の訪英では、ハッティエンには損な役回りばかり引き受けてもらった事を申し訳なく思いつつも、けれど、それは多分、彼にしか務まらない役だったことも事実であり、マクラガンはそんな自分の立場に軽い自己嫌悪を覚える。
それほど老け込んだつもりはないが、まさかこれほど青いとは。
妙な腹立ちを覚えつつ、自席へ座ろうとしたマクラガンはふと、マホガニー製の重厚なデザインのデスク~この尊大なデザインは、昔から気に食わなかった~脇に立ててあるポールの国連旗とUNDASN旗に目をやる。
「来年度は石動君も、シャバか……。まあ、思わぬところで計画通りに事を運べる訳だが……、しかし」
”しかし”の後を考えかけて、マクラガンは慌てて首を横に振り自分の考えを打ち消した。
「あ、博士。先程の人事DBの照合検索結果、出ました。データは博士とホプキンス部長にメールで送っておきました」
部屋へ戻る早々、ミシェルの明るい声がサマンサとホプキンスの2人を迎える。
この
なんだか、マッド・サイエンティストっぽいから、嫌なんだけどな。
昔、白衣姿を見て、同じような事を言いながら珍しく笑っていた『彼』の顔が浮かんできて、サマンサはそれを慌てて頭の中から追い払う。
「ありがと、早かったわね。……で、該当者は何人? 」
「ええと、第1次検索で987人、ですね」
「そんなにいるのか? 」
サマンサの隣でホプキンスが目を剥いて素っ頓狂な声を上げる。うるさい、アナクロオヤジめ。
「だってぇ」
拗ねたような声をミシェルが上げた。
「母数が駐英部隊、駐英支援、間接機関の総人数ですよ? 実施部隊だけでどんだけいると思ってんですか! 陸上総群だけでも、普通科、特科、機甲科、施設科、輸送科合わせて10個師団、まあ殆どが留守師団だけどそれでも4万名!
「あー、判った判った! 」
ホプキンスは手を振ってミシェルの台詞を遮り、ミシェルが癒し系であるその理由がなんとなく判った、とぼんやり考えていたサマンサに顔を向けた。
「もう、興醒めだわ」
サマンサの呟きにホプキンスは首を傾げながらも、言った。
「なあ、博士。これじゃあ、いくらなんでも……。もう少し絞れないか? なんか、これって言う絞り込み条件はないもんかね? 」
彼の言う通り、1,000人近い『容疑者』を残り時間である半日程度で調べ上げるのは無理だ。
かと言って。
「照合、検索条件は? 」
ミシェルが渡したリストを覗き込んで、2人は同時に唸り声を上げる。
「うん……。この条件自体は問題ないわね」
「そうだな。これの母集団は? 兵科、専科の
「それは勿論。厳密に言えば、出向者は階級、それに配属先によって与えられた権限が違いますし、しかもUNDASNプロパーともセキュリティ権限が違います。ですから本来石動一佐の行動予定等は入手できない者が多い建前なんですけど、そこは相手がヘンタイだって事、そしてネットワークやシステムに関する知識やスキルも相当持っているだろうってことで、全員を対象者として取り扱わざるを得ません」
「じゃあ、これより絞り込む方法はないということか」
ますます疲れた表情を浮かべたホプキンスを見ながら、サマンサは迷っていた。
先にミシェルから要請のあった、医療本部のカルテDBをアクセスをすれば、かなりクリティカルに近い、つまりは”犯人像に近い”人物の絞り込みが出来る筈だ。
しかし、医師としてのサマンサがそれにレッドカードを出している。
どうしよう。
涼子に危険が迫っている。
それは医師倫理~規定などはどうでも良い、独りの医師として、だ~と較べられるものなのか。
答えは、否だ。
ならば、為す事はひとつではないのか?
徐々に高まる胸の動悸を押さえながら、サマンサが口を開こうとした刹那。
「あ、そうだ! 」
ミシェルの声が、その小さな決断を砕いた。それでチャンスを逃したことに気付いたのは、全てが終わった後だったのだけれど。
それでも、それはけっしてミシェルのせいではない。
全ては、職業人になった時から縛られ続けている組織と職業倫理と下らない面子と意地に惑わされていた自分の弱さのせいなのだ。
けれど、その時のサマンサにとって、ミシェルの明るい声は、弱い心を折るには充分な大きさだった。
「今思いついたんですけど、先程、お二人が退室される前に仰られた、例のメールアドレス隠匿の件。あれって、さっきも言いましたけど、ネットワークに関する知識とテクニックが結構いるんですよね。で、そこらのスキルを条件に追加すればもう少し絞れる様な気がするんですけど」
ホプキンスが身を乗り出す。
「うん、いいんじゃないか? どうだね、博士」
サマンサにとってもミシェルのアイディアは魅力的に思えた。
「そうね……。でも、隠れマニアだと引っ掛からないわよ、それじゃ」
「それはそうなんですけど……」
ミシェルも素直に頷きながらも、食い下がってきた。
「ただ、根拠はないんですけど、このメールアドレス隠匿って一種のウイルスっぽいものだと思うんですよね。私がよく使う手がそれだから、かも知れないですけど。でも、そうだと仮定すると、ちょっとやそっとのマニアじゃ無理だと思うんです。しかも、営利ASP業者の、民間レベルとは言えシッカリしている筈のプロテクトを通り抜けてウイルスを発症させるとなると、結構専門知識を持っていて、且つその様なツールを入手しないと」
「そんなツール、手に入るのか? 市販されてるのかね? 」
ホプキンスの質問に、ミシェルは笑って答える。
「勿論、一般には市販されてません。だけど、闇では、ね。……部長、ネットの
「逆に言うと、そのツールさえ入手すればスキルがなくとも誰でもそんなネット犯罪が実行できるという事か? 」
ネット犯罪と言う言葉が地雷だったのか、ミシェルは幼い膨れっ面を見せながらホプキンスの疑問を一掃した。
「とんでもない。ツールったって、それこそ市販品じゃないんですから、ある程度のスキルを持った人間が設定し、使いこなせるって程度のスペック、言い換えれば不親切設計って訳ですから」
ミシェルの言葉にううむと呻いて腕組みしてしまったホプキンスを眺めて、今回のミッションは、彼にとっては結構辛いミッションなのかも知れないなと少し同情を覚え、サマンサは二人の会話に割って入る。
「判った、ミシェル。ねえ、アーサー。やってみよう」
救われた様な表情を浮かべて、ホプキンスは腕組みを解いた。
「じゃあ、フォンダ一尉。頼む」
別に、アンタを助けてやろうと思って口出しした訳じゃないんだよ、と口の中で呟いて、私ってこんなツンデレだったけと思わず首を捻る。
「
「そんなにかかるのか? さっきは7万名の母集団から、1時間もかからずに絞り込めたじゃないか? 」
ホプキンスの言葉に、ミシェルはチッチッと指を顔の前で振った。
「今回の検索条件は、あいまい検索なんですよ、部長。人事DBの中の各項目の中から、コンピュータやネットワーク関連の単語を、
まだまだ続きそうなミシェルの言葉を、今度こそサマンサは自分のためにストップさせた。
「それより、ミシェル? さっきのメールアドレス隠匿の調査なんだけど」
一瞬、子供のように頬を膨らませたミシェルだったが、すぐに機嫌を直してくれたのか、笑顔を浮かべた。
「ああ、そっちなんですけど、エミュレータさえその現地のクライアントにダウンロードしてもらえれば、私がこっちから繋いで調べます。ダウンロードは、現地エージェントの携帯端末アドレスが判れば、私がリモートで操作します。あ、アドレス判んなくても、そのエージェントの認識番号貰えれば、それも私が調べます」
「判った。それじゃ頼む」
ホプキンスが通信員にコリンズを呼び出すよう命じている間に、ミシェルはサマンサの機嫌を伺うようにおずおずと口を開く。
「問題は、追跡途中にあるサーバやゲートウェイなんですが。これは公式の家宅捜査許可か何かないと……。非合法でよければ、30分もらえれば侵入してみせるんですが」
なるほど。
サマンサはミシェルの申し出の持つ意味の重要性を知りながらも、さすがに逡巡してしまう。
「非合法は、ちょっと」
サマンサの呟きでミシェルが残念そうに俯いたのを申し訳なく感じた刹那、ポン、と肩を叩かれた。
「アーサー? 」
驚いて振り向くと、ホプキンスはいかにも不慣れそうなウインクをして見せて、世間話のような口振りで言った。
「非合法? なあに、構わん。情報部が後でなんとでもする。一尉、ゴーだ」
ミシェルが目を真ん丸にして、サマンサの肩越しにホプキンスをみつめていた。
その真ん丸の瞳が自分に向けられる。
気を取り直して笑顔で頷いて見せると、ミシェルは、真ん丸の目を弓のように細めて笑った。
「
腕まくりをしながら嬉々としてクライアントに向かうミシェルを苦笑して眺め、続いてコリンズと通信しているホプキンスの背中を眺めた後、サマンサは椅子に座り長い溜息を零した。
いい仲間に恵まれた喜びと、自分の無力感が、一層疲れを感じさせる。
「だめね、やっぱり私は素人だわ。違う意味で疲れちゃう」
口の中でそう呟いた後、何気なく泳がせた視線が壁のデジタル時計を捉える。
GMT
”……疲れてぐったりしている場合じゃないわ。早くしないと、涼子が……”
そこまで考えて、”恋敵”の筈の涼子を真剣に心配している自分に気付き、サマンサは少しだけ自分に腹をたて、そして涼子に腹を立て、それから少し考え直して、そうよアイツが一番悪いんだわ、と結論付けて、やっと腹立ちを収めた。
収めた途端、負けた気がしてきた。
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