第103話 16-3.


0700時マルナナマルマル……、少し早いが」

 まあ構わんだろう、と口の中で呟いて、コリンズはグロブナーハウスのロビーへ入り、一直線にフロントへ向かう。

 フロントには昨夜、マヤのお忍びの際に見かけた、頑固そうなホテルマンが1人いるだけだ。

 近くで見ると、その見事な禿頭振りや皺が見せる陰影から、既に80歳近いのでは、とも思えるが、いくらなんでもそこまではいってないないだろう。

「イブーキ王国使節団のフォルクス・ヒッカム中佐がこちらに滞在されていますな。お取次ぎ願いたいのだが」

 メガネを指で押し上げ、笑顔を見せず、しかし、慇懃過ぎる程の丁寧さで老人は答える。

「失礼ですが、どちら様でございましょうか? 」

 普段の任務行動なら、直接ヒッカムの部屋を訪ねるのだが、相手が相手でもあるし、既に向こうもこちらを知っている。

 微笑を浮かべ、コリンズは正直にUNDASNのIDカードを老人に見せる。

 やはり、今回の任務ほど自分の官姓名所属を包み隠すことなく遂行する任務は珍しい、と改めて思った。

「地球防衛艦隊統合幕僚本部軍務局のコリンズ二等陸佐です。警備に関する緊急且つ重要な要件でご相談に伺った、とお伝え頂きたい」

 IDカードの写真と実物の間を数往復させていたホテルマンは、最後になんの感情も見せぬグレーアイを実物へ向けて、ゆったりと営業スマイルを浮かべた。

 情報部にスカウトしようか、と一瞬思ったくらい見事な、ポーカー・フェイスだった。

「承知致しました。ただ、未だ早朝ですので起きていらっしゃいますかどうか……。とにかくお繋ぎいたしますのでそちらのソファで暫くお待ち頂けませんか? 」

 コリンズが頷くと、老人は古めかしい電話の受話器を上げる。

”よくもまあ、あんな何百年前の黒い電話機なんぞ現役で使用しているもんだ! 骨董屋に売れば、何万ドルにもなるだろうに”

 自分の考えがあまりにも庶民的過ぎ、グロブナーに不釣合いな感想である事を悟って、コリンズは肩を竦めながらソファに腰を下ろした。

 1分も経過しないうちに、老人がゆったりとコリンズの座るソファに歩み寄ってきた。

「ヒッカム様がお会いするとの事です。お着替えをなさるそうなので、10分程ロビーでお待ち下さいとのご伝言でございました」

「ありがとう」

 コリンズの礼に老人はゆっくりと頷き、再び元のポーカー・フェイスに戻った。

 さて、とコリンズは思う。

 果たして面談予定の相手は、自分の持ち込んだ用件を、どう扱うのだろうか?

 常識で考えれば、了承するとは思えない、自分の用件を。

 なんとなれば、情報部の『常套手段』を使えば、もっと簡単だ。

 だが、今回はスピードは勿論、相手の無制限の協力を引き出すのが最優先、しかも相手への敬意を充分に表わしつつ、無礼極まりない行為を許して貰う。

 だから、正攻法を選んだのだが。

 とにかく、イブーキ関係者のプロファイリングは今回、不充分、というよりも全くしていないに等しい。

 結局は、昨夜、あのオープンテラスでの1時間ほどで僅かに交わした会話だけを頼りに、厚かましくもこんな早朝にのこのこと訪れた自分は、ひょっとして途轍もない馬鹿なのかも知れない。

 ゆっくりと訪れてきた睡魔の心地良い誘惑に逆らわず、そんなことをつらつら考えていると、微かにエレベータの到着を告げるベルの音が聞こえてきて、コリンズは慌てて現実に帰還した。


 ヒッカム中佐は10分きっかりで、高級そうな仕立てのダークスーツを着込んでロビーに現れた。

 お互い無言のまま握手を交わし、コリンズの向いのソファに腰を下ろす。

「早朝から申し訳ありませんな、中佐」

 不愉快に思われているだろう、とコリンズはまずは謝罪から会話に入ったのだが、予想は良い方向に裏切られた。

「いやいや、起きてはいたのですが、丁度シャワーを浴びておりまして、すっかりお待たせしてしまった、申し訳ない。それより、昨夜はありがとうございました」

 その口ぶりと表情からは、昨夜のイベントはどうやら、幸いなことに彼にとっては良い記憶に色分けされていた様子だった。

 これも、涼子のお陰か、とコリンズは苦笑を浮かべたくなった。

「いや、こちらこそ私共の我侭にお付き合い頂き、本当に御苦労様でした」

「それはお互いさまですよ、中佐。それより、昨夜の石動大佐のお話、それに貴官のお話、自分にとっては色々と考え直す、いい機会になりました」

 やはり、涼子効果は絶大だったようだ、けれど。

 形式的な挨拶の応酬が続きそうな気配に、コリンズは些か焦れる。

 正攻法はいいが、本題に入るまでが少々自分向きではないな、と、失礼は承知で本題に取り掛かろうと口を開きかけた刹那、ヒッカムの方が本題に手を出してくれた。

「それより、コリンズ中佐こそどうされました? 何か警備上の問題、とか? 」

 コリンズは殊更大きな問題ではない事を強調する様に、ゆったりとした口調で話し始める。

「あぁ、いやいや、これは貴国には直接関係はないのですが……。報道等でご存じの様に、我々はとある過激派組織から狙われておりましてね」

 ヒッカムは正直にホッとした様な表情を浮かべ、頷く。

「ええ、存じておりますとも。しかも大変執拗で悪質な襲撃のようでしたな。しかし、一昨日のなんとか病院の事件を最後に、マクラガン閣下の離英で襲撃は終わったのでは? 」

「仰るとおりです」

 コリンズは頷いて見せ、おもむろに予め用意していたシチュエーションを提示した。

「ただ、一連の襲撃で使われた武器弾薬や潜伏先等、英国内にサポートチームが存在する可能性が高い。我々としては、これを機会にそこらへんを一掃したいと、こう考えている訳でして」

 ヒッカムは少し警戒感を見せる。

「それもまた、当然でしょうね。……で、我々は具体的には、何を? 」

 コリンズにとっては予想通りのリアクションだ。

「先程貴官が延べられた通り、最大のテロ標的である我が統幕本部長は既に離英しました。で、そのサポートチームがもし実行犯になるとして、次に狙うのが、これはプレスには伏せていたのですが、実は今回統幕本部長訪英計画のブレインであり、そしてまた護衛の立役者だった、私共の石動ではないか、と推測しています」

 ヒッカムが素直に驚きの表情を浮かべるのを見て、コリンズは99%の成功を確信した。

 畳み掛ける様に言葉を継ぐ。

「そこで貴国へのお願いです。……実はタレコミがありましてね。不審な人物が、昨夜マヤ殿下にご同行させて頂いていた石動を尾行していたと思われる節がある、と。そこでマヤ殿下に、不審な人物をみかけなかったかどうか、それを確認させて頂きたいのです。勿論私も、次期国家元首であり現摂政殿下で在らせられる殿下に、この様な事情聴取を申し入れると言う事自体、大変無礼極まりない、許される事ではない、とは重々承知しております。ですが、この際背に腹は替えられない。そこで、昨夜ご協力頂いた中佐から、内々に御口添えを頂きたいと、誠に虫の良い勝手なお願いなのですが」

 コリンズは一旦言葉を区切り、ヒッカムに視線を注ぐ。

 ヒッカムのフリーズが解け、彼が僅かに口を開きかけた瞬間を狙って言葉を継いだ。

「さほどお時間は取らせません。15分……、いや、10分ほどで良いのです。なんとかご協力頂けないものでしょうか? 」

 さあ、中佐はどう答える?

 だが、ヒッカムの反応は、コリンズの予想を上回る早さだった。

 コリンズが採用した正攻法、その根幹を成す前提と仮定は、間違ってはいなかったようだ。

 即ち、『ヒッカムは、以前から尊敬していた石動涼子の本来の人柄に触れて、一層、彼女を敬愛するようになった』。

 要は、自分と同類だ、そう閃いただけなのだが。

「了解しました。石動大佐の危機とあれば、自分も心配ですし、なにより、マヤ殿下も大層ご心配なさるでしょう。侍従長と殿下に申し入れてみましょう。但し」

「? 」

 礼を述べかけたコリンズは、口を噤む。

 どんなバーターが提示されるのか?

 それはある程度織り込み済みだったし、ふたつみっつは用意はしているのだが。

「まだ殿下はご就寝中です。今日の殿下のご予定では9時ご起床、ご朝食の後、ご準備を整えられ、11時にホテルを出発し国立歌劇場へ、となっています。……そうですな、10時から30分程でしたら、このホテル内でお会い頂ける筈です」

 ほっとした。

 殆ど無条件で、こちらの要求に応えてくれた訳だ。

 コリンズは内心胸を撫で下ろしつつ、深く頭を下げる。

「結構です。勿論時間は殿下の仰せの通りに。ではヒッカム中佐、殿下のご許可が得られましたら、この番号へご連絡頂けませんか? 私は一旦辞去いたします」

「了解しました」

 ヒッカムはコリンズの差し出した、名前と携帯電話番号~諜報活動で使う民生のものだ、活動地域で使い捨てで都度調達している~だけを記した名刺を受け取りながら、ソファから立ち上がる。

「ご心配なさいませんように、コリンズ中佐。きっと良い返事をさせて頂けると思います」

 握手を交わしながら、コリンズは改めて涼子の人徳に感謝した。


「おう、丁度良かった」

 コリンズがスコットランドヤードへ戻ると、マズアが身支度を整えている所だった。

「悪かったな。今から出勤か? 」

「うむ、事務所へ顔を出してくる。今日もバタバタと調整事項があるからな。ヒギンズに指示したら、また戻るよ。ついでに1課長の様子も見てくる」

 コリンズはネクタイを緩めながら椅子に座る。

「スタックヒル補佐官は、確か風邪とか言ってなかったか? 」

「そう言えば、そうだったな……。だが、まあ、休む事はないだろう。それほど酷くはないようだったし」

 誰のかは判らないが、机の上にあったマグカップに半分ほど残った冷めたコーヒーを、コリンズは一気に呷った。

「で、留守中どうだった? なんか変化は? 」

 マズアはメモ用紙をコリンズに押しやりながら答えた。

「これが詳細だ。22サイト中、取り敢えず19サイトの管理者の身柄は確保、ロンドン市内の9名とヨーク市内の2名の身柄は既に警視庁ここへ到着、現在取調べ中。後1時間もすればハンプシャーの3名が到着するだろう。身柄が確保できていない残り5サイトも足取りは判明しているから、おっつけ確保できる見込みらしい。何れも、高飛びとかではなく、仕事で出張中やら、休暇を取ってロンドンへ即位関連行事の見物に来ていたり、とかの様だ。まあ、本人達には罪の意識もなにもないんだろう」

 コリンズはメモを見ながらマズアの説明を無言で聞いていたが、やがて、視線をメモから外さずに口を開く。

「で……、結局、情報源のメール発信アドレスは不明、のままか」

「ああ。今ロンドン市内の1人暮らしのサイト管理者自宅3件に情報部員を派遣してマシン内部を調査させているが、今のところ不明、だ」

「そうか。……ああ、後、内務省関係の交渉は? コルシチョフ部長は動いてくれているのか? 」

 マズアは眠そうな目を擦りながら、アタッシュケースを持ち上げた。

「さっきコルシチョフ部長には、概要を濁らせて依頼しておいた。ホプキンス三将からも事前ネゴがあったみたいだが。事務所で落ち合う予定だ。結果出次第連絡する」

 あの国際部長のことだ、きっと『濁りの向こうにある何か』の存在に気付いている事だろう。

 ひょっとすると、殆ど正確に『それ』の輪郭を~涼子の形をした~嗅ぎ取っているのかも知れない。

 ホプキンスやマズアがどう誤魔化したのかは知らないが、きっとある程度の事情を察した上で引き受けてくれたのだろう。

 コリンズは再び、涼子の人徳に感謝する。

 マズアが退室すると同時に、コリンズは携帯端末を取り出した。

「ロンドン、コリンズだ。ホプキンズ情報部長かワイズマン博士を頼む」


「メールアドレスが追えない? 」

 煙草を吸い溜めて部屋へ戻るなりホプキンスが言った言葉を、サマンサは鸚鵡返しに呟いた。

 ホプキンスはお手上げだと言わんばかりの疲れた表情で頷いて見せた。

「うむ。英国内の22サイトへ一斉同報発信しているのは確からしいんだが……。なんらかの方法で経由したサーバ、ゲートウェイの回線接続記録を消しとるらしいんだ」

「ねえ、ミシェル? 」

 サマンサがホプキンスの肩越しに声を掛けると、彼女は彼女には似合わない不敵な笑みを浮かべていた。

「不可能ではないですよ。けど、その為にはプロバイダのサーバに侵入しないとダメですし、結構テクがいりますね。取り敢えず、そんな状況じゃあ現地の情報部エージェントじゃ埒があかないとは思いますが? それに、サーバだけじゃなくって、足回り回線を管理する電話局内の交換設備にまで手をまわしているとすれば、それはもう、ちょっとしたマニアレベルの人間じゃかなり困難だと思われますし」

「それって、かなりコンピュータやネットワークに詳しい、ってこと? 」

 サマンサの問いに、ミシェルは頷いた。

「たぶん、プロ……、とまではいかなくともセミプロ程度の腕を持ったハッカー。もしくは、プロから入手したハッキングツールを利用しているか、でしょうね」

 ホプキンスがうんと唸って腕を組んだ瞬間、部屋の隅から声がかかる。

「統幕本部長秘書室からです。本部長は本部帰還予定ETA0905時マルキューマルゴー0945時マルキューヨンゴーより15分間面会許可との事です」

 サマンサはそちらへ手を上げて了解の意を示しておいて、短い吐息を零した。

「その件は、ミシェル、対策を立案しておいて。戻ってから聞くわ。じゃ、アーサー、行こうか」

 ホプキンスは腕時計を見ながら言う。

「行くって、統幕本部長のところへかね? もう? まだ30分以上あるぞ? 」

 なんでこう、いちいち文句つけるかなこのオヤジは、とサマンサは彼の顔を軽く睨む。

「早く行きゃ早く会ってくれるかも知れないじゃない? それに、景気づけに1本焼いて行こう」

 サマンサは煙草を吸う手付きをしながら説明用の書類をバインダに入れ始める。

「ったく……。節煙中の人間に、医者が言うセリフかね」

 また文句かよ。

 ひょっとしてこのオヤジ、私に睨んで欲しいんじゃないの? とサマンサは思わず勘繰る。

 実際、以前行った心理調査の結果、情報部所属の将兵には、どちらかというと被虐趣味の傾向がある、という結果がレポートされていたことを、思い出した。

「節煙中のスパイってのが、そもそも信用ならないって言ってんのよ! さ、早く! 」

 だから、今度は睨んでやらずに、手を引っ張る。

「ほんとに博士、君は情報部に歪んだ先入観を持ってるなあ」

 ぶつぶつとぼやきながらも後をついて歩くホプキンスの表情を想像して、サマンサは思わずクスリと笑いを洩らしてしまった。

 このアナクロなスパイの親玉が相方で助かった、と思いながら。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る