16.捕捉
第101話 16-1.
軍務部長として、ボールドウィンと共にグローリアスCDC内の
統合幕僚本部軍務局としては、だから余程の事が無い限り、もしくは外幕軍務局から何らかの要求がこない限り、単にここでモニターしているだけだ。
ただ、今回は大方の予想を破ってミクニーが動いたという事、そしてその行動域が、第4航空艦隊など基幹数艦隊が冥王星へ帰投した直後の手薄な時期だった事、そしてリトオオ星と並ぶ太陽系外の最重要拠点であるガシコー星の
これらの要素を鑑み、万が一不測の事態が発生しても統幕~即ち、UNDASN全軍、と言う意味だ~が即応できるよう、ここグローリアスで戦況監視を続けているのだった。
勿論、ヒューストンの軍務局統合戦闘管制センターには、作戦部長を始めとして軍務部関係課員、作戦部関係課員が詰めている。
小野寺個人としての見込みは『単なる遭遇戦』だったが、それでも、監視を開始して既に12時間近くが経過し、積む疲労とともに緊張感も高まってきたのだが、ここへ来て敵の行動が『策敵警戒行動』の可能性が高いことが明瞭になり始めてからは、安心感とともに明らかな倦怠感がCDC内に漂い始めていた。
だが、そんな状況も、遠からず終了となりそうだ。
オチの見えた茶番劇に真っ向取り組む気力と真面目さは、既に小野寺の胸からは消え去っている。
彼は、スクリーンやスピーカーが伝えてくる、遠く数十光年離れたガシコー戦闘情報センター~第1方面から第5方面作戦域までを管轄している、第6方面以降はセイン=ヨー戦闘情報センターの管轄だ~発の数千にのぼる情報に注意を払いつつ、しかし頭の片隅では全く戦争に関係の無い事を考え続けていた。
涼子の事だ。
いや、彼と涼子が現役の軍人であり、しかも現に彼が軍人としての仕事のせいで、涼子と一緒にいられない状態が続いている、そんな状況下で考える”涼子の事”は、やはりある意味密接に戦争と関連が深い事であるのには違いない。
しかしその涼子本人の持つ本質が、一番戦争とは遠いところにある存在であること、それ自体が彼にとっては最大の矛盾であり、涼子が自分の立ち位置に欠片も疑問を抱いていない事が~いや、彼女が自分を軍人向きだと思っていない事は知ってはいたが、それでも彼女はこの巨大で歪な組織の中で、眩しい程に煌めき、そして惚れ惚れするほどに活躍している事実、それを立ち位置と言うのならば、だ~彼の想いに困惑と言う味付けをしていて、そんな彼女を、顔も見知らぬ世界中の”善意の第三者”達が、不思議と思わず注目し続けている、という錯綜した、けれど、微妙で絶妙なバランスを保ったカードの城のような天秤が、今、それこそ『見知らぬ誰か』の手によって崩されようとしている、この瞬間。
涼子は、無事なのか?
顔を思わず顰めた瞬間、当面彼を悩ませ退屈させてきたシチュエーションの終焉を告げる声が、耳に届いた。
「エネミーマークM-A、ウェスト=モズン星系外縁でワープ、反応消えました。ワープアウト推定、ドット星方面と思われます」
当該作戦域最寄りのガシコー星戦闘情報センターがモニタリングしている戦闘状況が、統幕戦闘管制センター経由でサザンプトンに繋留中のグローリアスCDCに中継された。
その途端、CDC内に声にならない嘆声が洩れる。
そろそろこちらもヤニ切れで、しかも退屈し切っていたところだ、丁度良かったと、小野寺は椅子に座り直した。
「
小野寺の問い掛けに、グローリアスのCDCワッチが答えた。
「お待ち下さい……。いえ、3Fは動かず……。
「第3作戦域、ドット星フロントの先任は? 」
「現刻、
「軍務局長名で15Fへ緊急親展、ドット星方面警戒を要す、策敵レベル引き上げの上敵艦隊動向探索、
「アイアイサー」
妥当な動きだ、と小野寺は、方面艦隊先任の系外第3艦隊司令長官、ヘゲナー二将の、まるでサンタのような温和な白い髭面を思い浮かべる。
本格的な作戦行動の為の部隊移動を想定すれば、戦線正面に並べた基幹艦隊である
まあ、もし俺だったら、と小野寺は指で眉間を揉む。
今回の敵の一連の動きは、本格的な反抗作戦もしくは本格的な撤退または戦線整理の陽動と割り切り、カムフラージュされている敵本隊の探りを入れる為に、基幹艦隊防空の任に当たる
が、石橋を叩いて叩いて他人に渡らせる程の慎重派、ヘゲナー長官のことだ、このまま手堅く方面防衛の整理整頓に欲求が向くのは仕方ないだろう。
なにせ今は、基幹艦隊の約40%の戦力に当たる
小野寺は脳内図上演習を早々に終わらせ、隣に座るボールドウィンに声を掛けた。
「お聞きの通りです。統幕作戦部と外艦幕のレポートの通り、GMT
「結構。君からヘゲナーさんに、M-B追尾は無理せんようにだけ、念押ししておいてくれ。今、あのフロントの戦力バランスを崩すのは中期的に見て我が方の不利になりかねんからな」
ボールドウィンもハンカチで額の汗を拭きながら答える。
「統幕本部長の予想通り、こちらの配備確認が主な目的の様でしたね」
ボールドウィンは席から立ち上がり、スクリーンを眺めながら頷いた。
「うん。今回は、な。ただ、気になるのは、配備確認にしては、元々やつらも察知していたであろう、4AFや2Fがガシコーへ戻って手薄なこのラインに現れた事だ。私が配備確認を命じられたら、一番厚い第7作戦域か第1作戦域を選ぶがね」
小野寺も立ち上がる。
「同感です。悪く考えれば、予想より敵反抗作戦が早いか」
いかん、本気で煙草が欲しくなって来た。
「良い方に考えれば、第3作戦域戦線正面からの後退、だな。ただ、その場合は第7作戦域に早急に手を打たねばならんが」
小野寺の言葉を引き取った後、ボールドウィンはスクリーン隅のGMTに目をやり、不意に柔らかい口調に変えた。
「
地球上全域では勿論、太陽系、そして太陽系外と広大な範囲に展開し、そして唯一の目的~対ミクニー戦勝利だ~を目指して活動するUNDASNでは、その場その場に常駐し活動する将兵達の健康と生活の為に、現地時間を設定している。
が、作戦行動は勿論のこと、ありとあらゆる指示命令伝達連絡事項で表現される日時は、それを受け取る相手がどの地域の現地時間で生きているかなど関係なく、全てGMTで表わされる。今の発言もモニターされていた状況で表現されていた日時と、モニターしている人間の生活時間がイコールであり、無用の錯覚によるミステイクがはなからリスクヘッジされている、と言う意味なのだろう。
同意は出来るが、だからと言って徹夜が苦ではなくなるわけじゃなし、小野寺はそうも思ったが黙っておくことにした。
「そうですね。局長も、明日は国立歌劇場までオフでしょう? お休みになって下さい。彼我の戦果、損害報告は後で部屋へ報告させます」
「急がんでいいよ」
ボールドウィンは言いながら踵を返し、CDCを一旦退室しかけたが、ドアの前でふと立ち止まり、室内を顧みた。
『軍務局長、退室! 』の号令をかけようとした瞬間だったらしく、タイミングを失した衛兵が口をパクパクさせている。
「? 」
小野寺は、ポケットから煙草の箱を取り出したところだった。
局長なにか、と問いかけようとした刹那、室内に虚ろな視線を彷徨わせていたボールドウィンは、ポソッ、と呟いた。
「石動君の件、進んでるかな」
「局長」
呼びかけが聞こえたのかどうか、顔こそこちらへ向けたもののボールドウィンの灰色の瞳はしかし、小野寺の顔を捉えてはいないようだった。
「あの
そこまで言ってボールドウィンは、照れたように微笑を浮かべた。
「いや、すまんね、小野寺君。君も適当に切り上げたまえ」
そう言うと、彼はさっさとドアを潜って出て行った。
小野寺は、漣のような囁きが不思議な静寂を作り上げている薄暗いCDCで立ち尽くす。
「『あの娘』、か」
ボールドウィンの中では、涼子は感覚的に『少女』なのだろう。
彼が、最後に呟いた『奇跡』の後に続く言葉は、判らない。
今の涼子の存在そのものが、奇跡だと言いたかったのか。
それとも、昨夜自分が初めて他人に明かした、涼子の人生そのものがそうだ、と?
いや、それとも?
けれど、例え想いは違っても、確かに涼子は『奇跡』には違いなかった。
今ある涼子を形作ってきた『奇跡』が、本当に奇跡だったのか否かは、判らない。
けれど、その涼子と出逢えた事は、奇跡には違いない、と小野寺は思っている。
だから。
もう一度、涼子に奇跡を。
気付くと、CDCを出て、向かい側にある士官専用の休息室に立っていた。
ゆっくりと煙草に火を吸い付けて、吐き出した煙の流れを目で追う。
今の涼子の運命は、まるでこの煙のように、儚く、頼りない。
だから、彼女に奇跡を。
ボールドウィンも、そう言いたかったのかも知れない。
「大丈夫だろうか? 」
思わず声に出た想いは、けれど誰かが答えを返してくれる筈もなく、唯々虚しく虚空へ消え去って、残るのは大丈夫だろうかという漠とした不安だけだ。
涼子の心も、CDCの統合情報ディスプレイに表示される戦闘概況の様に見ることが出来たら。
昨夜のTV会議が終わって、サマンサの言葉を脳内でリフレインさせているうちに、気付いた。
涼子の過去を、ひたすらに押し隠していた、自分の弱さに。
それは、自分が傷つくことを、ただ怖れていただけ。
いつかは正面から向き合わなければならない筈の、涼子の傷痕から眼を背けていただけ。
いつかは正面切って目を逸らし続けていたそれと対峙しなければならくなる筈の『未来』の自分は、本当に、彼女を救い出す事ができるのだろうか?
いつまでも逃げ続けてばかりはいられない。やがて正面から向き合って、決着をつけなければならない。
そしてそれは、近い未来、訪れるような気がする。
覚悟しなければ。
けれど。
そんな不安を抱いている自分は結局、涼子の根っこまで、全てを包んでやる事なんて、出来ないのかも知れない。
それに比べて。
彼は吐息を零しながら、吸煙機の取り付けられた、低い天井を見上げる。
「アイツは、深くて、大きいなあ……」
涼子が実施部隊へ、真空の真っ暗な闇の海原を光よりも早く駆ける配置へ、戻りたがるのも今となってはよく理解する事が出来た。
石動涼子という人間の大きさは、結局、宇宙という無限の~今もまだ広がり続けている~空間でしか、量れず、そして包めないのかも知れない。
つくづく、そう思う。
生命の危機に瀕する程の強制的な肉体改造を施しつつも、それだけの過去を受けとめて、その上で、軍隊と言う歪な世界に生きていてさえ~人の生死、殺し合いと破壊が常態という、非日常が日常とされる歪んだ世界~、部下の為に涙し、喜び、哀しむことの出来るあの、大きさ。
『守ってやる』なんて大きな事を言いながら、結局、涼子は自分を優しく、柔らかく包んで、それこそ自分は彼女に守られている。
そして、小野寺の下らない見栄や安っぽい同情に涙し、心から喜んでくれる。
「天使……、かも知れん、なあ」
いや、あの気まぐれさを考えると、天使というよりは、やっぱり『妖精』だ、と思い直す。
彼女ほど、ぴったりそのひとを言い表す二つ名を持つ軍人は、いないだろう。
哀しいことに。
それこそが『奇跡』の正体かもしれない、とふと、思った。
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