第99話 15-5.


「ホプキンスだ。博士も一緒にいる」

 画像なしNoImageのコリンズからの通信に、ホプキンスは答えた。

「武官事務所を出て、現在スコットランドヤードに部屋を借りて臨時の前線作戦指揮所FOBを開設、運用中、今、そこに居ます。先程の指示は既に着手済です。で、これまでの調査結果ですが、中間報告ネガティヴ・レポートを」

 無言で頷いて、画像なしだったことを思い出し、慌てて言葉にする。

「頼む」

 いつの間にか傍に立っていたサマンサがクス、と笑うのが妙に腹立たしい。

「まず、2通の犯行予告なんですが、切り文字のソースが全て割れました。詳細は別途送信しますが、出処のわかる活字は全て、ロンドン市内で宅配またはスタンド販売されている新聞の切抜きでした。出処不明のものも幾つかありますが、これらはどうせチラシか何かで特定には時間が掛かります。ちなみに、パソコン等のプリンタから出力されたものはない様で、こちらも特定には時間が必要ですが、あまり重要な情報ではないでしょう。それより、1通目の予告状に使われたUNDASNの外部向け封筒と便箋ですが、これは面白い事がわかりました」

 コリンズが『面白い』と評価したレポートは、大抵、重要度が高い、とホプキンスは少し身を乗り出す。

 が、当のコリンズは、少しも面白くなさそうな口調で、報告を続けた。

「便箋の方は未だ特定できていませんが、封筒の方は、実は印刷ミスの不良品でした。これは、アイルランドのダブリン監督官事務所用として総務局調達部6課が業者に発注し、10ロットを昨年11月にダブリンへ送ったものなんですが、実はダブリン事務所の住所に並んで載っているロンドン事務所の番地が間違ってましてね。使用前の検査で引っ掛かったんで、ダブリンでは使用の都度、ロンドン事務所の住所を手で消すか、後で作った正しい住所シールを貼るかして、使用していたんです。つまり、この訂正も何もされていない印刷ミス封筒は、基本的にはダブリン監督官事務所のオフィスでしか入手できない事になります」

「時期は特定できるのかしら? 」

 独り言のように呟いたサマンサの言葉も、ロンドンには届いたようだった。

「イエスマム。この不良品は昨年11月5日にダブリンに届き、今年の1月25日までに使い切っています」

 チョコの匂いも忘れて、ホプキンスとサマンサは、どちらからともなく顔を見合わせた。

 アイルランドは、欧州1課の管轄地域であり、アイルランドの首都であるダブリンに置かれた監督官事務所は、英国駐在武官事務所の下部組織になる。

 この事実は、サマンサとホプキンスにとって重大だった。

 勿論、コリンズもそれを認識しているからこそ、中間報告を入れてきたのであろう。

「コリンズ、よくやった。……他には? 」

「バッキンガム宮殿の入出記録なんですが、これは3D顔認証用の画像付きデータがあるらしいんですが、実は」

 コリンズの言葉が、ここで初めて濁った。

「こちらの要請が、外務省、内務省とスコットランドヤード、王室庁とでたらい回しにされてましてね。やれ、担当者が朝にならんと出勤しないやら、あっちが了承しないとこっちでは判断できない、やら。どうもあちらさんは、今回のフォックス派テロ事件の不始末があったもんで、UNDASNに関しては、非協力的、と言って悪ければ警戒感が強いようです」

 ホプキンスは溜息交じりに呟く。

「今回は、殆どUNDASNの一人勝ちだったからな。彼女の事だから、かなりバーターで得をしたんだろうし」

「仰る通りです。何れにせよ、政府筋方面は朝、内務省か外務省あたりの次官、局長クラスが出勤するまで、……こちらが現在0100時マルヒトマルマル過ぎですから、後6時間程は埒があかないでしょうね。それで、もしよければ在英中のコルシチョフ国際部長に動いて頂きたいのですが」

 コリンズはそこで一瞬間を置き、声を顰めた。

「それとも部長。我々のビジネススタイルでよろしいのなら、今すぐにでも」

 ホプキンスも少し声を落し、しかしはっきりと答える。

「いや。この件では特殊工作行動メソッドは限界まで使わん。特に、英国政府筋には、な。何せ、事が事だ。特に、内部犯罪であることが漏れた場合、後で尾を引く。コルシチョフさんへは私から依頼を入れよう」

「了解しました。では」

 そこへサマンサが通信に割り込んだ。

「で、先にお願いしたサイト管理者のルートだけど、どれ位かかりそう? 」

「は。22サイトの内ロンドン市内に住民票が出ている管理者は9サイト、こいつは2時間前後で拘束できますが、残りのサイト管理者は居住地区が英国全土に跨ってますから、最大で後6時間程かかるでしょう。それに加えて遠方地域への出張は在英情報部エージェントだけでは手が足りません。こちらについては警務部SP数名や英国駐留各部隊のMPを臨時で運用したいのですが」

「それは構わん。後で警務部長には一報入れて、在英各部隊への指示を依頼しておく。多分、22サイト共情報源は1ヶ所だ、ロンドン市内の9サイトだけでも徹底的に締め上げろ」

「イエッサ。それでは、以降の報告はポジティヴ・レポートで」

 通信を切ろうとインカムを外しかけたら、再びコリンズの声が入ってきた。

「ああ、言い忘れました」

「なんだ」

 コリンズの声が妙に弾んでいるのが気になった。

「ロンドンに届いた郵便物の捜索は、今、パジャマ・パーティがやってます。何かあれば、直接連絡入れる様に伝えてますので、よろしく」

 思わずサマンサを振り返る。

「パジャマパーティ? 」

 首を捻っているサマンサを眺めながら、ホプキンスは思った。

 どうも、コリンズはなにやら調子が狂っているようだ、まあ、仕事に影響はないようだが、と。

「まあ、いい」

 コリンズとの通信を終え、ホプキンスは溜息混じりに呟いて立ち上がり、サマンサを振り向いた。

「行こう、サム」

「ん? 」

 惚けているのかこの博士は、と彼の方が些か驚いてしまう。

「煙草だよ」

「ん、あ、ああ」

 何か考え事でもしていたのか、漸くブルーアイに焦点の戻ったサマンサは、途端に悪戯を思いついた子供のような表情を浮かべる。

「アンタ、私が医者だってこと、忘れてるんじゃないでしょうね? 」

 ここは笑うところだろうか、とホプキンスが首を捻った途端、再び通信員が声を上げた。

「駐英武官事務所より、ワイズマン三将、ホプキンス部長へ緊急親展通信! 」

 再び顔を見合わせ、殆ど同時にやれやれと肩を竦める。

「構わん、画像、音声、オープン」

 正面スクリーンに女性二人の姿が映った途端、ホプキンスはコリンズの謎の言葉を思い出して、大きく頷いてしまった。

「確かにパジャマ・パーティだわ」

 サマンサは、隣でクスクスと笑っている。

 たぶん彼女達が、コリンズの言っていた『信頼のおける欧州室長A、B副官』なのだろう。

 けれど今画面に映っている二人は、おそらく普段彼女達が醸し出しているだろうキャリアウーマンらしい雰囲気とは全く真逆の、幼く可愛らしい~言葉を選ばないのならば、頼りなげな~表情だ。

 ホプキンスは、ふと、彼女達の上官である涼子の表情を思い出す。

 類は友を呼ぶ、という言葉は、こんな場合でも使うのだろうか?

「欧州室長先任副官、ショートランド三等艦佐です」

「同じく後任副官、李一等艦尉です」

 カエルのパジャマとスカイブルーのジャージが、ディスプレイの中で、揃って脱帽敬礼する姿は、シュールではあったがなかなかの癒し効果がある、とホプキンスは思った。

 妙に浮ついたコリンズやサマンサの幼い笑顔、それに加えてパジャマ党とは、今回のミッション、結構いいじゃないか。

「ちょっと、アーサー」

 サマンサの声で、我に帰る。

「包括内務規約修正2358年度版よ」

「な、なんだ? 」

 背筋も凍る、とは、こんな視線のことを指すんだ、とホプキンスは久々に現場へ出ていた遥か昔を思い出した。

「ニヤニヤし過ぎ! セクハラで訴えられるわよ! 」

 視線はおろか、声までも冷え冷えとしているのに驚いていると、画面に映るブロンドのカエルパジャマが焦れたように口を開いた。

「ええと……。よろしいでしょうか、部長、博士」

 サマンサが隣で笑顔を浮かべて答えた。

「エロ親父は成敗したわ。待たせたわね」

 失礼なヤツだ、と睨み付けたが、効果はないようだった。

 ディスプレイの中ではカエルのブロンドが、口を手で塞いで笑いを堪えているジャージのブルネットの脇腹を肘で突付いていた。

 パジャマ党は強制解散させよう、とホプキンスは心に誓い、口を開いた。

「コリンズ二佐の指示で捜索に当たってくれたそうだな。で、何か見つかったか? 」

「はい」

 リザは表情を引き締めて、手に封筒とA4程度の大きさの紙を持ち、画面に翳した。

「おそらく2月13日の午後便で配達された国内郵便の中のひとつです。このUNDASN在英武官事務所の専用封筒の中に、こちらの脅迫状……、と言うか犯行予告状が1枚、入っていました」

「犯行予告状は、イメージファイルでそちらに送信済みです」

 銀環の言葉で、サマンサが端末を操作し始めるのを横目で見ながら、ホプキンスは質問した。

「国内郵便だと? 」

「はい」

 リザは手に持った封筒を裏返す。

「封筒は、駐英武官事務所用の外部向け定型封筒、国内一般郵便物扱いで消印は2月12日、ヒースローの空港郵便局ですね。宛先はプリンタ出力の住所シールで、『UNDASN駐英武官事務所気付、石動涼子様』と印刷されてます。プレ印刷の武官事務所住所以外に差出人関連の住所情報はなし、差出人名は活字の切り貼りで『JACK』と」

 ホプキンスの眺めるディスプレイが二分割されて銀環の姿が消え、そこにロンドンに届いていた『犯行予告状』の画像イメージが表示された。

「こりゃ、露骨だな」

 露骨過ぎて反吐が出る、とホプキンスは思わず顔を顰める。

 画面に映っている、なんでもないA4コピー用紙には、新聞か雑誌のものらしい様々な大きさやフォントの活字が切り貼りされていて、その乱雑な貼り付け方が、意識したのか無意識なのかは知らないが、英語で綴られた不気味な文章の背後にある禍々しさを一層、引き立てていた。

「『ロンドンで、君は俺のものになる。楽しみにしていてくれ』か」

 ふと隣を見ると、まるで、そうして睨み続けていればディスプレイに穴が開くと信じているかのような表情のサマンサがいた。

 彼女の怒りは、充分すぎるほど理解できる。

 だから、自分は冷静でい続けなければ。

 彼女は、涼子の命を救い得る、プロだ。

 そして自分は、涼子の命を縮めようとする『誰か』を、捜し出し、捕まえる、プロフェッショナルなのだから。

「英国、と、ヒースローか。ミスリードの可能性は兎も角、素直に考えて、ロンドン周辺には違いない。現状の捜査方針はこのまま維持だな、博士」

 サマンサが聞いていようが聞いてなかろうが、関係はない。

 パジャマ姿ということは、寝ているところを叩き起こされたのだろう。

 それでも文句のひとつも言わず、上官の危機に、今出来る事を、手の届く範囲でベストを尽くしている彼女達を不安にさせてはいけない。

 プロフェッショナルであることを見せる、それが信頼感に繋がる。

「判った。封筒と予告状一式、スコットランドヤードにいるコリンズに渡せ。切り貼り文字の特定、封筒や住所シールの出処、プリンタの種類。何でもいい、犯人の特定に繋がる『何か』を徹底的に探すんだ」

「アイアイサー」

 気合の入った声がスピーカーに響く。

 カエルのパジャマが気にならないほどに、凛々しい脱帽敬礼姿勢だった。

「あの」

 迷いを滲ませたような声がスピーカーから流れてきた。ブロンドのカエルパジャマが怪訝そうな表情を横顔に浮かべている。

 予告状の画像イメージに隠れているブルネットだろう、と思った途端、ディスプレイの分割が解除され、その姿が現れた。

「お聞きしてよろしいでしょうか? 」

「なんだ? 」

 不安に押し潰されそうな表情を浮かべる銀環に、ホプキンスは出来るだけ優しい声をかけたつもりだったが、失敗したようだ。

 彼女が一瞬、ビクッと肩を震わせたのが見えた。

 それでも彼女は、口を開く。

「涼子様……、いえ、室長代行は、きっと病気だと思うんです」

 ホプキンスは思わず首を傾げる。

 銀環の言葉が、彼女が現在置かれているシチュエーションとは関係ないように思えたからだ。

 が、サマンサは違う感想を持ったらしい。

 身を乗り出し、けれど、これがお手本だといわんばかりの優しい声で、訊ねた。

「どうしてそう、思うのかしら? 」

 ここはそれこそ、黙ってプロに任せよう、とホプキンスは背凭れに上半身を預けた。

「ちょっと、後任」

 画面の中では、囁くような声で、リザが銀環を制止しようとしている。

「だって、先任! 」

 銀環がカエルのパジャマの袖口を握り締めて食ってかかる。

「涼子様、シャバで、あんな些細なトラブルに巻き込まれただけで、すぐに、あんなになっちゃうんですよっ? なのに、その上、こんな変質者にまで狙われて! 」

「落ち着きなさい、それより今は」

「まあ待ちなさい、ショートランド三佐」

 優しい口調のまま、しかしピシャリと鋭いサマンサの声が被さった。

「私が聞きたいの。……さあ、李一尉」

 リザは大人しく頷き、引き下がる。

 と、言う事は、彼女も銀環同様、普段から気にはなっていたのだろう、とホプキンスは思った。

「りょ……、室長代行は、これまで職掌柄、シャバへ出る事が多かったんですけれど、あんな素敵な方ですから、よくちょっかいをかけられたりして……。その都度、『頭が痛い』って。それが、最近酷くなってきて、一昨日、14日なんかも、ケンブリッジでの事務総長の特別講演の時なんか、気絶しちゃったらしくって、だから、私」

 銀環が言葉に詰まり、両手で顔を覆ってしまった途端、隣のリザが、まるで本当の姉のように銀環の肩を抱いて、口を開いた。

「申し訳ありません。後は自分がお話します」

 リザは、そう言うと、もう一度、銀環の顔を覗き込むように見て、それからカメラに視線を向けた。

「自分と後任副官は、室長代行が昨年4月にヒューストンへ着任されたと同時に、副官配置に上番しました。当初、数週間は何も気付きませんでした。最初に気付いたのはローマです。ご記憶かどうかわかりませんが、バチカンでの過激派による自爆テロ、室長代行はちょうどあの場に居合わせていました。その直後、酷い頭痛を訴えられました。次がニューヨークのUN本部前の銃乱射、続いてモスクワの市民デモ暴動。夏の終わり頃までは、このような『誰にとっても感じる身の危険』に対して、少し過剰すぎる反応を示されるように感じていました。……ですが」

 口篭って俯いたリザに、サマンサが助け舟を出した。

「最近は、違う、ってことかしら? 」

 さすがに、上手い、と隣で聞いていて思う。

「イエス、マム」

 リザは顔を上げる。

「昨年の秋くらいから、どうも……。さっき後任が言ったような、些細な事でも、頭痛を訴えられたり、酷いときは気絶されたりするようになられました」

「例えば? 」

「例えば、一般市民シチズンから握手やサインを求められた、とか、通りすがりに肩や背中を励ますように叩かれた、とか」

 サマンサは暫く瞼を閉じて何事か考えていた様子だったが、やがてゆっくりと眼を開き、静かな、何気ない口調で訊ねた。

「それは、ちょっとしつこく握手やサインをねだられた、もしくは励ましにしては乱暴なくらい強く叩かれたとか、その人数が多かった、とか」

 ここでサマンサは一拍間をおき、少し声を落として言葉を継いだ。

「相手が男性だった、とか? 」

 ディスプレイの中で、リザと銀環は顔を見合わせたが、すぐに二人とも正面に向き直り、こくんと頷いた。

「ええ。仰るとおりです。今、博士の挙げられた条件が当てはまります。特に、男性から、という部分は」

 サマンサは、ゆっくりディスプレイに頷いてみせると、静かだけれど、迫力を感じさせる声で話しかけた。

「ありがとう、二人とも。……でも、安心なさい。ここにいる、ホプキンス部長は荒事のプロ。そして私は、医学のプロ。二人揃えば、恐いものはないわ。大丈夫」

 ホプキンスはサマンサの言葉に内心驚きつつも、それを表情に出さず、ディスプレイに向かって頷いて見せた。

「ワイズマン博士の言うとおりだ。だから君達も協力してくれ」

 ホプキンスの言葉に、ディスプレイの中のパジャマ党は、それは見事な脱帽敬礼をして見せた。

 パーティの強制解散計画は、即座に白紙撤回された。

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