第98話 15-4.


「ワイズマン博士。少しよろしいですか? 」

 ミシェルが首を捻りながら、AFLディスプレイから振り向いた。

「ん? なに? 」

 サマンサは、メールで送られてきた犯行予告状のプロファイリング結果レポートから顔を上げた。

 グローリアス、駐英武官事務所とのTV会議で入手した資料を、事前に防衛医科大学校東京本校の臨床医学教授部精神・神経科課程教務室にいる旧知の心理プロファイリング専門の教授に送り付け、大至急で鑑定を依頼していた結果が先程返却されてきたのだ。

 サマンサは気軽に腰を上げ、ミシェルに近付いて端末を覗き込む。

「例の監視システムと検索システムね? 」

「ええ、どちらもシステムスタートから今で……、ええと、4時間経過、UNDASN内部からのアクセスはいまのところゼロ、全てシャバからです。……で、アクセスが集中しているのは、事前に博士から頂いたサイト、上位約150サイトで全アクセスの70%を占めています」

 彼女の言う『事前に博士から頂いたサイト』とは、例の『セイブ・ザ・R・サーバ』の監視対象サイトの事だ。

 サマンサはミシェルの説明に丁寧に頷く。

「ええ、そうね。……でもそれは、予想できた結果、じゃないの? 」

 ミシェルはこくんと頷いた。

「はい。で、そのソース情報の発信源と思われるサイトを、この検索システムでドリルダウンしていくと」

 ミシェルの細い指が、軽快にキーボード上を踊る。

 見る間に、数十行もの入力ログが画面上を眼にも止まらぬ速さでスクロールして、直ぐにポップアップが表示された。

「ほら、大体20サイトに絞られるでしょ? 」

 指差す先を穴が開くほどみつめて、サマンサは思わず声を出してしまう。

「これ、って……」

「ええ、不思議でしょ? 」

 ミシェルは相変わらずマイペースで、どちらかと言えば明るい声で説明を続ける。

「全部で正確には、ええと、22サイト。これ全部、イギリスのプロバイダなんですよね」

 サマンサは画面をじっと睨んだまま訊ねる。

「ミシェル。例の解析システムはもう、動かせる? 」

「はい。さっきデバッグ終わったところです。走らせます? 」

「ええ、頼むわ」

「ラージャー」

 鼻歌でも歌いだしそうな気楽な返事で、ミシェルの指がEnterキーを叩いた。

 その様子を見ながらサマンサがふぅっ、と吐息を零し、自席へ戻ろうと振り向くと、そこにホプキンスが立っていた。

「わぁっ! びっくりしたっ! 」

 ホプキンスは、僅かに顔を顰める。

「こっちの台詞だよ、サム」

 バツが悪くて、思わず憎まれ口を叩く。

「ふん! 何よ、女性の背後に音も無く張り付くなんて、やっぱり情報部は気持ち悪いったらありゃしないわ」

 さすがにホプキンスが抗議の声を上げた。

「なんだ、人聞きの悪い。大体、君は情報部に妙な先入観を持ち過ぎなんだよ」

「で、何よ? 」

 抗議をあっさりスルーして、手を腰に当て胸を張る。

「これが例の3つ目のシステム……、かね? 」

 サマンサはホプキンスを放置して自席に戻り、冷めたコーヒーを飲み干す。

「前の2つ、監視と検索、両システムの結果は、どうせ聞いてたんでしょ? この22サイトの内のいくつか、まあ全部かも知れないけど、とにかくそれらのサイトが、直接UNDASNの誰かから、機密情報を提供してもらい、それを他のサイトへ配信しているみたいだわ」

 サマンサは、今度こそ厭味でも挑発でもなく、うんざりを口調で表現した。

「……勿論、サイトの管理者がイコールUNDASNの人間かもしれないわね」

「それを解析するのが、この第3のシステム、か」

 案外、ホプキンスのほうが落ち着いているようだった。

「勿論、それだけじゃないわよ」

 サマンサは言いながら、空になった自分のマグカップに、サーバーからコーヒーをつぐ。

 それから思い立って、新しいマグを取り出しコーヒーを注いで、ホプキンスに渡した。

「あ、ああ、ありがとう」

 ホプキンスは酢を飲んだ様な顔つきでマグカップを受け取り、手近の椅子に座り込む。

 これでおあいこ、かな?

「解析と同時に、それらのサイトに掲載された石動涼子のスケジュールの内容が、本当に内部情報に基づく情報かどうかの判断しちゃおう、ってワケ」

 ホプキンスはミシェルの方を見ながら呟く。

「確かに、そこらへんのテキスト情報は、ヒューマン・ジャッジでしか発見できんからな。そこでAIの登場と言う訳か」

 ホプキンスは少し肩から力を抜いたような口調に変えて言葉を続ける。

「しかし、君はこう言った情報処理に詳しいな。……門外漢だろう? 昔からの趣味か? 」

「あははっ! まさか! あなた、私が自宅でちまちまキーボードなんか触ってるように見える? んな訳ぁないない、仕事よ、仕事」

 どうせ、肩に力が入り過ぎているのを見越しているのだろう、ホプキンスの如何にもの話題転換に、サマンサは遠慮なく乗っかる事にした。

「人間のノーミソの働きを研究していくとね、殆ど全ての仮説や理論のエクセレンス・モデルになるのが、コンピュータなのよ。ま、本当の事を言えば、コンピュータの方が脳の動きを真似てるんだけどね。AIだなんだって言っても、人間の脳に較べたら処理速度は遅いし効率は悪いし、まだまだ出来損ない。だけど、新しい脳生理学や大脳機能学を研究するときには、演繹的にコンピュータをモデリングした方が理解が早まる事が多くてね。それでまぁ、不承不承、ね」

「……不承不承、ね。ま、仕事だからな」

 からかうようなホプキンスの口調が引っ掛かり、反論しようと開いた口を、ミシェルの声が塞いだ。

「ワイズマン博士! 」

 無言のまま、サマンサは立ち上がり、ミシェルの背後に立つ。

 ワンテンポ遅れて、ホプキンスが隣に立つ気配がしたが、今は無視だ。

「どうしたの? 」

 ミシェルが、ディスプレイに表示されたグラフを指差しながら答えた。

「解析システムの結果なんですけど、ほら、全サイトが論理的100%合致、しかも情報精度は100%UNDASN機密、ですって」

 隣でホプキンスが、苛立ったような声を上げた。

「論理的100%? どういう意味だ? 普通の100%と違うのか? え? 」

 ホプキンスの剣幕に、ミシェルは救いを求める様にサマンサの顔を見る。

 サマンサは微笑んで、無言で先を続けるよう促すと、ミシェルはコックリと頷いて説明を再開した。

「つまり、単純な突合による整合率で言えば97%なんですど、これは、あるデータに基いて、サイトに書き込みアップする段階で、単純なパンチミスや意識的な情報の取捨選択が行われた結果97%になった、と言うだけで、論理的に推論すると、この22サイト全ての情報源は、同一と看做しても良い、と言う事なんです」

 ホプキンスが呆れた様に顔を上げる。

「と言う事は、つまり……。英国内のこの22サイトへ正真正銘UNDASNの機密情報を洩らしている奴は、たった一人、と言うことか? 」

「そう言う事に、なるわね」

 サマンサの呟きに、隣から「そんな馬鹿な」という苦しげな言葉が返ってきたが、それは敢えて無視した。

 自分だって、言っていいのならそう言いたい。

「で、ミシェル。監視システムと検索システムは未だ稼動中ね? 」

「はい」

「大きな変動は見られそう? 」

 ミシェルは、贅沢なマシン・スペックを満喫しているかのように山ほど開いているウィンドウを次から次へとめまぐるしく入れ替えながら、ゆっくりと答えた。

「今のところはありません。でも、英国内は今、深夜ですよね。てことは、一般的な個人サイトで良く見られるサイトの更新ラッシュはこれからです。もう暫くすると、大きく動くと思いますよ」

「つまり、今この時間、ウィークデーの朝や昼を過ごしている国々は、サイト管理者が仕事や学校で不在、だから更新していない、と言う事ね? 」

 サマンサの言葉に、ミシェルは大きく頷く。

「イエスマム。その通りです。あ、もちろん、SNSなんかは別ですよ、あれはモバイルでの運用が前提ですから」

 ホプキンスがゆっくりと口を開く。

「つまり、今が更新ラッシュの圏内にあるサイト、つまり英国はその該当圏にあるんだな? そしてその22サイトが最新の情報だとすれば」

 サマンサが頷くと、ホプキンスは言葉を継いだ。

「この22サイトで充分に的が絞り込めた、と見ていいんじゃないか? 後は捜査速度優先だと思うが」

 よしよしいいぞコンピュータ音痴のオッサン、とサマンサは胸の中でエールを贈り、口を開いた。

「私もそれには同意するわ。後は、プロの貴方にお任せ、ね」

 ホプキンスは、手近の通信員の肩を叩いて指令を伝えた。

「ロンドンのコリンズに連絡! 今からコリンズ指定の端末へ送る22のサイトの管理者をプロバイダ情報から辿って全員拘束し、機密情報提供者を割り出させろ。これらは、UNDASNが国連防衛機構情報活動牽制条約に基いて行う合法行為だ。但し、英国政府側にこの行動が洩れない様に留意せよ」

 取り敢えず、これで一歩、『奴』に迫る事が出来た。

 まだまだ手が届くには遠いけれど、今は唯、こうやって地道に距離を縮めていくしかないのだ。

 サマンサが吐息を零すと同時に、シミュレーション・ルームのドアが開いた。

 振り返ると、ドレスブルーの下士官2名が、台車を転がして部屋へ入って来た。

 台車の上には段ボール箱が二箱。どちらも蓋は開きっ放しで、中は様々なラッピングが施された小箱が一杯に詰め込まれている。

「なに、これ? 」

 サマンサが呆気にとられて、思わず呟いた独り言を、下士官は拾い上げてくれた。

「国際部欧州室1課長室と欧州室長室からの押収物です」

 IDを見ると、捜索を依頼していた調査部6課のメンバーだった。

「2月14日に石動一佐宛に届けられた郵便や小口配送物、全部です。総務局の外部配達受取リストと一致しています。全て、部内規定に従って内容物精査装置を通過させ安全確認済です。外交関係郵便や部内通信郵便はナンバー1の箱、それ以外はナンバー2の箱に仕分けしてあります」

 リストから外部から届いた配達物の件数は把握していたものの、いざ現物を見てみると、その物理的なボリュームに圧倒されてしまう。

了解アイ。じゃあ、急いでこの中身を全部確かめて。脅迫状めいたものが入ってないかどうか」

「ナンバー1の箱は、部内通信からだ。外交関係のものは別途指示するからそれは待て」

 手馴れた手付きで彼等が荷物を解き始めると、たちまちシミュレーション・ルームにチョコレートの甘い香りが充満し始めた。

「うわぁ、こりゃたまらん」

 顔を顰めたホプキンスに、今度こそ心の底からサマンサも同意する。

「ほんと日本には、ヘンな風習が残ってるのね」

 日本、と言って、サマンサはふと、軍務部長の苦虫を噛み潰した様ないつもの顔を思い出す。

”……くそったれ! ”

 胸に湧いた苦い想いを振り払う様に、サマンサは勢いよく立ち上がり、ホプキンスに言った。

「あー、ほんと、たまんない! ちょっと、アーサー。行くわよ! 」

「ど、どこへ? 」

 驚いて見上げるホプキンスの腕を掴んで引き摺るように立たせ、サマンサはドアに突進する。

「タバコ吸いに行くの! 」

「私は減煙中なんだが」

「いいから! 付き合いなさい、情報部の癖に! 」

「君は、医者だろう? 」

「煙草から、ニコチンやタール、発癌物質や習慣性物質が消え失せて何世紀経つと思ってんのよっ! 」

 サマンサの咆哮に反抗の烽火を上げるように、通信員が叫んだ。

「ロンドン、コリンズ二佐出ました! 」

 二人は思わず顔を見合わせ、力のない微笑を交わす。

 ホプキンス相手でも、結構笑えるものね、とサマンサはぼんやり考える。

 それがなんだか、腹立たしく思えた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る