第93話 14-8.


「食べるものを食べて、落ち着いたら、少し寒くなって参りましたわね」

 リザが呟くと、涼子がにっこり笑って頷いた。

「じゃあ、マヤ」

「そろそろ、いい時間かしら。皆さんも食事を終えたようだし」

 涼子のヒップアップホルスターに付けた集音マイクからイヤホンに流れる声で、涼子とマヤの”姉妹設定”は聞いてはいたが、こうして眼の前で二人のやりとりを聞いていると、本当の姉妹のように思えてくるから不思議だ。

”本当の姉妹なら、良かったのかも……”

 ぼんやり二人の姿を見つめながらそんなことを考えて、リザは俯いて苦笑を浮かべる。

 きっとそれならそれで、自分はもっと理不尽な嫉妬に苛まれているのだろう、と思ったのだ。

 やれやれ。

 なんて恋、しちゃったんだろう。

 密かに溜息を吐いて腰を上げかけた瞬間、聞き覚えのない声が聞こえてきた。

「マヤ殿下。失礼してよろしいですか? 」

 マヤの傍らに、40才前後の金髪の男が姿勢を正して立っていた。

「ええ、よろしくてよ。あ、涼子様、ご紹介します。こちら、我が国の警護責任者、近衛連隊特別護衛大隊長のフォルクス・ヒッカム中佐です」

 なかなかの男前だな、とリザは再び椅子に落ち着いて彼をそれとなく観察する。

 口調や姿勢から軍人だと知れるが、そのオーダーメイドらしい仕立ての良い背広姿は、どこかの外交官だと説明されても信じてしまう程だった。

「コリンズ中佐とは先程ご挨拶致しましたが、石動大佐にはお初にお目にかかります。イブーキ王国国防陸軍フォルクス・ヒッカム中佐であります。勇名馳せる石動大佐に直接お会いできて、光栄であります! 」

 何だろうコイツ、と思わず眼をパチクリしてしまう。

 チラ、と横目で涼子を見ると、ぽかんと口を開いて彼をみつめている表情が、結構レアだった。

 が、さすがは涼子だ、すぐに立ち直って、心持ち頬を赤く染めながら、立ち上がり私服敬礼をした後、手で空いた椅子を指し示した。

「あの、えと、い、石動涼子です。初めまして、この度はご苦労様です。……さあ、どうぞ座って、座ってください」

「それでは失礼いたします! 」

 彼の外見と大きな声のせいで集まる周囲の客や店員達の注目を逸らす為にも、座ってもらうのが一番だろう。

 ヒッカムが椅子に腰を下ろしたのを見て、リザがホッと吐息を落とした途端、彼は、真っ直ぐに涼子だけを見て~まるで涼子以外、誰もいないかのように~いきなり喋り始めた。

「石動大佐」

「ひゃい! 」

 涼子は持ち上げていたティ・カップをソーサーにガチャリ! と置いて、まるで幹部学校生徒のようにビクッと背筋を伸ばした。

 しゃっくりみたいな返事はこの際聞こえなかったことにして、リザは視線をヒッカムに移す。

 ヒッカムはそんな涼子の態度など毛ほども気にした風もなく、言葉を継いだ。

「いや、あの敵艦隊旗艦への移乗白兵戦やハーベスト敵司令部突入の英雄と、こうして直接お話出来るとは本当に光栄であります。憧れておりました、正直。一体、どんな凄い戦士なんだろうかと。しかし、イメージと実像はかくも違うものなんですねえ。いやぁ、こんな嫋かでお美しい方が、あんな勇猛果敢な作戦を指揮なさったなんて」

 リザは思わず顎が外れそうになる。

 かくも見事な『誉め殺し』を、生きてその眼で拝めるとは思ってもいなかった。

 外交儀礼の多い部署に配置されていてさえ、聞こえる美辞麗句はもっと上品なヴェールに包まれていたものだ。

 話の外の自分でさえ、穴があったら入りたくなるほどの恥ずかしさだった。

 涼子に眼を遣ると、彼女は穴がなかったら掘ってでも入りたそうな勢いで、蛇よろしく身体をうねらせている。

「いえあのその、ご、ごめんなさい」

 何故か謝ってしまう涼子に、リザは心から同情した。

 が、ヒッカムの勢いは止まらない。

「私も暇を見つけてUNDA発行の公刊戦史や資料集を読みましたが、いや、大したものです。自己犠牲の精神の表れと言いますか、肉を切らせて骨を断つとでも言いますか。まさに、美しき闘いの女神、ですな! 貴官の指揮で戦死された英霊も、まさに本望でしょう。あれは、なんですか? やはり、三割程度の損害は覚悟の上、ですか? いや、はっきり仰る事ができない事は良く判りますよ、しかし、軍人たるもの、部下を死地へ追いやる覚悟が本来必要なものです、その為の士官ですからね。けれど資料で見る限りの思いきりの良さは、古今の名将も形無しですな。たぶん敵軍でも貴女の名前は鬼として伝わっていることでしょう、あっははははは! 」

 高笑いをコベントガーデンに響かせたヒッカムは、満足したというような笑顔を浮かべ、美味しそうにテーブルの冷めた紅茶を飲み干す。

”そりゃ、これだけ場の空気も読まずに言いたいことを吐き出せば、満足でしょうよ”

 疲れた吐息を落として、涼子様もお気の毒にと視線を移して、リザは驚いた。

 涼子の長く、美しい睫が震えていたのだ。

 思わず身を乗り出して眼を凝らすと、じっとティ・カップをみつめる黒い瞳は今にも堰を切りそうに涙を一杯に溜め、それを堪えようと噛み締める唇が痛々しいほどだった。

 そっと誰かに袖を引かれた。

 隣に座る銀環も、涼子の隣に座るコリンズも、マヤも異変に気付いたようだった。

「あー……。石動、大佐? 」

 さすがにヒッカムも彼女の表情に気付いて、ティ・カップを置いて静かに声を掛けた。

 涼子は俯き加減のまま、ほうっ、と長い吐息を吐いて、ゆっくり顔を上げ、ぽつり、ぽつりと話し始めた。

 眼が、赤くなっているのが見てとれた。

「きっと、軍人としては、中佐の仰るようにあるべきなんでしょう。だけど」

 言葉に詰まり、手で口を押さえて俯いた涼子の瞳から、涙が一滴、テーブルに落ちるのがリザからも、はっきりと見えた。

「私は、駄目でした」

 泣き笑いさえ美しいこの女性に、こんな苦しげな表情をさせたヒッカムを殴ってやりたくなった。

 隣で銀環がスーツの袖を掴んでくれてなかったら、きっと、椅子を蹴倒して殴りかかっていただろう。

 涼子は健気にも、指で涙を拭い、無理矢理の微笑を浮かべて言葉を継ぐ。

「ほんとに私、駄目なんです。そんな風にはとても割り切れなかった。いつだって、何年経っても、死ぬのが恐くて、それで、部下や周りの人々が死ぬのがそれ以上に恐くて、辛くて、気が違っちゃうかと思うくらい、嫌だった。……だけど、作戦通り動いても効果はなくて、でも被害はどんどん増える一方で、だからもう、私」

 涼子の瞳がぎゅっと固く瞑られる。

 途端に、両目からきらきらと照明に煌く滴が、ぽろぽろと頬を伝う。

 その姿は、まるで犯した罪の赦しを請うような、凄絶な美しさと哀しみに包まれていた。

 リザは、そこで初めて、自分もまた泣いている事に気付いた。

「もう、私、恐くて恐くて堪らなくなって、じっとしてたらもっと、もっと沢山死んじゃうんじゃないか、ってそればっかり気になって、だから、だから」

 涼子はマヤの方を向いて、頭を下げたと思うと、ポケットから引っ張り出したハンカチでぶんっ! と勢いよく洟をかんだ。

「ごめんなさい」

 少し鼻の頭を赤くした涼子は、今にも流れ出しそうなほどに潤んだ瞳を細めて、小首を傾げて笑って見せた。

 リザは、その表情に、思わず息を飲む。

 人が、絶望を味わった後に浮かべる微笑は、これほどまでに儚く、美しいのか、と。

「結局私は、軍人失格。そういうことなんです」

 誰かが、生唾を嚥下する音が、やけに明瞭に耳に届いた。自分だったかも、知れない。

「だから、私の指揮下で戦死した部下達、私と戦列を組んで死んでいった上官、同僚、仲間達……。彼等、彼女等に、私、申し訳なくって。だからいつも、戦闘の後は部屋に引き篭もって泣いていた。なんで皆、死んじゃったのって。なんで私が生き残ったのって。私はなんて言って謝ればいいの、って」

 涼子はずずっと思い切り良く洟を啜り上げる。

「だけど、生き残った私さえ、『仕方なかった』なんて言い訳を言わずにいれば……、きっと、いつか戦死された皆さんのご家族とかに会った時、とにかく、それだけじゃ足りないかも知れないけれど、許してなんて貰えないだろうけど、だけど……。素直に『ごめんなさい』って、言える気がするんですよね」

 今がその時だとでも言うように、涼子の瞳は、真っ直ぐにリザの、ヒッカムの、マヤの銀環のコリンズの額を射抜くようにゆっくりと巡って、そして再びヒッカムに向き直って微笑んだ。

「だから、中佐? ……お願いですから、もう、それ以上仰らないで」

 この笑顔に逆らう勇気のある者は、直ちに銀河一の英雄の称号を与える、そう宣言したくなるほどの、それはそれは見事な、大輪の薔薇のように美しく、けれど夢のように儚い笑顔だった。

「涼子様」

 耐え切れず、名を口にしたマヤに、涼子は慌てて顔を向ける。

「あ、ごめんなさいね、マヤ? ……あ、それから中佐もすいませんでした。私の資料なんか読んでも、これっぽっちも戦術戦略のご研究のお役には立ちませんわ」

 涼子がぐじゅぐじゅと洟を啜る音だけを残して沈黙の帳がテーブルに下りる。

 この沈黙の瞬間をリザは、せめて自分だけでも、死んでいった者達へ祈りを捧げ、背負いきれぬ程の後悔と哀しみをその華奢な身体で抱き締めて、それでも奇跡を起こそうと抗い、戦い続けている美しき『戦闘妖精』への尊敬を払う数瞬としたい、と心から思った。

「石動課長、一緒に写真撮りましょーよー! 」

 向こうのテーブルで、若いSP達が手を振っている。

 考えてみれば軍にあるまじき無礼だが、涼子の話の後では、彼女達の無邪気な笑顔さえ、愛惜しく感じられた。

「はーい! 今行くわ」

 涼子が振り返って両手を振ると、SP達はきゃーっ! と黄色い歓声を上げる。

「申し訳ありません。ちょっとだけ、ウチの子達の相手、して参りますわね」

 涼子はそう言うと、こんな一瞬こそ大切に守りたい、とでも言うように、今度こそ純粋に温かい笑顔を浮かべてそちらへ駈けて行った。


 呆然と涼子の後姿を見送っていたヒッカムが、暫く経って我に帰ったように呟いた。

「しかし……。驚いたな。どんな豪傑かと思っていたのだが」

 毒気を抜かれた、とはこんな表情を指すのだろう、そんな彼が口にした『豪傑』と言う言葉が妙に可笑しく、先程までの彼に対する負の感情を忘れて、リザは思わず、クスリと笑ってしまう。

 彼の言うとおり、確かに戦史に記された涼子の姿は、豪傑と呼ぶのに何の躊躇いもない程の戦いぶりだろう。

 と、それまで終始無言だったコリンズが、ゆっくりと口を開いた。

「あれが、あの女性の不思議なところですよ。……実は私も最初の頃は、このひと大丈夫か? と、疑っちまったくらいです」

 思わず反論しようとした刹那、テーブルの上に置かれたコリンズの手から、人差し指が一本立ち上がり、ふんふんとリズミカルに左右に揺れた。

 隣で身を乗り出していた銀環の肘を掴んで座らせ、リザはコリンズに任せる事にした。

 逆にマヤとヒッカムが身を乗り出して反論し掛けたところを、コリンズはなんでもないという風に、眼で押さえて言葉を継ぐ。

「しかしですね」

 王国側が姿勢を戻したのを確認して、コリンズは数瞬の間を取った後、続けた。

「あの女性は強い。ご自分じゃあ、ああ言ってるが、いや、あれも彼女の本音なんでしょうけれど、ね。いざ、戦闘局面に立つと、怜悧、クール、天性の戦闘マシーン、そして野生のしなやかさと絶妙な間合いの取り方。何処を取ってもまさに名将だ。けれど、戦闘が終わると、さっきも言ってたように、ブルブルとガタが来て、艦長室や装備の陰で子供の様に泣いている。部下の戦死戦傷の報告書は、所轄士官の手を順に経て、最後は艦長がペーパーで直轄司令部へ提出するんですが、その書類の手書きサインはいつだって、涙で濡れてインクが滲んでるそうです」

 コリンズはそこで言葉を区切り、静かに眼を閉じた。

「……その意味では、確かにUNDASN3,500万将兵中、最も軍人らしくないひとかも知れんなあ」

 たぶんそれは独り言なのだろう、けれどリザにはこの得体の知れない情報部エージェントの素顔を垣間見たように思えた。

 コリンズは再び目を開き、ティ・カップを持ち上げて、何処かしら楽しげな表情さえ浮かべた。

「けれど私は思うんですよ。果たして彼女は、本当に軍人らしくないんだろうかって、ね。UNDASN3,500万将兵、艦隊総群の一等艦佐だけでも数万人いる中で、あんなひとが一人くらいいたって良いんじゃないか? なんて思ってしまう」

 リザは思わず、彼の言葉に頷いてしまう。

 それに気付いたのか偶然なのか、コリンズは、チラとリザを見て微笑んだように思えた。

「あの女性の基本はね。『相手を包み込む愛』なんだろうと思うんです。それが彼女の弱さでもあり、そして強さでもあるんだ。そしてそれは、なにも戦艦や空母の艦長、戦隊司令官って実施部隊配置の時だけ発揮されるわけじゃない。統幕政務局国際部欧州室長代行兼欧州1課長って後方配置、外交部門にいたってなにも変わらないんです」

 そこまで言って、コリンズは不意に遠くを見つめるような眼をして、声量を落とした。

 独り言のつもりだったのかも知れないが、周囲の喧騒の中、彼の言葉は直接心に沁みるようにリザへ届いた。

「それがいつの間にか、包み込まれた相手が、彼女を包み込むような感情を持っている。逆転しちまってるんだ……。あれこそが彼女の真骨頂なんだろうなぁ」

 リザの瞳は、コリンズの視線を追って、SP達と大騒ぎしながら記念撮影に興じている涼子の姿に向かう。

 そこへ、今度こそ彼の独り言なのだろう、掠れたような吐息混じりの呟きが追い掛けてきた。

「それだからこそ、俺は……」

 それきり口を噤んだコリンズの続く筈だった言葉をリザは、口の中で呟く。

 彼女の命令なら躊躇わず死地へ飛び込んでいける。その意味では、彼女ほど、軍人らしい軍人はいないのかも知れない、と。

「コリンズ様のお話……、よく、判る気がいたします」

 優しい眼差しで涼子達の姿を眺めながら呟くマヤの横で、ヒッカムもしんみりした表情を浮かべて腕組みをしている。

「いや、柄にもない話をしてしまって、お恥ずかしい」

 コリンズが、それこそ柄でもない大きな笑い声を上げながら、頭を掻いた。

 照れ隠しのつもりだったのだろう、ほんのりと顔が赤い彼の顔を見て、リザは新鮮な驚きを感じる。

「いい歳をした男がこんな事を言ってるようじゃあ、まだまだ私もいけません」

 きっと涼子がこの場にいたら、彼女の事だ、大きな瞳を涙でキラキラさせながら、彼に抱きついてこう言っただろう。

『ありがとう、コリンズ。嬉しいわ』

 そして彼もまたきっと、今以上に顔を赤くして慌ててみせるのだろう。

 それこそ、情報部のエージェントとしては落第くらいの慌て様で。

 涼子やSP達のはしゃぐ声がリザの耳を優しく撫でる。

「あーん、もう! 笑わさないでよ! 」

「もっぺん! もっぺん撮り直しましょう! 」

「次! 次は1課長、俺ですって! こら、貴様そこは俺の場所だって! 」

「やだもう、陸曹長横暴ですよっ! 」

「腕組みたい人は、1ショット50ユーロだからね! 」

「まあ、だあれ? 勝手に私のエージェントやってるひとは? 」

「後で山分けだってさ、貴様! 」

 リザ同様、涼子達の方を振り向いていたコリンズは、苦笑しながら視線をマヤとヒッカムに戻して、おどけたように頭を掻きながら言った。

「ああして見ると、まるで夜遊びの高校生の集団にしか見えませんな。……や、我が上官と部下ながらお恥ずかしい」

 その後、口調を急にしんみりとした、独り言のような呟きに変える。

「だけどね……。もしも、戦死確実という場面で出動オンステージ命令オーダーされるとしたら。や、それこそ軍人らしくない妄想ですが、私なら、彼女の命令だったら、笑って臨場エントリできそうな気がするんですよ」

 リザは自分の予想が的中していた事を知るが、けれどコリンズの妙に浮かれたような声が気になった。

 彼は、まるでそんな日を夢見ているような、待ち遠しそうな表情を浮かべていた。

 マヤは眩しいものでも見るように、目を細めて部下達とはしゃぐ涼子をじっと見つめ、ヒッカムは、ウンと唸ったきり腕組みをして目を閉じる。

 リザは、コリンズに言ってやりたかった。

 ねぇ、二佐?

 涼子様はきっと、そんな事を言う貴方を、眼に涙を溜めながら、怒る筈ですよ。

 きっと。

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