第92話 14-7.


 観覧車を最後に移動遊園地を後にして、コベントガーデンへ辿り着いた二人は、涼子の「マヤ、お腹すかない? 」という言葉で、レストランのオープンテラスに腰を落ち着けて、周囲の広場で達者な芸を繰り広げる大道芸人達のショウを眺めながら、遅い夜食を採ることになった。

「ほんと、お姉さま。アットホームで沢山食べたし、さっきもビーフケーキを頂いたから、もう今日は入らないって思ってたのに」

 涼子も温かいコンソメスープを飲みながら微笑んで頷き返す。

「こんな雰囲気で食べると、食傷気味だったフィッシュ&チップスも、美味しく頂けるわね」

 涼子は途端に、悪戯っ子のような表情を浮かべる。

「あらあら、マヤったら、こんな深夜に、鰯のオイルサーデンなんて……。太っても知らないわよ? 」

「あら、私は大丈夫だわ、いくら食べても太らないもの」

 言い返すと、涼子はシニカルな笑みを浮かべ、半ば自嘲的な口調で言った。

「若い若いと、せいぜい油断してらっしゃいな。私くらいの歳になると判るから。……ま、その時にはもう、手遅れですけど、ね」

「わ、私は大丈夫だもの! 」

 思わずムキになって、遠い目をしている涼子に言い返す。

「若い時はみんな、そう思うものなのよ」

「そ、そんな事ないもの! もう、お姉さまった、ら」

 マヤは、思わず言葉を飲み込んだ。

 涼子の背後に立つ、男の姿を見て。

「どうしたの、マヤ? 」

 涼子と二人きりの時間を楽しむことで得た温もりが、一気に冷めていく感覚が悲しく、そして恐ろしかった。

 言葉が出なかった。

 涼子が、マヤの視線を追って首を背後に向けた。

「どこかでお会いしたかしら? 」

 予想外の、あっけらかんとした声がマヤの耳に届いて、そちらの方が驚いた。

「よう、ベッピンさん。とんだ挨拶だなぁ」

 中華街で涼子が撃退した、モヒカン頭と緑髪の二人のチンピラだった。

「さっきの礼をしに来たぜ、美人姉妹さんよう! 」

「よくも恥を掻かせてくれたもんだ、なあ? 」

 涼子は椅子に踏ん反り返って面倒臭そうに答えた。

「私達、見ての通り食事中なの。御用なら後でお伺いしますから、ちょっと待ってて貰えないかしら? 」

「ナメんじゃねえぜ、ネエちゃん! 」

「どうせ、こんな人混みで、銃なんぞ撃つ根性もねえだろうがっ! 」

 モヒカン達は凶悪な笑みを浮かべて、二人揃って懐からナイフを抜いた。

「きゃああっ! 」

 思わず上げた叫び声が、賑やかだったコベントガーデンを一瞬にして静寂に戻した。

「マヤ」

 静寂の中で響いた、普段と変わらない優しい涼子の声で、マヤは我に返る。

「大丈夫」

 微笑が、一瞬にしてマヤを冷静にした。

 その美しい笑顔が、まるで場違いなようでいて、けれどマヤには途方もなく心強い援軍に思えた。

 冷めていった筈の熱が、知らぬうちに戻っていた。

 涼子はそのままゆっくりと立ち上がり、彼等に面と向かう。

「女性二人に言うことを聞かせるためにナイフを抜くなんて、恥ずかしいとは思わないの? 」

「ネエちゃんこそ、撃てもしない銃を振り回しても、役には立たないぜ? 」

 モヒカンの言葉に、緑髪が下品な笑みを浮かべ、勝ち誇ったように続けた。

「へへ……。今度は俺達2人だけじゃねえぜ。仲間も10人ばかり連れて来てるんだ。お前らは俺達に可愛い悲鳴を聞かせてくれりゃあ良いんだよ! 」

 涼子がモヒカンの身体を避ける様にキョロキョロと首を巡らした。

「仲間が10人? どこにいるの? 私にはゴキブリが10匹ほど、潰れてるようにしか見えないけれど? 」

「なんだとっ? よっく見やがれ! こいつら……。こいつ……、あれ? 」

 モヒカンの間の抜けた声に、緑髪が釣られて振り返った。

「あ、あれ……? ああああっ! 」

 彼等の背後では、10人の不良達が、路上で呻き声を上げてのた打ち回っていた。

「貴方達も、ああなりたい? 」

 振り返った緑髪は、涼子の構えた銃を見てヒッ! と喉の奥で奇妙な叫びを上げた。

 モヒカンが激昂して叫び声を上げる。

「こ、このアマ! ナメやがってっ! 」

 そう言って涼子に飛びかかろうとした男の動きが、フリーズする。

「お前が先にナイフを放せ」

 迫力のある低い声にマヤがそちらを見ると、昼間グローリアスでみかけた中年の男が、彼のこめかみに銃を突きつけていた。

 涼子がころころと鈴の鳴るような笑い声を上げた。

「いい歳して、もう少し他人への迷惑ってものを考えなさいな。暫く、暗くて寒い、瞑想室を借りてあげるから」

 チンピラ達の手からナイフが落ちた。

「テ、テメェラ、一体ッ? 」

「さっきID見せたでしょう? 兵隊さんを舐めるんじゃなくてよ」

 少し前から聞こえていたパトカーのサイレンが止まり、かわりに警官達の足音が騒々しく辺りに響き渡る。

「UNDASNだ。特別職国際公務員免責特権を宣言する。責任者は? 」

 モヒカンの腕をキめながら、警官隊の指揮官らしき人物に向き直った中年男に、涼子が声を掛けた。

「あ、コリンズ」

「は? 」

 涼子はチラ、とマヤを見た。

「悪いんだけど、上手く……、ね? 」

「イエスマム、心得ております」

 きっと、イブーキ王国から来た国賓の存在を、涼子は伏せようとしてくれたのだろう。

 マヤは思わず脱力して、ぺたんと椅子に座り込んでしまった。


 チンピラ達が警官隊にしょっぴかれていく横で責任者だという警部と話をつけて、コリンズが涼子とマヤのいるテーブルに歩み寄った途端、涼子が立ち上がって頭を下げた。

「コリンズ、ありがとう。ごめんなさいね、手を煩わせちゃって」

 マヤも立ち上がり頭を下げる。

「本当にありがとうございます、ええと、……コリンズ様。お蔭様で助かりました」

「い、いえ、そんな、殿下、頭をお上げください! 」

 どうも調子が狂う、と思いながら、コリンズは涼子にチラチラと視線で助けを求めつつ、姫君に頭を下げた。

「光栄でありますが、殿下、どうぞお気になさらず。いい加減、寒くなり始めたとこでしたので、良い運動になりました」

 涼子がくすくす笑いながら顔を近づけてくる。

「あら、コリンズ? なあに、照れてるのかしら? 」

 貴女のお美しいアップは、心臓に悪いんですよ、と心の中で悲鳴をあげながら、コリンズは何とか誤魔化しの台詞を口にする。

「からかわないで下さいよ、室長代行。……そ、それじゃ、我々はこれで」

 とにかく一時撤退だ、そう決め込んで頭を下げ、踵を返そうとしたところを、コリンズは涼子から呼び止められた。

「? 」

 振り向いたコリンズを掌でホールドしておいて、涼子はマヤに向かって小首を傾げる。

「マヤ、ごめんね」

 マヤはそれだけで、涼子が何をしようとしているのか理解したようだった。

 こくんと、微笑んで頷く。

 俺だけが判ってないのか、と口を開こうとした瞬間、先に涼子が言った。

「ねぇ、SP全員に連絡つけられるよね? 」

「え? ええ、勿論」

「イブーキ側のSPには? 」

「ああ、イブーキ側との事前打合せで、周波数は合わせてますから、そちらも問題ありませんが」

 それを聞いた涼子は、それはもう見事な笑顔を浮かべて、大声を出した。

「オーケー! じゃあ、UNDASN、イブーキ双方の警護要員全員、このオープンテラスへ集合!パーティの時間よ! 」

「ええっ? し、室長代行」

 ここへ来て漸くコリンズも理解した。

 きっと驚いた表情をしているのだろう、これじゃスパイ失格だと頭の隅で考えているコリンズに、涼子は子供のような笑顔を浮かべて見せる。

「だってコリンズ、さっき貴方言ったじゃない? 寒くなってきたところだって。私達ばっかり遊んでるのも申し訳ないし、一緒にご飯食べましょう! 勿論、私のオゴリよ! 」

「し、しかし」

 コリンズが、そりゃあ、マズイですよと言おうとした刹那、周囲から「ヒャッホー! 」と歓声が一斉に上がる。

 そして、ダークスーツや色とりどりのカジュアルファッションに身を包んだ男女、UNDASNの警務部員達がわらわらと駆け寄ってきた。

「こ、こら! 貴様ら! ま、まだ許可は」

 コリンズの言葉を遮って、リザと銀環が涼子に駆け寄る。

「ありがとうございます、室長代行」

「ほんと、寒いねぇって先任と言ってたところなんですよね」

「ご同席させて頂いた方が、精神衛生上も楽ですわ」

「お、おい、副官。君達までそんな」

 コリンズはまたも最後まで台詞を言えない。

「いいじゃない、コリンズ。ね? さあ、イブーキ側の皆さんもどうぞ! 」

 こちらの方は、オズオズと言った感じで、男性ばかりが集まってくる。

「皆さん、御苦労さまです! ちょっとここらで一息入れて、夜食でも如何? 」

 涼子の傍らにスッと立ったマヤが続いて凛とした声をあげた。

「皆、ご苦労です。涼子様もこう仰って下さっています。遠慮せずに、一息入れなさい」

 やはりモチはモチ屋だと、コリンズは思わず感心してしまう。

 堂に入ったマヤの態度に、イブーキ側はさっと頭を垂れた。

 UNDASN側はと言えば、好対照というか正反対というか、もうお祭り騒ぎだ。

「いやあ、1課長、話せますねえ! 」

「やっぱそうでなきゃ、ねえ! 」

「1課長! さっきマヤ殿下と抱き合ってらっしゃった時は、もうどうしてやろうかって思ったけど、許して上げますっ! 」

「いーえ、私は許せない! 裏切り行為だわ! 」

「酷いですぅ、1課長! 私と言う女がいながら、うえーん! 」

 涼子は心の底から楽しそうな笑顔を浮かべ、目を丸くして立ち竦むウエイターに声をかけた。

「あ、ウエイターさん、この人達に何でもいいわ、温かい食べ物飲み物、持って来て上げて下さいな。あ、但しアルコールは厳禁でね? 」

 時ならぬ乱闘騒ぎの次は、とてつもなく怪しげな集団がわらわらと現れ、続いて始まる大パーティ。

 客も店員も一体何事かと最初は呆れて見ていたが、その内、この奇妙な集団の妙に明るい雰囲気に飲まれて、大騒ぎに巻き込まれていく。

 特にUNDASN側のSP達のはしゃぎ振りは大変なものだった。

 昼間のグローリアスのアットホームがコベントガーデンへ引越してきた様な騒ぎである。

 UNDASNのお祭り騒ぎに影響され、また”姫の御前”と言う事で堅くなっていたイブーキ側のSP達~事前打ち合わせでコリンズも知ったのだが、彼等はイブーキ王国国防陸軍近衛第1連隊特別護衛大隊、というイブーキ軍でも超エリート部隊の所属らしい~も、その姫本人が普段と違ってリラックスして楽しんでいる事もあって、程よく柔らかくなってきていた。

 涼子、マヤ、それにリザと銀環、コリンズの座るテーブルにもひっきりなしにSP達が訪れる。

「ねー、石動課長? なんで、あそこでマヤ殿下を抱き締めたんですぅ? 」

「マヤ殿下、1課長から何貰ったんですかぁ? 」

「いいな、殿下! 1課長、私にも何か下さいよぉ! 」

 大抵は、こんな馬鹿話だ。

 それを涼子は怒りもせずに、楽しそうに、そして時には恥ずかしそうに、いちいち丁寧に受け答えしてやっている。

 リザも銀環も、それを横でにこにこ笑いながら、そして時には自分達も会話に混ざりながら、余程リラックスして楽しんでいる。

 まったく、不思議なひとだ、しみじみそう思う。

 コリンズは胸の中がほんわりと温かくなっていくのを感じながら、そんな楽しげな、けれど視点を少しずらせば、まるで千尋の谷をロープ一本で渡るような肝の冷える光景を眺めていた。

 UNDASNは、どうにもこうにも、押しも押されぬ軍隊だ。しかも『惑星国家・地球』の正規軍であり、今この瞬間世界中のどこの国の正規軍よりも『戦争』にどっぷりと頭の先まで漬かっている、戦闘状態にある軍隊なのである。

 それなのに、なのか、それだから、なのか。

 これが『デフコン5:レッドアラート』発令中の軍隊の姿なのか、と~言わずもがな、今は戦時中だ、もちろん太陽系内のデフコンは太陽系外周でさえ3であり、地球本星は2なのだけれど、UNDASN全軍はもうこの数十年の長きに渡り戦争状態にあるのだ、いや、第一次戦役開戦以来約1世紀、途中の休戦期間中でさえデフコンは4、レモンジュースだったのだから~。

 それにしても、軍隊とは、なんと歪な常識に囚われた世界なのだろうと、コリンズでさえふと思うことがある。

 四半世紀近くも、よくもまあ我ながら、こんな世界に身を置いてきたもんだ、と。

 階級という究極の縦社会が持つ、歪んだ価値観、そして命を的にして戦う事以外に自浄作用を持ち得ない、だからこそ強固なまでに階級という鎖で縛りあげて、腐り落ちる事さえ許さぬ世界。腐る時は3,500万人全員もろとも、だ。

 地球での、シャバでの”日常”や”常識”を、悉く否定してしまう、”非日常”が常態になった、小さな、閉ざされた世界。

 それでいながら、妙に大仰な程の”崇高な使命”、高らかに謳い過ぎて逆に嘘臭く響く”人類愛”、”宇宙の平和”、”確かな明日を目指す”と言った謳い文句とその影に隠れた『先の見えない不確かな今日』。そんな胡散臭い大義名分がなければ、1ミリだって動けない、巨大すぎる組織。

 けれどそこに身を置く誰もが、自ら掲げた『確かな明日を目指す』事すら許されない、常に死と隣り合わせと言う日常を強いる壮大な自己矛盾を抱えて、それでも必死に生きている。

 そんな歪んだ、小さな世界で。

 揺るがぬ日常と価値観、自分なりの”大切な想い”を忘れる事無く持ち続けながら生きていく事の難しさは、ここに集う誰よりも軍人に不向きな涼子が、たぶん一番知っている筈だ。

 ああ、そうか。

 だから、か。

 突然、コリンズの胸に、ストン、と納得のいく結論が降って来た。

 そんな、歪んだ日常に最も遠い存在である彼女が身を置き続けて、今この瞬間に、見事なほどに美しい笑顔を浮かべることの出来る理由。

 日常が、次の瞬間には非日常へと化けてしまうかも知れない、見えない明日の恐怖を知り尽くしているからこそ、彼女は、涼子は、この刹那に笑い合うことの出来る大切な仲間を守ろうと、仲間がいる日常を守り、楽しもうと、必死なのだ。

 そして、そんな彼女の心が見え過ぎるほど見えるから、また彼女の大切な仲間達も、彼女を愛しく思い、その周囲へ集うのだ。

「偉大なる平凡、万歳、か」

 もし、自分のこの推測が当たっているのならば。

 自分も涼子の大切な仲間、足り得ているのだろうか?

 UNDASNでの非合法・非公開活動の全てを担う、情報部という裏街道を、泥に塗れて這いずる自分でも。

『コリンズは、やっぱりプロだね』

 涼子の笑顔が、脳裏を過ぎった。

 あの笑顔は、赦しを与えてくれていたのだろう。

 そう、信じたかった。

 いや、そう信じる事が出来た。

「どうしたの、コリンズ? 」

 涼子の声に我に返る。

「あ、いえ、なんでも」

 言いながらコリンズは、首をゆっくりと横に振り、苦笑を浮かべる。

 いいじゃないか。

 目を覆いたくなる凄惨な現場。

 耳を塞ぎたくなる泥臭い政争と陰謀の果て。

 全ては、この愛すべき上官を守るためならば。

 自分の口から、自分が今まで『任務』の名の下に遂行してきた行為全てを、彼女に伝える機会は、きっとないだろう。

 しかし、もしもそんな機会が訪れたとしたら。

 自分は、躊躇いもなく、洗い浚い正直に彼女に告げる。

 その上で、彼女が自分に対してどんな評価を下そうが、どんな思いを持とうが、甘んじて受け入れるつもりだ。

 けれど、きっと。

 その時、きっと彼女は、その美しい、聖母も霞むほどの眩い笑顔で、こう言ってくれるに違いない。

『コリンズ。今までよく頑張ったわね。偉かったわ。ご苦労様でした』

 もちろん、妄想だ。

 もしもそんな日が来るとすれば、それはこの戦争に敗けた時。即ち、地球が異星人に侵略され人類が絶滅する時だ。

 それ以前にこの妄想自体、いつの日か自分が行った全ての行為が許される日が訪れてほしいという、身勝手な、それこそ許されざる欲望だと判っている。

 けれど、そんな馬鹿馬鹿しい妄想だって、その日浮かべるだろう彼女の微笑を脳裏に描くだけで、愉快になってくるじゃないか。

 来ないであろうその日を夢見て、もう一踏ん張りするのも、悪くない。

 情報部に配属されてから今日まで、指折り数えられるほどしかなかった安眠の時間、もっと下らない夢を見てさえ尚、今日まで頑張って来ることが出来たのだ。

 それに較べりゃ、数等、今度の夢は上等だ。

 いつの間にか瞼を閉じていたらしい。

 ゆっくり眼を開くと、涼子は今度はイブーキ側のSP達に取り囲まれていた。

 リザや銀環に助けを求めながらも、微笑む涼子は、コリンズには聖母像のように思えた。

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