第87話 14-2.
とすん、という軽い振動を感じてサマンサは膝の上で光る携帯端末のAFLディスプレイから顔を上げた。
つい5分程前に見た見渡す限りの黄土色の砂漠の景色は今はもう見えず、窓の外は昼過ぎの強烈な陽光が溢れる、青い空と『森』とも呼べる程の常緑樹の緑が見えていて、それも既にほぼ静止画像となっている。
「ふぅっ」
短い吐息を零し、携帯端末をアタッシュに仕舞い込みながら、サマンサはもう一度窓の外へ視線を移した。
ヒューストンの統幕本部は、総務局、軍務局、政務局等、部局別に割り当てられた地上7階から10階建てくらいの愛想のないビル群が広大な敷地にゆったりとした間隔を開けて建っていて、ビルとビルの間は、主に常緑樹が合計1万本近くも植樹されており、航空機から見ると、まるで砂漠のど真ん中に蜃気楼のように現れた森のようだ。
サマンサ自身は、現在の勤務地、医療本部のあるケープケネディよりも、実はヒューストンの統幕本部の方が視覚的には好きで、普段ならば陸路にせよ空路にせよ、窓の外、遠くから見える緑の風景を飽かずに眺め続けているものだ。
しかし、今回ばかりは、そんな心理的余裕も感じることが出来ず、それに到着したらしたで、心は焦るばかりだった。
軍務局長差し回しのVTOL、RC60Jスカイラインのハッチから地面へ降り立った途端、身体を叩くような勢いで吹きつけた突風に、思わず胸で渦巻く苛立ちが荒い言葉に姿を変えた。
「あーもう! 相変わらず土臭いところだわね、ヒューストンは! 」
タラップ脇で敬礼して立っていたグランド・クルーの若い一曹が、ビクッと肩を震わせたのを見て、サマンサは思わず反省しつつ、照れ隠しも兼ねて質問を投げかけた。
「ええと、君。ここって総務局ビル? 」
一曹は姿勢を正し、しゃっちょこばって答えた。
「ノーマム。ここは軍務局ビル屋上であります」
「あ、そうなんだ」
じゃあ、余計な『乗り換え』不要でラッキーだわ、と周囲を見渡す。
部局別に分かれたそれぞれのビル間の連絡は、地上以外では地下の定められたフロアに他局ビルへの連絡通路があるだけで、しかもそれは行き先ビル毎にフロアも違い、それぞれに要身体検査のゲートが設えられた代物だ。
外敵に攻め込まれた際のクリティカル・ルートも兼ねているのは判っているが、短気なサムにはいつまで経っても馴染めないシステムだった。
「……迎えにくる、って聞いてたんだけど」
目的の人物、どころか、グランド・クルー以外には人影もない。
「来てないじゃん」
思わず唇を突き出し、腕を組んで不満を身体全体で表現してみる。
が、ひたすら若い男性を脅かすしか効果がないことにすぐに気付いて、再び反省する。
表情を和らげて、彼に笑顔を向けてみた。
イタリア系だろうか、なかなかのプリティ・ボーイだ。
”……ってのがまた、私の趣味じゃないのよね”
思わず脳裏に浮かんだ『古馴染みの誰か』の顔が、そうだろうとでも言いたげに何度も頷くのに腹を立て、シッシッと手で追い払っておいて、若い彼に声を掛けた。
「ね、ちょっと教えてよ。えと、軍務局情報部って、何処だっけ? 」
「じょ、情報部、ですか? 」
意外だったのか、一曹はほんのり赤くなった頬はそのままに、驚いた表情を浮かべた。
「うん、そう。情報部」
勤務先では、堅苦しい格好をしたくないばかりに、夏でも冬でも~フロリダだ、結構、常夏には近いのだが~ワーキング・カーキに白衣を纏ったスタイルで押し通していたのだが、さすがに統幕本部ではそれもどうかと、今日は第一種、ドレスブルーを着込んで乗り込んだ。
本部詰めを表わす赤い幕僚飾緒に右襟の医療マーク~可愛らしく図案化された救急車のマークが、サマンサは密かにお気に入りだった、PXでキーホルダーとかに仕立ててお土産として売り出してはどうか、と考えている~と、UNDASNのダーク・サイドの代表である情報部とは、確かにミス・マッチであろう。
ぼんやりとそんな事を考えているうちに、一曹は健気にも態勢を立て直したようだ。
「ち、地下48階、Fゾーンであります。エレベータ・ホールの右側、6、7、8号機が深々度地下直通エレベータとなっております」
「地下48階? 」
「イエス、マム」
サマンサは思わず溜息を吐く。
そんな薄暗い地底にいるんじゃ、性格が暗くなるのも当たり前だ、と精神神経科医らしからぬ悪態を胸の中でつく。
ヒューストンの統幕本部は、
第一次ミクニー戦役開戦劈頭の地球大爆撃で、文明略奪が主目的たる敵の爆撃目標が大都市や工業地帯、科学研究施設等を外して設定されていたのは前述の通りだが、例外がふたつ。
ひとつはニューヨーク~惑星地球の代表部と看做されている国連本部があるからだ~、もうひとつは、NASAがあるヒューストンだった。
開戦当初、既にUNSFが設立され、宇宙開発に関する全権益をUNが握っていた当時、NASAなどは有名無実の団体と成り果てていたのだが、やはりミクニーには目障りだったのだろう。
ちなみに当時のUNSFの総司令部は、
ミクニーは地球側が『ジャイアント・バンカー・クラッシャー』と呼ぶ巨大ミサイルをここへ叩き込み、目論見通りヒューストン市街毎壊滅させたのだが、その跡は、爆心地を中心に半径15km、最深部が500mにも及ぶきれいな円形のクレーターになっていた。
もともとヒューストン市は、テキサス州ハリス郡、フォートベンド郡、コンゴメリー郡等9つの郡に跨る人口では全米第4位、市街地の広さではオクラホマシティに次ぐ全米第2位の大都市圏で、標高15~40m弱という大洪水に見舞われやすい低湿草原地帯にあったのだが、前述の巨大ミサイル爆発・命中により掘り起こされた大量の土砂が周辺一体に降り注ぎ、バイユーと呼ばれるたくさんの小川もろともヒューストン市は砂漠と化して~以来、統幕本部はデザート・フォートと呼ばれる~その標高は平均50mにまで嵩上げされた。現在のヒューストン市街地は、統幕本部より20kmほど南東~メキシコ湾寄りだ~に新たに建設されたもので、UNDASN城下町として成り立っている。
そんなNASA跡地を、UNSFを改組して立ち上げられたUNDASNは本部とした。
即ち、奇麗に掘られたクレーターの底を地下55階分更に掘り下げ、そこに55フロアの巨大建造物を建設し、クレーターの底から地上までを埋め戻して耐爆層とし、その上にお飾り程度の中層ビルをポツン、ポツンと建て、それだけでは愛想がないと思ったのか、CO2対策もあったのだろう、偏執的なほどの情熱を持って木々を植えまくった。
それが、現在のUNDASN統合幕僚本部である。
つまり、統幕勤務の将兵約20,000人のうち95%は、地下500mから始まる地下都市で勤務している事になる。
情報部だけが暗い地底にいる訳ではない。
それに、働く職員の精神的な圧迫を取り除く意味もあり、地上に溢れる陽光は光ファイバーで取り込まれ、地下深くの全フロアの『窓ガラス』から室内に射し込むような工夫も為されている。
「判っちゃいるけど、さ」
吐息交じりに呟いて、サマンサは再び笑顔を一曹に向けた。
「ありがとね、プリティ・ボーイ」
「こ、光栄であります! 」
私もまだまだイケるじゃん、と少しだけいい気分になり、彼にウィンクを贈呈して踵を返し、塔屋のエレベータ・ホールへ向かう。
が、気分が良かったのも、エレベータのドアの前までだった。
ドア前に立ち、呼ボタンに手を伸ばした途端、ポン、と電子音が鳴り、ドアが開いたのだ。
「おお、ワイズマン博士! 」
ケージの中に乗っていたダークスーツの男が、大袈裟に身を仰け反らせて言った。
「グッド・タイミングだな」
思わず眉根に皺が寄る。
「バッドよバッド! 遅いわよ、ホプキンスさん。こんな美人の出迎えに遅れるなんて、そんなだから情報部と来たら全員揃ってモテないのよっ! 」
統幕軍務局情報部長、アーサー・ホプキンス三等陸将は、そんなサマンサの悪態をさらりと流して、身体をさっと脇に避けて彼女をケージ内に招き入れた。
「相変わらずだな、君は。ああ、言い忘れたが、私には過ぎた美人の女房もハンサムな息子がいるのだが? 」
サマンサは、ホプキンスの胡散臭い愛想笑いを無視して、さっさとエレベータに乗り込む。
実はサマンサは、彼とは顔見知りだった。
と言うより、統幕本部の中で、彼女と一番接触の多い部門が、実は情報部と警務部なのである。もっとも、情報部の本丸に足を踏み入れるのは今回が初めてだ、普段
まあ、折衝が多いといえどその殆どは、容疑者やターゲットのプロファイリング絡みなのだが。
「ちょっと、早くなさいな」
やれやれ、といった風に肩を竦めたホプキンスは、ドア・クローズのボタンを押す。
「せっかちは嫌われるぞ、博士」
いつものじゃれあいなら、もう二、三発、軽いジャブをくれてやるところだ。
が、彼の顔を見た途端、サマンサの心からは余裕が消え失せていた。
「そんな事より、お願いしといた件、やっといてくれた? 」
ホプキンスは眉間を指で揉みながら頷いた。
「そろそろ、ご所望のデータが揃う頃だな。ところで博士、
彼も、余裕がないようだ。
「何よ、アンタまであのノーテンキなアンバランス・ロリータのファンな訳? 」
その余裕のなさの理由が、サマンサにはカチン、と来る。
「その質問への回答は横へ置いておきたいのだが、博士。しかし、敢えて質問に対し質問で返そう。このUNDASN内であの『ノーテンキなアンバランス・ロリータ』が嫌いだって奴が、果たしているかね? 」
サマンサは無言を持って彼へ同意を示しておいて、ゆっくりと瞼を閉じて、軽く身体にかかるGに身を任せる。
ホプキンスもそれ以上は一言も話しかけてこなかった。
彼の言う通りだ。
だから、ホプキンスも、ハッティエンも、コルシチョフもボールドウィンも、果てはマクラガンまで。
焦りを感じているのだ。
そして、小野寺も、自分さえも。
理屈ではない。
理屈ではないところが、自分が『負けた』理由なのかも知れない、とサマンサはふと、思う。
それはさておき、だ。
こうしている間にも、あの変態野郎の魔の手は、一歩一歩、着実に石動涼子包囲網を縮めている。
今は出来る限りの情報と時間が欲しい。
サマンサはふと、軍務部長の苦虫を噛み潰した様な無愛想な表情を、懐かしく思い出す。
”アイツ、まさか、私の動きに割り込んでこないだろうな。割り込まれると、かえってやりにくいし……。まあ、そんな事が判らないバカじゃないんだけど、何せ、あの
とにかく、彼には邪魔はさせない。
でないと、何の為に自分が、窮屈な
いや、それ以上に、何のために、私が、あの憎たらしい『ノーテンキなアンバランス・ロリータ』を。
そして、昨夜の切ない想いが再び脳裡をよぎる。
もう、勝負はついているのだ。
判ってる、そんなこと、悔しいけれど。
だからと言って、これを消化試合なんかにするつもりはない。
これ以上、負けてなんかいられない。
だから。
サマンサは、何としても、このジョブだけは、自分の力で落とし前を着けなければならない。
「博士。着いたよ」
ホプキンスの声に我に帰り、瞼を開くとエレベータの扉が開いていた。
「クール・アズ・キュークだよ、サム」
気遣うような、そして何処までもイメージにそぐわないホプキンスの声で、サマンサはケージから降りて、ふと、思った。
またひとつ、情報部が嫌いになった、と。
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