14.逢瀬

第86話 14-1.


 夕方、往路と同様、VTOLでチャールズ国王達ロイヤル・ファミリーをバッキンガム宮殿へ送り届けた後、車で駐英武官事務所へ戻った涼子達は、武官室で漸く一息つくことが出来た。

「ああ」

 思わず声が洩れる。

「疲れたけど、楽しかった」

 涼子が洩らした言葉に、留守番だったヒギンズが反応した。

「そんなにアットホーム、楽しかったですか? 」

「あぁ、違う違う、観艦式の方。久々にフネに乗ったものだから、ね」

 涼子の言葉を、マズアが混ぜっ返す。

「『ボーイ! ビール』ですからねえ」

「きゃあ! 言わないでよ、もう! 」

 真っ赤な顔を隠すように両手で抑えると、隣からリザが追い討ちをかける。

「あら、室長代行。アットホームでも山ほどお土産買ってらしたじゃないですか? もう、今夜はお夕食、要りませんわよね? 」

「もう! リザも意地悪だもん! 」

 膨れる涼子を肴にして一同は大笑いである。

 涼子も仕方ないなぁというように最後には苦笑を浮かべると、カップの底に残っていた紅茶を飲み干し、立ち上がった。

「じゃ、私、ホテルに帰るわね」

「ああ、申し訳ありません、1課長。今夜も宿泊はここでお願いできますか? 」

 マズアが慌てて掛けた言葉に、涼子は頷いた。

「あ、うん。それは了解アイ。一旦、着替えとか取りに帰るだけだから」

「ああ、そうですね。それじゃ、1号車をご使用ください。SP2名つけますので」

 帰路は涼子達と一緒に戻ってきたコリンズが、そう言って内線の受話器を持ち上げた。

「1課長、じゃあ、今夜はゆっくり出来るんですね」

 ヒギンズの言葉に、涼子は頷いて見せた。

「うん。今日で、ロンドン・ウィークも漸くヤマを越えたしね」

 後追いでやってきたコリンズの緘口令を涼子は思い出す。

「ほんと、寝不足解消には持って来いだわ」

 隣でリザが不安そうな声をあげた。

「まったく、本当にお部屋でゆっくりして下さいね? 暇だからってふらふら出歩かないで。夕食も外食は禁止でお願いします。必要だったらデリバリーさせますから」

「もう、判ってますぅ。まったくリザったら、お母さんみたいだわ」

「お母さんとは室長代行、聞き捨てなりませんね」

「ご、ごめんなさい」

 笑顔だけれど眼が笑っていない先任副官の冷たい表情に、思わず小声で謝ってしまう。

「冗談抜きで、1課長」

 マズアが真剣な表情で言った。

「お判りでしょうが、くれぐれもお気をつけて」

 マズアの本当に言いたい裏の意味に気付いて、涼子も、表情を引き締めて頷く。

「まあ、いずれにせよ1課長、どうせベッドに辿り着いた途端にバタンキュー、でしょう? 」

 ヒギンズの言葉に一同が笑い声をあげる。

 ごめんね、ヒギンズ、と胸の中で涼子は補佐官に頭を下げた。

 ほんとは、今夜、デートなの。

 刹那、涼子の脳裏に、マヤとの別れ際に美香が言った言葉が甦ってきて、胸の内に苦い感情が染み出してきた。

 いったい人は、どれだけ周囲を傷つけながら生きていくのだろう。

 けれど、それとて自分の我侭な思い込み、思い上がりに過ぎないのかも知れない。

 だから、美香はあの時、ああ言ってくれたのだろう。

 今はだから、マヤの望む逢瀬を、出来るだけ明るく、楽しいそれにするしかないのだ。

 妙な遠慮や卑下は、マヤの想いに、そして美香の想いにだって失礼にあたるに違いない。

 今の自分が出来る事は、ただ、真っ直ぐなマヤの想いを誠実に受け止めるだけ。

 無理矢理だけれど涼子は自分に言い聞かせ、そしてほんの少し、自分の為に。

 楽しい未来を、ひっそりと抱き締める。

”それに、ほんとのデートは、明日の夜、だもの”

 瞼を閉じた涼子の脳裏に浮かぶ風景は、ピカデリーサーカスからソーホー、レスタースクウェア、コベントガーデンへと飛ぶ。

 調子に乗ってるな、と涼子は、少しだけ反省した。


「失礼します。小野寺、参りました」

「入りたまえ」

 グローリアスの長官公室は、本来ならばIC2司令長官であるチェンバレンの部屋だが、中にいたのはマクラガン統幕本部長と新谷内幕部長の二人だけだった。

「マクドナルド事務総長とご一緒だったのでは? 」

「事務総長はさっき、迎えの車でロンドンに戻られたよ。ブラウン首相と会談があるそうだ。私もそろそろ、ヒューストンへ戻らねばならん」

 小野寺の問いにマクラガンが答えたのを切欠のように、ソファに座っていた新谷が立ち上がった。

「わしもそろそろ、宿に戻ります、本部長」

「お車ですか、内幕部長」

「おう。今夜はホテル日航ロンドンじゃ。せいぜい、美味い夕食を期待しとるんじゃが」

「あそこは、地下レストラン街の東京風の鰻が美味いですよ。蒲焼もいいですが、白焼きが絶品です。山灰仕込みの古酒に合います」

 小野寺の言葉にそりゃあ楽しみだと笑いながら新谷は、マクラガンにラフな敬礼を送り、下ろした手をそのまま小野寺の肩にポン、と置いて言った。

「まったく、本部長もお前さんも、石動には甘いのう。氷砂糖を1パイントほど舐めたようなもんじゃ」

「は? 」

 意味が判らず首を捻りながらマクラガンを見ると、彼は新谷の言葉の意味が判ったように苦笑を浮かべている。

 そのまま無言でドアを出て行ったのを呆然と眺めていると、マクラガンが思い出したように声を上げた。

「まあ、小野寺君、座りたまえ」

 小野寺は、マクラガンが指し示すソファへとすすむ。

「ああ、イースト=モズン方面の動きは、どうやら大したこともなく落ち着きそうです。暫くは重点監視を継続しますが」

「ん? ……ああ、そうだな」

 気のなさそうな返事を返してから、マクラガンは言葉を継いだ。

「まあ、私個人としては結果的には示威行動の域を出ん、と思うとったが……。軍務局長も同意見だったしな」

 観測気球バロン・デッセのつもりだったが、どうやら彼が自分をこの部屋へ呼んだのは、別の目的があるようだった。

 この程度の事で、わざわざ公室に1対1で呼ばれる筈はない。

 暫くしてから、マクラガンが口を開いた。

「君も知っての通り、ロンドンに乗り込んだフォックス派の実行犯5名は全員捕まった訳だが」

 こっちが本題か、と彼は内心納得する。

 涼子の奴、そう言う意味ではUNDASN1の幸せ者だ。

「情報部のコリンズ二佐は、英国内のシンパの存在を気にしていましたが。……ああ、ご存じだとは思いますがシンパは2名ではなく」

 小野寺の言葉尻に被せるようにマクラガンはうんと頷いた。

「ああ、聞いたよ。石動君への警告発報用欺瞞情報だったんだろう? 」

 マクラガンは普段の彼らしくなくやや早口でそれだけ言い切ると、短い吐息を零して、口調を戻した。

「残りは1名。新谷さんを襲撃する可能性は高そうかね? 」

「いえ、ゼロではありませんが、然程心配する必要はないと考えます。襲撃してきたとしても、これまでのような計画的なものではないでしょうし、力押しならどうとでも防ぎようはあるでしょう」

 マクラガンは小さく数回頷き、視線を彼に据える。

「それでは、直接的な脅威は去ったと、考えてもいいな」

 彼は慎重に言葉を選ぶ。

「ええ……。UNDASNに対する直接的な脅威は、去りました」

 マクラガンは暫くじっと彼をみつめ、ふいに軽くふふっと笑い視線をはずす。

「そうだな、私も後数時間程で離英だし、後は」

 マクラガンは立ち上がって、長官公室に圧倒的な迫力を持って鎮座するマホガニー製の大きな机へゆっくり向い、書類トレイから1枚の紙を持って戻る。

「実は、来てもらった用件はこれだ」

 小野寺はマクラガンの差し出した紙に視線を落とした。

 そこには『医療情報開示許可書』と書かれていて、既にマクラガンと新谷、そしてボールドウィンのサインが書かれている。

「君だから正直に言おう。私は……、これはあくまで私の直感なんだが、石動君に危険が、もうひとつの危険が、間近まで迫っている様に思う。……どうかね? 」

 彼は許可書に視線を落としたまま、ゆっくり答える。

「私も、同感です」

 マクラガンは頷いた。

「そこで、その危険の排除を早急に行わせたい、と私は考え、ボールドウィン君に命じた訳だ」

「本部長は、石動への魔の手が、彼女のロンドン滞在中に迫る、とお考えですか? 」

 マクラガンの目が、一瞬、鋭く光る。

「違うかね? ……彼女がシャバに、しかも1ヶ所にこれ程長く滞在するチャンス等、殆どないとは思わんか? 」

 彼は無意識に、額のイヤな汗を拭いながら答える。

「仰る……、通りです」

 マクラガンはソファに腰を下ろす。

「私は、軍務局長アレックスに情報部5課から8課を総動員してもよいから、今日明日中に犯人を追い詰めろ、と指示した。基本的には8課を特命緊急最優先として担当させる。どこまで上手くいくかは判らんが、情報部には石動君のプライベートを可能な限り伏せつつ、全面協力させる。……そこで、だ」

 彼はやっと許可書から顔を上げ、マクラガンを見つめた。

「この石動の……、カルテ及び個人情報の開示許可、ですか」

「そうだ。……そこらへんは、君も知っての通り、卒配先の指揮官だった君と、石動君の生徒時代の校長だった新谷さんのサインがないと、いくら私でも力技が通用し難いので、な」

 彼は再び目を文面に落とす。

 去り際、新谷が言った言葉の意味が漸く判った。

「勿論、統幕本部長が石動の為にならない様な事をされる訳はないと、判っております。……ただ、ここにある『情報の開示範囲は、統幕本部長の指名する医師免許を保有する将官待遇者1名の判断によるものとする』とある、この特定の医師とは? 」

 マクラガンは再び立ち上がり、デスクへ戻りながら答えた。

「サマンサ・ワイズマン博士だ」

 今度こそ、彼は驚きを隠さず反応した。

「サム? 」

 彼はデスクの前で立ち止まると、彼に背中を見せたまま肯く。

「実は、博士から申し出があってね。例の、石動君宛と思われる犯行予告状のプロファイリングと、万が一の場合の石動君の治療計画立案を兼ねて、昨夜のTV会議で出ていた”R.I.シンドローム”対策のプロジェクトを立ち上げたい、と」

 サムなら大丈夫だ、石動を任せられると、彼は思った。

 彼女なら、涼子にとって知られたくない情報は決して洩らす事はない。

 その上で、確実に捜査を進展させるだけの知恵と頭脳と度胸を持っている。ただの医者ではない。

 だが、しかし。

「私は渡りに舟とばかりに、研究だけでなく早急な捜査体制の立案、立ち上げと指揮を願いたい、と頼んだ。彼女はふたつ返事で引き受けてくれたよ」

 本当に、サマンサから申し出たのだろうか、と小野寺は疑う。

 しかし、今は。

 もう、言葉は必要なかった。

 今はただ、この許可書にサインし、すべてをマクラガンやボールドウィン、サマンサに託するだけだ。

「了解しました、本部長。感謝の念に耐えません。石動に代わりお礼申し上げます。……サインはここで、よろしいですね? 」

 マクラガンはチラリと彼を顧みて、小さく頷く。

「もうひとつ、言わでもがな、の事かも知れんが付け加えておく。君は、この件に関してはタッチするな。君は、君の本来の任務に専念してくれ」

 黙って、頷くしかない。

 きっとそれに関しては、サマンサの要望だろう。

 確かに一瞬、咄嗟に、サムと組んで作戦指揮を執らせて欲しいと申し出たい衝動にかられた。

 が、踏みとどまった。

 これは、情や気持ちの通ずる問題ではないのだ、と。

 偏執狂ではあるが、恐らくかなり高度な知能犯との闘い。

 しかも相手には、基本的に運やバーター、トラップ等通用しない。

 犯人と彼らとの間に開けられた時間差を、デッド・ポイントまでにどこまで詰められるか、ただ、それだけが勝つために必要な要素である。

 その為には、犯人を上回る知能と冷静さ、そして犯人に対し、それら全ての点で上回ろうとする熱意、加えて軍隊としての有無をも言わさぬ組織力、これしかない筈だった。

 その意味で、サマンサはまさに適任であり、自分はあらゆる意味で不適格と言えた。

 ヒーローが、いつ如何なる場面でも颯爽と最前線に立ち、英雄的行動を行なうなんて、映画やTVフィクションの中だけのことなのである。

了解していますアイアイサー

 途中でとまった手を動かしてサインを最後までし終え、彼はソファから立ち上がる。

「そこまで、頭は曇っていないつもりです」

 マクラガンは普段は鋭い瞳に今は柔らかな光を湛えて彼をじっとみつめ、やがてゆっくり頷き、デスクのボタンを押した。

 ノックの音とともに秘書官が入って来た。

「ミズ・メイリー。こいつの正式発令を頼む。それと当該指揮官権限認証番号、そこに書いてあるがそれを、統幕情報部長止めで当該指揮官へ転送してくれ」

「アイアイサー」

 秘書官が出て行くのを待って彼はマクラガンに質す。

医療本部ケープケネディではないのですか? 」

 マクラガンは、彼がこの部屋に入って初めての笑顔を見せた。

「統幕でいいんだ。すでにワイズマン博士はケープケネディを立って統幕ヒューストンへ向かっとる。……全く、ノーベル賞候補とは思えん身の軽さだな」

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