第80話 13-4.


 査閲艦隊と受閲艦隊の計11隻がサザンプトン軍港に入港したのは1415ヒトヨンヒトゴー時だった。

 即位記念観艦式アットホームの行われるIC2旗艦グローリアスが出航時と同じ1番バースに横付けされ、桟橋を挟んだ向い側2番バースに来賓を乗せたウインザー、メイフラワーが艫付けで所謂『メザシ』、横並びに停泊する。

 他の艦は港内ブイ繋留で、士官以上は必須、下士官兵は希望者のみグローリアスのアットホームへ参加する事になっていた。もちろん、ほとんど全員が希望しているので、各艦のランチは入港直後から大忙しだ。

 グローリアスの前部上甲板~主砲前のVTOL用C飛行甲板フライトデッキ~では、既に乗組員総出で模擬店やアトラクションのステージの準備が整えられており、艦橋トップから主砲塔の間には『奉祝・チャールズ15世陛下ご即位』と書かれた横断幕が張られている。

 他の艦も、今夜と明日の夜は、満艦飾と電飾で人々の目を楽しませる予定になっていた。

 だが、その前に1時間ほど、中段にあるB飛行甲板~戦闘機や攻撃機、爆撃機等、小型機専用飛行甲板だ、哨戒機や早期警戒機、空中給油機等大型機材は最下段にあるAデッキを使用する~で国連事務総長、国連防衛機構事務局長とマクラガン統幕本部長統合司令長官の三者共催の歓迎・祝賀パーティが開かれる事になっていた。

 ここでは涼子達UNDASN統幕幕僚とIC2幕僚がホストとなって、来賓をもてなす。

 その間、一般乗組員達はCデッキのアットホームを楽しみ、後でBデッキの来賓達や国連側、UNDASNの統幕、IC2幕僚も自由参加ではあるがCデッキのアットホームへ合流する事になっていた。

 涼子としては最初からアットホームの方へ参加したかったのだが、立場上そういう訳にもいかず、グローリアス軍楽隊の英国国歌奏楽の中、チャールズ15世、ジョージ皇太子やマクラガン、マクドナルド達の後をついて、嬙頭に統幕本部長旗と国家元首乗艦旗を掲げたパーティ会場へ向かわざるを得なかった。

 歓迎祝賀パーティは、主催者代表のマクドナルド国連事務総長の挨拶で始まった。

 ここまで、チャールズ15世や来賓達との挨拶やらなにやらで、こまねずみの様に走り回っていた涼子だったが、いざパーティが始まれば後は、秘書や副官連中へバトンを渡す事になる。

 乾杯用のシャンパングラスを持って壁際に退避した涼子は、空のグラスを弄びながら思わず溜息を零した。

「ふうっ。やれやれ」

「お疲れの様ですな、『母上』? 」

 振り向くと小野寺が、涼子同様空のグラスを弄びながら、壁に凭れ掛かっていた。

「か、艦長! 」

 涼子は思わず声を出してしまうが、彼に「シーッ! 」と言われ、思わず肩を竦めて周りを見廻してしまい、うまく出鼻を挫かれてしまう。

 それでも涼子は一言文句を言わずにはいられず、顰めた声で食って掛かる。

「私が困ってるって時に、艦長! なに大笑いしてんのっ! 大変だったんだからっ! 」

 けれど小野寺は、ちっとも反省していない表情で、しれっと答えた。

「すまんすまん。だけど涼子、満更でもなさそうだったじゃないか? 」

「満更な訳ないでしょ! マクドナルド事務総長もチャールズ15世陛下も調子に乗って、もう、顔から火が出そうだったのに」

 彼は、再び笑いが込み上げて来たようで、喉の奥をくっくっと鳴らす。

「そうは言うが、だいたいあれはお前の自爆だろう。英国新国王や統幕本部長の並み居る席で『ボーイ! ビール! 』はないだろう」

 確かにその通りで、涼子もぐっと詰まってしまう。

「で、でも……、だって、ちょっと……、そうよ、勘違いしただけだもの。そ、それに、喉も乾いてたし」

 このままじゃ分が悪いと、涼子は反撃を試みる。

「そうよ、それに艦長ったら、ジョージ殿下に外へ連れ出された時だって、大笑いしてたじゃない! 」

「わかったわかった、あれは俺が悪かった。すまん」

 手を合わせて頭を下げた小野寺は、すぐに顔を上げて更に声を潜めた。

「実は、な? 」

「ふぇ? 」

 彼の言葉の先が読めずに、思わず間抜けな声を上げてしまった涼子だったが、彼はそのまま姿勢を戻して先を続けた。

「お前、殿下と一緒に出ていった後、なかなか戻って来なかったろ? チャールズ15世陛下は、お前達を探しに行こうとしてたんだ」

「えっ! 」

 涼子が驚きの声を上げるのを、彼は目で抑えておいて言葉を継いだ。

「俺はお前達が出て行って暫くしてからトイレに行ったんだが、戻ってきて食堂の入口でバッタリ出会ったんだ。訊ねると、小声で『皇太子と石動一佐を探しに』だと。で、俺がダメコンへ案内してお前のID情報を拾って、艦内モニタカメラに映るVTOLハンガーの可愛いカップルを見つけ出した、って訳だ。お前達、ソフトクリーム舐めてたろ? 」

 ちょっと、調子に乗っちゃったかな、と反省しながら、涼子は彼に頷く。

「そしたら、陛下がな? こう言うんだ。『そっと、あそこへ近付きたい』」

「えっ! 」

「だから、案内した」

 斜陽久しいと謂われる大英帝国とは言え、その王位継承権第一位の皇太子殿下に、自分はどんな馴れ馴れしい態度を取っただろうか、と涼子はさすがに顔から血の気が退いていくのを感じる。

「そう、ビビらんでもいい。や、悪い話じゃない」

 小野寺は、涼子の様子に気づいたのか、微笑んで言った。

「陛下、感激してたよ。お前、殿下に対して、陛下を庇ってやったろ? 陛下は『皇太子があんなに子供らしく、大人の言う事を黙って聞いているところなんて初めて見た』って。ほんとの母子の様に見えたとも言ってたよ。まあ、これは嘘か本当かは知らないが、陛下は確かに女好きでもあるが、やっぱり大事な我が子の母親探しの意味もあったらしい」

 小野寺の言葉に、涼子は思わず安堵の溜息を吐いた。

「そう。そっか」

 それは、英国王を怒らせずに済んだ、それもあったが、それ以上に、涼子の希い通り、ジョージの父親が、きちんと父親として、息子の幸せをちゃんと考えていた、その事に対する安心感の方が大きかった。

「良かった。国王がちゃんと『父親』を忘れずにいてくれて。私も、ジョージの母親だけならなってもいいかなって、ちょっとだけ思った」

 少しジョージの淋しそうな顔を思い出して涙ぐみそうになる涼子を見て、彼は悪戯っぽく囁く。

「ん? なんだ? 聞き捨てならんなあ。お前、ほんとは英国王妃の座、マジで狙ってたんじゃないのか? 」

「もう! 意地悪だもの、艦長! 」

 涼子の肘鉄を受けて、彼はすまん冗談だと笑いながら謝った後、付け加えた。

「そう言えば陛下、最後に言ってたぞ」

「なんて? 」

「我が子ながら押しが足りん、ってね」


 マヤは、唇を噛み締めながら、涼子と彼が楽しそうに話す姿をじっと見ていた。

 じっと見続けている事で、彼が石になってしまえばいい、無理ならばせめて、涼子が自分に気付いてくれるように、と。

「姫! 姫! 」

 侍従長の声で我に帰ったマヤは、石になったのはあの憎らしい男ではなく、自分の方だった事を、悟った。

「あ、ああ。ごめんなさい。じい」

 侍従長はマヤの耳元で囁く。

乾杯ツム ヴォールも唱和せずにどうされたのです。……ま、それはともかく、そろそろマクドナルド事務総長閣下やチャールズ15世陛下へご挨拶へ参られますように」

 彼の言葉でマヤは、祝宴は乾杯も終わり、歓談の時間に移った事を知る。

 駄目だな、私。

 マヤは、ひっそりと溜息を零しながら、そっと首を振る。

 涼子と親しげに話す男の姿を見るのが、辛く、哀しく、そして腹立たしくて、悔しい。

 我を忘れて、どんな手段を使ってでも、涼子を彼から攫い、そして王宮の奥の奥へ閉じ込めてしまいたくなって、もうそうなると何も考えられなくなる、手につかなくなってしまう。

「ああ、いけない」

 けれどマヤはすぐに、4年前、涼子と初めて出逢った時の言葉を思い出し、心を乱す弱い自分を叱咤する。

”そうよ。私は私にしか出来ない仕事があるんだから、精一杯頑張るって、あの時涼子様に誓ったんじゃない! ”

 そして、4年振りの再会を果たした昨夜、涼子と交わした約束を思い出し、無理矢理テンションを高めようと試みた。

 今夜は、思ってもみなかった奇跡が、幸せな奇跡が待っている。

 ピカデリー・サーカス、二人きりの、デート。

 今朝、新聞を読んで驚いた。

 ヒースローの襲撃事件はマヤ自身が目撃者になった訳だが、翌日も5度に渡ってUNDASN統幕本部長に対しテロが仕掛けられた事、そしてTVや新聞報道によると、名前こそ出ていないが、どうやら全ての現場に涼子が立ち会っていた事を知って、心配で心配でいてもたってもいられなくなった。

 すぐにホテルに電話したが、昨夜から戻っていないと言われ、もしや怪我でもと心配していたのだが新聞報道ではそれらしい記事もなく、結局は自分の目で涼子の姿を確認するしかなかった。

 心臓が爆発しそうな数時間を過ごし、やっと元気そうな涼子の顔をグローリアスで目にして~マヤ達英国以外の来賓は、メイフラワー乗艦だったのだ~、胸を撫で下ろしたのも束の間。

 涼子は自分に気付きもせず、しかも憎いあの写真の男と楽しそうに喋っている。

面白くない。

 そして、そんな下衆な嫉妬に囚われて、涼子の言葉を満足に実践する事も出来ぬ自分が、それ以上に面白くなく、悔しい。

 鬱憤の降り積もる胸の内を誰にも明かせる筈もないままに、マヤは侍従長に先導されて、正面へとゆったりと進んだ。

 まずはこの式典の主催者であるマクドナルド国連事務総長の前に進み、ワンピースの裾を~今日は観艦式という武張った行事への出席、ということで、大人しめのピンクを選んだ~摘み上げてカーテシーをし、握手を交して招待の礼を述べる。

 マクドナルドは大袈裟に両手を開きマヤをみて破顔一笑した。

「おお、これはマヤ殿下。全くお久し振りでございます。相変わらずお元気そうで、しかも一層お美しくなられた」

 マヤは優雅に微笑んでみせる。

「まあ、マクドナルド閣下も御身体だけでなく、お口の方もお元気そうでなによりでございます。本日はお招き頂き、ありがとう存じます」

「殿下にはこの様な武張った催しは、さぞかし御退屈でございまでしょう? 」

 マヤはニコッと笑って首を静かに横に振る。

「いいえ、とんでもございません。私、UNDASNのファンでございますから」

 マクドナルドはハタと思い当たった、とでも言うように、叩頭する。

「ああ、そうでございましたなぁ。まだ殿下が大学生でいらした時、国連特使として地球防衛に関しての立派な演説をして下さいました」

 そして急に声を顰めて、マヤに訊ねた。

「しかし、小職が愚考いたしまするに、UNDASNのファン、というよりもUNDASNに所属する特定の個人のファン……、という方が正確では? 」

 マヤは少し頬を赤く染めながら、それでも心を見事に見透かされた動揺を表に出さずに優雅に答える。

「ええ、事務総長閣下の仰る通りでございます。あの時は命を助けて頂いたのですから。でも、それは閣下も私と同じではありませんこと? 」

 マクラガンは大きく頷きながら答えた。

「仰せの通りです、殿下。私などはあの事件がある前から、石動君の大ファンでしてな」

 と、そこへ今迄マクラガンの隣りで防衛機構事務局長と話をしていたチャールズ15世が割り込んできた。

「ほう! マヤ殿下も石動一佐のファンでいらっしゃる? 」

 マヤは流石に驚くが、それでも取り敢えず礼儀だけは失しない応対を行なった。

「まあ、チャールズ15世陛下! これはご挨拶が遅れました、無礼の程、どうぞお許し下さいませ」

「いやいや、こちらこそ突然会話に割り込んでしまうご無礼、どうぞご容赦を。マヤ殿下には、本日も御機嫌麗しく。しかし、石動一佐の件となると、私も黙っていられません」

 マヤは眉根に不審な表情を浮かべて訊ねる。

「まあ、国王陛下が石動様をご存じだとは存じ上げませんでしたわ」

 チャールズ15世はマヤの言葉に少し淋しげな表情を一瞬見せたが、すぐに普段の一分のスキもない”色男”に戻った。

「なにせ、彼女はもともと我が英国担当の責任者ですからな。摂政時代から何度かお会いしていました」

「まあ、そうでございましたか」

 マヤが微笑んで見せると、チャールズは突然、声を潜める。

「ええ。それで実は、石動一佐に私の後添いに、と今回プロポーズしました」

 マヤはその場を忘れて、大声で「プ、プロポーズ? 」と叫んでしまい、慌てて自分の手で口を押さえる。

「失礼いたしました。……で、い、石動様は……、なんと? 」

 今度こそチャールズ15世は残念そうな表情を隠そうともしなかった。

「バッサリ振られましたよ、ははは……。しかし、我が皇太子は」

 そう言って、背後に隠れていたジョージを前に押し出して言葉を継ぐ。

「見事に一矢報いてくれました。もう、石動一佐とはお友達だそうです。そうだったね、ジョージ? 」

 父親の隣にひっそりと立っていたらしいジョージは、声を掛けられてマヤの正面に進み、優雅に挨拶をした後、マヤを見上げてにこりと微笑んだ。

「私も涼子様には是非母上になって頂きたかったのですが、残念です。でも、また一緒に遊んで頂けるそうです」

 マヤはホッとするやら、ジョージを少し不憫に思うやら複雑な心境だったが、とにかくジョージに優しい笑顔を向けて語りかけた。

「皇太子殿下? 私を覚えておいでですか? イブーキ王国のマヤです。殿下がまだ幼稚園にお通いの頃、お会いしましたね? 」

 ジョージはきちんと頭をさげる。

「はい、マヤ殿下。勿論、忘れてなどおりません。ごぶさたしております、お元気でしたか? 」

 マヤは目を細めて、ジョージの整った顔を見る。

 基本的に父親のチャールズ15世は気に入らなかった~この年代の男性は大抵そうだったが、特に、彼は女性関係が派手だった為、嫌悪感があった~ものの、息子であるジョージの事は、子供特有の中性的な雰囲気もあって、昔から可愛いらしい子だと思っていた。

「はい、ありがとうございます。でも、よろしゅうございましたわね、殿下。涼子様とお友達になられて。私も涼子様が大好きなのです。たいへん羨ましゅうございますわ」

 ジョージはニコニコと微笑んで、素直に嬉しさを表現している。

「はい! ……あ、でも、マヤ殿下は、涼子様とお友達ではないのですか? 」

「いいえ、私も涼子様にお友達になって頂きましたよ。あの方は大変お優しい方ですもの、誰とだってお友達になってくれますよ」

 ジョージは父王を振り仰いで言う。

「父上、良かったですね。父上もお友達から始めれば良いのです」

 さすがにチャールズは少し顔を赤くして、小さく頷いた。

 マヤは吹き出しそうになる思いをぐっと堪えながら言葉を継ぐ。

「そうですよね。……殿下は涼子様に母上になって頂きたいのですか? 」

 ジョージは少し淋しそうに俯き加減に答える。

「ええ。本当は、お友達よりも母上になって頂きたかったのです」

 マヤはジョージの前にしゃがみこみ、ジョージの両肩に手を置いて優しく語りかけた。

「そうですか。マヤも小さい時に母を亡くしました。ですからやっぱり、淋しゅうございましたわ。だから、マヤも殿下と一緒。でもね、殿下。ご存じかも知れませんが、涼子様はご両親共お亡くなりになってらっしゃるのですよ? なのに涼子様はあんなに元気で、素敵で、お仕事も頑張ってらっしゃるでしょう? だから、マヤも涼子様を見習って頑張っているのです。ですから殿下? 殿下も涼子様に嫌われてしまわないように、頑張らなくては。ね? 」

 ジョージはマヤにニッコリと微笑みかけて答えた。

「マヤ殿下、ありがとう。頑張ります。頑張って、涼子様がビックリするくらいの立派な国王になるんだ! 」

 そして少し顔を赤くして恥ずかしそうに、声を少し落として言った。

「そしたら、母上じゃなくて……、涼子様を王妃に迎えるんだ」

 マヤは思わず顔を綻ばせる。

「まあ! 母上様になってもらうより、大きな夢でございますね! でも、その意気ですよ、殿下。ご立派です」

 マヤはそう言うと立ち上がり、チャールズ15世に顔を向けた。

「国王陛下、私が申し上げるのも畏れ多い事ながら、ジョージ殿下はご聡明でいらっしゃいます。先々、楽しみな事でございますわね」

 チャールズ15世はマヤの言葉に、この時ばかりは父親の笑顔を浮かべて頷いた。

 マヤは、初めて目の前の男に好感を覚えた。


 B甲板でのパーティが終わり、続いてC甲板つまりは最上甲板で開催中の『グローリアス・アットホーム』が案内されると、人々は自由参加にも関わらず殆どが帰路につかず、C甲板への3号エレベータ~普段は勿論、艦載機や武器弾薬資材の運搬に使われる大型開放型昇降機だ~に向い始めた。

 何しろ、普段はV107-200やP300Cコスモオライオン、C343ホークアイと言った大型艦載機のハンドリングに使われているだけあって、300名近い来賓をたったの3往復で殆ど運び切ってしまう。

 4回目の上昇で、ホスト役の国連、UNDASN関係者がエレベータへ乗り込むことになった。

 涼子はマクドナルドやマクラガン達アドミラル、マズアやリザ達を先にエレベータへ乗せておいて、そっと小野寺の袖を引いて物陰へ連れ出した。

 抵抗するかと思ったが、意外と素直についてきた彼に、涼子はポケットの中の割引券を差し出す。

「なんだ? 」

「え、えと」

 昔の部下から貰った模擬店、艦長と一緒に来て下さいって誘われたの。

 何度も口の中で練習した台詞が、上手く出て来ない。

 『カップルでご来店の方、三割引』の文字が目に飛び込んできた瞬間から。

 口にすれば、彼が笑いながら「ああ、あれは冗談だったんだ」などと言われそうな気がして。

 口篭っている涼子を彼は暫く無言でみつめていたが、やがて涼子の差し出す券をさっと奪い取り、横に並んで肘を突き出した。

「さて、行くか」

「ふぇ? 」

 間抜けな声を上げて彼を見上げる。

 横顔が、赤いような気がした。

「これが俺達の、まあ、なんだ、初デートだ。その店を手始めに、模擬店全店制覇するか」

 嬉しくて、泣きそうで、涼子は震える手をそっと、彼の腕に絡ませる。

 歩き始めた彼の顔を覗き込むようにして、掠れる声で、気になっていた事を問うた。

「いいの? 」

「何が? 」

 彼は何でもなさそうな風に問い返す。

「腕なんか組んでちゃ、その、バ、バレちゃうかも」

「お前はバレるのは嫌か? 」

 彼の反問に、涼子は慌てて首をふるふると横に振る。

「じゃあ、いいじゃないか。俺は嫌じゃない」

 彼は、明後日の方を向きながら、ぼそ、と言った。

「と言うか、自慢したい。お前を」

 涼子は思わず、両腕を絡める。

 絶対、死んでもこの手を放すまい。

 ぶら下がるように力を込める。

 彼が、苦笑したように思えた。

 そんな普段通りの何気なさが、嬉しかった。

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