13.祝祭
第77話 13-1.
「ああ、露店が出てる」
バッキンガム宮殿へ向かう武官事務所一号車の助手席で、ぼんやりとロンドン市街を眺めていた銀環は、近衛兵パレードによる交通規制の為に迂回したエロス像前で、早朝にも関わらず店開きしている色とりどりの天幕を張った賑やかな露天商の列を見て思わず呟いた。
「えっ? 露店? どこどこ? 」
振り向くと、さっきまで携帯端末を開いて承認ワークフローで溜まった仕事を懸命に片付けていた筈の涼子が、リアシートの窓にべったりと張り付いている。
その隣では、マズアが呆れた表情を浮かべ、リザがこちらを睨み付けていた。
たぶん、リザが涼子を宥め賺して、漸く仕事をさせることに成功したところだったのだろう。タイミングが悪かったようだ。
銀環は先任副官の炎の視線から逃れようと、窓の外に顔を向けて震える声を上げた。
「そ、そこです、そこ。ホラ、骨董品とか、何やら怪しげなジャンク・フードとか売ってますよ」
「あー、ほんとだー! 」
涼子は、初めて電車に乗った幼子の様に、べちゃっと窓には両手をつけてニコニコと笑顔を浮かべている。
「私ね、子供の頃から夜店……、あ、日本では露店のこと、昼間でも『
「シャテキ? シューティング? 日本は確か、昔から銃所持は違法じゃなかったですか? 」
マズアの真面目な質問に、涼子はころころと笑いながら答える。
「やあねえ、違うわよ。銃っても、バネでコルク製のタマを飛ばして、人形とかに当てて、景品とか貰うの」
「へえ! 日本の夜店って、そんなゲーム
リザも涼子の笑顔を見たせいか、機嫌が直ったようで、笑顔を浮かべて訊ねている。
銀環は人知れず、安堵の溜息を吐いた。
涼子は、まるで自分がテキヤの親分でもある様に、自慢気に指を折って数え始めた。
「タコヤキ、ヤキソバ、お好み焼に広島焼、はしまきにたまごせんべい、タイヤキに回転焼き、フランクフルトにフレンチドッグ、串焼きに焼き鳥、串カツ、綿菓子にどんぐり飴、りんご飴に水飴、ベビーカステラにスイートコーン、ラーメンにホットドッグ、うどんにおでん、土手焼きにクレープ、アイスクリーム! 」
「それ、全部、食べ物ですか? 」
銀環は思わず、驚きの声を上げる。
「そう! でもって、これがまた、歩きながら食べるのが美味しいの! あ、勿論、食べ物だけじゃないわよ。いろんなおもちゃやゲーム、イベントもあるわ」
「お、おもちゃ? 」
「イベントも? 」
思わず声を上げたリザの隣で、こちらに向き直った涼子の大きな瞳が、キラキラと輝く。
一瞬、吸い込まれそうな感覚を覚えて、銀環は思わず眼を閉じてしまう。
「いい? お面にあてもん、さっき言った射的でしょ、バズーカだってあるし、鬼退治に見世物小屋、金魚すくいにひよこすくい、わにつりサメつりうなぎつり、亀釣りにハムスターすくい。スマートボールにパチンコ、ダーツに輪投げ、占い、キャラクターグッズ、骨董品にサングラス、Tシャツ、風鈴、うちわ、ピコピコハンマーにぬいぐるみ、怪しく光るブレスレッド! 」
鰐や鮫をアトラクションで釣らせるシーンが、どうにも銀環には想像し難い。
「あー、口に出したら、ますます行きたくなっちゃったわ」
涼子が上目遣いでマズアを振り向いた途端、リザが慌てて釘を刺した。
「駄目! 絶対いけません、室長代行! 今日は大事な任務が控えているんです! 」
涼子がしゅんと身体を小さくする。
銀環は思わず、『私がお供します! 』と叫びかけて、寸でのところで両手で口を塞ぐ事に成功した。
「ほら、室長代行。ちゃっちゃと宮殿に到着するまでに書類、片しちゃって下さい! 」
まるで厳格な家庭教師のような口調でリザが涼子に告げた。
銀環がよく見ると、リザの口元が僅かに引き攣っている。目元には、銀縁眼鏡の幻影まで見えた。
銀環は時折、このブロンドの美しい先任は真性のサディストではないか、と疑うことがあった。
「はあぁい」
怒られた子供のように、可愛らしい唇を突き出して再び端末に向かった涼子だったが、暫くして、フィルム・キーボードの上で優雅なダンスを舞っていた指が、ピタリと止まった。
「課長? 」
それに気付いたマズアが恐る恐る声を掛けた。
涼子はゆっくりと視線をディスプレイからマズアに向けると、ニコーッと笑顔を見せた。
「えへへっ! 38号議案、プレスリリースよ! やったね! 」
銀環も、思わず後ろを振り返る。
マズアとリザも顔を綻ばせていた。
「本当ですかっ? 」
「そりゃあ吉報です。課長、ひと安心ですなあ」
「本当にねぇ。それに、タイミングも絶妙、さすがコルシチョフ部長だわ。このリリースも、きっと好意的に扱われるでしょう」
涼子はシートに凭れかかる。
「フォックス派の問題も、一挙に解決だわ。もしも自棄になって襲ってきたりしたら、彼等にとっては命取り。何せ、私達はもう守るべき
リザが小首を傾げる。
「しかも? ……まだ、何かあるんですか? 」
涼子はリザにウインクを送り、微笑んだ。
「これで英国政府はUNDASNへの借りが増えたの」
「ああ、なるほど! 」
全員が首肯した。
「UNDASNは、英国政府への影響を考えて、予定より早く出国する。これはね、UNDASNがテロリズムに負けたように一見見えるけど、まあ、今日の夕刊やTV見ててごらんなさい。多分マスコミ各社はUNDASNに拍手を贈るわよ。『UNDASN、英国事情を最優先に。勇気ある撤退』とかなんとかね」
マズアは感慨深げに言う。
「まったく、今回は確かに大変でしたけど、その分、当初の予想以上の見返りがある有意義な訪英だった、という事になりますね」
「ほんと、災い転じて福と為す、とはこの事ね」
そして涼子は、悪戯小僧のようなキラキラ輝く瞳をリザに向けた。
「だからさあ、リザ? ……ちょっとだけでいいから、夜店、寄っていかない? 」
「駄目です! 」
涼子は再び、猫のように背中を丸めた。
銀環は、子供の頃家で飼っていた、母親にだけよく懐いていた毛並みの美しいロシアンブルーの昼寝姿を思い出して、微笑みを浮かべた。
豪華な18世紀風のアンティークな椅子に腰掛け、その長く美しい足を綺麗に揃えて優雅に斜め横へ振り、可愛い膝頭に揃えて置いた手をじっとみつめていた涼子が、ふと顔を上げて、きゅっと結んでいた唇を微かに開いた。
その姿、可愛らしさでコーティングされた美しさ、気高さ、優しさ、切なげな儚さにリザは、心臓を鷲掴みにされたような、胸の痛みを覚える。
リザは慌てて手持ちの自制心を総動員し、立ち上がり涼子に駆け寄って抱き締めたくなる衝動を、辛うじて堪えることに成功する。
いったい、いつだったろう。
こんなに、自分の衝動が激しいと知ったのは。
普段はその衝動を押し留めている筈の、理性の箍がこんなに脆いと知ったのは。
一日、一時間、一分、一秒、瞼を瞬くほどの刹那、僅かな隙を突いては繰り返す波のように襲い掛かる狂おしい衝動、その『衝動に従った時の自分の未来』を天秤にかけつつ、リザはその都度なけなしの理性を総動員して『隠し続けた本当の自分』を弱らせ感情を鈍らせて、漸くの事で霞む視界の中蜃気楼のように揺らめく『到るべき一瞬先』を捉えることに成功し、今日までの日々を過ごして来たのだった。
いつになったら、この恋は終わるのだろう。
どうなれば、この恋は終わった事になるのだろう。
今も容赦なく襲い来る衝動の果て、そのカタルシスを想像しながら落とす切ない吐息は、いったい、今日までに千を疾うに超えたろうか?
そして、哀しいけれど。
終わらせることを知らぬうちに望むようになったのは。
いったい、いつからだったろうか?
刹那、涼子の声が耳朶を擽ることで、リザは、今回もまた自分の理性が辛うじて勝利した事を知る。
「来たわよ、
リザも眼を閉じ耳を澄ますが、それらしい音は全く聞こえない。
銀環が感心したような声を上げる。
「すごいですね、室長代行。私には、全然聞こえませんけど。長年、空母の艦長を務めてらしただけの事はありますね」
銀環の素直さが、眼がくらむほど、眩しい。
けれど彼女もきっと、自分のように抑え難い衝動と、衝動の行き着くその果てを引き比べながら、望み薄い戦いをこの瞬間も戦い続けているのだろうと思う。
きっと涼子は、私の、私達の、そして私達の知らない人々の想いにはこれっぽっちも気付かぬまま、今日も、明日も眩しいほどに輝き続けるだろう、それだけは確かだ。
だけど、彼女はそれで良い。
そんな涼子だから、私達は”安心して”胸を焦がしていられるのだから。
涼子はゆったりと微笑むと、瞼を閉じてゆっくりと話す。
長い睫が、どんな加減か、控えの間の高い天井に吊られた豪華なシャンデリアのほんのりと優しい光を受けて、微かに震える。
「あー。懐かしいな、空母。また、乗りたいな」
ほわんとした輪郭が見えそうな吐息を落として呟いた後、涼子はくすくすと笑いながら銀環に顔を向けた。
「今日もね? 久し振りにフネに乗れる、空母にも乗れるって、楽しみで眠れない程だったの」
恥ずかしいわ、子供みたいでしょと言いながら、涼子はサイドテーブルの帽子と手袋をとって、控えの間にいるマズア、銀環、そしてリザを等分に見渡した。
「さあ、そろそろ新国王への拝謁の時間ね」
言い終わるのをドアの外で待っていたかのようなタイミングで、侍従が姿を現した。
英国陸軍ロンドン師団近衛各連隊閲兵式典から戻った新国王、チャールズ15世が、
英国王室御用達の最高級スーツをバリッと着込んだ、なかなかの美男である。
”テレビや新聞で見るよりも、実物の方が数段いいわね”
リザは涼子、マズアの後ろに控えながら、準公式諸間に侍従や役人達を従えて入ってきた新国王を観察していた。
隣で畏まっている銀環も、緊張しつつも頬を染めて国王をみつめている。
筋金入りの涼子ファンである彼女も、国王のルックスだけは認めたということだろう。
”このビジュアルじゃあ、あの噂も信憑性があるってものね”
リザは密かに頷く。
噂とは、こうだ。
チャールズ15世は、皇太子時代から世界中の写真週刊誌に様々なスキャンダラスな記事を提供し続けていた。
29才で結婚したエディンバラ公の三女という妻は既に病死したのだが、その間にできた男の子1人を放り出しておいての派手な女遊びは、イエロー・ペーパーを中心とするマスコミの格好のネタとなり、これまでありとあらゆるスキャンダルが国民に提供され、人々の些か下衆な楽しみとなっていた。多分、今迄マスコミに名前の出た女性だけでも30人は下らないだろう。
現在でも、某貴族の娘を筆頭に数人の美女との噂が取り沙汰されており、『今度こそ本命か? 英国王妃争い』等という記事が戴冠式とも重なって、ロンドンっ子達の口に毎日のように上る。
そんなことを考えていると、涼子の、ネイティヴよりも美しいと部内で評判の見事なキングス・イングリッシュが、鈴の音のように耳に届いた。
「チャールズ15世陛下におかれましては、この度のご即位、誠に」
「や、石動一佐。堅苦しい挨拶は抜きです。こちらこそこの度の観艦式を初めとした一連の行事では、大変なお骨折りをさせましたね」
笑いながら涼子の挨拶を遮った国王の、フランクな、そしてある意味不躾な言葉に、リザも、その場にいた全員が少なからず驚いてしまう。
リザは驚きが薄れると、すぐに怒りの感情を起ち上げる。
”なにこの失礼な奴、こんなのが大英帝国の新国王なわけ? ”
が、目の前にいる涼子は、そんなことをこれっぽっちも意に介さない風で、相変わらず爽やかな声で即座に国王の言葉に応えた。
「畏れ多いお言葉にございます、陛下。私共のほうこそ、今回の統合幕僚本部長統合司令長官襲撃で、折角のご即位行事に影を落とし、また貴国政府関係各方面にご迷惑をおかけいたしました事、心よりお詫び申し上げます」
さすが涼子様、UNDASNが誇る名外交官の名に恥じない、とリザがさっきまでの怒りを遠くに放り投げて感心していると、国王は悪びれもせずに、笑顔のまま口を開いた。
「謝罪せねばならないのは我が英国の方です。ご招待しておきながらこの体たらく、マクラガン統合司令長官閣下には、この後、私からよくお詫びするつもりです」
「畏れ多いことではございますが、それよりも、陛下。どうか今回の件で貴国政府関係者の方々が処分等お受けにならない様、願わくば陛下のお力を持って、何卒よろしくお願い申し上げる次第です」
涼子の言葉に、リザは大きく頷いてしまう。
頷いたその訳は、涼子の言葉の内容に、というよりも涼子のそんな優しさが滲み出る発言だった事に、だ。
「優しい
国王の言葉に、リザは悔しさを覚える。
同じ感想を抱くとは、不覚にも程がある、と思った。
そんなリザの不満げな表情に気付くわけもなく、国王は話題を180度変えた。
「ところで石動一佐。昨夜のパーティで拝見したドレス姿は大変お美しく、眼の保養をさせて頂いた気分でしたが、今日のお姿はまた、随分凛々しくていらっしゃる」
眼の前の、涼子の形のいい耳朶がほんのりと赤く染まる。
「まあ、陛下、お戯れを。そのような事を仰られて私のような者を困らせてはなりません。それに今日のこの第一種軍装こそが、私共本来の服装で、私はこちらの方が好きです」
確かに、涼子は零種軍装を嫌がる。
本当に似合っているのに、とリザは、時々、涼子を正座させてこんこんと言い聞かせてやりたくなる程だ。
そんな事を考えていると、涼子の肩越しに、国王がニヤリ、と意味ありげな笑顔を浮かべるのが視界に入った。
刹那、リザの背中をゾクリ、と寒気が走る。
嫌な予感という奴だと、直ぐに判った。
「私も、好きですよ。そちらの方が」
一瞬、涼子の首がかくん、と右に15度ほど倒れた。
リザは、思わずフリーズしてしまう。
僅かに動く瞳をゆっくり左右にパンすると、謁見の間に居並ぶ全員がやはり、フリーズしていた。
よく見ると、特に侍従達は、まるで水族館の中にいるように顔色が一様に蒼い。
そんな周囲の困惑を完璧にスルーして、国王は尚も言葉を継いだ。
これこそ言葉の暴力、いや、言葉の爆弾だと、リザは思った。
「それにしても、昨夜の貴女は本当に、奇跡のような美しさだった。……そう。まるで、ジャンヌ・ダルクが地上に降り立ったような凛々しさと神々しさと、身震いする程の壮絶な色気がありました」
国王の台詞が進むに従い、右に傾いていた涼子の首は、徐々に傾斜を深くしていく。
首の角度が、涼子の困惑を的確に示していた。
”ああ、涼子様! 駄目です、お気を確かに! ”
リザは歯噛みする思いで、眼の前の涼子に心の中で必死に声を掛ける。
国王はやはり、天性のプレイボーイなのか。
確実に、涼子の弱いところを突いてくるのだ。
いや、涼子が甘言に絆され易い、と言う訳ではない。
涼子は、異性からのこのような言葉に、『純粋に』弱いのである。
リザには判る。
外交交渉では無敵の涼子も、それは仕事だからであって、一人の女性としての涼子は、極端に『あまり親しくない異性からのアプローチ』自体に、耐性がないのだ。
簡単に言うと、要は、『男慣れ』もしくは『色事慣れ』していないのである。
それにしても、とリザは、外見だけは整っている国王を、呪詛を込めた視線を叩き付けながら、思う。
嘗て、公式な外交行事の場で、これほどに無礼な一国の元首がいただろうか、と。
涼子の副官になって以来、それまでは政務畑に縁のなかったリザも、数々の外交の場に出るようになった。
大抵の会談相手、交渉相手は、涼子にいいように動かされた挙句、殆ど全員が涼子の虜になる~こんな表現をすると涼子が悪女のようだ、とリザは少しだけ反省した~ものだが、それでも彼等、彼女等は、皆それなりの礼節を持って涼子に接していたし、それが当然でもあった。
例外はと言えば、現アメリカ合衆国副大統領くらいだが、彼の場合はヒスパニックらしい情熱的で一途な、正にラブ・コールを一心に涼子に浴びせ掛けていて、呆れて、遂には応援したくなるほどの~いや、けっして応援などしてやらないが~真っ直ぐさだった。
”けれど、眼の前のこの男は! ”
ホストか? ナンパか?
違うというなら、何処がどう違うのか?
本気で首を捻りたくなるくらい、新国王の言葉は、薄っぺらでただただ、下心だけで出来ているような気がした。
「あ、あの陛下? 恐れながら、そのような事を仰られては、侍従の方々がお困りですわ」
涼子は漸く立ち直った様で、おずおずと声を上げる。
次の瞬間、国王は左右に居並ぶ自国の役人や侍従達にチラ、と視線を投げ、いかにもつまらない、といった表情を浮かべて小さな溜息を吐いて見せた。
「? 」
再び、背中がぞくりと震える。
嫌な予感。
いや、違う。
嫌な予感には違いない。
しかし、さっきとは違う。
国王の眼に浮かんだ、あの感情は?
まさか。
涼子の言葉で、漸く動き出した室内で、リザだけが未だに動けずにいた。
やっぱり、そんなリザには眼もくれずに、国王は言葉を紡いだ。
今度こそ、言葉の爆弾だった。
「ああ、いいのですよ、お構いなく。なにしろ、私は貴女に、恋の告白をしているのですから」
今度こそ、バッキンガム宮殿準公式諸間は、豪華な冷凍庫となった。
リザはしかし、凍りついてはいなかった。
思わず叫びだしそうになり、そして実際に口を大きく開いた。
が、声を出す事は適わなかった。
突然、隣からにゅっと伸びてきた手が、大きく開いた口にハンカチを詰め込んだから。
どうやら、隣に立つ銀環も凍ってはいなかったようだ。
国際問題を未然に防いだ銀環に、リザは感謝しつつも、思った。
駄目。
駄目、涼子様に、貴方は似合わない。
空気を震わせる筈だった言葉を、心の中で、リザは叫ぶ。
貴方がどれだけ、高貴な生まれで、女性の心を擽るテクニックを持っていたとしても。
貴方は、涼子様の隣には、立てない。
そして、私も。
涼子様の隣に立って良いのは、唯一人。
そこまで考えて、リザは愕然とする。
自分はいったい何を考えていたのか?
呆れ返って、その拍子に口に詰め込んだままだったハンカチが、毛足の長いふかふかの絨毯の上に、音もなく落ちた。
それがまるで合図だったかのように。
涼子の、困惑度合いを示していた首が、唐突に、正常へと復元したのだ。
涼子の鈴が鳴るような声が、室内の空気を一気に融かした。
「それは残念でございました、陛下。実は私、つい先日、素敵な男性と交際を始めましたばかりにございます。光栄極まりないお言葉ではございますが、謹んでお申し出をご辞退させて頂きます」
今度は国王、唯一人がフリーズする番だった。
一瞬、リザは国王に深く同情した。
彼は、失恋したのだ。
同情というより、シンパシを覚えたと言った方が正確かも知れない。
自分だって、隣の銀環だって、そして自分の知らない何千人、何万人もの人間が、今この瞬間、失恋したのだから。
しかし、そんな感情は一瞬のものだった。
リザはゆっくりと、大きく頷く。
そうだ。
眼の前の愛すべき上官は、途轍もなく格好良く、輝いて見えた。
堂々と言い放つその言葉が、リザも心の奥底の何処かで感じている敗北感を、決して消える事はないけれど、しかし心地良く薄めていくのが判った。
涼子は、カラッと笑って見せて、謁見の間を震わせるほどの大きな、明るい声で言葉を継いだ。
多分、これ以上新国王チャールズ15世に恥を掻かせないように、と彼女らしい配慮が働いたのだろう。
「いざ、陛下! 恋だの愛だのよりも、もっと素敵な観艦式の準備が整っておりますわよ! この石動がお伴いたいします故、早々にご支度の程を」
チャールズ15世は最初、呆然と涼子の笑顔をみつめていたが、やがてワッハッハと大きくひと笑いした後、ウンと大きく頷いて見せた。
「まこと、仰るとおりですな、石動一佐。今日は音に聞くUNDASNの
芝居がかった台詞を高々と詠すると、新国王はそれこそ国王らしい尊厳のある笑顔を見せて、踵を返した。
その姿はそれなりに格好よく見えたが、胸を張って脱帽敬礼している涼子の後姿はそれ以上に凛々しく、リザは嬉しくて堪らなかった。
そんな自分を、馬鹿、と叱りつけた。
私だって、ついさっき、失恋したばかりじゃないか。
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