第76話 12-9.


 系内幕僚部艦隊総群第5特務艦隊第2特務隊の儀礼艦CS02ウインザーの特別室で、コルシチョフ国際部長から受信メール画面が開いた携帯端末を渡されて、さっと読み下したマクラガンは、少し顔を綻ばせて、端末を隣りのボールドウィンに渡しながら呟いた。

「犯人は、残り2名らしい」

「ほう。自白し始めましたか」

 ボールドウィンも端末をハッティエンに渡しながら答える。

「石動君もかえって気が楽になったでしょうな」

「ハッ! そんなに可愛げのあるヤツじゃない」

 ハッティエンが怒ったように言う。

「気が楽、どころか、張りきっとるんじゃないか? 」

「そうだろうな。そう言う意味では、彼女はやはり実施部隊向きかもしれん」

 ボールドウィンも、ハッティエンの言葉に頷きながら、独り言のように呟いた。

 聞いていた小野寺も、思わず首肯してしまった。

 まったく、『戦闘妖精』とは、涼子にはハマリすぎの二つ名だ、としみじみ思う。

 マクラガン達一行は、観艦式予定海域へ先発するIC2旗艦グローリアスを本早朝に退艦し、観艦式査閲艦隊旗艦の役割を振られたCS02ウィンザーへ移乗していた。

 ウィンザーは、チャールズ15世や各国来賓を乗艦させた後、同じく来賓を乗艦させた供奉艦である視察艦OS001ゲティスバーク、この2杯の直衛を担当する護衛艦DE0031パロマと共にサザンプトンを抜錨、演習海域へ急行する予定で、早朝既に出航したグローリアスから明け渡されたサザンプトンUNDASN軍港一号バース~さっきまでグローリアスが接岸していた旗艦バースである~に今は舫っていた。

 マクラガンは機嫌の良さそうな顔を、室内のアドミラル達に向けた。

「どうだね? 38号議案のプレスリリースのタイミングは何時頃がいいだろうか? 」

 涼子のことを考えると、一刻も早く、と焦る。

 が、ここにいるのは皆、涼子の事に関しては、自分同様よく知り尽くしているメンバーばかりだ、だから小野寺は無言のままだった。

 案の定、ハッティエンが先に口を開く。

「早い方が良いでしょう。あまり時機を計りすぎると、襲撃犯フォックス派がニュースを聞き漏らす等、タイミングを誤る恐れもあります」

 マクラガンは彼の言葉に大きく頷いた後、傍らのメイリーを呼んだ。

 統幕本部長統合司令長官の後任秘書官であるメイリーは、今日は実施部隊に乗り込むということもあって、スーツ姿ではなく三佐のドレスブルーを着ている。

「ミズ・メイリー。38号議案、プレスリリース原稿に仕立ててあったな? 」

「は、事前に」

「30分以内にマスコミ各社と関係各部署に送付してくれ。あぁ、それと石動欧州室長代行、マズア駐英武官始め駐英武官事務所、コリンズ情報2課長代理にも忘れずに、だ」

「アイアイサー」

「ミズ・メイリー。私も行こう」

 コルシチョフが立ち上がり、メイリーと共に部屋を出て行った。

 部内では『熊親爺』という通り名を持つコルシチョフは、その厳つい外見やツッケンドンな物腰だけを見ていると、何故この特A級レンジャー徽章や格闘徽章を持つ陸将ジェネラルが外交部門の長なのか、と誰もが思わずにはいられない。

 が、彼は意外にもエレガントな外交テクニックを豊富に持っていて、特に欧州のマスコミ各社、各記者クラブでは彼を慕う記者も多い。

 38号議案リリースに関しては、彼が手を回した方がより上手い結果が得られるだろうと、小野寺は考えながら彼の背中を見送った。

 二人が退室した後、マクラガンは暫く沈思していたが、徐に小野寺の方を向いた。

「軍務部長。今後の石動君の件だが」

「は」

 返事はしたものの、何故マクラガンが涼子の話題を自分に振ってきたのか、小野寺は首を捻る。

 この部屋には自分の上官であるボールドウィンも、涼子の上席者であるハッティエンも座っているのに、だ。

 ボールドウィン、ハッティエンや他の同席者は、手を止めてマクラガンと小野寺を注視する。

 そんな視線に頓着せずに、マクラガンは言葉を継いだ。

「どうだろう? 取り敢えず、このロンドン・ウィークを乗り切れば欧州1課の大きなイベントも当面はない。勿論、欧州室としてはEU再編問題やNATO解散撤退問題、黒海周辺の紛争問題、スペイン発の欧州経済危機等、まだまだ難問は山積み状態であることは判ってはいるのだが、まあ、欧州室の直近イベントはこの戴冠式でクリアランス出来た、と考えてもよいだろう? 」

 マクラガンは一旦言葉を区切り、彼から視線を外した。

「そこで、だ。石動君には、ここらで1年ほど、療養させてやろうかと思うのだが、どうだね? 」

 予想外の言葉がマクラガンから出て来て、小野寺は思わず、その単語を鸚鵡返ししてしまう。

「療養? 」

 マクラガンが頷いたのを見て、小野寺は改めて質問し直した。

「石動にとっては有難いお話だとは思いますが、療養とは? 配置転換ではなく? 」

 マクラガンは静かな表情で彼に答える。

「うむ。昨夜の話を聞いて考えたんだがね。……私も最初、一番手っ取り早いのは外幕艦総辺りの実施部隊へ戻すのが一番良いと思った。あっちじゃ外幕部長……、ホフマンさんを筆頭に艦隊総群幕僚監部艦総監部の辻埜幕僚長や作戦部長のワインバーガー君等、殆ど全部署全部隊が彼女を返せと煩い位のラブ・コールがひっきりなしだ。それ以前に、第一、石動君本人が艦橋トップに戻りたがるだろう。それは、判っておるんだよ」

 うん、判っているんだとマクラガンは、口の中で繰り返す。

 小野寺は、質問を変える。

「判ってはいるが、違う考えをお持ちだと? そして、それはつまり……、次段階作戦本格化を前に行うべき最重要出師準備事項、所謂『国際三部門強化』施策に沿いたい、と? 」

 マクラガンはパッと笑顔になる。

「はははっ。さすがに鋭いな、そうだ」

 そして表情を引き締め、他のメンバー達を見回した。

「皆も、もう判っているようだ。……確かに彼女は、その二つ名の如き『闘いの女神』の化身かもしれん。だが、今のUNDASNに戦闘要素以上に必要な才能は、国際三部門を舞台にした、彼女の類稀な外交能力だ。ハードでタフなネゴシエイターとしての能力なんだ」

 マクラガンは小野寺以外の全員をゆっくりと眺め渡す。

「私はこの際、ジョージの……、マクドナルド国連事務総長の要望を1年から2年、最長3年に限って受け入れようと、思う」

 ハッティエンが口を開いた。

「国連事務総長スーパーバイザーの件、ですか? 」

 意外にも、平坦な口調だった。

「それは……、出向扱いの? 」

 続くボールドウィンの質問に、マクラガンは頷いた。

「彼女にはこの際、思い切って軍服ドレスブルーを脱いでもらおう。君達はよく理解していると思うが、国際三部門の強化とは即ち、国連の強化、イコール継戦能力の獲得にほかならない。……石動君は嫌がっていたようだが、ね」

 マクラガンの言葉に、小野寺も、ボールドウィン達も思わず苦笑を洩らしてしまう。

 たぶん涼子は、まるでオモチャを取り上げられた小学生のように、駄々を捏ねることだろう。

「私見だが、石動君の実力を持ってすれば、その実力が現国連事務総長の下で発揮されたのならば、安保理や防衛理に総会、そして防衛機構、全ての強化は2年あれば達成出来ると、私は思う。その後、改めて国際部なり国連部なりに戻れば良い。その頃には第二段作戦に着手しているだろうし、機会を見て、再び外幕実施部隊へ戻して戦闘妖精の方の実力を発揮してもらえば良いさ」

 どうせこの戦争は、そう簡単には終わらんのだから、と吐き捨てるように付け加えた後、マクラガンは一転、力強い口調で続けた。

「とにかく、今、石動君を実施部隊へ、最前線へ戻すのは得策ではない。大局的に見て、私はそう思う」

 暫しの沈黙の後、ハッティエンは首を捻りながら疑問を呈する。

「お言葉ですが本部長。いや、無論政務局長として、石動君のスーパーバイザー就任は納得できる対策です、しかし」

 言い難そうなハッティエンをボールドウィンがフォローした。

「それは政務局長、つまり、スーパーバイザー就任が石動君に取って療養になるのか? という事だろう? 」

 不機嫌そうな表情を浮かべ、ハッティエンは無言で頷く。

 マクラガンはハッティエン、ボールドウィン、小野寺を等分に見渡した上、その場に居合わせた副官や秘書官達に声を掛けた。

「すまん、全員席を外してくれんか。それと、暫くは入室禁止だ、警衛にそう伝えてくれ」

 広い室内に、マクラガン達4名だけが残った。

 急に寒さが身に沁みるように小野寺は感じる。

 マクラガンはしかし、先程と寸分も変わりない様子で話を再開した。

「昨夜の会議の後、私は私なりに色々調べて見た。アレックス、君の言っていた『R.I.シンドローム』の件だがね」

 小野寺は、身を硬くする。

「幸い、情報部や調査部にも色々分析資料があってね。勿論、アレックスの封印があったが、私が特別許可を与えて、ワイズマン三将に分析してもらった」

 小野寺は少し口の端を歪めて、昨晩のモニタの中のサマンサの姿を思い浮かべる。

「石動涼子ブームの原因と言うのか……。勿論ワイズマン博士にしても、社会心理学や集団心理学の専門家ではないのだが、ね。つまり博士の推測によると、石動涼子ブームは、彼女のUNDASN制服ユニフォームの問題も考えられるのでは、と言うんだ」

 制服? 軍服のことか?

 それが、何だって?

 小野寺は思わず首を捻る。

 彼女は、石動涼子はUNDASNの軍人であり、そうである限りUNDASNの軍服を着る。

 当たり前のことだ。

 そんな当たり前の事で、全地球上に数千万ものサイトが開設され、内50%以上が成人向けR-18サイトになったのだと?

 単なる、コスチューム・フェチだと?

 そんな事の為に、涼子の硝子のハートは今、再び砕かれようとしているのか?

 そんな馬鹿げたことが、あって良いのか?

 マクラガンがじっとこちらをみつめているのに気付き、小野寺は初めて、自分が怒ったような表情を浮かべていた事を知る。

 急に照れくさくなって、ふっと肩の力を抜くと、マクラガンは再び正面を向いて話し始めた。

「馬鹿げている、と最初は私も思った。だが、ある民間のシンクタンクの市場動向調査資料の中に、それが出ていたよ。不謹慎かも知れんが、君達良く考えてみたまえ。そりゃあ、彼女は美人だ。そこらへんの映画女優など裸足で逃げ出す程に、な」

 軍艦の一室で、アドミラルが四人も~しかもそのうちの一人はシックス・アンカーズ・フル・アドミラルだ~額を突き合わせ、真面目な~もしくは沈痛な~面持ちでする話ではない。

 それこそ、馬鹿げている、そう思った。

 そして小野寺は、唐突に気付く。

 これは、そんな馬鹿馬鹿しいくらいに、そしてそんな馬鹿馬鹿しさが人の運命を左右する、どこにでもある話に過ぎないのだ、ということを。

 つまりは、そんな下らない事で、涼子を失いたくはない、ここにいる全員がそう、心より祈っているのだということを。

「けれど、ただ美人だと言うだけで、これ程のブームが出現すると思うかね? もし出現するとすれば、それは彼女の魅力にプラスアルファがあるからだ、とは思わんか? 勿論、ここにいるメンバー、そして古くからの彼女の同僚や上司、部下、みんな彼女の人柄を知っている。だが、彼女の外見しか知らんシャバの連中に取って、彼女の魅力とはなんだ? 美貌だけか? 違うだろうとも。ハリウッドにいけば、いや、リビングでテレビやネットを見れば、彼女程度の美人は、いない事はないんだよ。そしてハリウッドの一流女優と石動君の違いは唯、一点」

 そうなのだ。

 自分達は職業軍人であるからこそ、そこが盲点になっていたのだ。

「UNDASNの軍服を着ているか、着ていないか。それだけだ」

 小野寺は、シビリアンへの出向こそが、涼子にとっての唯一の『療養』になり得るという、マクラガンの理論の妥当性を認めざるを得なかった。

「その為に、一旦、彼女にはUNDASNの制服を脱いでもらい、ほとぼりを冷ましてもらう。これで彼女は『石動涼子一等艦佐』ではなく『国際公務員、石動涼子』だ。謂わば、『単なる』『美しいキャリア・ウーマン』でしかなくなる。だからと言って、UNDASNに、そして国連に齎されるであろう途轍もない大きな恩恵が損なわれることなど、これっぽっちもないんだ」

 そしてマクラガンは、眼を閉じ、まるでそうあれと祈るような表情で、呟くように付け加えた。

「そして、石動君、個人にとっても、それは同じ筈、なんだ」

 ハッティエンが不安そうな表情を浮かべ、半ば独り言のように質問する。

「2年程度で済みますか? そしてその後、再びUNDASNに戻っても大丈夫ですか? 」

 マクラガンは少し表情を暗くして言った。

「そこまでは、判らん。……いや、もう一度、専門家に研究させなければならんだろうな。これはあくまで、私と、門外漢とまでは言わないが少なくとも心理学は専門外であるワイズマン三将の試案だ。ただ、検討の価値はあると私は思う」

 小野寺は、口を開いた。

「自分は、基本的に賛成です」

 マクラガンは微笑を口元に湛えて頷くと、次にボールドウィンとハッティエンに視線を移した。

「私も賛成です」

「私も……、基本的には、賛成します」

 マクラガンが、如何にも大任を果たした、とでも言うように溜息混じりで呟いた。

「よろしい。それでは、明日より早速、専門家によるプロジェクトチームを作って検討させよう」

小野寺は、マクラガンの表情を見て、自分の直感が正しかったと確信する。

 そして、もうひとつの推論も、多分、正しいのだろう。

 これは、サマンサの入れ知恵だ。

 いくらマクラガンが聡明だといっても、これほどまでに世俗的心理を素早く掴む事は難しいだろう。

 いや、ひょっとすると、サマンサのことだ。

 自分と涼子の事も、サラリと告げたかもしれない。

 彼は一人苦笑する。

 とにかく、落ち着いたらサムに会ってみよう。

 小野寺は、そう考えながら椅子から立ち上がった。

 しかし、彼のこの思いつきは、最も避けたかった形でしか、実現される事はなかった。

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