第72話 12-5.
きっちり3分後、サマンサは顔を上げ、マイクをONにしてカメラを見つめた。
声が掠れた。
「最初にお断りしておきますが、私は医学者として精神病理学及び生理学の脳神経病理を専門としてその延長線上にある認知心理学と精神分析学を心得ているだけであり、基礎心理学、殊に犯罪心理学や社会心理学は専門ではありません。その意味では、今から申し上げる私の意見は、あくまで参考意見と言う程度に留めて頂き、情報部または警務部のプロファイリング結果を正式にはお待ち下さい」
画面の中の出席者が全員、無言で頷く。
「結論から申し上げます。私の考えでは、この襲撃予告はマクラガン本部長を狙ったものではないと考えられます。ターゲットは、石動一佐です」
マクラガンの表情が僅かに歪む。
ハッティエンとボールドウィンは、やはり、と言った感じでがっくりと肩を落とす。
小野寺が、眼を閉じ腕組みをしたまま微動だにしなかったのを見て、少し悔しく感じた。
「文面や襲撃予告の文章、タイプ、そして発見時の状況。全て、石動一佐を狙ったと考えるのが自然です。過去のデータ、全てではありませんが検索しましたが、フォックス派、そして宇宙統一教会にはこれまで見られなかったタイプである事はほぼ確実であると同時に、この2通が同一人物の手になる物である事もまた、明白です。2通だけでは確実ではありませんが、この犯人は石動一佐のすぐ近くで、常に彼女を監視しているとも考えられます。さっき、マズア武官がこの襲撃予告状のイメージと一緒に、バッキンガム宮殿で記者を装った謎の人物から不審な質問が投げかけられたという情報も寄せてくれましたが、これも多分、この予告状の主と同一人物かも知れません。……そうですね、簡単なプロファイリングですが、知性の高い、偏執性の……。そう、30代前半から40代前半の男性で、しかも、他虐癖のある……。ひょっとすると、鬱症状もあるかも知れません。とにかく、彼女を狙った変質者、ストーカーです。放っておくと、遅かれ早かれ、彼女に触手を伸ばすでしょう」
サマンサは画面の中の土気色でフリーズしている駐英武官に視線を向ける。
「駐英武官。この予告状の存在は、当然石動一佐も知っているのよね」
「イエス、マム。発見者は全て室長代行ですので」
「この襲撃予告状は、心理学的に見て、ターゲットの精神を追い詰めることが狙いで書かれたものです。だいたい、すべての脅迫状が石動一佐が発見しているという時点で不自然なんです。言い換えるならば、石動一佐は、これを読んで、本部長襲撃のプレッシャーに加えてますます精神状態に圧迫を受けていたことが予想されれます」
「つまり? 」
ハッティエンの問い掛けに、サマンサは怒りが急激に膨らむのを感じる。
「つまり、この襲撃予告の存在自体が、ますます彼女の病状の進行を促進させている、そう申し上げているんですっ! 」
怒鳴りつけるように言い切った。
それでも身動ぎもしないハッティエンの姿に、敗北感さえ覚えた。
小野寺が口を開いた。
「駐英武官。話を戻すが、さっき君が言っていた、その記者の奇妙な質問ってのは、具体的には? 」
マズアが首を捻りながら、ゆっくりと答える。
「は。時系列順表での3と4の間、パレード終了後、バッキンガム宮殿内での事です。1課長が記者団に取り囲まれていた時、姿は見えず、声だけだったんですが『1課長を取り巻く現在の状況に関してのご感想を』とか、そう言う意味の質問が投げかけられました。直後に記者団が警備陣に排除された為、そのまま有耶無耶になったんですが」
それはサマンサが続けて質問しようとしていた内容と同じだった。
「そう。それよ、それ」
サマンサはさっき感じた疑問を口に出す。
「ねぇ、さっき聞いたときも良く判らなかったんだけれど、どう言う意味なの? 」
その時、ボールドウィンが覚悟を決めた様に口を開いた。
「その件は私から説明する。結論から申し上げると、これは一連の”R.I.シンドローム”が関係している様に思える」
今度はサマンサと一緒に、画面の中でマクラガンが首を捻った。
「いや、”R.I.シンドローム”というのは、軍務局内でのミッション・コードです。……言うまでもないが、『RI』とは、彼女のイニシャルです」
そしてボールドウィンは、これまでの
それまで黙って聞いていたマクラガンが口を開く。
「軍機漏洩も含めて、確かに大問題だ。つまり、そのワイズマン博士の言うストーカーにしろ、記者に化けた奴しろ……。どちらも、そのシンドロームに罹病してる、と? 」
ボールドウィンは苦虫を噛み潰したような顔をして肯く。
「ここまでの話を総合すると、そう判断するのが妥当だと思います」
なんだそれ、と憤りを感じた次の瞬間、サマンサは口を開いていた。
視界の隅に、小野寺が、ヤレヤレ、と肩を竦めた姿が見えて、余計に腹が立って口調は厳しくなっていた。
「先程もご説明しました通り、この変態野郎……、あぁ失礼、でもまあいいや、このド変態野郎、かなりの知能犯ですよ? この襲撃予告の件にしても、記者を装った粘着質でいやらしい質問にしても、彼女の弱った精神状態を確実に、着実に不安のどん底へ突き落とす、明確な意思と効果的なメソドロジーを把握している計画犯です。私見ですが、この変態野郎は今この瞬間も着々と『石動涼子包囲網』を狭めつつあると考えて間違いありません」
「しかし、そう言ってもな、博士」
ハッティエンはしかし、猛将の名に恥じることなく、サマンサの激しい言葉にも平然と反論してきた。
「この『事件』は、フォックス派の様な職業的テロ組織、いや、あれを職業的テロ組織と言うのもおこがましいが、そのテの反UN反UNDASN重大事件と同様に扱うことは出来ない。ストーカーだか変態だか知らんが、所詮は個人犯罪であり、またその標的も個人だけに向けられたことだろう? いや、もちろん内部からの情報漏洩に関しては重大な事案ではあるが、この瞬間を見ればそれすら優先度が高いとは言い切れない」
「サム! 」
小野寺が、すかさず制止の声を上げる。
「うっさい馬鹿止めるんじゃないわよッ! 」
言い返して初めて、サムは自分が激昂して立ち上がっていたことに気付いた。
思わずハッティエンの画像を見ると、彼はしかし、苦渋の表情を浮かべていた。
「……失礼致しました。申し訳ありません」
ハッティエン個人は、きっと、涼子を実の娘の様に思っているのだろう。
こんな時でもなければ、彼はそれこそ猛将ぶりを遺憾なく発揮して、強制的に涼子を離英させていたに違いない。
だが、よくよく考えれば、彼は涼子の直属上官として、そして何よりこの重大な局面を預かる政務局長として、それを言い出す事は立場上、出来る筈はなかった。
「軍人として、本部長警護でもない限り、自分の身は自分で守らねばならんのは当然のことだ。何より石動君はそれが出来る筈だ。いや、出来る出来ない以前に、やってもらわんと困る。ストーカーがいるからといって仕事を休むなど、シャバでもない限り許されん。ましてや、現在我々が乗り越えようとしている重大局面ともなると、
それでも立場に寄るハッティエンが憎らしかった。
いや、涼子が不憫だと思ったから、かも知れない。
今度は、小野寺も止めなかった。
「お話の途中ですが政務局長! 今の彼女は、既に普通のUNDASN士官ではありません! いえ、普通どころか、生命の危機にさえ曝されているんですよ! 」
せめて、一矢報いたかった。
いや、心の底からハッティエンに腹を立てていた訳ではない。
誰かが矢を射ることで、彼を楽にしてやりたかった。
「政務局長、貴方はこんな事で彼女を死なせたいんですか! 」
「サム! 」
さすがに小野寺が声を掛けるのと、ハッティエンが立ち上がり顔を真っ赤にして怒声を上げるのが、殆ど同時だった。
「誰が死なせたいものか! 女房共々、実の娘同様だと思っとるんだ、あの馬鹿娘のことは! 」
ハッティエンは拳を握り締め、ワナワナと震えていた。
これでいい、と思った瞬間、すっと嘘みたいに怒りの感情が引いて言った。
この一言が聞きたかった、言わせたかった。だからこの後、彼が何を言おうと許せる、そう思った。
彼は太い吐息を豪快に落とし、続く言葉は、冷静を取り戻していた。
「あの
ハッティエンは立ったまま、身体ごとマクラガンに向き直り、静かな口調で進言した。
「本部長。本職としては、部下の危険な状態は理解するものの、それは極めて個人的な事由によるものであり、結果的に現任務最優先と判断、国際部欧州1課長兼欧州室長代行一等艦佐、石動涼子の任務継続を進言いたします」
マズアの微かな溜息がスピーカーから流れ、画像上の彼は目を閉じた静止画像のような映像に戻る。
小野寺は、一瞬目を閉じ天を仰いだが、数秒後再び元の姿勢に戻った。
ハッティエンは言葉を継いだ。
「但し、先程のワイズマン博士の進言もあり、特別に次の条件を石動一等艦佐任務続行の前提条件とする事を認めて頂きたい。
1.第38号議案は早急にプレスリリースし、それによってこれ以上の不測の事態の防止と、ホスト国への影響削減を図る。
2.石動一等艦佐滞英中は、特例として警務部警護要員6名による身辺警護を行う。
3.現在、軍務局長特命で遂行中のミッション、”R.I.シンドローム”対策は、これを可及的速やかに発展、強化の上最優先で展開させ、当該容疑者の確保または排除を図る。
以上三点の許可をお願いいたします」
思わずサマンサは眼を見張る。
そして視線をマクラガンに移した。
10秒ほどの沈黙の後、マクラガンはやがて、小さな溜息を吐いてから、口を開いた。
「了解した。政務局長案を全面採用する。石動君の警護と対策は軍務局長に一任。第38号議案のリリースは政務局長に一任」
そこまで言うとマクラガンは目を開き、サマンサの画像を見て言った。
「ワイズマン博士。石動君は、無事にこのゴタゴタを乗り切った後、治療が必要なんだろうね? 」
サマンサは、返事も忘れ、小さく頷く。
「それでは、事後の石動君の施療方針の検討、策定及び医療行為の実施を、私の特命事項として依頼する。それと、ストーカー犯に対する対策については、実施は許可するが内容は少しの間、預からせてくれ」
少しだけ表情を緩めてサマンサが答える。
「アイアイサー」
サマンサの返事にマクラガンは小さく頷いて、溜息混じりに言った。
「では諸君。もう夜も更けた。そろそろ終了しようか」
マクラガンの言葉に全員が立ち上がり、敬礼を送った。
マクラガンもゆっくりと答礼し、少し肩を落としながら画面からフレームアウトしていった。
ハッティエン、ボールドウィンも後に続き、マズアもロンドン市内の駐英武官事務所からの中継を切った。
「ねえ、あんた……。大丈夫? 」
サマンサが、彼女にしては珍しい、気遣わしげな声を画面の向こうから小野寺にかけてきた。
彼は画面を向いて少し微笑み、答えた。
「ああ、大丈夫だ。それよりお前こそ大丈夫か? ……そんなに優しいとは」
「バーカ! 私が優しくなかった事、あった? 」
無理をしていることが丸判りの彼女の憎まれ口に、小野寺は思わず微笑む。
いつの間にか呼び掛けが『君』から『お前』に戻っていたことに気付いたが、直す気にはなれなかった。
「そうか? ……うん、そうだな。お前はいつも優しかったよ……。ありがとう」
「別に……、私は医者として言うべきことを言っただけよ、あんたに礼を言われる筋合いはないわ」
そっぽを向きながらサマンサが、答えた。
「けど」
「けど? ……けど、なんだ? 」
サマンサの言葉に引っ掛かりを覚え、小野寺は低い声で問い返す。
画面の中で彼女は、沈鬱な表情を浮かべていた。
「これは私の勘だけど。結構、手強いわよ、ストーカー野郎。普段のあの娘ならまだしも、今の精神状態なら、赤子の手を捻る様に、簡単に」
判っている、つもりだった。
それでも、どうしようない、この心の痛みは、何もかも放り出して涼子の下へ駆け出したくなる本能とでも呼ぶべき衝動は。
ハッティエンにしてもボールドウィンにしても、マクラガンだって、彼等は結局、最後の衝動を職業意識と言う理性に拠って抑え付けて行動し、発言していた。
サマンサだってそうなのだろう、彼女は彼女らしく、医者と言う職業意識にしがみつきながらの、それでも堂々とした論陣だった。
だが、自分は?
自分は、なんだ?
職業意識に拠るその遥か手前で、石動涼子と言う一人の女性に、愛する女性への想いに振り回されて、もうへとへとになってしまっている。
拠るべきものが、誰も知らない、いや、事によっては自分と涼子だって知らないような、そんな夢か幻のような、あの2月14日深夜の車中での一瞬でしかない。
「……それもまた、面白い、か」
惑いっ放しの情けない疲れた中年男には、それでも過ぎた寄る辺だろう。
けれど、暫くは。
画面の中の、サマンサの顔を正面から見ることは出来ないな、と小野寺は顔を伏せた。
勘の鋭い彼女に、何を言われるか判ったものではない。
もう、女性に振り回されるのは、せめて今夜は勘弁してほしかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます