第70話 12-3.
太陽系外幕僚部艦隊総群監部所属、第33艦隊第5戦隊の2番艦を任されていたC0194五十鈴は、
本来なら、後は艦政本部の受入検収を終えて太陽系外第3作戦域の最前線を遊弋している艦隊戦列へ戻る予定だったのだが、急遽、乗組員にとっては嬉しい予定変更がブレイクする。
検収予定港であるサンフランシスコに入港後、検査担当官が来艦するまでのタイムラグ2日間を利用して、
今回のアットホームは、所謂「CM祭」と部内では言われている類のもので、人事局からの依頼による兵員募集のアピールを兼ねたイベントでもあった為、小野寺はいまいち乗り気ではなかった。
確かに兵員募集は、ミクニー戦継続には必要不可欠なUNDASNの業務ではある事、それは小野寺とて理解しているつもりだったが、心の何処かで、何も知らない一般人を甘い言葉で『歪んだ日常の支配する、明日の見えない』職場へ勧誘する事に、一抹の罪悪感を感じていたのかも知れない。
が、乗員達は娯楽の少ない宇宙への旅立ちを前に、突然降って湧いたイベント、アットホームという謂わば”祭”を楽しみにしているようであり、それに水を差す気はもちろん小野寺にはなかった。
当日、五十鈴の前部上甲板では、艦内食堂やPX担当である主計班の出張店、乗員自ら企画したアトラクションには一般見学者が群がり、また装備や兵装にはミリタリーマニアが群がって、盛況だった。
主砲やCIWS等の
また、乗員から主要装備の説明を受け、熱心にメモを取ったり質問したりしているマニアや、早速美人見学者にアタックをかけている若い独身男性乗員、逆ナンパしている独身女性乗員の姿を航海艦橋のウィングから眺めながら、小野寺は結構自分もこの雰囲気を楽しんでいることに気付いていた。
人事局の意図を汲むと、小野寺は立場上外来者のいるエリアにいて、愛想を振り撒いた方が良いのだろう。
けれど、艦長である自分が降りて行けば乗員たちは何かと煙たがる筈だ。
第一自分に、そんな振り撒けるほどの愛想がある訳でもない。
だから彼は、
ウィングに出て、金門橋を吹き抜けるサンフランシスコの午後の爽やかな風を受けながら、煙草を二本ほど灰にした時のことだ。
「? 」
背負子型に配置された三連装255m/m電磁滑空主砲三基と艦橋の間に配置された、誘導兵装用電子観測機器の密集している、『機密エリアにつき撮影及び立ち入り厳禁』エリアを何気なく見下ろしていた彼の目に、奇妙なシーンが飛び込んできた。
3人のチンピラっぽい男性に取り囲まれたワーキングカーキ姿の涼子が、キープアウトのロープを越えてエリアに入ってきたのだ。
注意するよりも以前に、小野寺は不思議の感に捉われる。
対人恐怖症気味の筈だった涼子が、男3人といったい?
しかも、男達はどこからどう見ても、人事局の歓迎する『志願検討中』や、『ミリタリー・マニア』には見えない。
嫌な予感がした。
だが、その時点ではまだ、涼子が危険な状況に陥っているかどうかは判断できない。
どうしたもんかと考えながら見ていると、男達は前甲板からは死角と思われる位置へ涼子を導き、やおら彼女を突き飛ばした。
「! 」
一人が涼子を後ろから羽交い絞めにし、残る二人がナイフをちらつかせている。
「チッ! 」
彼は咄嗟に、艦内電話に手を伸ばした。
その場で大声を上げるだけで、多分やつらは逃げ、涼子は危機を脱するだろう。
しかし、今日のアットホームは、人事局から依頼されたUNDASN人員募集の場である。トラブルが一般者に知られるのは拙い。
そう判断し、手近の警衛担当である陸戦隊員を現場へ急行させようと考えたのだ。
その時、”異変”が起こった。
涼子を羽交い締めしているモヒカン刈りを除いて、ナイフを持った残り2人がさっと涼子から離れたのだ。
「? 」
思わず艦内電話に伸ばした手を止め、手摺から下を覗き込む。
涼子はゆっくりとした動作で、胸ポケットからペンらしきものをスッと取り出した。
そして、素早くそのペンを逆手に持ち替えると、未だに羽交い締めしている男の下腕部にいきなり突き立てたのだ。
男は思わず涼子から手を離し、天を仰ぎ、大口を開ける。
「ぐ! 」
しかし、続いて男の喉から出されるはずだった長い絶叫は、一瞬で封じられる。
羽交い絞めが解けた瞬間、素早く背後を振り向いた涼子の、右の握り拳が男の鳩尾にクリティカル・ヒットしたのだ。
男は声をあげる事すら出来ないまま、ゆっくりと甲板に崩れ落ちた。
ナイフを持った黒人と、髪を緑に染めた白人は、呆然とその光景をみつめている。
「拙い! 」
不祥事だ。
しかも、一般的な不祥事の範疇を超えている。
涼子が、そんな涼子らしからぬ行動に出たからには、目の前の事象の裏に何かが潜んでいるに違いない、それが判明するまでは、自分以外の誰かにこの事件を知られる訳にはいかない。
確たる根拠は何もなかったが、小野寺はそう感じ、そして自分の直感を信じることに決めた。
小野寺はすぐさまウィングから上甲板へ直接降りられる保守用ラッタルを駆け下り始めた。航海艦橋からラッタルを駆け下りれば、アイランドの真下に降りることが出来る。たぶん、30秒もかからず現場へ到達できるだろう。
最後の8段は飛び降りて、装備やアンテナ類を掻き分けるようにして現場へ走った。
防空射撃指揮用アクティブアンテナの脇を抜け、涼子と男達が対峙しているド真ん中に横から飛び出した彼の視界に映り込んできたのは、信じられない光景だった。
涼子は笑っていたのだ。
涼子の足元には、かなりの量の赤黒い液体が溜まっており、彼女が手に握るボールペンから、今もポタリ、ポタリと雫が滴っている。
そんな凄惨とも言える状況で涼子は、血塗れの腹を押さえて、涙や涎、鼻水を垂らしながら呻きのた打ち回っている足元の男に、微笑みかけたのだ。
その目は、見るもの全てを凍りつかせる様な、絶対零度の冷たさを放ちながら、しかし涼子は、苦しむ男の姿を見るのが嬉しくてたまらない、と言う様に、口を歪めて「ウフフ」と悪魔の様な笑い声をあげていた。
戦慄しつつも小野寺は、艦橋トップで感じた疑問が氷解していくのを感じていた。
涼子が何かのアクションを起こし、それを見て男達が離れたのではない。男達が離れてから初めて、涼子は『胸ポケットに入れたボールペンを抜き取る』アクションを起こしたのだ。
では、何故彼等は、涼子がアクションを起こすよりも前に、飛び退るように彼女から離れたのか。
今なら、判る。
この、冷酷且つ残忍、悪魔的な笑顔を見て、平気でいられる人間などいないということ。
暫くの間、楽しくてたまらないと言う表情で男を見下ろしていた涼子だったが、やがて、まるで幼い子供がおもちゃに飽きたかのように軽い吐息を落とし、ゆっくりと、声も出せずに立ち竦んでいる男達を振り返り、小首を傾げてみせた。
そして、弓のように細めた眼に残酷な光を宿しながら、今まで彼が聞いた事もない様な艶っぽい声で、楽しげに言い放つ。
「次は、どっち? 」
そしてポタポタと血が滴っているボールペンを、ペロッと舐めたのだ。
小野寺の目には、その可愛らしい筈の舌が、まるで獲物を前にした蛇のそれのように映った。
「ひ、ひい! 」
男達は甲高い声で短い悲鳴を上げると、2人同時にその場へしゃがみこんだ。
一番体格の貧弱な、緑色の髪の男などは、股間から湯気をあげた液体を垂れ流してさえいる。
涼子はフラリと一歩前へ出た。
さくらんぼみたいなふっくらとした涼子の唇の端についた血が、はみ出たルージュの様に煌いていて、それが彼の目にはたまらなく艶っぽく見えるのが不思議だった。
いや、今更韜晦しても仕方ない。
小野寺も、涼子の相手を凍死させるかの様な冷たい視線、その悪魔的な、妖しげな微笑みと美しさに、一歩も動けず、一言も声に出せない程の恐怖を感じている。
出来る事なら、見なかったことにしてこのまま自室に戻りたい。半ば真剣に、そう思った。
”が、このままじゃ、こいつらが危ない”
いや、こんなチンピラなどどうなろうと知った事ではないが、涼子に犯罪を犯させる訳にはいかない。
覚悟を決めて声をかけた。
「もういい、分隊士! 」
涼子はピタッと歩みを止め、ゆっくりと横にいる彼に顔を向けた。
その瞬間の、彼女の表情を、彼は今でも忘れない。
涼子は、悪鬼の如き残虐さに縁取られた、しかし凄絶な美しさを纏った顔を彼に向け、挙句、憎悪の篭った絶対零度の視線を放って、彼の体感温度を確実に10度は下げてみせたのだ。
そして、殺戮を最大の喜びとする悪魔が、その楽しみが途中で邪魔された鬱憤を、阻止したものに振り向けたかの様に、今度は彼に向かって歩いて来た。
一歩、一歩、近付く毎に、今度は彼を傷つけられる事に喜びを見出したか、涼子は幽鬼の如くフラフラと、しかし一層瞳は狂気の光を溢れさせつつ、近付く。
「石動」
思わず彼は、掠れる声で名を呼んだ。
涼子は小首を傾げて、口の端の血をペロリと可愛い舌で舐めると、言った。
「先に、アンタ、やったげる」
涼子は既に彼の目の前に立っていた。
頭ひとつ分背の高い彼を見上げて、涼子は再び「えへへ」と嬉しそうに笑った。
刹那、彼女の右手が振り上げられ、ボールペンが彼の左肩に突き立てられた。
「! 」
とにかく、この狂気の時間に幕を引かねば。
その思いだけで、彼は苦痛に顔を歪めつつも、洩れそうになる呻き声をなんとか飲み下す。
「石動。もう気が済んだろう? 」
そう言って笑いかけると、涼子の瞳から急激に光が失われ始めた。
最後の光が消える瞬間、大きな眼から一筋、涙が零れて頬を伝った。
ゆっくりと倒れる涼子を、彼は咄嗟に受け止めた。
左肩の傷がいっそう酷く疼く。
涼子は気絶したようだった。
ぐったりしている涼子の身体を右手で抱きかかえつつ、小野寺は大きな溜息をついて左手で額の冷や汗を横殴りに拭く。
そして、しゃがみこんで呆然とその光景をみていた2人の男に、怒気を押さえた声で言った。
「お前らの所業は、
男達はガクガクと首を縦に振り、腹から血を流している仲間にいざり寄る。
なんとかお互いに肩を貸し合ってよろめく様に去る3人の背中に、彼は再び声をかけた。
「待て。お前ら、今日の乗艦整理券の半券寄越せ。……判ってると思うが、今日、この場であった事は絶対に喋るな! もし、この件が他から俺の耳に入ってきたら、それはお前らが洩らしたと考えて、UNDASNが草の根分けても必ず探し出す。その後は……。どうなるか、判るな? 」
男達は泣きながら、ポケットから半券を取り出してその場に投げ捨て、さっきとは打って変わった猛スピードで、後も見ずに走り去った。
「ふうっ! 」
B級のヤクザ映画じゃあるまいし。
自分の言ったセリフの陳腐さに呆れながら、自分の腕の中で気を失っている涼子を改めて見る。
第二乙のシャツのボタンはナイフで千切られたのか、殆ど開いていて、飾り気のない
だが、瞼を閉じているその端正な顔に浮かぶ苦痛と、驚くほど幼い表情を見て、小野寺はそのエロティックとも言える肢体とのギャップの大きさに呆然となる。
そして、なによりも。
小野寺には、涙の跡を頬に残してぐったりしている涼子と、さっきの悪魔のような涼子が、本当に同一人物なのか、未だに信じられずにいた。
「って、暢気に考えている場合じゃないな」
とにかく、彼は涼子を医務室に運ぶ事にして、気を失っている涼子を横抱きに抱き上げた。
肩の傷の痛みを堪えて涼子を運ぶより、一般見学者であふれる艦内で人目につかずに運ぶ方が苦労した。
「サム! いるかっ? 」
医務室のドアを開けた瞬間、彼は叫んだ。
「んー? どしたんあんた、悪酔いでもしたぁ? 」
暢気そうに
「ちょっ、ちょっと、あんたねえ! いくらアットホームだからって、いったいこの娘に何したのよ! 」
「馬鹿、違う! それより、早く! 」
彼は涼子をベッドに寝かせる。
「サム、他に人は? 」
「ウチの連中は全員遊びに行かせた。今は入院患者もいない」
「よし、とにかく先に石動を」
そう言って彼は医務室のドアの鍵を閉めた。
小野寺の行動に不審げに、そして不満げに表情を歪めて見せたサマンサだったが、すぐに彼から視線を外すと、涼子の服を手際よく脱がせ、素早く入院着に着替えさせた。
まずは右拳を洗浄、軽い裂傷と判ると消毒して見事な手捌きで包帯を巻いて治療を終える。
次にさっと外傷の有無を確認し、聴診器を当てつつバイタルを測定していたが、単なる気絶だと診断して、今度は小野寺の左肩の傷を手早く治療した。
傷は1針縫っただけで、この間、15分。さすがは最前線を渡り歩いた『名軍医』だと小野寺は感心した。
サマンサはそんな彼の表情に気付いているのかいないのか、ドスン、と椅子に座り煙草に火をつけて、フーッ! とヤケクソ気味に煙を吐き出した後、彼を睨んで言った。
「さて、ゆっくりと言い訳を聞かせてもらおうか、ねえ? 艦長ドノ」
コイツ、楽しんでやがる、と思うと自然と顔が渋い表情になってしまう。
それがサマンサにとっては格好の燃料になると判ってはいるのだが。
「まあ、ちょい待て、落ち着いたら話す」
小野寺はサマンサの飲みかけの缶ビールを手に取って一気に飲み干し、自分も煙草に火をつける。
「どうでも良いけど、なんか服ないか? 」
サムは意味ありげに笑うと、さっと奥へ立ち、直ぐに第二乙軍装のシャツを持って戻ってきた。
「……俺の? 」
「あんた、この間、……そう、フリスコに入港する前の晩、帰る時に脱いでったのよ。あ、ちゃんと洗っといたから」
小野寺は黙ってシャツをはおる。
というか、答えの返しようもない。
「さあ、冗談はさておき、ちゃんと話しなさい。私、カルテ作らないといけないんだから、さ」
小野寺は、じっとサマンサの目を見て、低い声で、自分が目撃した事件の一部始終を、細部まで出来るだけ克明に説明した。
サマンサは途中、数度質問を投げかける以外は、興味深そうに最後まで大人しく聞いていた。
「この娘、人事ファイルと過去カルテの一部がAクラス指定のセキュリティが掛かってるの」
サマンサはAFLディスプレイに映る電子カルテを顎で指し示しながら言った。
「あんたの権限で、これ解除して。今の話だけじゃ、イマイチ、判らないところがある」
一瞬躊躇ったが、小野寺は彼女の申し出を聞き入れる事にした。
サマンサの実力は良く知っている。
そしてそれ以上に、この生徒時代の成績とOJTでの勤務評定がアンバランスで、何かと問題を抱えている今は気を失っている劣等生を、放置しておけない、そう思った。
表示されたファイルを読み進む内に、サマンサの顔色が徐々に蒼褪めていくのが、妙に痛々しくて、その点だけは後悔した。
やがてサマンサはAFLディスプレイの電源を落とすと、彼を振り向いた。
「ん。判った」
サマンサはそう言うと立ち上がる。
「とにかく、2人とも、血液検査だけはしとこう。そのチンピラがどんな病気持ってるか、判らないからね」
ああ、結果が出るまではアンタとはヤらないからねと言いながら、サマンサは手際良く、2人の採血を終え、容器を血液分析装置にセットして運転させた後、再び彼の前に座って話し始めた。
「詳しくは判らないし、簡単にこの
サマンサはビジネスライクな口調の説明をそこで一旦区切り、急にプライベートな表情を浮かべ、熱心な口調で言った。
「ねえ! お願い! この娘のプロファイリングさせてくれない? 私も沢山多重人格症を持つ患者を見てきたし、症例も沢山読んだけど、これほど酷いのは初めてなの。過去のトラウマが義父達による性的虐待だけとは、思えない。本当は何だったのか、知りたい! 」
結局、彼はサマンサの申し出を了承した。
数日後、サマンサが提出した涼子のプロファイリング(第1次中間)報告書を読んだ彼は、サマンサのアドバイスもあって、レポートを人事基本データベースのTOPシークレットに指定して封印した。
こうして全ては、軍事機密と言う分厚い壁の中に埋められた。
筈、だった。
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