第61話 10-7.


 涼子の報告を聞いて、ハッティエンは眉を顰めた。

 廊下での騒ぎは、晩餐会場にまで伝わっておらず、その意味では涼子が上手く対処してくれたことに感謝したい程だったが、それよりも先にうんざり感が勝ってしまう。

「今日だけで3人目か……。こう立て続けじゃあ、身が持たんなあ」

「全く。ここまでは何れも、事前に石動君が気がついたからよかったものの」

 ボールドウィンもワイングラスを手で弄びながら、いっこうに口をつけようともせずに頷く。

「ともかく、ご苦労だった、欧州室長代行。その武官事務所員も無事で何よりだ、勲章ものだな」

 涼子も頷きながら答える。

「ありがとうございます。後で褒めてやって頂ければ良いかと。……とにかく今夜、本部長がグローリアスへ戻られるまでの残り数時間が勝負ですわね」

 と、そこへ今夜のメインディッシュである、ヘレステーキが運ばれてきた。

 醤油ベースのソースだろうか、香ばしい香りが鼻をついた途端、涼子の腹の虫がグゥと鳴いた。

「ほほう。ひと暴れして食欲が戻ったようだな、石動君」

 マクラガンにからかわれて、顔を赤くしながらも涼子は早速フォークとナイフを取り上げながら、照れたように微笑んだ。

「えへ。そのようですわね、あ、下げちゃやだ、まだ食べます、置いといて! 」

 涼子はそれまで手を付けずに残していたサラダやシャーベットの皿を引こうとするスチュワードに潤んだ哀願の眼差しを向ける。

 その瞳に絡め捕られた憐れな彼は口篭りながら意味不明の言葉を発した後、夢遊病者の様な足取りでどこかへ去って行った。

「ふっふーん、後で食べるんだもんねー」

 幸せそうにステーキを切り分ける涼子を見て、ボールドウィン達は思わず苦笑を洩らしている。

 だが、ハッティエンは、涼子の豪快な食べっぷりを眺めながらも、再び表情が曇るのを隠せずにいた。

 統幕本部長襲撃は、このペースだと今日を限りとばかりに、後数回はあると覚悟しなければなるまい。

 情報部観測によると、渡英してきた実行犯5名、となれば後最低でも2回は襲撃があるわけだ。

”……それだけでも気が重いのに、ひょっとしたら、石動このこまで”

 もう一度短い吐息を吐いた後、ステーキに取りかかろうとナイフとフォークを持って見たものの、今度は自分が食欲を失っている事に気がついた。


 その後、晩餐会は滞り無く終了した。

 ”滞りなく”とは言っても、晩餐会終了後、廊下での女テロリストとの”対決”を聞きつけたリザと銀環が、控え室に下がってきた涼子を取り囲んで、泣くわ怒るわの大騒ぎを繰り広げた為、UNDASN側だけ捉えれば多少は滞ったのだけれど。

 とにかく、この後のUNDASN一行は、ここから先、二手に別れる事になる。

 この晩餐会で本日御役御免となるボールドウィン、ハッティエン組はこのまま車でそれぞれが宿舎とするホテルへ戻る。

 そして残るのは、メキシコ大統領との会談を控えたマクラガンと涼子の組である。

 メキシコのラモス大統領との会談は、メキシコシティ郊外の防衛学校がフィラデルフィアへ移転する事になり、その跡地利用に関する整備事業計画へのUNDASNからの土質改良技術の全面支援に関する仮調印が目的で、本来涼子の欧州室ではなく米州室の管轄なのだが、米州3課長と担当者の他、今回のホスト役である英国担当の涼子も出席する事になっていた。

「お迎えのお車が参りました」

 取次ぎの近衛兵の報告でボールドウィンやハッティエンとその副官秘書官、SPが立ち上がる。

「それでは本部長、お先に」

「この先も充分ご注意を」

 ハッティエンとボールドウィンが口々に敬礼しながらマクラガンと握手をする。

 そして涼子を振り向いて言った。

「それじゃ、欧州室長代行。本部長を頼んだぞ」

 敬礼する涼子に、ハッティエンが答礼しながら数歩近寄り、小声で囁いた。

「無論、君もだ、石動君。……充分注意して、つまらんケガなぞせんように、な」

 猛将が時折見せる、無骨な優しさが、涼子は昔から好きだった。

 だから、心からの笑顔で返事をしよう、そう思った。

「有難うございます! それでは、両局長、本日はお疲れ様でした! 」


 それから10分ほどして、英国外務省へ向かう車の準備が出来たとの連絡があり、涼子はマクラガンを促して、正面エントランスへ向かった。

「外務省までは、ここから車で10分くらいだったか」

 背後からマクラガンの呟きが聞こえ、涼子は振り返った。

 正式名称、英国外務・連邦省。昔はキング・チャールズ・ストリートに石造りの荘厳なビルを構えていたのだが、第一次ミクニー戦役で被害を蒙り、その後本省は国防省向かいへ移転、旧本省は英国外交資料館として別館扱いとなっている。

「イエッサー。残りの危険地帯は、外務省までと、迎えのVTOLが来る外務省ビル向いの国防省への移動中だけです。宮殿内に比べてまだ警備もし易いし、こっちももう、お構いなしで銃を使えますしね」

「まあ、そうなんだが……」

 マクラガンは、疲れたような吐息を零した。

「そろそろ今日は店仕舞いしてくれていることを願うよ」

 マクラガンの言葉に、涼子も苦笑を浮かべる。

 まったく、ウンザリだ。

 残り少ない今日が、どうか静かに終わりますように。

 が、涼子のささやかな願いも、数分もしないうちにあっさりと裏切られる。

 とは言え、こちらはまあ、半ば予想していた事態ではあったが。

 正面エントランスで待ち構えていた報道陣が殺到してきたのである。

「石動一佐! この宮殿内でも襲撃されたってほんとですか? 」

「記者会見してもらえるの? その会見、本部長も出るんですか? 」

「犯人は? 口割ったの? 」

「これで離英するんですか? それとも予定通り滞在続行なの? 」

 一斉にマイクが涼子とマクラガンに向かって突き出され、ストロボが閃く。

 ピケ・ラインを張っていた警備陣も、殺到するマスコミに容易く突破されて、涼子達はもみくちゃにされてしまった。

 マクラガンを抱きかかえて庇うように人混みを掻き分けていた涼子の耳に、マクラガンのウンザリしたような声が届いた。

「昨夜のヒースローからさっきの一件まで、そろそろプレスリリースした方が良いように思うが? 」

 涼子もマクラガンに頷き返す。

「そうですね。ラモス大統領との仮調印の後、外務省で部屋を借りてセッティングしてますが、通り一遍の会見では済みそうにありませんわ。本部長の会談終了までに、広報部と相談して内容を改めます」

 漸くロールスロイスに辿り着き、マクラガンをリアシートへ押し込むと、涼子は記者団を振り返った。

「詳細の発表は、英国外務省内で、ラモス大統領との会談終了後行います。予定では2130時フタヒトサンマル頃ですが、マクラガン統幕本部長統合司令長官も出席予定ですので、それまで今暫くお待ち下さい」

 言い捨てて涼子は車内に飛び込んだ。

 しつこいカメラマンが数名、動き出した車に追い縋るが、全て警備員に押さえ付けられているのがリア・ウィンドウからチラリと見える。

「ふぅっ! マスコミ対応はこれだから。……あぁ、もう! スカートふんづけられちゃったわ」

 スカートの裾をパンパンと手で払っていると、隣のマクラガンが可笑しそうに笑いながら言った。

「君はどうも、広報部だけは向かんようだなあ」

 涼子も苦笑を浮かべて肩を竦める。

「私、どうも男の人の集団だけは怖くって……。自分でも、よくもまあこんな性格でUNDASNなんかに入ろうと思ったもんだって、今でも時々、不思議に思っちゃいます」

 マクラガンは優しく数度涼子に頷きかけて、労をねぎらう様にポンポンと肩を叩いた。

「しかし、UNDASNの連中だけは違うんだろう? 」

 言いたかった事を先回りして言われても、不思議と腹が立たなかった。

「はい。UNDASNの皆は、別です。私を守ってくれて、私が守らなきゃいけない、大切な仲間ですもの」

 言ってしまってから急に照れ臭くなって汗をかいてしまう。

 ハンカチを出そうとポケットに手を突っ込むと、指先に違和感を感じた。

「? 」

ハンカチと一緒に、見覚えのない小さな紙切れが、ポロ、と零れ落ちた。

「……なんだろ? 」

 シートに落ちたそれを拾い上げ、何気なく開いた途端、耳の奥でザァッ、という、血の気が下がる音を涼子は聞いた。

『油断するな、次はお前だ』

 宮殿内で拾った襲撃予告と同様、活字が切り貼りされている。

「どうした? 」

 マクラガンの質問に、涼子は慌てて紙片をポケットに仕舞った。

「い、いえ。なんでもありません。あ、そうだ。今のうちに広報部にコメントの差し替えを依頼しておきますわね」

 声が震えているのは自分でも判ったが、マクラガンはそれ以上追求することなく、無言で頷いて、上半身をシートに埋めた。

 涼子はマクラガンが気付かなかったことにホッとしながら、密かに数度深呼吸して暴れる心臓を宥める努力をする。

 さっきのマスコミに紛れて、ポケットに入れられたに違いない。

 そしてそれは、宮殿内でみつけた襲撃予告と同じ犯人からのもので、しかもそれはフォックス派とは思えない。

 そこまでは、間違っていないように思える。

 だと、すると?

 そのフォックス派ではない犯人が狙っているのは?

”……私? ”

 犯人が自分のポケットに紙片を押し込んだ理由。

 その紙片にある『お前』が指す人物。

 ホテルで感じた視線。

 昼間、バッキンガム宮殿で聞いた、悪意しか感じられない”記者質問”。

”……何故、私? ”

 全てが繋がっていて、しかもその包囲網は、ゆっくりと、しかし確実に狭まってきている。

 助けを呼ぼうにも声は出せず、もがこうにも凶悪な触手に身体中雁字搦めに縛られて指一本動かせない。

 涙だけがぼろぼろと零れ、ついに、ありとあらゆる感情すら希薄になって、最後に残るのは、絶望。

『お前の生死は俺の意思ひとつで決まる。お前にはもう、涙を流しながら悲鳴を上げるだけの自由しか残されてはいない』

 心の襞を逆撫でするような声が、絶望の輪郭を際立たせる。

 その声を、以前にも聞いたことがある。

 そんな事をぼんやりと考えるうちに、ますます意識が、そして身体の感覚すらもなくなって……。

『室長代行! どうされました? 代行! 石動室長代行っ? 』

 その聞き覚えのある声で、ありとあらゆる感覚が突然、蘇った。

「あ、え? マズア? 」

 無意識のうちに、ダッシュボードを開いて通信機を操作し、後続の武官事務所の車に乗っているマズアを呼び出していたようだった。

『どうされたんです? 何かありましたか? 』

「ご、ごめんなさい。ちょ、ちょっとボーっとしちゃって」

 イヤホンつけていて助かった等と思っていたら、隣でマクラガンが怪訝な表情でみつめているのに気付き、涼子は出来るだけ明るい口調で答えた。

「やー、疲れてるみたい。なんでもない。なんでもないよ、うん」

『驚かさないで下さいよ』

 心底ほっとしているようなマズアの声に、涼子はついさっき感じていたデジャヴを頭の中から追い払う。

 大丈夫。

 UNDASNのみんなが守ってくれる。

 だから、私ももっとしっかり、頑張らないと。

 私もみんなを、守らないといけないんだから。

「ごめんね。えと、会談終了後の記者会見のコメントの件なんだけど」


 コリンズは英国外務省地下駐車場に滑り込んできたロールスロイスを、外務省官僚や先着していたUNDASNメンバーと共に出迎えた。

「室長代行」

 ロールスロイスから降り立った涼子の蒼白ともいえる顔を見て、コリンズは思わず声をかける。

「あ、コリンズ。こっちへ来てたんだ。襲撃予告、受け取ってくれた? 」

 涼子の浮かべる弱々しい笑顔が、一層心を締め付ける。

「確かに受け取りました。……それにしてもたいへんでしたね。よもや3人目が、しかも宮殿内にまで潜入しているとは」

「そうね。戴冠式が終わったらすぐ、英国政界は台風が吹き荒れるわよ」

 マクラガンを待ち受けていたSPに渡し、涼子は少し離れて歩きながら答えた。

 涼子への労いの言葉のつもりだったが、わざとか天然なのか、彼女のピントの外れた答えを聞いて、何れにせよかなりストレスが溜まっている事をコリンズは知る。

「さっきはどうされたんです、室長代行」

 後から追いついてきたマズアを振り返って涼子は、やはり疲れた笑顔を浮かべた。

「うん、ちょっと疲れただけなの、ごめんね? それより、広報部に連絡とってくれた? 」

「ええ。広報2課も事前に差し替えコメント用意しておいてくれたようです」

 マズアは携帯端末を取り出して涼子に差し出した。

「ついさっき届きました。別便で広報部長の意見書がついていますが、フォックス派の犯行は断定せずに匂わす程度に、それとヒースロー空港等の損害については”前向きに”総務局総務企画部1課が”交渉の準備中”、今回の襲撃に関する一連の英国王室、政府へのコメントは”遺憾の意の表明”までに留める……、とこんなところですね」

 涼子はフィルムディスプレイの文面を流れる水のような速さでスクロールさせながら、それでもふんふんと頷きながら目を通している。

「ふん……。ん……、それと今日の外交活動の結果ダイジェストと明日以降の予定ね……」

 なにやらモゴモゴと口の中で唱えていた涼子は、やがて、コクンとひとつ頷いて微笑んだ。

「うん、いいわね、これでオッケー。じゃあ、幹事会社・・・・・・、えと、BBCだっけ? リリースお願いね」

了解コピー。ええと、会談終了予定が2125時フタヒトフタゴー2135時フタヒトサンゴーから30分の予定で会談場の隣り、記者会見用に第2会議室を押さえています。IC2司令部へは連絡済、グローリアスからの迎えのV107バートルは予定より15分遅くしまして、ここ外務省ビル向かいの国防省VTOLポートLZ到着予定時刻ETA2215時フタフタヒトゴーです」

「アイ」

 コリンズは涼子とマズア、二人の会話を聞きながら、自分が軽い嫉妬を感じていることに我ながら驚く。

 遥か昔、情報部ではない違う道を選んでいたとしたら、ひょっとしたら今、彼女と額を突き合わせて仕事をしているのはマズアでなく自分だったかも知れない。

 それは純粋に仕事以外の何物でもなく、そうなったからといって自分と涼子の間が親密になるとは限らない。

 限らないし、ましてや親密になることなど期待すらしていない。

 していないが、それでも。

「こちらです」

 聞き覚えのある声に我に返って顔を上げると、すでに控え室の前に達していて、ヒギンズが人懐っこそうな笑顔を浮かべてドアの前で手を振っていた。

 情報部のエージェントとして、この集中力のなさは失格だな、と苦笑を浮かべ、コリンズは涼子の後を追って室内に入った。


 仮調印前の最終打ち合わせをメキシコを含む中米担当である国際部米州室米州3課長の陽気なイタリア人、リッカルド・マルソーロ一等空佐に任せた涼子に、コリンズはマズアと共に部屋の隅に呼ばれた。

「で、確保した犯人達は自白した? 」

 涼子の顔色は依然として蒼褪めている。

 それに気付かぬ振りをして、コリンズは答えた。

「3人目は未投与ですが、先の2人からは未だに自白は引き出せていません。スコットランドヤードは随分と自白剤の使用に難色を示していたんですが、襲撃予告と3人目がバッキンガム宮殿内に潜入していた事がショック療法になりまして、ついに使用に同意しました。事前に手配していましたので、自白剤は後1時間以内にスコットランドヤードへ到着します。統幕情報部情報企画課からも専門官が2名来る予定なんですが、こちらの到着はもう少し遅れそうです」

 コリンズの報告を黙って聞いていた涼子は、やがてポケットから紙片を取り出して差し出した。

 コリンズも無言で受け取り、一読して紙片をマズアに渡し、視線を涼子に向ける。

「……これは! 」

 絶句するマズアの声が合図だったかのように、涼子が掠れる声で言った。

「バッキンガム宮殿を出る時、マスコミに取り囲まれたんだけど……。その時にポケットに入れられたらしいの」

 そしてペコッと頭を下げた。

「ごめんなさい! 私がもっと注意してたら良かったんだ。ほんと、ごめん! 」

 コリンズは、マズアとともに慌てて手を振りながら宥める。

「か、課長が謝られる事ではありませんよ」

「そう、室長代行が悪い訳じゃないんだから、頭を上げて下さい! 」

 涼子が頭を上げると、マズアは溜息混じりに言った。

「宮殿内だってのに、一人のみならず二人目まで潜んでいたとは……。この後の記者会見も余程注意せんと。再度、外務省側にも厳しく申し入れしましょう」

 そんな問題ではない。

 そしてそんな問題ではないことは、マズアにも判り切っている筈なのに、それを隠そうとしている態度が、コリンズの口を開かせた。

「実は、課長」

「おい、貴様」

 マズアの鋭い口調が言葉を遮る。

 余程感情が声に表れていたようだ、とコリンズはますます自分の情報部エージェントとしての資質に疑問を感じる。

 いや、こんな事を今まさに口にしようとしている事自体、失格の明白な証なのだと半ば開き直り、クラスメイトを無視して言葉を継ごうとした。

 その時。

「石動さん。そろそろ時間だ、頼みます」

 会談の主管である米州3課長のマルソーロ一佐の声に、涼子が振り返った。

「はーい、今行きまーす」

 そして涼子は二人を振り返り声を顰めて言った。

「とにかく、その鑑定もよろしく。たぶん先に渡した襲撃予告と同一犯だと思うの」


 マクラガンやマルソーロ達を追って控え室を出て行った涼子の姿が消えるのと同時に、マズアはコリンズに向き直った。

「おい、ジャック。貴様、石動課長にあの事、言うつもりだったろ? 」

 コリンズもまた、マズアに向き直る。

 スカル・フェイスをかなぐり捨てて、感情も顕わに見せている『腕利きの情報部エージェント』に、マズアは内心驚かずにはいられない。

「ああそうだ、言うつもりだった。何か問題があるか? 」

 鋭くそう言った途端、コリンズの表情から険しさが不意に消え、疲れた中年男の素顔が現れた。

「貴様だってもう気付いているだろう? さっきの紙片……、いや、その前の第1の予告状もそうだ。こいつぁ、石動課長がターゲットだ」

 そして再び、怒りの篭った口調でマズアに迫る。

「あの予告状、プロファイリングなんかしなくたって解るさ、あれを作った野郎は、とんだ変態野郎に決まってる! ストーカーさ、リョーコ・フェチだよ! しかも、性質たちの悪いことに相当に頭の切れる奴だ。それともマズア、貴様は何か? 石動課長がそんな変態野郎の餌食になっても構わんって言うのか、えぇ? 」

 マズアは今にも掴みかからんばかりのコリンズに辟易しながらも、全く、心情的にコリンズと同意見だった。

 同意見だったし、それに、ひょっとして昼間のバッキンガム宮殿内で怪しげな質問をする『姿なき記者』の声の主と予告状の主は同一ではないかとも疑っていた。

だが、英国新国王即位を巡る外交を取り扱う欧州室の一員として、コリンズに同意することは出来ない。

 マズアは、出来るだけ冷静な声で、コリンズに語り掛ける。

「なあ、落ち着いてよく考えてみろ。貴様だってUNDASNの軍人で、そして、我々以上に怜悧な思考と正確で素早いジャッジを要求される情報部エージェントだろう? 」

 コリンズは一瞬、その両目に怒気を漲らせたが、やがて、苦渋の表情を見せて肩の力を抜き、どさっと椅子に崩れるように座り込む。

 マズアも手近な椅子を引き寄せ、コリンズの正面に座る。

「気持ちは良く解る。俺だって、これは石動課長を狙ったフェチ野郎以外の何者でもないと思ってる。こんな変態野郎に課長を渡すわけにはいかん」

 マズアは、コリンズの肩に手を置いて、静かに言葉を継ぐ。

「しかしな、ジャック。フォックス派の脅威が未だ去らない現状を考えろ。英国政府が総力を挙げて警備している、しかも王室関連施設という最重点警備区域にまで入り込んでいた連中だぞ? この分なら明日の観艦式も危ないかも知れん。この状況で課長に余計な情報を与えたらどうなる? ここまで本部長を守ってきたのは全て彼女のクールな頭脳とホットな直感力があったからこそだろう? 今ここで、あの女性を外す事はできん。……それは、貴様なら理解できるな? 」

 最後の一言は余計だったかもしれないとマズアは一瞬危惧するが、コリンズが素直に首肯したことに内心、胸を撫で下ろす。

「それに、あの方自身が外される事を一番望んでいないだろうしな」

 ボソリと呟いたマズアの言葉に、コリンズは思わず苦笑を浮かべてしまった。

 もしもそんな事を彼女に言わなければならない事態になったとしても、きっと自分も目の前のクラスメイトも、いや、統幕本部長や国連事務総長ですら、涼子を翻意させることなど不可能だろう。

「……貴様の言う通りだ。悔しいが、な」

 既に口調は、普段のそれに戻っているように聞こえた。

「だが、彼女には今後も、滞英中は必ず銃を携帯して貰う事だけは納得させる。それくらいは良いだろう? 」

 それこそ、マズアにとっても、涼子の身を案じる誰もが望んでいることだ、最低限のリスク・ヘッジとして。

 けれど。

「それは無論構わんが……。素直に了解するかね、あの女性ひとが? 38号議案が採用されて本部長が離英したら理由が」

「そんなもの、なんとでも言えばいい。理由なんて後付で充分だ」

 マズアの言葉にコリンズはなんでもないと言う風に答える。

「例え本部長がこのまま離英されたとしても、敵はUNDASNの随員無差別テロに切り替えたと言えば良い。実際その可能性は低くはないんだから」

「万が一、本部長離英前に、後2回か3回、襲撃があったとしたら? 」

「渡英してきたフォックス派5人が全て襲撃を実行し確保されたとしたって、在英フォックス派シンパが残っているとでも言えばいいだろう」

 コリンズはニヤッと悪役のように唇の端を歪めた。

「情報を出し入れできるのは情報部オレだ。こんなものは非公開活動の初歩の初歩だよ、貴様」

 そこでコリンズはスッと表情を消して、言葉を継いだ。

「さっきの脅迫状、寄越せ」

 マズアは涼子から預かった紙片をコリンズに渡しながら、一層声を顰めて、言った。

「課長を騙す、ってのか? 」

「あの人さえ無事なら、なんだってやるさ」

 コリンズはさらりと、情報部エージェントらしくもあり、そしてコリンズらしからぬ、相反する想いが混在した台詞を短い吐息混じりに呟いた。

 年甲斐もなく、と揶揄するのは簡単だ。

 だが、マズアにはそれほど真っ直ぐに本気を表す事の出来る同い年のクラスメイトが眩しく、そしてそれ以上に任務に縛られている自分が矮小な人間に感じられて仕方なかった。

「それじゃあ俺は警視庁ヤードへ戻る。記者会見場のチェック、頼んだぞ」

マズアは黙って手を上げコリンズを送り出した後、警務部の先任SPを呼び指示を与えた。

2135時フタヒトサンゴーからの記者会見、記者団に襲撃犯が紛れ込んでいる恐れが高い。全員の身分チェックを厳重に。それと連中の顔写真も撮影しろ。出来れば、外務省前や国防省前のマスコミ、野次馬、全てだ。それと、記者会見時のSPの配置なんだが」

 言いながらマズアは、ちら、とコリンズが出て行ったドアに視線を送る。

 スパイの恋ってのは、現実には、映画のようにお洒落にはいかないものだ。

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