10.悪夢
第55話 10-1.
15時30分、パレードの先頭はバッキンガム宮殿に到り、それから7分後、涼子達を乗せたロールスロイスもバッキンガム宮殿の正面エントランス車寄せに静かに滑り込んだ。
涼子は先着していたマズアに統幕本部長と軍務政務両局長を委ね、英国首相へのパレード終了後の挨拶へ赴かせた後、指定された控え室へ入った。
「ふぅっ! 」
涼子は崩れるように空いていたソファに座り込む。
ドサッと音が立つのを気にする余裕もなかった。
「頭、痛いよぅ……」
パレードがウエストミンスターを出発してすぐに、いつもの鈍痛を感じていたのだ。
だが、マクラガンのボディガードを自ら買って出た手前もあり、パレード中はなんとか気力で押さえ込んでいたのだが、ここへ来てとうとう耐え切れず、人目も気にせずにこめかみを押さえ、背を丸めてしまう。
「大丈夫ですか、室長代行? 」
リザが駆け寄ってきて、そっと耳元で囁いた。
「うん……。ごめんね、お水、貰える? 」
「どうぞ」
1秒もたたずに眼の前にコップが差し出されたのに驚いて顔を上げると、銀環が心配そうな表情で立っていた。
「ありがと。銀環も、ごめんね」
言いながら、ポケットから出した市販の頭痛薬を口に入れて、コップの水で流し込む。
「えーと……。この後はオーストラリア大使館ね。……
呼ばれたヒギンズが、早足でやってきて敬礼しようとするのを手で押さえ、指示を伝える。
「本部長達、
「コピー」
踵を返したヒギンズを、涼子はもう一度呼び止め、小さな声で訊ねた。
「それと、さっきの犯人は? 」
「あの後、やはりスコットランドヤードへ引き渡しました。コリンズ二佐が引き続き、第一の犯人同様、英国と協同で取り調べる、とのことです。ああ、それと、あの服を奪われた近衛兵ですが、どうやら一命は取りとめた模様です」
頭痛は未だ治まらないが、それを聞いて漸く、笑顔を浮かべることができた。
「よかった!……第二の犯人の方に気を取られてさ、手当てが遅れたんじゃないかって気になってたの」
そして、もうひとつの懸念を口にした。
「あと、警務部の負傷者の具合は? 」
ヒギンズも顔を綻ばせて答える。
「病院に搬送された8名のうち、7名は軽症、治療を受けた後、本
そう答えてから、ヒギンズは少し声を落としてからかうような口調で言った。
「1課長、お優しいですねえ」
ヒギンズの直球勝負の言葉に、涼子は思わず顔が赤くなるのを覚えて、片手で犬を追い払うように振ってしまった。
「もう、からかわないでよ。いいからさあ、行った行った! 」
肩を竦めて去って行くヒギンズを眺めながら、涼子はふっと短い吐息を零して、思わず呟く。
「あー、よかった。……よかったけど、疲れた」
「さ、室長代行。短い時間ですけど、お休みください」
「そうですよ。今日はまだまだイベントがてんこ盛りなんですから」
口々に言う副官達の言葉に甘え、涼子は瞼を閉じ、後頭部を背凭れに預ける。
姿勢が変わったせいか、すっと頭痛が薄れ、眠りの心地良い闇が徐々に意識を追い出していく感覚に、涼子は身を任せた。
知らぬうちに眠っていたようだ。
ぱちりと眼を開くと、嘘のように不快な頭痛は姿を消していた。
時計を見ると、10分も経っていなかったが、涼子の身体にとっては、普段の睡眠の2時間分ほどの効果があったようだ。
「あー。ちょっと楽になった」
そう呟いた刹那、控え室入り口付近で、突然言い争う声が聞こえた。
「入っちゃいかん! 」
「ここは立ち入り禁止だ! 」
驚いて立ち上がり振り向くと、開け放たれたドアの辺りで、宮殿の警備員やUNDASNのSP達と、20名ほどもいる背広姿の男達が言い争っているシーンが視界に飛び込んできた。
自動的に右手が腰に回り、身体は基本に忠実に、教科書通りのウィーバー・スタンスでCzのマズルを男達に向けていた。
「フリーズ! 」
ドア付近でSP達と押し問答していた男達は、声の主を室内に求め、涼子が銃を構えている事を認めた途端、一瞬にして静まり返った。
室内が静寂に包まれる。
銀環が涼子に駆け寄り、耳元で囁いた。
「室長代行、駄目です! 違います、あいつらマスコミです! 銃仕舞って下さい! 」
そう言われてよく見ると連中は手に手にマイクロレコーダーやカメラを持っている。
さすがにTVカメラは宮殿内で自由に移動できないのだろう、全員が活字媒体かネット媒体の記者のようだ。
涼子はさりげなく銃をホルスターに戻しながら、視線はマスコミから外さず、銀環に問い返す。
「広報は? 」
「ここへは同行していません。UNDASNからのステートメント発表は、メキシコ大統領会談終了後の予定だったもので、総務局広報部は武官事務所へ戻ってます」
涼子はぐるっと室内を見渡す。
自分よりも上級もしくは同階級のものは、コルシチョフ達国際三部門の部長達だけだ。
UNDASNの英国代表、駐英武官のマズアがいない今、ここのマスコミ対応は自分がやるしかない、と涼子は覚悟を決め、すました顔をして入り口へ向かった。
記者達は、歩き始めた涼子を見て、一斉に口を開きかけたが、ニコ、と微笑んで見せると、何故か全員が口を噤んだ。
「? 」
不思議に思ったが、チャンスには違いない。
まずはマスコミを室外へ追い出すのが肝要と、涼子はそのまま彼等にずんずんと近付いていく。
「涼子様! 」
心配そうなリザの声が背後で聞こえたが、振り向かず歩き続けた。
記者団の最前列にいた男性まで後20cm、という距離になったが、それでも歩速を緩めなかった。
全員が両目を大きく開いて近付いてくる涼子を凝視している。
素早く記者団の面子に視線を走らせ、記憶の中の英国外務省記者クラブ、UNDASN担当連中の顔と照合したが、見知った記者は一人もいなかった。
それはそうだろう。
正式な王室記者クラブや外務省記者クラブ所属の連中が、こんな乱暴な取材、する筈ないわ。
そう思って更に一歩踏み込む。
先頭にいた記者は、驚いた表情で上半身をのけぞらせ、貧血を起こしたようにフラッと後へ数歩下がる。
それに釣られたのか、他の記者達も一斉に後退ずさり始めた。
涼子はそのまま足を止めることなく、そして手を触れずに記者団を追い詰めて行き、ついに室外へ全員を退去させ、最後に自分も室外へ出て後ろ手にドアを閉めてから、初めて歩みを止めて、微笑を消した。
「ここは
誰かが、生唾を嚥下する音が聞こえた。
それがまるで魔法を解く呪文だったように、記者団は涼子から視線をはずしてお互いに顔を見合わせた。
ようやく己の職業意識に目覚めた、最前列にいた件の記者がおずおずと口を開いた。
「マクラガン統合司令長官が、ウエストミンスターで襲われたって本当ですか? 」
その質問を切欠に、他の記者達も、次々に質問を浴びせ始める。
「二度も襲われたらしいじゃないですか? 」
「昨夜のヒースローの件と関連ありますか? 」
「襲撃予告はあったんですか? 」
「犯人の目星は? 」
「だいたい、この時期に無理に訪英する必要があったんですか? 」
「各国要人やロイヤルファミリー、一般市民が巻き込まれないとも限らないでしょう! 」
「そうなれば、どうやって責任をとるんだ? 」
記者達は自分達の質問に自ら刺激されつつあるのか、だんだん取材というより『UNDASN弾劾』の様相を呈し始めた。いや、この取材の導入の端緒からして、元々彼等は、そんなインパクトのある刺激に満ちたインタビュー記事を狙っていたのであろう。
”ここは、逃げの一手しかないわね”
涼子とて広報官ではないものの、国際三部門というマスコミ露出が他の配置より格段に多い部署所属で、そしてその中でもベテランのアタッシェだ。
マスコミのヤリクチやメソッドにも熟知しているし、マスコミ・コントロールにも、ある程度の自信はある。
ここで反論などすれば、明日の朝刊は全紙一斉に『UNDASN Go Home! 』キャンペーンを張りかねない。
そう判断し、涼子はまずは相手に言いたいだけ言わせることにした。
クレーム処理の基本中の基本、『言わせ』という手法である。
そのうち、警備が駆け付けてくれるだろうし、万一それが遅れても、記者団の方が先に”疲れて”くれれば、コントロールはし易くなる筈だ。強気な交渉相手の強気を逸らす基本的なメソッドは『言わせ』であることは外交官や広報官にとっては初歩のテクニックなのである。
そんな涼子の対応に業を煮やしたのか余程生来の短気だったのか、2分もせぬうちに前列にいた記者の一人が、一歩踏み出して怒鳴った。
「黙ってばかりいないで、何とか言ったらどうなんだ? おいっ! 」
涼子の襟に掴みかかった。
釣られたのか、隣りの記者も涼子の襟首を掴んでわめいた。
「責任あるコメントを求め……、も、も……、と……」
急に、記者の声が小さく弱々しくなった。
涼子に掴みかかっていた2人の記者を除いて、他の記者達は、一斉に、しかしゆっくりと~腰が引けた様に~数歩下がった。
一瞬にして喧騒が静まり、そして人垣が割れた。
”あれ? ”
不思議に思った次の瞬間、収まった筈の頭痛が、突然ぶり返してきた。
まずい、と思った。
同時に、ずっと後ろ手に組んでいた両手が~暴力を振るう意思はないことをアピールする為、最初からそうしていたのに~、ヒップアップホルスターの銃を抜きたくて堪らなくなり、指がうずうずと疼いていることにも気付いた。
続いて、世界中の音と言う音がフェードアウトしていく感覚に捉われた、その刹那。
「いったい何の騒ぎだ! 」
聞き覚えのある、怒りを滲ませたその声が、グレーゾーンに取り込まれつつあった涼子の意識を一気に、現実へと力任せに引き戻した。
助かった、と思った瞬間、頭痛が嘘のように消え失せていることに気付いた。
ブラウン英首相との会談を終え、次の予定であるマイルズ豪首相との会談に向かうマクラガンとハッティエンを車寄せ控え室に向かわせ、駐英武官事務所に一旦戻るボールドウィンを迎えの車で送り出すようアンヌ秘書官に指示した後、涼子達にその旨を報告するために急ぎ足で控え室へと向かっていたマズアは、廊下の角を曲がったところで、バッキンガム宮殿らしからぬ異様な光景を目にした。
「なんだ、あの人垣は? 何が起こった? 」
何にせよ、UNDASNの控え室付近で騒動が起きているのは確かなようだと、マズアは慌てて駈け出し、人垣を排除しようと思った、その瞬間。
自然と『道』がそこに出来た。
まるでモーゼのエジプト脱出時の紅海の様に、人垣が割れたのだ。
「? 」
マズアの視界に飛び込んでいた情景は、人垣の中心で男二人から襟首を締め上げられている涼子の姿だった。
いや、一瞬そう思ったのだが、よく見ると違った。
最初は、何らかの理由であの集団が涼子に詰め寄り、そのうちの2人が激昂して摑みかかったのだろう。
だが、今は違う。
男2人は、既に涼子によって制圧されていたのだ。
ただ、彼等は硬直して~もしくは、失神? ~動けないだけに違いない、何故かそう確信が持てた。
周囲の人垣にしたって、全員が全員、こちらに背を向けているから表情は判らないが、同様に、既に制圧済には違いない。
だから、彼等は後退さり、人垣が割れた。
些細な切欠さえ与えてやれば、彼等はきっと悲鳴を上げて蜘蛛の子を散らすように逃げ去るか、腰を抜かしてその場にへたり込むか、オチはそんな程度の筈だ。
いや、冷静ぶってそんな観察をしている自分だって、場面が場面でなければきっと、同じように逃げ出すに違いない、とマズアは思う。
それほど、涼子の瞳は、冷たかった。
普段の、眩いほどに煌く銀河を圧縮したような黒い大きな瞳は、遠めから見ても、まるでブラックホールのように果てしない闇と絶対零度の突き刺すような冷たいオーラを発していた。
すぐに、気がついた。
ウエストミンスター寺院で起きた、二度の襲撃事件。
何故、犯人は2人が2人とも、大した反撃を受けてもいないのに、失神してしまったのか。
この、視線だ。
密かに頷いた途端、涼子が、小首を傾げ、口の端だけで微笑んだ。
「! 」
思わず喉の奥から出そうになる悲鳴を、必死で飲み込む。
不覚にも、一歩下がってしまった。
悪魔が微笑んだとしたら、きっとこんな恐怖を感じてしまうのだろう、そう思わせるような、背筋どころか内臓まで凍り付いてしまいそうな。
魅入られた者全てを石に変えてしまう微笑みだった。
恐ろしかった。
マズアとて陸上マークを持つ軍人として、過去、幾度となく最前線で命の遣り取りを繰り返してきた、それなりに修羅場も経験して来た。
しかし、そんな経験などまるでシミュレーターの中の映像にしか思えなくなるほどの、それは絶対的な、生存本能を持つ動物ならばなんであれ逆らえないほどの、根源的な恐怖だった。
”殺される”
一瞬だけ、真剣にそう思い、逃れる術として~けっして、自分に与えられた任務とは関係がない~声を上げた。
「いったい何の騒ぎだ! 」
語尾が震えてしまったがよしとしよう、そう思った瞬間、涼子の瞳から発せられる冷気が、ぴたりと止んだ。
ゆっくりと理性と知性の輝きを取り戻た涼子の瞳は、最初こそ不安げにキョトキョトと忙しなく四方八方に向けられていたが、やがて、状況は全て把握したとばかりに、二、三度瞬かれて、やがて、襟を掴み上げている二人の男に注がれた。
最後に、悪魔の笑みが消え失せて、普段見せる営業用の笑みに~それですら酷く魅力的だと普段から彼は思っていた~切り替わった。
殆ど同時に、二人とも襟から手を離し、一人はその場にぺたんとへたり込む。
その男をチラ、と見下ろした涼子は、独り言のように呟いた。
「この国は、紳士の国だと思っていたのですけれど」
辛うじて立っていたもう一人が、哀れなほど震える声で、言った。
「か……、か、彼に……な、何をした? 」
涼子の両腕は後ろ手に組まれたままである。
そのままの姿勢で、ひょいと肩を竦めて見せると、涼子は、彼に嫣然と微笑みかけた後、全員をゆっくり見渡して、静かな声で言った。
「UNDASNとしての正式なステートメントは、本日予定されている全てのイベント終了後、外務省内での記者会見の席上で発表いたします。どうか、それまでお待ち下さい。なお、このエリアは先程申し上げました通り
涼子の言葉から、どうやらその集団は記者団であることが判り、マズアは漸く呪縛から解放されたように、一歩足を踏み出すことができた。
踏み出した途端、涼子の身体がビクッ! と震えたのが見えて、マズアは再び足を止めた。
そこまで言った瞬間、涼子は再び悪寒を感じた。
また、だ。
朝、ホテルのロビーで感じた、悪意の塊のような、身体中を嘗め回し、撫で回すような、生理的な嫌悪感だけで作り上げたような、あの視線。
”どこ? どこにいる? ”
涼子がその視線の主を探そうとした刹那、人垣のどこかから、気持ちの悪い、心を鑢で擦るような不快感を感じさせる声が響いた。
視線の主と声の主が同一人物であることは、何の確証もないけれど、確実であるように思えた。
声の主を探そうにも、身体が動かなかった。
気付くと、無意識のうちに、自分の腕で自分の身体を抱き締めていた。
「失礼ですけど、『あの』石動涼子一等艦佐ですよね? 今、貴女の周辺を取り巻く状況について、コメントをお願いします! 」
意味が判らない。
判らないけれど、それは視線同様、汚物を掴んだそのままの手で、身体を弄繰り回されるような、不愉快を通り越して恐怖を感じさせるような『何か』について問われているように思えた。
身体ががくがくと震えているのが判る。
逃げ出したかったけれど、脚がどうにも動かなかった。
耳を塞ごうにも両手が上がらなかった。
目を閉じようにも、瞼が下りなかった。
”助けて……。誰か、助けて! ”
何故か涙腺だけは機能しているようだ。
涙が零れそうになった。
その瞬間、助けがやってきた。
神様っているんだ、そう思った。
マズアは、思わず大声を上げてその記者団に早足で近付いた。
”クソッ! 拙い、こいつぁ拙い! ”
マズアには、その質問の意図が即座に掴めたのだ。
「プレスの皆さん、直ちに解散して下さい! 」
元来、イギリスには所謂イエロージャーナリズムが多い。
遥か昔、20世紀後半には、殆どストーカーと言っても良い”パパラッチ”と呼ばれるゴシップ・マスコミの取材攻勢から逃れようとした当時の元英国皇太子妃が自動車事故を起こして死亡する事件まで起きている。
さっきの質問も、現在巷で流行している『キャプテン・リョーコ・イスルギ・シンドローム』に関しての質問だろう、彼女自身はその質問の意図が判らない筈だが、これ以上『謎の情報』を与えないに越した事はない。
「ここは報道陣立入禁止です! おい、警備! 早急にお引取り願え! 」
「誰か警衛を呼べ! 記者団が乱入しているぞ! 」
声の方に目をやると、どこから現れたのかヒギンズが駆け付けていて、警備員と一緒に記者団の排除にかかっていた。
記者団を宮殿警衛や警備員に任せて追い払い、マズアがヒギンズとともに涼子の傍らに駆け寄ったときには、彼女は未だ呆然と佇み、虚空に視線を彷徨わせていた。
「1課長! 」
マズアの呼び掛けに、涼子はのろのろと彼の方を振り向いて、数分前の彼女とはまるで別人の様な、心細そうな、不安そうな表情で、弱々しげに呟いた。
「……今の、聞いた? マズア。『あの石動』って……、『私の周辺を取り巻く状況』って、何だろう? なんであんな事、聞くんだろう? 」
マズアは殊更何でもないような口調で、涼子の背に手を回し、控え室のドアノブに手をかけながら答えた。
「さあ、どうせ、ゴシップ週刊誌かなんかでしょう。UNDASNでは広報部に次いでマスコミに顔が売れてる貴女のスキャンダルでもデッチ上げようとしてるんじゃないですか? 」
涼子は、無理矢理自分を納得させようと、微かに肯く事で同意を示して見せたが、その表情からは未だ不安の色が払拭できない。
控え室に入った途端、涼子は悪寒でも感じるのか、身体をブルッと振るわせた。
「大丈夫ですか、1課長」
ヒギンズの心配そうな声に、涼子は血の気の失せた顔に無理矢理らしい笑顔を浮かべた。
「うん、大丈夫、ありがと……。マズアもありがとう、ほんっと、グッドタイミング、助かったわ」
なんとか空気を和まそうと、マズアも少しおどけた口調で答える。
「またまた、1課長、ご謙遜を。我々が来た時には既に、無効敵戦力指数98って感じでしたよ」
涼子もまた、少しぎこちないが、さっきよりは余程普段に近い笑顔を浮かべる。
「なによ、その言い方。もう、今にもマスコミパワーに押し潰されそうなアイドル・タレントって感じだとかなんとか、言えないかなあ」
ヒギンズは無邪気に笑っていたが、マズアは素直には笑えなかった。
涼子の言葉は、知らず知らずのうちに的確に涼子自身が置かれている、それこそ『状況』を、正確に表現していた。
確かに、シャバの連中にとって涼子は、『アイドル』以外の何者でもないのだ。
その意味で、涼子の言葉は洒落になっていなかった。
「涼子様! 」「涼子様、大丈夫ですか? 」
駆け寄る彼女の副官2名に笑顔を振り撒いている涼子を横目で見ながら、マズアは密かに冷や汗を拭う。
”……まったく、勘の鋭い方だ”
とにかく、今は涼子の気持ちを仕事のほうへ逸らす事が先決に思えた。
マズアは無表情を装い、慌てて仕事の話に切り替えた。
「そうだ、笑ってる場合じゃない。1課長、本部長とブラウン首相の会談終わりました。オーストラリア大使館へ急がないと」
涼子も、思い出した、という表情を浮かべた。
「ほんと、こうしちゃいられないわ。スタックヒル三佐、随員の取り纏め、お願い」
「
涼子は、ポンと手を鳴らして言った。
「さあ、お仕事お仕事! 」
口調は完全に普段に戻ったように思えたが、随員が慌しく動き始めた中、ひとり立ち竦むように打った掌をじっとみつめている涼子の姿に、マズアは唇を噛み締めた。
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