第50話 9-4.


 廊下に出て、マクラガン統幕本部長統合司令長官の斜め後に涼子と駐英代表である武官のマズア、2列目にボールドウィン軍務局長ハッティエン政務局長の二将2名、3列目以降にコルシチョフ三将を始めとする国際部、国際連合部、国際条約部の部長3人が並ぶ。

 各副官や随行員達は戴冠式の行なわれる大聖堂前まで随行するが中には入らない。また私服の秘書官やSPも控え室で待機する事になっていた。

 案内の守衛がゆっくりと廊下を進み始め、それについてマクラガン達も後に続く。

 国際三部門の経験が長い涼子も、こんな伝統感溢れる行事への参加は初めてだ。

 日本の皇室に次いで伝統のある英国王室の歴史の重みを感じて、神妙な顔つきで従い、長く薄暗い廊下を大聖堂、ウエストミンスター・ホールへと向かう。

「? 」

 控え室を出て50m程進んだとき、涼子は進行方向に、気になる人物を発見した。

 その人物も守衛の制服を着ているが、廊下の端へ涼子達をよけつつ、何やら妙な顔つきをしている。

「あ! 」

 突然、思い出した。

”あの人、私達がここへ到着した時に案内してくれた守衛さんだ”

 涼子の第六感がワーニングを発した。

 同時に右手がスッと背中へ伸び、Czの銃把を握る。

 左手で後列に続くメンバーを制しておいて、大股、急ぎ足でマクラガンを追い越し、案内している守衛との間へ割り込んだ。

 前を行く守衛は何事もないように、ゆっくり気取った足取りで進んで行く。

 涼子がチラッと前方から来た守衛に目をやると、彼は、声をかけようかどうしようか、かなり迷っているようで、パクパク口を閉じたり開いたりしている。

”間違いない! ”

 涼子はスッとヒップアップホルスターから銃を抜いた。

 刹那、前を行く守衛が突然「うぅっ! 」と小さく呻いたかと思うと、振り向き様に、右手を大上段から振り下ろしてきた。

 「キャッ! 」という涼子の悲鳴と、ガキン! という金属同士が激しく接触した音が、天井の高いウエストミンスターホールへと続く廊下にこだましたのは、ほぼ同時だった。

 守衛は、今にも火を吹きそうな形相で涼子を睨み付けながら、右手のナイフを涼子の頭部へ押しつけようとしている。

 涼子は右手に持ったCzを自分の額の前10cmほどのところにかざし、丁度、排莢口で守衛のナイフを受け止めていた。

 背後に慌しい人々の足音や「本部長っ! 」「こちらへ! 」「室長代行っ! 」「警備を呼べっ! 」などの喚き声を聞いて、涼子は内心、マクラガンへの危機が少しだけ遠ざかったことを理解してホッとする。

 と同時に、腕に感じる負担が一気に増えたように思えた。

 UNDASN部内でも”非力で有名”な涼子の腕が、力で勝る守衛にじりじりと押されているのだ。

 この場に、SPはいない。随行している副官達も要人警備警護という点では素人だ、マクラガンを庇うのに精一杯だろう。

「く、くぅっ! 」

 口から洩れた呻きが合図だったかのように、男の力が一層強まり、楯にしているCzが自分の額についた瞬間、涼子は、無意識のうちにさっと右手の力を抜き、腕の重みに任せて右下へ銃を下ろした。

 力一杯涼子を押していた守衛は、抵抗のいきなりの消失に、思わずナイフを持つ右手が銃と一緒に流れてしまい、体のバランスを崩して数歩前へよろけ出る。

 涼子は右手を降ろすと同時に体を左側に避け、前のめりになった守衛の急所へ膝蹴りを決めた。

「ぐふぅっ! 」

 男は妙な呻き声を上げて体を折ったが、最後の力を振り絞って左手を伸ばして涼子のブレザーの襟を掴み、ナイフをその腹に突き立てようとした。

 その瞬間。

 涼子はさっと右手のCzを持ち直し、銃口を男の僅かに開いた口へずぼっと押し込んだ。

 歯が数本折れる音が、不思議とクリアに、耳に届いた。

 同時に、急激に周囲の音という音が消えていく感じがした。

 次に、嘔吐感を伴う現実遊離感を覚えた。

 自分の激しい呼吸音も、早鐘を打つように暴れる心臓の鼓動も、銃を握る手の重みも、なにもかもが自分ではないようだ。

 遠ざかる理性に手を伸ばすがそれはするりと指の間を抜け、代わりに迫ってくるのは、訳のわからない、暗い愉悦。

 急速にモノクロームへと移行していく視界の中、守衛の瞳が大きく開かれ、最初驚愕の色だった目が、みるみる恐怖の色に変り始めていく。

 そんな目の前の情景すらも、まるでテレビの画面に映るB級アクションドラマの一場面のようだ。

 自分のボディががらあきであることは判っていたが、男のナイフはピタッと静止したままだ。

「私に意地悪したら、死ぬよ? 」

 確かに、自分の声だった。

 ように、思う。

 だが、その声も、発した言葉も、まるで見知らぬ他人の発した声のように思える。

 男は次の瞬間、精神を支える最後の糸が切れたのか、くるっと瞳が上に消え、白目になり、ドゥっと音を立てて後へ倒れた。

 ゴキッ、と後頭部と床が激しくぶつかる音がした。

 襟を掴まれたままだったので、涼子も引き摺られて倒れた男の腹部に跨るように倒れてしまった。

 やだ、汚い。

 右手に持ったCzを見てぼんやりそんな事を考えて、男の守衛制服の裾を持ち上げると、マズルに付いた唾液や血を拭い、ホルスターに戻した。

 そこで漸く、涼子は長い溜息を吐いて、ポケットからハンカチを出して額の汗を拭う。

「室長代行! 」

 駆け寄ってきたリザの悲鳴のような声が合図だったかのように、急激に涼子の耳に、身体に、脳に、”現実リアリティ”が戻ってきた。

 途端に、両腕が鉛のように重く感じられ、次に未だ犯人に対しマウント・ポジションをとったままだったことに気付いて、慌てて転がり落ちるようにして男の傍らに退く。

「リ、ザ」

 泣きそうなリザに、微笑んで見せたつもりだったけれど、頬が引き攣って上手く笑えなかった。

「大丈夫。ごめんね、また心配かけちゃって」

 リザが眼を閉じ顔を伏せ、両手で胸を押さえつけるようにしてその場にしゃがみ込んだのを見て、申し訳ない気持ちが胸いっぱいに広がり、涙が零れそうになった。

「大丈夫ですか、室長代行」

 リザの横に立ったマズアに手を引っ張ってもらって涼子は立ち上がると、足元に倒れている男を見下ろした。

「犯人が失神してくれて助かったわ。あ、すいません! 」

 涼子は呆然と立ちすくむ、本物の守衛を呼び、訊ねた。

「この男、知ってます? 同僚の方かしら? 」

 守衛は、涼子と犯人を交互に見比べ、恐ろしげな表情で首を横に振る。

 やはりそうかと涼子は一人頷きながら、リザを振り向いた。

「リザ、立てる? 」

 リザは涼子の返事に慌てて立ち上がり、姿勢を正した。

「あ、申し訳ありません」

「控え室のコリンズ二佐と警務部員3人程、至急呼んできて」

「イエス、マム」

 リザと入れ替わりに副官達を掻き分けてゆっくり歩み寄ってきたマクラガンに気付いた。

「本部長、お怪我はございませんか? 」

「ああ、ありがとう、大丈夫だ。……しかし、こんなところまで入り込んでいるとはなあ」

 さすがのマクラガンも驚いた様子だ。

「ええ。やはり、ヒースロー襲撃以降の次段計画も綿密に練っていたようですね」

 マズアの言葉に、マクラガンも険しい表情を浮かべる。

 と、控え室の方からドタバタと騒々しい足音が近付いてきた。

「統幕本部長! 室長代行! 」

 人垣を掻き分けて駆けつけてきたコリンズ達だった。

 涼子は眉に皺を寄せて、ひとさし指を口にあてる。

「シーッ! 慌ててるのは判るけど、場所を弁えて! 」

「あ! 申し訳ありません。お怪我は? 大丈夫ですか? 本部長」

 マクラガンはコリンズに笑顔を見せて頷きながら言った。

「ああ、大丈夫だ。ここに、ハードボイルドでとびきり美しいボディガードがいるからな」

 マクラガンはそう言って涼子にウインクを送ってきた。

 涼子は、恥ずかしくなって、思わず俯いてしまう。

「一般的な市販の登山ナイフですね。セラミック製じゃなくてラッキーでした。そうだったら、いくら室長代行のメインアームがCzでもスッパリ、だったでしょう。それと、分析しないと解りませんが、薬物かなにか、塗ってあるようです」

 コリンズ達と駆けつけた後、凶器を点検していたSPの報告に、コリンズは頷きながら、涼子に顔を向けた。

「室長代行。どうします? 英国政府に引き渡しますか? 」

 SP達は犯人を既に拘束し終わっていたが、未だ意識が戻っていないようだ。

 涼子は脳裏に英国と締結した条約、プロトコルを思い浮かべながら、首を振った。

「条約通りなら、UNDASNの施設、人員を標的としたテロ行為容疑者の第一次捜査権は我々にあるんだけど……。場所が場所だし、英国政府の体面も考えると、約定プロトコル通りにはいかないわね。駐英武官、第一捜査権を放棄せず、保留として英国政府には共同捜査を申し入れましょう。えと、内務省の対策本部でいいわね。私からもパレードの後、内務大臣にフォローを入れておくわ」

 涼子は一気に喋り切ると、コリンズ達と一緒に戻ってきたリザに視線を移す。

「ここの警備責任者を捕まえて、事件発生の報告と身柄の引取を依頼してきてくれる? UNDASNの控え室にいますからって。……あ、ゆっくりで良いわよ? ゆっくり、ね? 」

 リザは正確に涼子の意図を汲み取ってくれたようで、微かに頷くと、本当にゆっくりした足取りで警備本部の方へ歩いていった。

「じゃあ、コリンズは、その間に犯人からどんな情報でもいいわ、聞き出せるだけ聞き出しといて」

 コリンズとマズア達が犯人を担いで去るのを見届けて、涼子はマクラガンを向いて言った。

「さ。少し遅くなりましたが、我々は聖堂ホールへ参りましょう」

 マクラガンが頷くのを見て、涼子は未だ呆然と突っ立っている本物の守衛を呼んで言った。

「貴方、私達を案内する為に控え室へ行く途中だったんでしょ? 改めて案内をお願いできるかしら? 」

 守衛はサッと涼子に向かって敬礼すると、先頭に立ってホールの方へ歩き始めた。

 涼子は再びマクラガンの斜め後ろについて、ふっ、と短い溜息を吐き呟いた。

「仮に実働部隊5名として、残り、4回、か……」

 体力持つかな、と少しだけ不安になった。


「実働部隊5名として、残り4回、か……」

 再び動き始めた列の中で、ハッティエンは、思わず溜息混じりに声に出してしまう。

 涼子がさっき、控え室で言った通りに、事態は推移している。

 狙撃や爆発物などの”正攻法”ではないだけに、結局は涼子が今眼の前で見せた『活劇』に頼るしかなくなってくる。

 SPが前後左右をがっちり固める通常の移動途中ならば、涼子よりも遥かに安心だが、敵は、驚いた事にウエストミンスター寺院内にまで入り込んでいるとなると、話は全く変わってくる。SPの活動がかなり制限されてしまうのだ。

 公式行事への参加メンバーの見直しも考える必要があるかも知れない。

 後で国際部長のコルシチョフにでも研究させてみようと思いつつも、英国政府へのプレ・エントリー・メンバーズ・リポートの変更手続き等を考えると、どこまでUNDASN側の思惑通りに進むかは疑問に思われた。

 厄介な話だ、と結論の出ない思いに見切りをつけて、ハッティエンは何気なく、出発時の序列を変更して自分の前を歩く、”勇敢な”部下の背中に視線を移す。

 と、突然、涼子が再び右手を腰に回したのを見て、ハッティエンはドキリとした。

”また襲撃か? ”

 が、涼子がスカートのポケットから引っ張り出したのは、銃ではなく、小さなコンパクトだった。

 歩きながら、コンパクトを開けて鏡で髪や化粧を確認しているようだ。

”この娘は……”

 ハッティエンは安堵するよりも先に、不思議の念に捉われる。

 自分の部下であり、そして部下の中でも一番の実績と信頼感があり、だが、それでいながら。

 日々、常に涼子には予想を裏切られ続けている。

 しかも、嬉しい方へ、だ。

 予想の遥か斜め上を行く涼子の日々の振る舞いに、実は、これまでどれほど期待し続けていたことだろうと、ハッティエンは過去を振り返り、改めて驚いてしまう。

 そして、今日、つい数分前も。

 だが、今日ばかりは、確かに予想の遥か斜め上であるには違いなかったが、嬉しい方、とは言い難かった。

 ……あれは本当に、彼女だったのか?

 どこぞのイリュージョンではあるまいに、馬鹿馬鹿しいと笑い飛ばせない程の違和感が、今更ながら胸の中で膨らんでくる。

 その時、コンパクトの鏡の中の涼子と、ハッティエンの視線が合った。

 ハッティエンは、無意識のうちにじっと涼子をみつめ続けていた事に今更ながら気付いて、なんとなくバツが悪く、思わず歩きながら化粧直しをしている涼子の無作法を咎める様に、睨みつける様な視線を送る。

 刹那、自分の不手際を誤魔化す為にした行為に少しだけ後悔したが、当の涼子は鏡の中でニコッと微笑み、ペロッと舌を出すのを見て、思わず顔を綻ばせてしまった。

 途端に涼子はチラッと後を振り向き、ハッティエンに向かって眼で謝り、拳固で自分の頭を叩いて見せる仕草をした。

 その仕草の幼さ、屈託のなさと、さっきの涼子とをどうしても上手く重ねる事ができず、ハッティエンは困ってしまい、とうとう目を伏せてしまう。

 視線を逸らしたまま、ハッティエンは考え続ける。

 しかし、それにしても、だ。

「さっきの、アレは……」

 事実には、違いない。

 はっきりと、涼子の言葉が、涼子の声で~普段よりは低く、けれど、肝まで冷えてしまうような冷たさがあったが~耳に届いたのだ。

『私に意地悪したら、死ぬよ? 』

 未だはっきりと耳に残る声は、思い返すだけで体感温度を数度下げるほどだ。

 それを耳元で囁かれたあの犯人は、確かに気絶しても不思議ではないと思えた。

 ハッティエンは、まるで悪夢の内容を思い出し分析するような意味のない思考を打ち消す様に、頭をブルンと振り、前を行く涼子の後姿をみつめる。

 その姿の齎す印象は、また先程までの無邪気な少女から有能な秘書、キャリアウーマンのイメージに取って代わっていて、一層彼の憂鬱さを深めた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る