第49話 9-3.
首相官邸での統幕本部長表敬訪問、その後の外務省での会談、エトセトラ、エトセトラ。
すべての行事をこなす為、涼子とUNDASN首脳陣一行は、このダウニング街、『ホワイトホール』と呼ばれる官庁街の狭い一角を右往左往した。
マスコミからは過剰警備、税金の無駄遣いとの攻撃を受けながらも、一週間前から殆ど完全封鎖に近い状況になっていたホワイトホールから外へ出る必要もなく、その上警務部SPは1個分隊が張り付きっ放し、加えてスコットランドヤードのSPや警官隊、影から見守るMI5やSASにSBS、在英各部隊からの応援の私服UNDASN隊員達のお陰で、涼子は、それこそ午前中だけで両手の指で足りないほどの交渉や会談をこなしながらも、襲撃事件そのものへは然程気を回す必要がなく、体力的な面は別として精神的な負担はあまり感じなくてもすんだ。
午前中最後のイベント、日本の森田首相との、防衛省防衛技術研究所とUNDASN
有名なバッキンガム宮殿の衛兵と同じ服装の近衛兵の警備する正門を抜け、敷地内では制服姿の守衛の案内で寺院内の控え室に入ると、午前中は別行動だったマズアやコリンズ、ヒギンズ、リザと銀環も既に到着、待機していた。
とは言え、基本的に寺院内で正午より執り行われるチャールズ15世戴冠式に参列するのは、将官以上と駐英武官だけである。
涼子は佐官だが、欧州室長代行イコール代将、つまりアドミラルということで、末席に連なる事になっていた。
入室した涼子を見つけて、ヒギンズが昼食代わりのサンドイッチと紅茶を渡した。
「わ、ありがとう! お腹減ってたんだー、いっただっきまーす! 」
涼子は早速サンドイッチにぱくつく。
「ちょっと、1課長……。ちゃんと座って食べてくださいよ」
苦笑交じりのヒギンズに椅子を勧められて、立ったままだった事に気付き、涼子が頬を赤らめて椅子に座ろうとした途端、控え室ドア付近が急に騒がしくなった。
コリンズが血相を変えて飛び込んできたのだった。
ポーカーフェイスだと思っていたコリンズが、あれほど慌てるなんて意外だ、と涼子がぼんやり考えていると、名前を呼ばれた。
「すまない、駐英武官! それとハッティエン局長、ボールドウィン局長、……ああ、それから欧州室長代行、申し訳ありませんが、お話があります」
呼ばれた全員が腰を上げ、部屋の隅にあるミーティングコーナーへ移動したのを見て、涼子もサンドイッチと紅茶を持ってそちらへ移動した。
腰を下ろして食事を再開してすぐ、涼子は全員の視線を感じて顔を上げた。
「ふぇ? 」
コリンズを初めとして全員が、呆れた表情で涼子をみつめ、そして次にお互い顔を見合わせて表情を緩めた。
「な、なにかな? 」
まず、血相を変えて飛び込んできたコリンズ自身が態度を変えた。
「いや、まあ、今からジタバタしても始まらん事に気付きました」
全員が笑いながら頷き合っているが、涼子にはその意味が判らない。
判らないままサンドイッチを口に放り込むと、いきなりミーティングは本題に突入した。
「つい先程、情報が入りました。精度はDですが確度はBです」
「フォックス派の情報か? 」
マズアの問いかけに、コリンズは頷いた。
「本早朝、
ボールドウィンが短い溜息を零す。
「なんとも大胆だな。装甲車のままロンドン市内へ入ったのか」
「ええ。この厳戒態勢の中です。却って警察車両のほうが人目につきにくい。盲点を突かれた格好ですな」
「やはり逃走を手引きした人間が、その4人以外に居た、と言う事だな」
ハッティエンが苦々しげに呟いた。
「仰る通りです、政務局長。あの英国側の追跡体制を巻いた手管から見ても、やはり車外の支援者のうち少なくとも1名はプロと考えてよいでしょう」
「昨夜の貴様の話だが、渡英したきたのが5名はほぼ確定として、在英の仲間は本当にそのプロの手配屋1名と考えてよいものだろうか? 」
マズアの言葉にコリンズは少しだけ眉根に皺を寄せた。
「まあ、確定ではないが、情報部の分析結果やICPO公安局、ユーロポールや英国公安筋の情報をトータルすると、2年前の英国国教会幹部襲撃事件後の徹底サルベージ作戦絡みで、フォックス派に金で雇われたそのテのプロフェッショナル、つまりは武器の手配屋やコーディネーター、逃がし屋や情報屋はそれこそ徹底的に狩り出されたからな。以来、フォックス派の仕事は、ハイリスク・ハイリターンだってんで、あまり誰も請けたがらなくなった、ってのが業界通の見通しだ」
「しかし、それは裏を返せば、貴様の言うプロも金で割り切っている訳じゃなく、入信、もしくはシンパになったと見ても良い、って事じゃないのか? 」
「一概にそうとは言えん」
マズアの指摘に、コリンズは苦しげな表情を微かに浮かべながらも言い返した。
「今回の犯行は、御神託執行部が面子を賭けて取り組んでいるだろう作戦だ。余程の高額なギャラで雇い入れたという考え方も棄てられない」
「楽観的に見積もったとしても、だ」
僅かに苛立たしげな口調でボールドウィンが二人の会話に割り込んだ。
「渡英してきた5名が、今後単独で波状襲撃をしてくる可能性もある訳だろう? つまりは、後最低でも5回は襲撃があると見るべきなんじゃないのか? 」
ハッティエンが首を捻りながらそれに反論する。
「しかし、狙撃ポイントは全て、英国側が押さえているんだろう? 」
コリンズは宙を見据えてゆっくりと話す。
「その通りです、政務局長。勿論、パレード周辺地区や式典開催区域は、1ヶ月も前からスコットランドヤードや軍がビルディングサーチを含む徹底的な捜査を行なっています。まあ、これはUNDASNの為ではなく、新国王の為なんですが、ね」
「それでも襲撃してくるかね、フォックス派は……」
半ば自分自身に問い掛けるような口調のボールドウィンに、コリンズは頷いて見せた。
「ええ。何らかの形で襲撃してくるのは、まず間違いないでしょうね、軍務局長」
「成功率は無視して、か? 」
マズアの問いには直接答えず、コリンズは言葉を継ぐ。
「昨夜もご説明差し上げましたが、異端審問部と違って御神託執行部は、殊、戦闘、テロ行為に関しては素人同然です。そうして考えると、狙撃といったテクニカルな襲撃は今後あり得ない。それは昨日の、火力の豊富さのみに頼った襲撃方法でも明確です」
ハッティエンが背凭れに身を預けながら納得したように呟いた。
「うむ。石動君の言葉通り、ヒースロー空港が素人の連中にとっては最大のチャンスだった訳だな。そこでしくじった、じゃあ奴等が次に取る手段としては、自爆上等の近接戦闘……。つまりは単独犯行による波状攻撃と言う訳かね? 」
コリンズが頷いた。
「ご明察です、政務局長。さて、それではどこで彼らが襲撃してくるか、なんですが……。常識的に考えて、まずウエストミンスター寺院内は無理でしょう。それにバッキンガム宮殿内も、ね。それに今夜の統幕本部長の宿泊も、明日の観艦式に備えてサザンプトン港繋留中のグローリアス艦内。これも無理でしょう」
「となると、パレードを含むその他移動中、か? 今日はパレードの後、バッキンガムの晩餐会の前に確か」
「統幕本部長は政務局長とご一緒に、
ボールドウィンの問いに、マズアがすらすらと答える。
ハッティエンが全員を見渡す様に口を開く。
「となると、やはりパレードを含む移動中が最も危険な訳だ。常識的に考えると、やはり、パレードか」
「どうだろう、フリードリヒ。パレードへの不参加もやむなし、だと思うんだが。相手は素人、守りきれるかも知れんが、周辺一般人や英国側の巻き添え被害を考えると、リスク・ヘッジするに越したことはないだろう? 」
ボールドウィンの問いかけに、ハッティエンはやや苦しげな表情を浮かべる。
「UNとしては今回の即位式典はかなり政治的デモンストレーションの意味合いが強いことは各位承知されていると思う。その意味でも、パレードにおける序列でさえ国連事務局や防衛機構、ウチの国際部にはかなり骨を折ってもらったんだが」
マズアも、ちらっと涼子の表情を見た後、悔しそうにつぶやく。
「ロイヤルファミリー、英国政府の後、国連事務総長防衛機構理事長、そして本部長ですからねえ……。英連邦三十数ヶ国やEU代表部を差し置いて、ベストともいえるポジションにつけたんですが」
「しかし、テロ被害の回避、何より本部長の命には代えられまい。ここはひとつパレード不参加で」
ボールドウィンが裁判長の様な口調でまとめにかかる。
ハッティエンもやむを得ない、と言った表情で微かに頷いた。
それまで黙って議論に耳を傾けていた涼子だったが、ボールドウィンの言葉を聞いて思わず立ち上がり、声をあげていた。
「お待ち下さい、短慮はいけません、両局長! 」
言ってしまってから、どうしよう、と迷いが顔を覗かせる。
けれど、言わなきゃ。
言いたくない、考えるだけで胸が痛くなる、けれど、このまま流れに身を任せてしまうと、もっと、もっと酷い痛みを味わう事になってしまう。
だから涼子は、震える身体に、声を励まし、刹那の痛みを舌に上す。将来待ち受けている筈の、大きな痛みと哀しみを打ち砕く為。
「ただいま駐英武官が申し上げました通り、この対ミクニー戦継続が困難になりつつある国際情勢下で、これ程のUNDASNアピール、そして国連の名の下に全地球意思統一へのアピールが出来るイベントは、今後近い将来、望み得ないと考えられます。既に、世界中のマスコミが昨夜のヒースロー襲撃事件を大々的にリリースしつつある状況で、このままパレードも辞退、となれば、UNDASNや国連にとっては決定的な不利、そしてフォックス派を利用した反国連運動や地球分権主義国家に勢いを与える事は明白です。ここは、断じて退いてはいけません。失礼ながら、ここは本部長ご自身にフェンス・インしていただく他ない、と考えます」
それは、涼子のような若輩が口にしなくとも、全員が『軍人として』理解している筈だった。
しかし今、誰もが本部長への尊敬の念、人間としての情に流されてなかなか発言できない事もまた、涼子にはよく理解できた。
だからこそ、自分が言わなければ。
ボールドウィンが沈黙を破る。
「君達国際部の意見はよく解っているし、我々の当初の目的もまさにその通りだ。しかし、今ここでUNDASNの要である統合幕僚本部長統合司令長官を危険な目に合わす訳にはいかん! 勝機は我にありとは雖も、近い将来新作戦の展開も控えており、また、複雑さを極めつつある占領惑星政策、特に
退いてはいけない、冷静に、クールに。
涼子は普段の外交交渉の場を意識して、先程よりは小声で話すことを心掛ける。
「軍務局長のおっしゃる事はよく理解しているつもりです。しかしそれは、軍人として、一番陥ってはならないポイントだと思います。失礼ながら、統幕本部長統合司令長官に代わる人材は希少ながらあるでしょう。しかし、UNDASNとしての継戦基盤確立、国連の地位基盤確立、そして遠くない将来に現出せしめねばならない地球統合政府樹立のチャンスは、それこそ人為的に操作できるものではない事くらい、軍務局長、それに政務局長もよくご存じのはずです」
言葉が終わるのも待たず、顔を真っ赤にしたボールドウィンが椅子を蹴って立ち上がる。
涼子達の世代がマクラガンを尊敬や畏怖を持って慕う以上に、彼を”オヤジ”と呼ぶボールドウィンやハッティエン達の将官連中は、もっと泥臭く、そして太い信頼関係がある。
ハッティエンも、顔を朱に染めて、テーブルの上に置いた拳も怒りのためか震えている。
コリンズやマズアも、緊張を隠そうともせずやはり立ち上がっているが、それはどちらかと言うと、荒れる将官達を押し止める準備のように思えた。
そんな観察が出来ている自分を、涼子は”よし”とした。
そして、一層、静かな口調で言うべきことを話すことにした。
「自分は……、私は、フォックス派が、必ずしも銃撃等の正攻法で襲ってくるとは考えません。もしも私が襲撃犯なら、近接戦闘だけを心掛けます。考えてみれば、この英国新国王の為の過剰とも思える警備体制の中で、常に英国政府や他の首脳と行動をともにする本部長を、銃撃できる場所は殆どないんです。あのヒースロー空港を除いては。これ以外も、先程コリンズ二佐の説明にあった通り、殆どチャンスはありません。となると、パーティやパーティ後のエントランスホール……。おのずと限られてきます」
掠れる声で、マズアが口をはさむ。
「し、しかし1課長。今仰られたシチュエーションでは、とても銃を持ってストーキングできるとは思えませんが」
涼子は視線をボールドウィンから外さず、鋭く言い放つ。
「凶器は銃とは限らない。鉛筆1本でも使い方次第で一撃必殺の凶器となり得る。そう言うんじゃなかったかしら、非正規戦闘のマニュアルでは。ね、コリンズ二佐? 」
コリンズはまるで子供の様に、無言で首肯し涼子に同意を示す。
それに勢いを得て、涼子は再び全員を見渡した。
「確かに自爆テロによる、周辺施設や戴冠式見物の観光客等一般市民へのテロ被害は考慮すべきですし、許してはならないと言う事は理解しているつもりです。しかし、昨夜の、そして今さっきの情報部見解を聞いて判断する限り、過去に見られた爆弾や爆薬を抱いて標的に飛び込むと言った、戦果を期待通りに挙げ難いギャンブルのような手法を今回の彼等が採用するとは私には思えません。戦闘技術は素人でも、それなりに計画を練り上げ、確実にターゲットを葬り去るような手法を採用するだろう事は、想像に難くありません」
涼子はほぅ、と静かに吐息を零し、ゆっくりと言葉を継いだ。
「幸い、今日から本部長離英まで、私は本部長と行動を共にする事ができます。この石動が本部長の楯となります。何卒、当初の予定通りの行動をお願い致します! 」
涼子は、言いながらブレザーのサイドベンツへ手を突っ込み、ヒップアップホルスターからCz75を抜き取ってテーブルの上に置いた。
「1課長。いつの間に」
マズアの質問に、涼子は苦笑を浮かべて答えた。
「ごめんね、マズア。でも、私、昨日言ったよね? 統幕本部長は私が守ります、って」
ボールドウィンは椅子にどさっと腰を下ろして、意外に落ち着いた声で言った。
「わかった、欧州室長代行……。今後の行動は全て予定通りだ。よろしいな、政務局長? 」
ハッティエンも椅子に座り、溜息交じりに答える。
「それで結構……。但し、本部長の移動手段は、マズア駐英武官、武官事務所が中心となって、練り直せ。コリンズ二佐も支援しろ。移動には、必要ならばVTOLの使用も許可する。英国政府を刺激せず、目立たず、そして安全に、だ」
コリンズ、マズアは不動の姿勢で敬礼する。
「サー、イエッサー! 」
涼子は無言で一礼した。
ホッとした。
自分達が今日まで、不断の努力を重ねて積み重ねてきた結果が覆されるのが嫌だった訳じゃない。
ただ、そうすることが、一人でも多くの『仲間』を救う、遠周りのように見えて一番の近道、そう信じているに過ぎないのだ。
軍人という職業、合法的な大量殺人者とも言える職業を選んだ時点で、自分は、UNDASNの仲間達はけっして正義の人ではなくなっているのだろう。
それでも、僅かでも自分に正義を感じて良い、と許されるのならば。
見知った、懐かしくて愛惜しい仲間達を守る。
それだけでも、せめて。
正義なのだと、謳わせて欲しかった。
涼子は、ゆっくりと椅子に腰を下ろした。
途端に、空腹を覚え、無意識のうちに手に持っていたサンドイッチを口に放り込んだ。
どうやら手に持ったまま議論していたようだ。
気付いて、恥ずかしくなり顔を赤くする前に、全員から笑い声が洩れて、涼子は余計に恥ずかしくなった。
なにか言い訳しないと、そう考えて慌ててサンドイッチを紅茶で胃の中に流し込んだ途端、ドアの辺りで声がした。
「お時間です。式典ご参列の諸氏はご案内致しますので廊下までお進み下さい」
守衛が直立不動の姿勢で立っていた。
涼子は口の周りをハンカチで拭い、制帽を取り上げ小脇に携えて立ち上がり、黙って議論を聞いていたであろうマクラガンの傍に進んだ。
「本部長、いざ。石動がお伴いたします」
マクラガンはうん、と頷いて立ち上がり、ささっと服装を正しながら、口を涼子の耳元に近づけて囁いた。
「石動君。君の気持ちはよくわかっとる。ただ、無茶をせんと、怪我のないようにな。わしも老いぼれとは言え、これでも軍人だからな」
嬉しかった。
一番、想いを判って欲しい人が、きちんと理解してくれている。
その事実だけでもう、涼子は泣きたくなってしまう。
「本部長、私……」
「さ、いくか」
マクラガンは、涼子の肩をポンと優しく叩いて歩き出した。
ロンドン・ウィークが終わったら、久し振りにマクラガンの家に遊びに行こう、そう思った。
奥様の好きな薔薇の花束と、チェリーパイを持って。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます