第40話 7-2.


 UN特別機無事到着、入国手続き中の報せを受けて、リザが涼子達を促しVIPルームから到着ロビーに戻ってみると、ロビー内の雰囲気は一変していた。

 到着ゲートからエントランスまでの間を、スコットランドヤードの警官達がサブマシンガンを構えてズラリと並び、花道を作っている。

 リザ達が到着したときには居た筈の待合ロビーにいた人々は、今は姿が見えず、その代わりではないだろうが100人程のマスコミが警官達の花道の外側に並び、カメラやマイクを高く掲げて待機していた。

 ターミナル7は1階が到着ゲート、2階が出発と分かれているが、首を巡らすと2階から1階ロビーを見下ろすキャットウォークにも警官達がMP5を構えて立っていた。

 出発便などない時間帯だから良いようなものの、とリザは思わず苦笑を浮かべた。

「たいへんお手数をおかけしたようで恐縮です、ジョンソン審議官」

 涼子が横に立つ英国外務省審議官に声をかけ、腰を折っていた。

「いや、当然のことです、石動代将アドミラル・イスルギ

 まだ40代半ばらしいが、見事に禿げ上がった額をハンカチで拭きながら~確かに体重は100kgを超していそうではあったが、2月でこの汗じゃ真夏はどうなるんだろう、とリザは思った~、鷹揚に手を振った。

「それより、今更ながらではありますが、折角のご来訪にも関わらず、このような剣呑な事態を事前に防げなかったことは、誠に遺憾です」

「いえ、そんな、滅相もございませんわ、審議官」

 涼子は厳粛な表情を浮かべて言葉を継いだ。

「こちらこそ、国王陛下戴冠式という、貴国にとって記念すべき一大ペーシェントの場に、テロリストを呼び込むような機会を与えてしまったことが、我々の手落ちではないにせよ、本当に申し訳なく思っております」

 涼子としては『我々の手落ちではない』事だけを言いたかったのだろうが、さすが手強さに定評のある英国外交を事務レベルで取り仕切る審議官クラスだ、さらりと交わして卒のない言葉を繰り出してきた。

「石動代将が謝罪なさる必要はこれっぽっちもありません。英国が如何なるテロリズムをも断固として拒絶し、根絶することを国是としていることは世界中が周知しているところであり、戴冠式での警備計画さえなければ、もっと徹底的な警備と捜索を行ってみせたい程です。そもそも、UN、UNDA、そしてUNDASNと我が英国及び英連邦といたしましては……」

 リザは、放置すればたぶん延々数時間にも及びそうな普段の彼の饒舌ぶりを思い出してげっそりし、それなのににこやかな表情を浮かべて、根気良く相槌を打ち続けている~本当に心が広い人だ、としみじみ思う~涼子の後姿を眺めながら密かに吐息をついた。

「おい、先任」

 自分が呼ばれたのだと気付くまで数瞬の間があっただろう。

 それくらい、彼が自分に声をかけてきた事実それ自体が意外だった。

「はっ! 」

 慌てて背後を振り返り、姿勢を正す。

「いい、楽にしてよろしい」

 小野寺は面倒臭そうにボソ、と言うと、改めてリザをみつめた。

「答えられんのなら答えんでもよろしいが、ひとつ質問させてくれ」

「……は。なんでしょう? 」

 リザは自分の瞳が剣呑な光を湛え始めているのを意識しながら、それを隠す努力を放棄して、低い声で返事した。

 拒否したかった。

「38号議案、とかいう計画を知っているか? 」

 ドキリ、とした。

 小野寺は、リザのそんな感情に気付いているのか気付いていないのか、全く表情も口調も変えずに、ただ、涼子を気にするようにチラと視線を一度だけ送って、訊ねてきた。

「……どこでそれを」

 言ってから、しまった、と思ったが、もう遅い。

 38号議案の存在を知っているのは、統幕勤務のアドミラル連中でも多くはない。

 立案した涼子と、その上官である国際部長、そして政務、軍務両局長ぐらいだ。

 そして38号議案では『駒』となる、統幕本部長と太陽系内幕僚部長。

 リザにしても、涼子の副官にたまたま就いていたからこそ知り得ただけで、同じ立場と雖もB副官の銀環は知らないほどなのに。

 この、目の前に立つ憎たらしい、無愛想でスカルフェイスの男は、そんなセンシティヴな計画を、いったい何処で嗅ぎ付けたのか? 

「やっぱり、あるのか」

 小野寺は独り言のように呟くと、ニヤ、と笑って~リザはこの無愛想な男が笑った事に大層驚いた、よく考えれば当たり前のことなのに~リザに小声で囁いた。

「いや、IC2インターセプター2(直接地球防衛第2艦隊の部隊略号)のチェンバレン長官が、明後日の観艦式後に内幕部長来艦準備着手の幕僚部命令を受け取った、と俺に耳打ちしてきてね」

 リザが思わず溜息を吐くと、小野寺はもう一度苦笑を浮かべて彼女から視線を外した。

「あの、軍務部長。失礼ですが、このことは」

「了解している、先任」

 私は貴方のA副官ではありません、と怒鳴り返しかけて、危うく思い留まる。

 小野寺の背後で、自分と同時期に副官部に異動してきたイボーヌ・シャロン一等艦尉が興味津々とばかりに青い瞳を輝かせているのに気付いたからだ。

 もう一度溜息を吐くと、小野寺は何を思ったか、再び口を開いた。

「別にどうもせんよ。ただ、38号議案が生きてるんなら、石動も少しは気を楽に持てるだろうと思っただけだ」

 リザは、頭に集まり煮え滾っていた血が、スッ、と音を立てて速やかに冷却されつつ四肢へバランスよく再配分されていく感覚に痺れていた。

 何を言ってる? 

 何を考えて、そう言ってる? 

 何故、貴様はそう思い、そうあれと願う? 

 勿論、三佐風情がアドミラルにそんな口をきける訳もなく、数度口をパクパクと開閉させて、漸く転がり出た言葉は如何にも中途半端を象徴するような一言だった。

「……なんで? 」

 じっとリザの肩越し、そして涼子の頭越しにゲートを睨んでいたらしい彼は、「ん? 」と一言喉の奥で呟いて不思議そうな表情を一瞬浮かべ、チラリと無礼な下僚に視線を飛ばし、だがそれを咎めだてすることもなく、今度ははっきりと、涼子の端正な横顔に視線を向けた。

「理由、か? 」

 小野寺は、思わず転がり出た、リザの出会い頭の事故にも似た問い掛けに、ボソボソと答えた。

「……石動は、マクラガンのオヤジさんを慕ってるからな。まあ、一種のエディプス・コンプレックスだろうが。……まあ、そんな石動が、オヤジさんを餌にするような、こんな危険な訪英計画を推進しなければならない、そしてそうする事が正しいのだと並み居るアドミラルの大御所を前にして啖呵を切らなきゃならんなんて、ストレス以外の何物でもないだろう」

 リザは思わず、涼子を振り返る。

 小野寺の言葉は、続いていた。

「アイツは、『人死に』が嫌なんだ。オヤジさんであれ、部下であれ、名も知らぬ赤の他人であれ、な。とにかく、闇雲に守りたがる。……つまらん約束、未だに後生大事に抱えてやがる」

「約束? 」

 聞き咎め、リザが再び振り返った時にはもう、彼は明後日のほうに顔を向けていた。

「不器用な奴だ」

 暫く彼の横顔をじっと眺めていたが、それ以上待っても話は再開されそうになかった。

 已む無く正面に向き直り、審議官の長広舌にまだ捕まっている上官の顔を見ながら、チラ、と思った。

 負けたっぽい、な。

 悔しかった。


 サー・ジョージ・マクラガン統幕本部長統合司令長官がアレックス・ボールドウィン統幕軍務局長、フリードリヒ・ハッティエン統幕政務局長達を従えてロビーに姿を現したのは特別機到着から30分後だった。

 時刻も時刻だったこともあり、その場で英国政府代表のジョンソン、ハリソンとの儀礼交換を終えた一行は、テロリスト襲撃の危険性からそれ以上ここに留まる事を良しとせず、すぐさまロンドン市内に入ることになった。

「申し訳ありません、統幕本部長。このような時間にお出まし頂くことになってしまいまして。正式なブラウン首相への表敬訪問は、明朝、英国首相官邸キャビネットオフィス0730時マルナナサンマルETAで先方了承済みです、今夜キャンセルした記者会見も明日、官邸で行います」

 マクラガンは、普段よりも幾分元気のない涼子の声に、思わず足を止めて振り向き、微笑んだ。

「いやなに、構わん。年寄りは朝が早いことになっとるからね。それより、石動君」

 マクラガンは、涼子の肩を軽く叩いて言葉を継いだ。

「君がそんなに申し訳なさそうにする必要なんぞないんだ」

「ふぇ? 」

 涼子が驚いたような表情で見上げてくる。

 その今にも涙が溢れ出しそうな瞳を見た途端、マクラガンは激しい後悔を覚えた。

 この娘に、こんな顔をさせるつもりではなかったのだ。

 だから妻にも、貴方はデリカシーがと言ってよく怒られるのだろう。

「君が、私の身の安全と、任務と、最前線の仲間達との板挟みで苦しんでいる事くらい、判っとるよ」

 思ったより強い口調になってしまったことに気付き、マクラガンはワザとらしい空咳をして、口調を和らげた。

「だから、アレックスもフリードリヒも、折れたんだ。なあ? 」

 涼子の背後に居たボールドウィンが、機嫌の良さそうなテナーの甘い声で答えた。

「おや? 見抜かれてしまいましたか、本部長」

「軍務局長? 」

 振り返った涼子に、ボールドウィンは、以前彼が酒の席で、これで妻を落としましたと自慢げに実演して見せた~マクラガンには痙攣にしか見えなかった~ウィンクを送りながら言った。

「私こそダブル・バインドだったぞ、石動君。本部長も立てにゃならんし、君の胸のうちも痛いほど判っていたから、な」

「アレックス、貴様石動に甘すぎる」

 横から割って入ったハッティエンが、クラスメイトでもあるアレックスを肩で小突く。

「貴様がそんなだから、石動、調子に乗りよって、ますます生意気になりおるわい。手が付けられん」

「ハ、ハッティエン局長ぉ」

 情けなそうな声を上げる涼子を無視して、ボールドウィンは肩で親友を押し返した。

「貴様こそ、手が付けられんを切り札にして、普段から石動君を甘やかしているじゃないか。貴様、そう言うのを何て言うか知ってるかね? 」

「なんだ? 」

 ボールドウィンは胸を張って答えた。

「ツンデレ」

 マクラガンは思わず失笑を洩らしてしまった。

 が、それを掻き消す勢いで大笑いしたのは、涼子だった。

「あははははっ! 」

 腹を抱え、身体を折って笑っている。

 大きな瞳に涙を溜めて。

 今にもハッティエンを指差すほどの勢いで。

「ツ、ツンデレッ! あははは! ボールドウィン局長、上手い! 座布団1枚! 」

 座布団クッションの意味はマクラガンにもよく理解できなかったが、ボールドウィンは満更でもなさそうな表情でニコニコと頷いている。

 嘗て、ミイーケ星敵前撤退戦での陽動艦隊を指揮し、かの星で充分な補給を受けられず飢餓に苦しんでいた80万将兵の撤退を艦艇損耗率30%弱、人員損耗率25%強にも及ぶ敵の猛攻を受けながらも辛抱強く支えて見事に成功させた、あの『強面の貴公子』、ボールドウィンが、である。

 俳優さながらのナイス・ミドル振りの外見と紳士的で社交的な身のこなしを持ちながら、いざ戦闘に臨めば、鬼も裸足で逃げ出すほどの猪突猛進振りを見せる、彼が、だ。

「やーんもうおかしー! ハッティエン局長なんか、ツンデレっていうより、ツンドラって感じなのにぃっ! あはははははっ! 」

 一方涼子にいいように笑われても苦虫を噛み潰したような表情で黙ったままの~マクラガンには、怒っているというより照れているように思えた~ハッティエンにしても、同じだ。

 小手先の作戦など認めないと言わんばかりの『本丸を大手門から火の出るほどに攻め立てる』スタイルと見せかけて、相手の心理の隙を突く陽動、情報撹乱、くどい程の事前策敵、搦め手からの攻撃も念入りにそして周到に準備する『戦う前に9割の勝利を我が手に』のスタイルは、無愛想と強面の外見に由来する二つ名『ファイティング・ブル』には反するが、それにしたって、ハッティエン、ボールドウィンというUNDASNの誇る攻撃的アドミラル二強を前に、まるで女子高生が昼休みに気安い友人をからかうようにして笑い飛ばす事のできる佐官が、猛者が、果たしてUNDASNに何人いるのだろう。

 本当にこのは、とマクラガンはしみじみ思う。

 涼子にしたところで、まさか突っ張って猛者を演出している訳ではないのだ。

 ただ、涼子の胸の内にある、ボールドウィンとハッティエンの持つ『人格』への尊敬と信頼、親しみ、そしてこれが一番大きい比重を占める筈だ、彼等への『愛』が、その自然な態度に表れているに過ぎないのだろう。

 いや、それは涼子にとっては、彼等二人に限ったことではあるまい。

 およそ涼子の会話し得る限りの範囲にいる、上官であれ同僚であれ下僚であれ、それは彼女にとっては等しいに違いない。

 ただ、対象の理解度の深さによって、表れる態度に差が出るだけで、基本的に涼子が周囲へ振り撒く感情は、きっと変わらない。

”だからこそ、の強さなんだろうなぁ”

 およそ、佐官以上の高級幹部は、その勤務職掌の履歴や防衛大学での選択課程によって、大抵は、軍務局関係の『軍令マーク』、政務局関係の『軍政マーク』、本部関係の『専門マーク』という様に、非公式な色付けがされていくものだ。

 斯く言うマクラガンにしても、実施部隊配置の他は、殆どが軍務部・作戦部といった『軍令マーク』である。それ以外では艦政本部勤務や政務局国連部勤務、現地調整部勤務が数度、あるだけである。

 その点、涼子は違う。

 防衛大学卒業者にしては実施部隊勤務が比較的多いのだが、それ以外、軍令、軍政とバランスよく勤務している。まあ、ここ最近は圧倒的に国際三部門が多いのだが。

 実施部隊に出れば、野性の戦闘勘が恐ろしいほど働く『戦闘妖精』、『牙を隠したヴィーナス』。

 作戦部門にあれば、緻密でおよそボトルネックやウィークポイントなど感じさせない、見事なほどに”美しい”作戦を瞬く間に立案する『孔明の愛娘』。

 そして国際三部門では、『名外交官』、『地球統一のジャンヌ・ダルク』、『国連の守護女神』と、正に文字通りの働きを見せる。

 それらの評価は決して過大ではなく、そして彼女の見せる活躍全ての中心にあるのはつまり、『涼子が、慈雨の如く周囲へ振り撒く、愛』なのではないか、マクラガンはしみじみ想う。

”それにしても……”

 ふと、マクラガンが首を傾げた刹那、低いけれど鋭い声が耳に届いた。

「石動代将」

 小野寺だった。

 一言で、涼子は笑いを納め~大きく開いた薔薇のような笑顔はそのままだったが~、姿勢を正した。

「失礼しました」

 怒られたというのに~初級幹部ではあるまいに、三将からこうも判り易く”怒られる”一佐も、涼子くらいのものだろう~、涼子は嬉しそうに、頬を染めて、彼をチラ、と見てペロと可愛らしく舌をだす姿を見て、マクラガンは今度こそ、微笑んでしまう。

 そんな彼女の愛も、どうやら”特別”を見出す事ができたようだ。


 マヤは、マクラガン達がゲートを出てくる直前に、警官にロビーを追い出されてしまった。

 マシンガンをぶら下げた警官が近付いて来た時は、バレたかと緊張したが、誰何される事もなく立ち退きを要求されて、黙って従うのが吉と建物の外へ出た。

 見渡すと、車列は整い、警備のパトカーの青い回転灯が忙しなく夜の闇を掻き回している。

 車列先頭の向こう、100m程先に、マヤはハザードを出して駐車している、往路に乗ってきたタクシーを見つけた。

「よう、お客さん。お一人かね? 待ち惚けかい? 」

「ううん。まだ到着していないの」

 マヤは助手席の窓を開いて話し掛けてきた運転手に答えた。

「それにしてもエラい騒ぎだねぇ。こんな時間にどこぞのおエライさんでも来るのかね? 」

「国連特別機が到着して、UNDASNの最高司令官がやってくるの」

 早口で捲くし立てるように説明した後、マヤは、一拍置いてから意識的に口調を緩めた。

「お願いがあるんです、おじさま」

 運転手は笑みを消し、マヤの顔と前方のパトライトの群れの間に視線を一往復させた後、再び微笑んだ。

「お客さんの『おじさま』は、殺し文句だね」

 マヤも思わず微笑んでしまう。肩の力が抜けたようだった。

「私の待ち人は、国連特別機の乗員なんです。でも訳があって直接、ここでお逢いする訳にはいかないの。だから」

「あのVIPの行列の後を尾行しろ、ってことだね? 」

 マヤの言葉を遮って運転手が先回りした内容に、マヤは思わず頷いてしまう。

「判ったよ、お客さん。あんたが悪人じゃねえことくらい、判るさ。心配要らないよ、請け負った」

「ありがとう、おじさま! 」

 マヤは助手席の窓に上半身を突っ込み、運転手の広い額にキスの雨を降らせた後、小走りにエントランス付近へ駆け戻って柱の陰に身を隠した。

”ここなら、警備からは死角よね”

 それでも、あまり不自然に身を隠しては、怪しまれてしまうかも知れない。

 マヤは、そこらの野次馬が何の騒ぎかと集まってきた風を装うつもりで、普段自分を取り囲んでいる”野次馬”の姿を思い浮かべようとした。

 刹那。

 視界の隅を、黒っぽい何かが動いているのに気が付いた。

「ん? 」

 気になって意識をそちらへ向けると、それは徐行で動いているスコットランドヤードの警備用装輪装甲車だった。

 迎えの車列が停車している歩道側、その隣でアイドリングしている警備のパトカーや白バイの列。

 その外側2車線を置いて、ターミナルの向かいにある露天駐車場際の車線を、黒い装甲車がゆっくりと前進していく。

 マヤは、これでも正真正銘の、VIPだ。

 普段は警備される側として、国許のSPや首都警察、近衛連隊の警備布陣、それに外遊時の他国の警備状況も含めて、その配備は自然と頭に入っていた。

 その、どれと照らしても、その装甲車の動きは怪しく思われる。

”まさか……? ”

 ゆっくりと走っていた装甲車は、いきなり、カクン、とお辞儀をするように前へつんのめって停車する。

 いつかミリタリー物の映像ソフトで見た憶えのある、軍用車両特有の唐突な制動と一緒だったので、少し笑ってしまった。

”殺人ブレーキ……、中に乗ってる人は、大変そうね”

 が、マヤから見える正面に、フロントガラスは見当たらない。光ファイバーで外部視界を確保するタイプのようだ。

 と、普通の車なら助手席にあたる位置にある鉄扉が上向きに開き、なにか、筒のようなものがニョキ、と突き出されたのが、一瞬の青いパトライトの点滅の中に浮かんだ。

「……え」

 思わず呟きが洩れる。

 黒く塗られた車体に、10センチほど突き出された黒い筒。

 しかも、照明は届かない。

 時折、パトライトの回転に一瞬浮かび上がるだけで、ひょっとすると、警官たちの位置からは見えないのかも知れない。

 ドクン、と大きく心臓が跳ねた。

 と、見る見るうちに、心臓の鼓動は加速をつけて、耳の奥で五月蝿いほど騒ぎ出す。

”……銃だ”

 ライフルなのか、機関銃なのか、それは判らない。

 警察車両だ、ひょっとすると警備の警官かも。

 いや、それはない。

 守るべき車両に銃口を向ける筈はない。実際、マシンガンを構えて立っている警備の警察官達は皆、VIPの通り道に背を向けて並んでいるではないか。

 暗殺、狙撃という類の言葉が脳裏で忙しなく点滅した。

「ど、どうしよう」

 自分がクライシス・エリアにいることなど、全く気にはならなかった。

 ただ、涼子の身だけが、心配で溜まらなくなった。

 と、並んでいた警官達が一斉に、姿勢を正すシーンが目に飛び込んできた。

 ダークスーツに身を包んだ男女が6人ほど、早足でエントランスから走り出てきた。

”統幕本部長達と一緒に涼子様が出てくる! ”

 どうしよう、どうしよう、知らぬうちに口に出していたが、止める事はできなかった。

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