7.再会

第39話 7-1.


「お客さん、お客さん! ヒースロー空港のどのターミナルかね? 」

 タクシー・ドライバーのだみ声で、マヤは慌てて記憶を探った。

「え、ええと……。そう、ターミナル7へ」

「あいよー」

 見た目と声ほど、悪い人間ではなさそうだ、とマヤは思った。

「誰かをお出迎えかい? 」

 マヤは少し警戒しながら、ぎこちなく頷く。

「え、ええ……」

 ドライバーは、マヤの態度に気を悪くする風でもなく、話を続ける。

「彼氏かな? 海外出張からお帰りかい? 」

 少しくらい、気を許してもいいだろう。

 マヤは運転手の話に少し、乗ってみる。

「えと、ああ、あの、違うの……。その人、アメリカで住んでて……。今日は4年振りに会えるんだ……」

「へえっ! そいつは楽しみだなあ! 」

 がはははっと豪快に笑っていた運転手は、急に心配な表情を浮かべてバックミラー越しにマヤの顔を覗き見た。

「しかし、大丈夫かね、お客さん? 戴冠式の開催中、ターミナル7は確か、タクシー乗り場は営業停止のお達しが内務省から出されていたが。帰りの足はどうするね? 」

 マヤはニコッと微笑んだ。

「ありがとう、おじさま……。でも良いの。心配しないで」

「『おじさま』たぁ、照れるなぁ。……よし、お客さん」

 運転手は、少し照れた様に、ハゲ頭をボリボリ掻く。

「この『おじさま』が、タクシー乗り場で待っててあげよう。特別に待ち料金はサービスだ! 」

「え、でも、そんな悪いわ」

「遠慮はいらねえ。何せターミナル7から一番近いタクシー乗り場はターミナル5、歩いて15分は優にかかる。それにこの時間帯じゃ待ち行列が普段でも2時間待ちだ。乗らないんなら一言、言ってくれればいいから。ターミナル7の脇の送迎駐車帯でハザード出して、その間、『予約』の表示出して、一服しとくよ。ポリに注意されたって送迎サイン出しときゃ大目に見てくれるさね」

 マヤは顔を綻ばせて、ドライバーのハゲ頭の後頭部にチュ、とキスをする。

「それではお言葉に甘えて、遠慮なく」

 柄にもなく彼は、ハゲ頭のてっぺんまで真っ赤にした。

 5分後、ここがターミナル7だよと言われて車を降りたが、全く見覚えがない。

 今回の訪英でマヤは、イブーキ王立国際航空の特別機でヒースローに着いたのは確かだ。

 だが、よく考えてみれば、エプロンでタラップを降り立ってすぐ、その場で迎えのリムジンに乗り込んでロンドン市内へ入った為、ターミナル7内には足を踏み入れていない事に気付いた。

「どうしよう……? この待合室で待ってればいいのかな? 」

 自動ドアの上で光る『Arrival』の文字を眺めながら、マヤは途方に暮れて周囲を見渡した。

「人に尋ねようにも……」

 迎えと思われる人の姿は、殆ど見えない。

 特に、今回ターミナル7は戴冠式に参列する海外からの来賓専用ターミナルに指定されているせいもあって、見える人影の殆どが、サブマシンガンを持った警備の警察官であることが、マヤを余計に緊張させた。唯一の安心材料は、見える範囲にマスコミがいないこと、くらいだった。

「とにかく、入ってみよう」

 あまり不審な動きをするのはまずい。誰何されたら、一発で事は露見してしまう。何しろ自分は、誤魔化しの効く様な身分証明など持っていないのだから。

 それでも覚悟を決めてターミナルビルに足を踏み入れる。

 奥まったところに、フィルム貼りのガラスドア、中が見えない到着ゲートがあり、その脇に、到着案内の電光掲示板が立っていた。

 時刻は、午後10時39分。

 到着案内にたったひとつ表示されている情報に眼をやる。

『UN0010:UNDASN特別便、出発地ヒューストン、到着予定23時、定刻通り運航』

「やった! 」

 小さく叫び、思わずガッツポーズをとってしまう。

「……だけど」

 新たなる不安に捉われた。

 統合幕僚本部長は、果たして正面のゲートから出てくるのだろうか? 

 自分がそうだった様に、タラップを降りてそのまま車だとしたら? 

 マヤはここで待ち惚けになってしまう。

 インフォメーション・カウンターに人影はなく、売店やファーストフード店は、既にシャッターを下ろしていて~実は、戴冠式期間中は臨時休業だったのだが~、待合ソファに10名にも満たない人の姿が見えるだけだった。

 UN特別便の乗員の関係者なのだろうか、それとも、カメラを抱えているのはマスコミ関係者か? 何れにせよ、誰もが無言でソファに沈み込んでいるだけで、動くものと言えば、銃を構えた警察官だけだった。

「どうしよう? 」

 再び困惑を口にした途端、視界の隅に青く明滅する光が映った。

 振り向いて、早足で再び外に出る。

 スコットランドヤードのパトカー、白バイに先導された、黒塗りの車が数台、目の前に滑り込んできて、停車した。

 ロールスロイスが3台と、ローバー4WDが3台。

 どの車も、バンパーに旗を立てている。スカイブルーに白抜きの地球、錨を記号化した下向き矢印の意匠は、紛れもなくUNDASNのものだった。

 全車とも、停車してハザードを焚いたまま、ドアも開かないし、近寄る警官もいない。

 と、言う事は迎車と見て間違いなかろう。

 そして。

「ここへ車を着けると言うことは……」

 統幕本部長は、ゲートからこのターミナルビルを通って車に乗り込むのではないか? 

 マヤが待ち惚けを喰らわない確率が、グンと上がった瞬間だった。

 そうするうちに、同じくUNDASN旗を靡かせた、黒塗りのジャガーやダイムラー、ローバー4WDがパトカーの群れの隙間に滑り込んできた。

 今度の車列には警官達が走り寄り、警戒態勢を取っている。

 とすると、今度の車列は出迎えの人々が乗っている、と言うことか? 

 再びマヤの心臓は跳ね上がった。

 それじゃあ、この車のどれかに涼子様が? 

 マヤは下りて来るであろう人物を誰一人として見逃すまいと、目を凝らした。

「……あれ? 」

 先頭の車のドアが開き、白い副官飾緒を吊ったシルバーのショートヘア、可愛らしい顔立ちの白人女性に続いて降り立った東洋人らしい三等艦将のドレスブルー姿の男。

 彼の顔には、見覚えがあった。

”どこかで会ったのかな? ……それとも、軍事情報誌かなにかの写真? ”

 涼子への思慕を埋めるために読み始めた軍事情報誌で得た知識で、マヤは知らず知らずのうちに結構ハイエンドなミリタリー・マニアになっていた。

 ドレスブルーの袖に縫い付けられた金帯の刺繍を見ただけで、階級が判るし、襟の徽章で艦隊マーク持ちだと判る。つまり、三等艦将。

 その三等艦将は、右肩から金色の幕僚飾緒を吊っていた。

”……てことは、軍務局勤務の部長級か、艦隊参謀長級”

 『職業柄』、人の顔と名前は比較的楽に憶えられるマヤだったが、脳内データベースに何度アクセスしてもヒットしない。

”勘違いかな? ……いや、違う! ”

 思い出せないけれど、確実に、見た顔であることは確かだ。

 第六感が、そう叫んでいる。

 しかも、”悪い予感”の方が。”嫌な予感”と言い換えたほうが、よりスッと胸に収まる。

「うーん……。気持ち悪いな」

 眉根に皺を寄せて呟いた途端、ガチャ、とドアが開く音が聞こえた。

 2台目のジャガーのドアが開いていた。

 ドレスブルーに身を包んだ、長身金髪の美人がサッと降り立ち、脇に避けて敬礼する。

 右肩に白い飾緒、副官職だ。副官が付くとなると、部長、室長クラス以上の将官、の可能性が高い。

「誰だろう? 」

 意識を男から引き剥がし、2台目に集中する。

 スラリとした、形の良い長い脚が二本、美しく揃えられて車外に現れた。

「まさか……? 」

 あの柔らかそうな脹脛。美しく、長い、脚。気持ちよく引き締まった足首と、それに続く黒いパンプスが音もなく歩道のタイルに降りる。

「お疲れ様でした、室長代行」

 敬礼している金髪美人が言った言葉が、2月の寒風吹き荒ぶ中、不思議とはっきり、マヤの耳に届いた。

”室長……、代行……”

 心臓が、跳ねた。

 右肩がドアのガラス越しに見えた。

 銀色の幕僚飾緒。政務幕僚の標。

 今回の戴冠式に関連するUNDASN部局。

 統幕政務局国際部欧州室。

 私は、その人をこそ、求めていたのだ。

 その人だけを求め、身に合わぬ小さな冒険を冒し、深夜のヒースローに駆けつけたのだ。

 漸く、逢える。

 そのひとが、ドアから全身を現した途端、一瞬、時が止まった。

 ……ように感じた。

 いや、錯覚だ、だって私の視界の中で、景色が軽やかに、夢みたいに動いているもの。

 セミロングの黒髪が、風に弄ばれてキラキラと、まるで妖精の翔びまわる軌跡みたいに、煌く。

 そうだ。

 そのひとが微笑むと、世界は本当に明るく輝くのだ。

 そのひとの笑顔は、どんなに暗い闇の中でも、そこが例えブラックホールの中心だったとしても、輝き、煌き、そのハレーションは、光の癖に光を超える速さで、遍く世界中を照らすのだ。

「涼子……、様っ! 」

 叫びかけて、マヤは辛うじて両手で我が口を塞ぎ、声が洩れるのを防いだ。

 しかし想いだけは堰き止められず、堰を切って溢れ、涙に変わり頬を濡らし、伝い落ちそして冬の寒風に攫われる。

 しかしマヤには、肌に痛いほどに冷たい2月の風が心地良かった。

 身体が火照っている。

 もう、死んでしまうのではないか、と思うくらい。

 だって。

 心臓は、臨界寸前のようにバクバクと震え続けているから。

 眼の前が真っ赤に染まって、漸く目の当たりにした愛しい女性の姿を霞ませるから。

 手は瘧にかかったように小刻みに震え、足はまるで骨が抜けてしまったように力が入らず、ふらつくから。

 ああ。

 でも、死んでは駄目。

 だって、そこには。

 見えない鎖に雁字搦めに縛られ、見えない檻に閉じ込められた私を、華のような笑顔を浮かべ、不器用だけど真剣なステップを踏みながら、颯爽と~颯爽と? ~救い出し、赦しを与え、私が私であるようにと祈り希い励まし、そして夢のような儚さでもって宇宙の涯へ去っていった、愛惜しいあの女性が、今まさに、そこにいるのだから。

 たぶん、彼女の位置からは私は見えない筈だ。

 そして、まさか私がここで貴女をみつめている等とは夢にも思っていない筈だ。

 だけど。

 まるで奇跡のように。

 涼子はこちらを向いて、微笑んでいた。

 夜毎夢にまで見た、そして目が醒めた後には切なさでぐっしょり湿った枕だけが残る、夢に現れた そのままの、華やかな、美しい、そしてどこまでも優しい笑顔で、こちらを見ていた。

 あまつさえ、小さく手まで振って。

 小走りにこちらへ。

「え? 」

 バレたのか、と瞬時にマヤの意識は現実へと戻る。

”ヤバい! ”

 もう、身を隠す場所はない。

”ああ、もう駄目”

 ばれると思った。

 だけど、ほんの少し、ばれてもかまわない、涼子様と手を取り再会を喜び合えるのなら、と考えている自分がいて、そんな自分が可愛いと思えた。

 が。

 涼子は、その見事なほどに美しい笑顔を浮かべたまま。

 柱の陰に隠れているマヤの数メートル先を駆け抜けた。

「……え? 」

 思わず安堵と不審と不満が複雑に入り混じった声が口をついた。

 涼子の向かう先には、さっきの男がいた。

 手を振る涼子に、苦虫を噛み潰したような、でも何処となく照れているような、呆れているような、複雑な表情を浮かべて。

「石動馬鹿、軍服着てるんだぞみっともない」

「艦長ぉ、だって、ちゃんと車ん中でもお仕事してたんだもん、誉めて! 」

 まるで、稲妻のように、4年前のニューヨーク、涼子の官舎で唇を噛んだあの瞬間の記憶が甦った。

 写真立ての中、無愛想な中年男と、今よりも少し幼い涼子。

『知り合い、です。任官後初配置で配属された軽巡洋艦五十鈴の艦長ですわ』

 折角の再会なのに、酷い、と思った。

 涼子が、ではない。

 マヤ自身でもない。

 あの男が、である。

 チラ、と頭の片隅で、冷静なもう一人の自分が言った。

 貴女、可哀相な女ね。


 呆然としているうちに、UNDASNの一行は到着ロビーに入り、ゲート脇にある廊下の向こうへ消えていった。

 我に帰ったマヤが後で空港内案内図を見ると、その通路の奥にはVIPルームがあるらしかった。

 腹立たしいのには違いないが、今はあの憎い男は置いておくしかない。今は、涼子のことだ。

”ここで待っていた方がいいのかしら……”

 またぞろ不安になりかけたマヤだったが、続いて到着した黒塗りのロールスロイス数台を含む、パトカーを除いても10台以上にもなる車列がターミナル前に到着し、背広姿の男性や制服姿の男性が数名、警官達に囲まれたまま通路奥に姿を消したのを見て、マヤは確信を持った。

「涼子様はもう一度、ここへお出でになる! 」

 マヤは気を取り直すことにした。

 確かにあの男が一緒だったのは、嫌な方向で予想外だったけれど、別にそれだけで何も絶望する事なんかないのだ、と。

 涼子は言っていたではないか。

 『恩人だ』と。

 落ち着け、マヤ。

 まだ負けた訳じゃない。

 口の中で数度呟き、数度深呼吸してマヤは、待合ロビーの一番隅のソファに腰を下ろした。

「あれ? 」

 到着案内の掲示板に表示されるデジタル表示の時刻は、『23:05』となっていた。

「過ぎてる。到着案内のアナウンスはなかったはずだけれど……? 」

 よく見ると、国連特別機の運行状況欄の表示は『ディレイ』に変わっていた。

 どうしたのかしら? 思わず腰を浮かしかけた途端。

 マヤは肩をトントン、と叩かれた。

 思わず身体を震わせて、その場で5cm程飛び上がったマヤが、恐る恐る振り返ると、そこには、ダッフルコートにマフラーを巻いた、気の弱そうな中年男が立っていた。

 金壺眼の奥の目が、忙しなく左右を往復している。

「お嬢さん、すいませんね、ビックリさせちゃって……」

 恐ろしく訛りの強いロンドン下町英語コクニィ・イングリッシュで聞き取り難い。

 しかも、見た目からは想像し難い、ドスの効いた低い声である。

「えと、な、なんでしょうか? 」

 男は電光掲示板の方を指差しながら、訊ねた。

「国連特別便が、ほら、到着遅れディレイになってるでしょう? あの表示、いつ頃でましたか? なんか情報がアナウンスされましたか? 」

 マヤのせいではないのだが、彼も国連機を待っているのかと思うと、我が事のように気の毒になり、思わず同情を表情に乗せて答えた。

「申し訳ございません。今気付いたばかりなので、何も判らないんですのよ。アナウンスにも記憶がございませんの」

 男は、何故か驚いた様子でマヤを見たが、すぐ目に興味の色を浮かべた。

「そうですか……。民間機と違ってアナウンスは流れないのかなあ……。ところで貴方、国連機にどなたかお知り合いでも? 」

 マヤは、咄嗟に嘘をついた。

 理由はふたつ、なんとなく男が胡散臭げで、しかも自分が身分を隠してのお忍び行動、だからだ。

「え、ええと、まあ。あ、姉が……、そうなんです、姉が特別機の乗務員でして」

 イヤな汗を背中や掌にかきながら、マヤは不器用に答える。

 もともと、嘘など吐き慣れないのだ、生まれながらにして。

 吐く嘘は、王室の一員としてのステートメントや記者会見の場だけであり、それはマヤにしてみればもともと政府王室省から『これを読んでいただきます』と渡された内容を読み上げるだけ、あくまでも”仕事のうち”であり、その分、マヤには罪の意識が低かった。

 今回の様に、咄嗟に嘘をつく事自体、珍しい出来事なのだ。

 幸い、男は一瞬不審の色を顔に出したが、すぐに気弱そうな笑顔に戻って、丁寧に礼を言った。

「そう……、ですか……。いや、手間をとらせまして、ありがとうございました」

 男はそう言うと、ふらふらとトイレと案内板が出ているほうへ歩いていった。

 マヤは何故かドキドキしながら、暫く男の後姿を見送っていたが、ハッと我に返った。

「そ、そうだわ。遅れてるって、いったい、どれくらい……、あっ! 」

 眼の前で、電光掲示板の表示が変わった。

 『到着いたしました』

 良かった、と思った刹那、件の通路から足音が響いてきた。

 いよいよ出てくるんだ、そう考えると、一旦は静まった筈の心臓が、再びバクン、と大きく跳ねた。

 そうだ。

 私の出番は、ここからなのだ。

 チラ、と涼子の笑顔が脳裏に浮かぶ。

 何故か、その隣に涼子が『艦長』と呼ぶ男が浮かんできたので、マヤは腹を立てて、彼を宇宙の果てへ追いやった。

 脳内で。

 もちろん、コクニィの男のことも。

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