第33話 6-12.


「あ、貴方達、誰っ? 人を呼ぶわよっ! 」

 掠れた声で、しかも床に崩れたまま叫んでも効果はないと判っている。

 が、叫ばずにいられなかった。

「強盗なの? じゃあ、お金はあるだけ出すから、早く出て行ってっ! 」

 財布を出そうと上着の襟に手を差し入れようとした瞬間、男が一人飛び掛ってきた。銃でも出されるかと思ったのだろう。

「キャッ! 」

 右手にチョップを喰らい、痺れるような痛みに悲鳴を上げながらも、涼子はその衝撃を利用して後方へ飛び退って男の手を逃れた。

「暴れるなっ! 」

「馬鹿野郎、しっかり押さえろよっ! 」

「女一人になに梃子摺ってんだバカ」

 飛び掛ってきた男の怒声、それを揶揄するような他の男達の声が、まるで涼子の四肢を絡め捕る鎖のように思えて、更に恐怖が募る。

 そのまま床を這うように窓際まで転がり、出窓に手をかけて何とか立ち上がった。

「10階だぜ、ねえちゃん。飛び降りる訳にゃいかねーよなー? 」

 背筋を虫が這いずるような粘着質な声に、身体が自然と動いていた。

 ガラスを割るつもりで両手を窓に突き出した。

 指先に痛みを感じたが、ガラスは割れず、けれどバァンッ! と窓が開いた。

 仮にもUNDASN高級幹部の公邸だ、窓ガラスは全て防弾ガラスに填め替えられているのを思い出した。

 割れたガラスが空から降ってくれば、危険ではあるが通行人が気付いてくれるかと思ったけれど、窓が開いたのなら声を出す。

「誰かあっ! 助」

 最後まで言えなかった。口を手で塞がれたから。

 煙草の匂いの染み付いた指に、思わず嘔吐感が込み上げる。

「騒ぐんじゃねえ! 」

 ドスの効いた声が耳元で響いた瞬間、生理的な嫌悪感が奇跡を起こした。

 一般的な軍人なら奇跡でもなんでもないだろうが、涼子にとっては、それは奇跡と呼べた。

 もがきながら涼子は背後の男に肘鉄を食らわせる。

 偶然肋骨の間にヒットしたのか「げふっ! 」と呻き声が聞こえて口を塞ぐ手の力が緩んだ。

 振り向き様に男のジャンパーの襟を両手で掴み、脳裏で幹部学校時代に習ったマーシャルアーツ教官の言葉を思い浮かべつつ、足払いをかける。

 肋骨の痛みに腰が引けていた男はそれで簡単に床に崩れ落ちた。

 一瞬躊躇ったが、そんな場合じゃないだろうと思い直し、思い切り仰向けに倒れている男の股間を蹴り上げた。

 まるで車がガードレールに突っ込んだみたいな人間離れした悲鳴を上げて、男は身体を胎児のように丸めて、そのまま動かなくなった。

「はあっ! 」

 大きく一息吐き出し、顔を上げると、霞んだ視界にもう一人の男が駆け寄って来る姿が飛び込んできた。

 ああ、あんまり激しく動いたから酸欠で視界がこんなにぼやけるんだわ、と妙に納得した刹那、上着の襟を掴まれた。

「くそったれナメんじゃねえぞこのアマッ! 」

 そんな言葉を叫びながらグイと力任せに身体を上着ごと持ち上げられる。

「きゃああっ! 」

 一人クリアした事で力が漲ってきた、と思えたのは錯覚だったのか。

 男の怒声と凶暴な力に、根源的な恐怖で身体も心も一瞬の内に満たされて、結果、一気に身体中の力が抜けた。

 それが良かったのかもしれない。

 くたりと涼子が膝から崩れ落ちた事で、「おう? 」とオットセイみたいな間抜けな声を上げて男の腰が砕けたのだ。

 チャンスだ、とも思わなかった。

 男が掴んだまま放さない襟をそのままに、涼子はわざと仰向けに倒れ、両脚を思い切り天井に向かって蹴り上げた。

 右足が再び男の股間にめり込み、それでも勢いは止まらずに脚がピン、と伸び切った時。

 男は空中を飛んでいた。

 そのまま頭から出窓下の壁に突っ込みぐはっと呻いてドサリと床へ落ち、一人めの男同様、ピクリとも動かなくなった。

 寝そべったまま身体を捩ってその光景を見届けた涼子は、今度こそ自分の意思で3人目、最後の男と対峙しようと起き上がろうとして。

 起き上がれなかった。

 こめかみに、ひやりと冷たく、硬い何かを突きつけられていた。

「やるじゃねえか、ねえちゃん。30歳手前アラサーの女だから一捻りだろうって思ってたんだが、流石はグンジンさんだ」

「まだ26だもん! 」

 怒鳴り返しながら、つっこむとこソコかよ、と自分で自分にツッコんだ。

「そいつは失礼」

 言いながら男は、襟を掴んで、らくらくと涼子を床に立たせた。

 手に持った銃はリボルバー。

 銃に詳しくない涼子にはそれが何と言う銃なのか判らなかったが、改造銃ではない38口径らしかった。

 距離1m。

 今自分が身に纏っているドレスブルーはケプラー編み込みの防弾性能を持っているが、この距離で38口径を防げるのか? 接射ゼロ距離だ、あまり期待しない方が良い、たぶんバレットは余裕で身体に食い込むだろう。

「私を、どうするつもり? 貴方達、何者? 」

「そう急かすなよ、別嬪さんヨォ」

 嬲るような口調で言った後、覆面の男は、一歩下がって涼子の身体を嘗め回すようにジロジロ眺めた。

「写真でも大概別嬪だとは思ったが……。こうして生で見ると、格段だな。ハリウッド女優なんざメじゃねえや……」

 室内にヤケに大きく響く男が生唾を飲み下す音を聞きながら、涼子は思った。

 ひょっとして、私。

 涼子は身体中、一気に冷や汗が噴き出す感覚に身を捩った。

 こいつ、強盗じゃないわ。

 写真で私を事前に確認していた、ってことはテロリスト? 

 いや、違う。

 テロリストでもない。

 だって、こいつのこの視線。

 こいつは、きっと。

 その時、ドアがコンコンコンッ! と焦ったような速いテンポでノックされた。

 助かった。

 そう思ったのも束の間、男は先に倒した二人とは比べ物にならない程の素早さで涼子に飛び掛り、抵抗する暇も与えられずに後ろ手に手錠を嵌められてしまった。

「外して! 」

 叫んだ途端、涼子は床に転がっていた。

 頬が痺れたみたいに感覚がない。

 何が起きたのかとボンヤリ考えるうちに、頬が火傷したみたいに熱くなってきて、ビンタをもらったのだと漸く理解した。

 男はマズルを真っ直ぐ涼子に向けたまま、ゆっくりと後退さり、センター集中式のボタンでドアのロックを一度に全て解除した。

 首を擡げて涼子はドアの方を見た。

 男が素直にドアを開いた事から、まさか助けがきたとは思わなかったけれど。

 入ってきた人物を見て、余計に判らなくなった。

 ブロンドのロングヘアが廊下の灯りにキラキラと煌いていた。

 女性だった。

 ドアが閉まり、顔がはっきりと見えた。

 若い、しかも美しい女性だった。

「遅いじゃねえか」

 男の言葉に女は、室内をゆっくり見渡し、吐き捨てるように言った。

「なによ、だらしないわね。二人も簡単にノされちゃって」

 男はハンと鼻で笑うと、涼子を見下ろした。

「まあ、そう言うな。取り敢えずは俺一人無事なられるんだからよ。そのうちこの馬鹿共も気が付きゃ、ヤらしてやるさ」

 女はゆっくりと涼子に近付くと、傍らにしゃがみ込み、涼子の顔を覗き込んだ。

「貴女、誰? 」

 涼子の問いに女は答えず、平板な口調で言った。

「聞こえなかったの? 軍人さん。アンタはこの男にレイプされるの。アンタが無茶苦茶に犯されて、ボロボロになって、恥ずかしくて人前に顔を出せなくなるようにって、私がコイツ等、一人5,000ドルで雇ったの」

 無表情だった女の顔が、微かに笑った。

「私はアンタが犯される恥ずかしいシーンを、撮影する。じゃあ、頑張ってね、主演女優さん? 」

 女は小型のビデオカメラを取り出し、嘘じゃないわよと涼子の顔の前に差し出すと、ゆっくりと立ち上がり、カメラを構えた。

「やあ……」

 自分は小娘か、と驚くほどにか細い声が洩れた。

 予想は当たっていたのだ、最悪の方向に。

 金でもなく主義主張でもなく、ただ、この連中は私の身体が目当てだったのだ。

 私は、これから、この見知らぬ男に犯される。

 きっと、あの時みたいに、身体中のありとあらゆる部分を舐められ弄られ玩ばれて犯され続ける。

「いやぁ、助けて、お願い、ヤダよ、涼子もうヤダよ」

 もう嫌だ。

 痛いのも熱いのもネトネト気持ち悪いのも恥ずかしいのも、もう嫌だ。

 私、助かったんじゃなかったの? 

 UNDASNに入って、もうあの生き地獄みたいな苦しみから逃れられたんじゃなかったの? 

「お願い、痛いのヤダ、気持ち悪いのもヤダ、熱いのも縛られるのもヤダ、もう堪忍して」

 女が眉を顰めて首を傾げていた。

 ああ、日本語判んないんだわ、と英語で言い直そうとして。

 ズキン、とこめかみの奥に痛みを感じた。

 頭の何処かで、妙に冷静な声が響いた。

 自分の声のようにも思えたが、違うかもしれない。

 けれど涼子は、声の主を詮索するよりも、その声が伝えた言葉に捉われていた。

「『きっとあの時みたいに』? 『もう堪忍して』? ……涼子? 貴女はそんな経験があるのかしら? 」

 どう言う事? 

 どう言う意味? 

 判らない。

 判らないよ、なにも。

 けれど、たった今、胸に芽生えたこの違和感は、その誰かの問いかけに肯定の答えを返していた。

「判んないよぉ」

 呻くように呟くと、カメラのレンズが寄って来て、女の声が響いた。

「判らないまま、犯されればいいのよ、この泥棒猫」

 それまでの平板な口調から打って変わった、毒を吐くようなドロドロした熱い悪意の塊を感じさせる押し殺した声だった。

 この女性は、ひょっとして。

 裏付けもなにもない、勘だ。

 けれどそれは正解に違いない。

 だったら、逆恨みだ。

 それに、私はもう。

 口を開きかけた刹那。

 遠ざかっていったカメラのレンズと交代するように。

 腹にずっしりとした重みを感じた。

「さあ、いい声で啼いてもらうぜ、別嬪さんよぉ! 」

「やだぁ……」

 涙が零れて仕方なかった。

 こんな掠れた声しか出せない自分が情けなくて、腹立たしくて、けれど、男に馬乗りされて後ろ手錠が手首に食い込み、痛くて痛くてどうしようもなかった。

「ハッ! 本物のUNDASNの女とコスプレが出来るたあ、楽しみだ! 」

 言いながら男は、シャツにかけた腕に力を込めた。

「デケぇ胸だなあ、おい」

 覆面の下の目が、まるで飢えた野獣のようなギラギラした視線が、晒された胸に突き刺さるみたいで、本当に痛みを感じた。

「あんまり遊んでねえのか、ねえちゃん」

「きゃああっ! いやあっ、いやいやいやいやっ! 艦長助けてぇっ! 」

「うるせえ喚くな黙れ! 」

 男は叫びながらスカートのスリットに手を掛けて一気に引き裂いた。

「もうヤダよおっ! 痛いのやあっ! 」

 叫べば叫ぶほど、男を興奮させるのだ、それは理解できた。

 理解は出来たけれど、叫ばずにはいられなかった。

 だって、本当にもう、勘弁して欲しかったから。

「へへっ! いい声だ」

 男は荒い息の下、満足そうに呟いた。

 ああ。

 本当にもう、私はこの男に、これから辱められる。

 そしてそのシーン、一部始終を撮影されて。

 ああ。

 そう言えば。

 昔撮られたあの画像は、どうしたっけ? 

 男がジーンズのジッパーを下ろす音が、耳に突き刺さる。

 ズキン、再びこめかみの奥に痛み。

「頭、痛いよぅ」

 痛いのはヤだよ。

 呟いた途端。

 轟音と共に分厚いドアが吹き飛び、涼子の真横にドサッ! と落ちてきた。

「首席駐在武官っ! 」

 懐かしい声だな、と思った途端、瞼が鉛みたいに重くなった。

 そのままブラックアウトした。

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