第31話 6-10.


 マヤはその日から、行動を開始した。

 夢を、夢で終わらせず、現実のものとするための行動を。

 当面の夢は、涼子と二人、ニューヨークビッグ・アップル・シティでのクリスマスを過ごす。

 考えてみればマヤの17年間の人生の中で、全く自分だけの胸に秘めた夢の為に、自らの手足、頭脳を使う、などという経験は初めてだった。

 いや、それ以前に、自分一人だけの幸せを考えた夢、というものを、見たことすらなかったと言えるだろう。

 だから、夢中になった。

 文字通り、夢中に。

 まず、ワシントンD.C.にある自国の大使館に電話して、駐在武官にUNDASNに関する勉強の糸口を聞いた。

 市販されている軍事情報誌とインターネット~UNDASNの一般向け公式サイトではなく、軍事マニアのサイトの方が良いだろう、との事だった~が良いと聞き、早速書店に配達を依頼する一方、パソコンに向かい検索エンジンを立ち上げるところから始まった。

 続いて、自分の持つ数少ない権力も遠慮なく利用させてもらう事にした。

 即ち、自国の諜報網の私的利用。公私混同だがそんなもの知ったことか。

 涼子の生い立ち、人物像、現在の人間関係、趣味嗜好。

 しかし、こちらの方は殆ど収穫がなかった。

 後で聞いたところによると、摂政殿下の命を受けたイブーキ王国陸軍情報部の責任者は蒼褪めたそうである。

 唯でさえ貧弱な諜報力で~なにせ、イブーキ三軍(内陸国なので海軍は無いに等しい)合わせて総兵力2万の小国らしい軍勢が抱える諜報組織だ~、名高い防諜力を持つUNDASNに挑まねばならないのだから。

 UNDASNの高級幕僚に限らず、下士官以上は”国連防衛機密”と言う名の分厚いベールに包まれて、やはりイブーキ王国程度の諜報力ではとても太刀打ち出来ないのが現実だった。

 イブーキ情報部のお相手は、UNDASN統幕軍務局情報部情報7課、つまりは国連等機密保護担当だったが、彼等がその任務を完璧に遂行した事により、マヤの公私混同の野望は敢え無く潰えたのであった。

 結局、マヤの手許に残った情報は、涼子がUNDASN幹部学校に合格する以前の経歴程度。

 しかもその内容はといえば、出身小学校、中学校、そして中卒で就職した企業での勤務評定と企業の経営する夜間高校の成績くらいのもので、プライベートに到っては、成果はゼロと言っても良い。

 そんな僅かな『涼子の痕跡』の中にひとつだけ、マヤが首を捻る不可思議な情報があった。

 中学2年後半から中学3年殆ど全部が”休学扱い”になっていたのだ。

「事故? 病気? 何かしら? ご両親が亡くなられたのは確か中学1年……。伯母様の家へ引き取られた後よね? 一体……、何があったの? 」

 不思議に思い、暫くはあれこれ考えては見たものの、結局は判らずじまい。

 いずれにせよ、マヤの夢には関係はない、そう判断して、結局それらは”廃棄”とした。

 とにかくマヤは、集められるだけの情報を集めて、クリスマスの準備に専念した。

 プレゼントはどうしましょう? 

 涼子様ならこの色のこのドレスがきっとお似合いだわ。

 じゃあ、靴はこれで決まり。

 ネックレスはこっち、ブレスレッドはあれが一番よね、やっぱり。

 あ、指輪はこれとこれ。

 ピアスは……、って、あれ? 涼子様ピアス穴開けてたっけ? 

 ……ま、いいか、念の為イヤリングも用意しておきましょう。

 そうだわ、大事なのはクリスマス当夜のお食事。

 どこのレストランがいいかしら? 

 涼子様、好き嫌いはないのかな? 

 メニューは、そうね、二人であれこれ相談しながら、その場で決めましょう!

「きっと楽しい、素敵な夜になるわ」

 夢は膨らむ一方で、膨らめば膨らむほどに、やらなければならない準備も増えていく。

 次第に大学での友人とのつきあいも減っていった。

 もう、マヤの生活は、涼子と過ごすクリスマス、唯一色だけに染め上げられた。

 涼子に逢いたかったけれど、我慢した。必死になって、自分に言い聞かせた。

 最初は、涼子様を驚かせてやろう、そんな子供っぽい思い。

 それもあるが、けれど。

 UNDASNの情報、つまり内実を知れば知るほど、マヤは涼子達UNDASN高級幹部の殺人的とも呼べる程の多忙な日常を理解し始めたからだ。

「涼子様に、これ以上負担をお掛けする訳にはいかないわ」

 それは、純粋に、涼子を気遣う気持ちだったけれど、反面、その想いは自分の行動への意識改革にもなっていた。

 マヤにとって、あの夜の涼子の行動は、これまでは表面上だけ理解していたつもりの『大人としての、職業人としての、責任を背負った人間の行動の仕方』が、ほんの一欠けらかもしれないが相当のインパクトを持って響いていたのだ。

 後から落ち着いて考えてみると、涼子自身が言う通り、彼女はさほど体技の方の実力はないように思える。

 マヤ自身、ヨーロッパの伝統ある名家の一員として、フェンシングやアーチェリー、乗馬やテニス等も習っているし、ダイエットに良いと聞き、一時期カラテや太極拳も習ったことがある。

 勿論、いずれも素人の域を出ないが、そんなマヤから見ても、涼子は彼女自身が言っていた通り、運動神経は良くはなさそうに見えた。

 それに、本当に恐ろしかったのだろう。

 犯人を取り押さえた直後、涼子は充血した瞳に一杯の涙を溜めていたし、その夜は随分と魘されてもいた。

 そんな涼子が、それでも、あのような思い切った行動に出た、その理由。

 そこに、UNDASN幹部としてのデューティの概念、責任感、義務感、そして”守りたい”という強い意志を感じた。

 加えて、帰りの車中での涼子の言葉。

 涼子の置かれた立場、マヤの置かれている立場、どことなく似ている、と。

 だから、放ってはおけなかった。

 涼子は確かに、そう言った。

 未だによく理解できないところは、正直、ある。

 けれど、とマヤは思う。

 涼子が言うのだ。

 マヤだって、大人ではないにしろ、摂政としての役割、次期国王としての行動、王室の一員としての責任がある筈なのだ。

 それに対する不満や不安が、もちろん消え去った訳ではない。

 けれど。

 まずは、己の責任をまず全うしてから、文句や不平不満を言っても遅くはない筈だ。

 いや、文句、不平不満、それらを周囲の人々の耳に届けようと真剣に思うのならば、まずは己の役割を、責任を全うすべきなのだ。

 それを、マヤは、あの夜、涼子から学んだ筈だった。

 マヤはだから、今まで以上に侍従長の煩い小言にも反論せず、公式行事もいやがらずに参加するよう、自分に言い聞かせてきた。

 今になって、しみじみ、思う。

 要は、涼子に誉められたかったのだ。

 重荷になりたくない、対等なお付き合いをしたい。

 ただ、それだけのことだったのだ。

 今にして思えば、それさえも子供っぽい思い込みだ、と顔が熱くなるけれど。

 けれど、たったそれだけのことなのに。

 マヤの世界は、色づいた。

 グレースケールの味気ない世界が、一気にフルカラーの世界になったのだ。

 恋って、素晴らしい。

 そんな少女っぽい感慨を、まさか自分が持てるなんて。

 それすら涼子様のお蔭だわ。

 マヤは、大学から遥かに見える国連本部ビルに向かって、微笑と感謝を送る。

 この後、どんな酷い事件が待ち受けているかも、知らずに。

 しかも、自分ではなく、涼子に。


 涼子は内心、驚いていた。

 あれから1週間経つというのに、マヤから連絡がない事を。

 そしてそれ以上に、自分が少しだけ、ほんの少しだけれど、淋しく思っている事を。

「なんなんだろ? 」

 会えば会ったで、ベタベタと甘えてくるし、けれど気は普段以上に遣うし、疲れる相手には違いない。

 でも、内心嫌じゃなかったのは、確かだ。

 マヤがどう言う身分だろうと、どんな性格だろうと。

「だって、女の子なんだもん」

 男性と違う、ただそれだけの事で、安心感が天と地ほども、違うのだ。

 けれど。

 それなら、UNDASNの同僚や部下。

 せめて、UNやUNDAの知人。

 遥かに話しやすいし、気も遣わないし、甘えられる相手だっている。

 けれど、マヤは。

 それまで出逢った、どんなタイプの女性とも、違うように思える。

 世間知らずだから? 甘えん坊だから? 純粋だから? それとも、王族だから?

 判らない。

 判らないけれど。

 きっと、と涼子は思う。

 彼女の澄んだ瞳には、まるで涼子に救いを求めるような、必死さが見えたから。

 だから、守りたい、と思ってしまうのだ。

 これまで守りたい、と真剣に、祈るように思ったのは、正直、UNDASNの上官や同僚部下だけだ。

 理念としての『地球人類とその営々と築き上げてきた文化文明』を守る使命は、理性の上で判るし、そうあれかしと自分に言い聞かせ続けてきたけれど、本能で、個人の感覚で、真剣に願ったか、と言われれば、首を傾げざるを得ない。

 けれど、マヤは違った。

 守ってあげなければ、救ってあげなければ。

 一体自分は何様だ、全知全能の神にでもなったつもりかと自分に向かって唾したい想いに捉われる反面、どうしてもそうしなければ、と庇護欲が蠢いてしまうのだ。

「あれもやっぱり、彼女の人徳、なんだろうな」

 生まれついての姫、だからだろうか。

 判らない。

 いくら外交幕僚としてのスキルを積んで来たとは言えども、『王族』の身分を持った人物とあれ程までにベッタリと濃密な時間を過ごした経験など、ないのだから。

 こんな風に涼子は、不思議な縁で知り合った姫君について、つらつらと想いを巡らせて。

 ……ばかりもいられなかった。

 と言うのも、あの夜から2週間程経過して、涼子を、それまで以上の多忙が襲ったから。

 毎晩公邸アパートに帰るのは日付が変わってから、週に数度は徹夜を強いられ、昼食や夕食もボヤボヤしていたら摂りはぐれる様な状態になり、仕事以外の事を考える暇など、なくなっていた。

 気付けば、12月も半ばを過ぎていた。


「んん……、ふぁ? ……あれ? 」

 涼子は首席駐在武官室で目が覚めた。

 膜の張ったような頭を擡げた途端、頬に張り付いていたA4の書類が1枚、ひらひらとデスクの上に落ちていった。

 寝惚け眼を指で擦りながら、涼子は周囲を見渡した。

 いつもの黒檀の執務デスク。いつ見ても一人分の仕事スペースとしては大き過ぎると思う。

 デスクの右前方には、8人掛け、いや、詰めれば1ダース程も座れそうな巨大な応接セット。長椅子ひとつとっても、アパートの自分のベッドより大きい。

 応接セットの奥の壁際には、68インチAFLディスプレイのAVセット。実は首席武官就任直後、シカゴ交響楽団演奏マーラーの交響曲五番のTV中継を内緒で一度見ただけで、以来使用したことはない。

 デスクの左前方は小会議コーナーで、会議テーブルと椅子10脚。大会議よね、この大きさ、笑っちゃう。

 会議コーナーの奥の壁は造り付けの本棚。街の小さな古書店よりも大きな棚を埋め尽くす本は、手に取ったこともない。いや、読書は好きだが、この部屋にいる限りは忙しくてそんな暇すらなかった。書割じゃないかしら、と時折思う事がある。

 その奥の右側の扉、入ると給湯コーナー、アパートのキッチンよりも大きいし、使い易い。コーヒーやお茶を淹れるくらいしか使わないけど。まあ、アパートでだって実は料理なんてしない~出来ない~のだ。

 左側の扉はロッカー・ルーム。自分一人しか使わないのに、ロッカーは8本もある。そこに吊っている服は、零種軍装ドレスゼロ~あの事件の翌日、靴も含めて買い直した、給料天引きの給与明細を見て涙目になった~、着替えのドレスブルーとドレスホワイト、ワーキングカーキ1着づつに、お忍びでの要人との密談用にビジネススーツが紺色とグレーの1着づつで、これなど着たこともない。

 ふぅ、と小さな吐息を零す。

 艦隊マークの涼子にとっては、大型戦艦や長距離巡航型攻撃空母のような超々弩級艦の艦長室、司令長官公室ですら、この首席武官室の1/4程度のスペースで済ますコンパクトさに郷愁すら覚えてしまう。それは艦隊マークだから、ではなく、ラビット・ハッチの日本人だからか? 

 何れにせよ。

 つくづく、自分の小さな身体に合わない、戸惑いすら覚えてしまう程の空間。

「貧乏性だわねぇ」

 思わず苦笑を浮かべ、最後に自分のデスクに視線を落として、驚いた。

 電話機の横に置いた、ディズニー・シー土産~もちろん自分じゃない、従兵ボーイの女性三曹が涼子にと買ってきてくれたものだ~のリトル・マーメイドの目覚まし時計は、12時を指していた。

「あー……。寝ちゃったんだぁ。……昼じゃないよね? 夜中だよねぇ」

 記憶があるのは2200フタフタマルマル時に終わった次席武官、武官補佐官との引継ぎミーティング、そこまで。

 ミーティングが終わって、もう1時間くらい仕事をしようと席に戻った記憶はあるから、それからすぐに眠り込んでしまったようだった。

 仕事はだから、勿論途中だったけれど、再開すればキリはないし、それ以前にもう気力も体力もない。

「帰ろ」

 デスク上に店開きされた書類を片付けようとして、1枚のメモ用紙が端末ディスプレイに貼られているのに気が付いた。

 総務班長のグレイマー・イム一等陸尉の、活字みたいに綺麗な字だった。

 特Aレンジャー徽章を持つ彼は、後方幕僚勤務はこれが初めて。

 190cm120kgの筋肉質の大きな身体を小さく縮めて右往左往する姿が当初は笑っちゃうくらい滑稽だったけれど、近頃はすっかり総務班長として武官の秘書業務も板についてきた。

 以前など、何も知らないシャバの人間からは、グレイマーが武官で涼子が秘書、なんてお約束の取り違えをよくされたものだけれど。

 涼子はその頃の事を思い出してクスクス笑いながら、メモを読み下した。

『名前を仰らない若い女性の方から2307フタサンマルナナ時外線あり、相手の登録名は読み損ないました。”会議中”と伝えました。コールバック不要とのこと』

 ナンバーディスプレイの相手先登録名を読み損なう、というところが、グレイマーらしい、ログを追えばすぐに判るのに、と涼子はクスリと笑ってしまった。

 武官事務所を初めとして本星に所在するUNDASNの施設の外線電話は全て事前登録制だ。もちろん、全ての施設は軍事機密を取り扱う可能性があり、それは即ち防諜対象だから、不特定多数の外線電話など繋げない。つまりは”ビジネス”上での取引のある外線しか繋がらない。UNDASNとの取引窓口のない一般企業やその他団体、一般市民等からの問い合わせやご意見ご要望~クレームも含まれる、もちろん~は、統幕に開設されている『UNDASNサービスコールセンター』に集約されて対応、内容によって適宜処理される仕組み。

 と言う事は、この武官事務所に直接かかってきたこの電話は、少なくとも登録された外線番号からの電話であり、つまりは怪しい誰かからの電話である可能性は低いのだろうが。

 だとすると、いったい誰かしら? と涼子は首を傾げる。

 脳裏を過ったのは、マヤだった。

「……違うか」

 メモを見ながら、涼子はふふっと微笑み、呟く。

 今日まで電話はおろか、メールも手紙もなかったのだ。

 いきなりオフィスへ電話、なんてある訳もないし出来る訳もない~まあ、国連特使、非常任理事国と言う立場上、彼の国の領事館代表電話ならば可能かも知れないが~。

 いくらなんでも、そこまでして架けてくることもないだろう。

 きっと、この自分には広過ぎる贅沢な空間が、あのお姫様の顔をイメージさせたに違いないわ、と涼子はそう自分を納得させて席を立ち上がった。

 体中の骨が、バリボリゴキ! と賑やかに鳴った。

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