第30話 6-9.


 着替えてくるからと言って涼子が部屋に引っ込んだ後、マヤは暫くの間、ぼんやりと5杯目のコーヒーをすすっていたが、ふと思い出した様に、隣の部屋で着替えている涼子に声をかけた。

「ねえ、涼子様? 」

 涼子は、姿を現さずに、大声で返事する。

「なんでございます? 殿下」

「あの……、昨晩、私聞いてしまったんですけど……」

「何を、でございますかぁ? 」

 無頓着とガサツのマージナルライン上でジルバを踊っているような、ガサゴソドタバタという騒音の合間に~本当に着替えなのかしら? とマヤは一瞬首を捻ってしまった~涼子の声だけが聞こえてきた。

「ええと、あの……。その、寝言? ……やらを」

 途端に騒音がピタリと止み、ドアが少しだけ開いて手、涼子がそっと顔だけ覗かせた。

「やだ……。私、何言ってました? 」

 マヤは、殊更なんでもないという感じを強調して、明るい口調で訊ねた。

「なんだか、とても恐ろしそうな夢を見てお出でのようでしたわ。『お父さん、お母さん……。涼子を一人にしないで』と言う風に聞こえたんですが……」

 涼子は、一瞬唇を噛み締め、視線を床に落としたが、すぐに顔を上げて、少し寂しそうな笑顔をマヤに向けて、話し始めた。

「私の両親は宇宙物理学者でして、夫婦揃ってUNDASNの科学本部に在籍しておりました。あれは私が中一の時でしたから……、そう、13歳の時ですわね。何か大事な実験だとかでセイン=ヨー星に向かう途中……。乗っていた輸送艦がミクニーに撃沈され、二人とも戦死いたしましたのよ」

 マヤは瞬時に後悔する。

 ただ、大好きな涼子のことを、知りたかっただけなのだ。

「申し訳ございません、涼子様! 私、そんな事とは知らずに」

 涼子は、コロコロと鈴が鳴るような声で笑いながら、手をひらひらと振って見せた。

「いやだ、そんな滅相もございません。殿下が謝られるような事ではございませんわ。ご存じなくて当然ですもの、強いて言えば寝言を言っちゃった私が悪いんです」

 そう言って顔を引っ込めた涼子は、ドアを開け放ったままで、言葉を継いだ。

 マヤを気遣っているのか、笑い混じりの明るい声だった。

「私は、その後母の姉の家庭に引き取られましたの。中学まで出してもらいました。その伯母が良い人でして、高校も大学も行かせてあげる、と言ってくれたんですけど、ね。結局、ちゃんと甘えられずに、UNDASNの幹部学校を受験したんです。うふふふふ、馬鹿でございましょう? こんなにドジで、間抜けな私なのに。……あ、別に両親の敵討ちの為に、なんて大それた理由じゃございませんのよ? なにせUNDASNの幹部学校って、入学金授業料は不要で、しかもお給料までくれるってんで、ね? つい、フラフラと」

 あはははと笑う涼子の気遣いが、胸に沁みた。

 自分の子供さ加減が嫌になったが、それでも、涼子の心遣いをせめて無駄にせぬようにと、アハハハ嫌だわ涼子様ったら可笑しい方ですのねと笑って見せると、涼子は安心したのか、もう少しだけお待ち下さいませね、とだけ言って、言葉は途切れた~例の騒音は続いたままだったが~。

 それをシオに、マヤは部屋の中を”探検”することにした。

 とは言え、探検し甲斐のない部屋だった。

 アパートとは言え、正面エントランス前にはフロック・コートのガードマン兼ドアマンがいる高級アパートメントだ。

 しかも部屋は首席駐在武官用公室としての格式を充分に備えた最高級室であり、それなりに広いのだが、何せ家財道具がないのだ。

 マヤは仕方なく、唯一暫く時間が潰せそうな、スチール製アングル書架へ足を向ける。

 さすがに、難解な専門書が多い。しかも、今の涼子の配置に相応しく、各国の原書の政治史や現代史、経済社会学統計学系の本が圧倒的だ。

 いくらマヤが帝王学をうけ、一般の大学生より高度な知識を有するとはいえ、流石に付いて行けるはずもない様な本ばかりだ。

 その書架の丁度、マヤの目線の高さに、フォトスタンドがいくつか、立てられていた。

「涼子様のお父様とお母様の写真だわ! 」

 写真のUNDASN制服の男女は、それぞれ面影が涼子とだぶっており、一目で両親だと知れた。

「涼子様のご両親だけあって、美男美女でいらっしゃること……。涼子様は……、うん、どちらかと言うと、お母様似、かな? 」

 言いながら、その隣のフォトスタンドに目を移す。

 そこには、中年の、しかし美しい女性と、若い女性、それにセーラー服姿の若き日の涼子が写っていた。

 思わず手に取る。

「キャーッ! 可愛いーっ! 学生時代のお写真だわ! この頃から涼子様、お奇麗だったのね。その上、幼さもあって、ほんと、可愛い……」

 暫くの間、若き日の涼子に見蕩れているうちに、ふと、気付いた。

「そう言えば、このご夫人とこちらの若い女性はお顔がよく似ている。こちらのお二人は親子のようね……」

 そして、最初に見た写真と見比べて気付いた。

「こちらのご婦人は、涼子様のお母様と似てらっしゃる……。と言う事は、こちらが伯母様と従姉妹か。優しそうな方。よかった、涼子様の仰る通り、本当に良いご家庭だったようね……」

 マヤはそう言いながらフォトスタンドを元の位置に戻そうとして、奥に、もうひとつフォトスタンドが置かれている事に気付いた。

 見た瞬間、顔が熱くなった。

 表情筋が、ガチガチに強張っていくのが自分でもよく判った。

「誰、こちらの殿方? ……まさか」

 その写真には、ワーキングカーキを来てピースサインを出している若い頃の~階級章を見ると、三尉だ、たぶん任官直後だろう~涼子と、やはりワーキングカーキ姿の三十代の男性が並んで写っていた。

 男性は少しカメラから目をそらし、苦虫を噛み潰したような表情だが、涼子はそんな彼にお構いなく、腕を絡ませて屈託のない笑顔を浮かべている。

 それは、マヤの知らない涼子の笑顔だった。

 自分の知らない、幸せそうな笑顔を浮かべる涼子を傍らに置く無愛想な男が、無性に憎らしかった。

 男の階級章は、涼子の影に隠れて見えないが、どこからどう見ても、写真の中の涼子とは年齢が離れている、恐らく上官だと考えて良いだろう。

 しかし、上官と一緒の写真で、百歩譲ってそれがオフタイムに撮られた写真だとしても、涼子がこれほどに柔らかな表情を浮かべているのは何故だ? 

 恋人だった、のだろうか? 

 涼子ほどの超絶美人だ、過去恋愛経験が皆無とは思えない。しかし、それにしては。

 あまりに年齢が離れすぎている、そしてそれ以上に男の表情は恋人とのツーショットにしては柔らかくない。むしろ戸惑っているというのか、迷惑そうというか。

 それが一層、マヤの焦燥と不安に拍車を掛け、負の妄想は膨らむ一方だ。

 まさか涼子はこの男に弄ばれていたのでは? 

 そして捨てられ、傷ついて……。

 じゃあ、何故涼子は未だに男とのツーショット写真を部屋に置いている? 

 まさか、まだ涼子は騙され続けているのではないのか? 

 眼の前が赤く染まり、耳の奥では物凄いスピードで血液が流れている音がした。頬がサウナに入っているみたいに熱かった。けれど、手足は冷え切ってしまい、もう感覚がない。

 どうしよう、どうしようと、そればかりが頭の中でぐるぐる回っていて、どうにも考えが纏まらなかった。

 刹那、背後で物音がした。

 我に帰ったマヤが振り向くと、涼子が立っていた。

「殿下……」

 物静かな涼子の声が、まるで自分を拒絶しているかのように思えて、マヤは途端に怒りが爆発した。涼子にではない。写真の中の男に対して。

 マヤはフォトスタンドを掴んで、ドスドスと乱暴な足取りで涼子に詰め寄った。

「りょ、涼子様っ? こちらの男性、どなた様ですの? 涼子様のお知り合いですわね? 」

 まるで涼子を咎めるような口調で言ってしまったことに気付き、マヤは一瞬蒼褪めた。

 けれど、涼子は気分を害した風でもなく、微笑を浮かべてマヤの突き出した写真を眺めていた。

 昨夜から今までマヤが見たこともないような、儚げな笑顔だった。

 やがて涼子はマヤの手からフォトスタンドをそっと取り、胸に抱き締めるようにしながら、ゆっくりと唇を開いた。

「ええ、左様です。任官後初配置で乗り組んだ五十鈴という軽巡洋艦の艦長です。……ドジで失敗ばかりしてる私を、よく叱り、庇い、そして色々と教えてくれました」

 弓のように細められた瞳には、温かな光が宿っているように思えた。

「……まさか、涼子様の、大切なお方? 」

 思わず零れ出た問い掛けに、涼子は不思議な話を聞いた子供のように小首を傾げ、さも当然だとでも言いたげに答えた。

「仰るとおりでございます……。私をまがりなりにも一人前の兵科幹部に仕込んでくれた恩人ですから」

 そういう意味じゃないのです。

 叫ぼうとして喉がヒリヒリして声にならず、口をパクパクと開閉させているマヤの脇を涼子はス、と通り抜けて、フォトスタンドを元の位置に戻して振り返った。

 その笑顔は、マヤも知るやっぱり美しい笑顔だったが、写真に残る幸せそうな笑顔、そしてたった今垣間見た儚げな微笑の後では、まるで仮面を貼り付けたようにしか思えない。

 それは、今までマヤがこれは自分の妄想だ、下らない嫉妬の産物だと思い込もうとしていた努力を、あっと言う間にぶちのめして確かな事実だと突き付けてくるような、そんな暴力的な表情でしかなかった。

 涼子様、その笑顔は違います。

 その笑顔は、貴女に相応しくありません。

 貴女にそんな笑顔をさせるその男は、だから貴女には相応しくないのです。

 貴女を幸せにして差し上げられるのは、私です。

 そして密かに握った拳に力を込めた。

 この自信がどこから来るのか、自分でもよく判らなかった。

 けれど、それはけっして間違いではないのだと、マヤは心の底から信じる事が出来た。

 マヤと涼子は9歳の年齢差がある。

 一方男はと言うと、写真で見る限り、やはり涼子よりも10歳程の年齢差があるように思える。

 という事は、マヤとの年齢差はおよそ20歳。

 マヤにしてみれば、父親と同年代、という事になる。父親と同年代の男は信用するに足りない。

 何故なら、母は。

 父王に見初められ、シンデレラ・ストーリーだと囃されて王室に入り、精神的なプレッシャーから肉体が弱り、遂に死に至ったのだから。

 少なくともマヤは、そう考えている。

 生まれた時から王室の一員だったマヤでさえこれほどに参っているのだ。ましてや、日本で平凡な市民として成人した母が、突如として王室などという華やかな地獄に放り込まれて、精神を病まない訳がない、と。

 だから、父は、確かに母を愛し、そして自分をも愛してくれているかもしれないけれど。

 母を死に至らしめた『犯人』である事もまた確かなのだ。

 勿論、王室での父の取り巻き、王室庁長官や内閣総理大臣でさえ、同罪である。

 国を存続させる為、それだけの為に王室を『生殖の奴隷の檻』とし、それをカムフラージュする為の伝統と格式で自分達を、母を雁字搦めにし、遂には母をマヤから奪ってしまったのだ。

 だから、父は、父と同世代の男たちは。

「敵だ」

 心理学的に見れば、マヤの持つ憎悪の感情はエディプスコンプレックスの裏返し、近親憎悪だと言える、それは理性で判っている。

 けれど、マヤにしてみればそんな事は最早、関係がなかった。

 ただ、唯、憎かった。信用できなかった。排斥すべき存在でしかなかったのだ。

 そして母やマヤだけでなく、『敵』は涼子にまでその毒牙を向けようとしている。

「ところで、殿下? 」

 涼子の声でマヤは我に帰った。

 知らずに口に出していた、聞かれれば確実に引かれるであろう台詞は、涼子の耳には届かなかったらしい。

 内心胸を撫で下ろす。

 今は、いい。

 涼子には知らずにいてもらっても構わない。

 そう。

 最終的に自分が、涼子の愛を勝ち取ればよいのだから。

「如何です? これが普段の、私の制服ですのよ? 」

 どうやら涼子は、マヤに自分の姿を見てもらいたかったようで、そちらに気が向いてマヤの呟きが耳に入っていなかった様子だった。

 胸に渦巻く黒い感情を無理矢理底の底へと押し込んだ後、気を取り直してマヤは、改めて涼子の姿を見た。

 涼子は、第一種軍装、ドレスブルーに身を包んでいた。

 限りなく黒に近い紺色の、滑らかな光沢を放つダブルの6つボタン2段掛けの上着の袖には、佐官を表す4本の太い金筋と一佐を表す3つの星。右胸に階級章、左胸に略綬、それに昨日の零種軍装と同じように、政務幕僚の証しである銀色の幕僚飾緒を右肩から右胸にかけて吊っている。上着と同色のネクタイ、左膝上に逆V字の大胆なスリットが入ったタイトスカート、金色のリボンが可愛らしいミドルヒールのエナメル・ブラックのパンプス。

 シックを具体例で示すと、こうなるのか、とマヤは思った。

 思わず、溜息が零れた。

 昨夜の様なゴージャスさはないものの、凛々しさは一段と増したように思える。

「涼子様……。素敵ですわ」

 マヤに誉められて照れているのか、涼子は少し頬を染めながらも、モデルのようなポーズを取り、クルッとターンを決めた。

 しかし次の瞬間には、バランスを崩して書架に頭をガンッとぶつけている。

「イタッ! 」

 ふえぇ、と目に涙を溜めて両手で頭を撫で擦っている姿のなんと可憐な事か。

 凛々しい軍服、そして涼子が口では何と言おうが、その歴戦振りが伺える多くの略綬との危ういバランス~いや、既にそれは崩れているのかも知れない~の絶妙さが、ますます涼子という女性を、ただ美しいだけではない、人間としての魅力溢れる人物に見せているのだ。

 先程までのどす黒い感情がきれいに洗い流されていく爽快感に、マヤは頬を緩ませ、胸に沸いた素直な、そして素朴な言葉を、溜息混じりに口にした。

「涼子様、そんなお茶目なところが、素敵ですわ」

「ま、殿下ったら! 知りません! 」

 プッと頬を膨らませて、怒った振りをする涼子をみて、マヤはまた笑いながら、考えていた。

 やはり、涼子様は私が守る。

 私が、幸せにして差し上げるのだ。

 インターフォンが鳴っているのに気付いたのは、眼の前の涼子が「はあい」とお留守番の子供のような返事をして踵を返した時だった。


 インターフォンを鳴らしたのは、涼子を迎えに来た武官事務所1号車~リンカーンだった、マヤの乗るリンカーンよりは一回り小さいタイプだったが、馴染みの外交官ナンバーに加えてUNDASN軍用車を示す部隊車両プレートが付けられているのがマヤには新鮮だった~の運転担当の下士官~車両警護要員、と呼ぶらしい~だった。

 涼子と並んでリアシートに座ると、涼子は運転席に声をかけた。

「一曹。本日は予定を変更して、まず殿下をハーバード大学へお送りしてから武官事務所へ向かう」

「イエス、マム」

 部下に命令する涼子の口調が、如何にも軍人らしくて、マヤにはドキドキものだったが、5分も走れば別れの時だと突きつけられたようで、哀しくなった。

 せめて道路が渋滞していればいいのに、と神にも祈る思いだったが、こんな時に限って道路はスムースに流れる。

 あっと言う間に1号館、と呼んでいる石造りの講堂前に停車すると、運転手が走り降りて、ドアを開いて叫んだ。

「殿下! 到着致しました、お疲れ様でございました! 」

「ありがとう」

 マヤはこんな時でも自動的に”王室スマイル”を浮かべてしまう自分の癖が呪わしかった。

 マヤに続いて車から降り立った涼子が、パンプスの踵を鳴らして敬礼した。

「マヤ殿下、昨夜より色々とお世話になりました、本当にありがとうございました! 」

 涼子の敬礼姿は、昨夜よりも今朝の第一種軍装の方が尚、ピッタリ決まっているようにマヤには思えた。

 けれどその声は変わらず甘いアルトで、それが一層、マヤには哀しく思えた。

 気を緩めれば涙が零れそうになるのを懸命に堪えながら、マヤは涼子に語りかけた。

「……これが最後では、ございませんでしょ? 」

 涼子は、敬礼したまま、ニコっと笑顔で答える。

「殿下の御意のままに! 」

 その大輪の薔薇のような涼子の笑顔が、まるで自分を拒絶しているように思えて、マヤは唇を噛み締める。

 嫌!

 嫌だ!

 こんな他人行儀な『さよなら』は!

 思った刹那、理性が働くより早く、身体が先に動いていた。

 マヤは涼子に駆け寄ると、敬礼を無理矢理やめさせ、彼女の両手を自分の両手でしっかり握り締めた。

「涼子様? ……またお会い頂けますか、マヤと」

 驚いた様子で、真ん丸に見開かれていた美しく輝く大きな瞳が、ゆっくりと弓のように細められた。

 そうだ。

 この笑顔だ。

 この笑顔こそが涼子の真骨頂なのだ。

 涼子の唇がゆっくりと動いた。

 甘い香りが鼻腔を擽り、思わず目を細めたマヤの耳に、クスクスと悪戯っぽい笑いを含んだ囁きが届いた。

「光栄ですわ、殿下」

 嬉しかった。

 思わず瞼を開いたマヤに、涼子がぱちん、とウィンクして見せた。

「そのかわり、イビキと寝言とヨダレの件は内緒ですわよ? 」

 ああ、好き。

 やっぱり、大好き。

 このひとでなければ、私は駄目なんだ。

「勿論ですわ、涼子様! 」


 涼子の乗るリンカーンが正門を出て行くまで見送っていたマヤだったが、やがて淋しさを抱き締めながら踵を返した途端、小さな悲鳴をあげてしまった。

「きゃあっ! 」

 いつの間にか、大学の友人達に取り囲まれていたのだ。

 全員女性ばかり、普段は『姫のご学友』に相応しい、ハイソサエティ層のご令嬢ばかりなのだが、今朝は皆一様に顔が紅潮していて、しかも鼻息が異様に荒い。

 学友を装ったSP、ただ一人を除いて~けれど彼女も、普段の鋭い視線を今は、まるで夢見心地のように潤ませ、虚空に漂わせていた~。

 それだけでマヤは、彼女達が興奮している理由をほぼ正確に察する事が出来た。

「ねねねねね、マヤ! 今の人だれ? 」

「かあっこいい! シブイじゃん! 」

「なーんか、惚れ惚れする程美人ねえ……」

「素敵! 憧れちゃうっ! ねね、マヤ、紹介してよ! 」

「ずるい! 私にも紹介して! 」

「てかマヤ、あんたまさか、惚れたんじゃないでしょうねえ? 」

「うそ、マヤ! あんた騙されてるんだって! 」

 姦しい事この上ない。

 もちろん普段の彼女達はこうではないし~いくらハイソ階級のご令嬢とは言え、元は米国産のヤンキー娘だ、明るくお喋りで姦しいには違いなかったが、今朝はもう、何と言うか普段の箍が外れた、上品さとは程遠い騒がしさだった~、マヤもまた、いつもならばこれほどの騒がしさは敬遠してしまうところなのだが、今日ばかりは違う。

 彼女達の気持ちが、痛いほどよく判るのだ。

 そして、それ以上にマヤは、我が事のように誇らしかった。

 涼子が。

 涼子とお近付きなれた事が。

「ねえ、マヤッ! マヤってばあ! 」

 肩を揺すられて初めて、マヤは我に帰る。

「ああ、皆様ごきげんよう、おはようございます」

「何寝惚けてんのよっ! 」

 正面の一人が焦れたように叫ぶ。

「だからぁっ! あの軍服姿の凛々しい超絶美人のオネエサマはいったいどこのどなた、って聞いてるんじゃないっ! 」

「マヤったら、ほんとにあのグンジンサンに惚れちゃったんじゃないの? 」

 キラキラ輝く彼女達の瞳は、真剣そのもの。だからついついマヤは、勝ち誇ったような口調になってしまう。

「あの方はねえ、UNDASN統合幕僚……、政務なんだっけ? ……えーと、とにかく! 」

 長ったらしい所属は忘れてしまった。

「国連本部駐在武官のキャプテン・リョーコ・イスルギ様よ! 」

 キャーッ! と黄色い悲鳴があがる。

「UNDASN? すっごい! 超エリートじゃない! 」

「キャプテン? 素敵、あの若さで大佐なの? あ、大尉だっけか? 」

「それはアーミーでしょ、UNDASNはネイビーだから大佐でいいのよ」

「素敵! 凛々しくってカッコイイー! 」

 そうだろう。

 あれだけの美人、ハリウッドを鉦や太鼓を叩きながら探し回ったってそうそうみつかるものではない。

 しかも、彼女はUNDASNの、高級幹部なのだ。

 UNDASNの士官といえば、この地球上35億の人々の中でもエリート中のエリート、超がつくほどの存在なのである。

 超絶美人なのに可愛らしくて、超エリート。

 もう、反則だわ。

「ねえマヤ、お願いだから紹介してよぉ」

 正面の一人がグッと顔を突き出して、声を低めた。

 周囲で全員が、うんうんと頷いて顔を突き出してくる。

 皆、申し合わせたように、両手を胸の前で組んで、祈るような真摯さで。

 マヤのSPまでもが。

「だめよ! 涼子様は、私の……、私の大切な方なんだから! 」

 思わず真顔で叫んでいた。

 全員、一斉に唇を噛み締める。

 諦め切れない気持ちは良く判る。

 けれど、それはマヤだってそうなのだ。

 他人の気持ちを慮っている余裕など、爪の先ほどもない。

 一人が、冗談めかした、けれど半ば以上は真剣な口調で言った。

「盗っちゃおうかなー! マヤにはだって、アイリーンおねえさまがいるじゃん! 」

 刹那、ほんの少し、微かに、マヤの胸に痛みが走った。

 アイリーン。

 彼女は、今ここにいない、けれどマヤにとってはニューヨークでの一番の友人だ。

 この街へ来たばかりの頃、緊張しまくっていたマヤの心を解し、労わり、そして友人達を紹介してくれて、この街を故国の王宮よりも居心地の良い場所にしてくれた、掛け替えのない、大切な、大切な友達。

 けれど。

「涼子様は特別なの! 」

 それはそれ、これはこれ、なのであった。

 本当に、一夜明けた今でも、涼子との出逢いは奇跡だとしみじみ思う。

 この降って湧いたような奇跡を、大切にしたかった。

 大切にして、明日へ繋げて、そしてこの手に入れたかった。

 だから、そう叫んだ。

「ええーっ! マヤったらズルイわーっ! 」

 周囲の非難の声~普段の戯れるような口調ではあったが、半分以上彼女達の本音だった、と思う~がまるで、奇跡を、幸運の鍵を見事に掴んだ自分への歓声の様にも聞こえ、マヤは、一層誇らしげに、学友達の顔を眺め渡した。

 今になって思い返すと、つくづく自分の行為、そして感情が恥ずべきものだと、忸怩たる思いに捉われてしまう。

 要は自分は、調子に乗っていたのだ。

 今、そこにいない、一番の親友はどうしているのだろう、どこへいったのだろう、そんな事すらチラリとも考えなかったのだから。

 その時、マヤが忘れ去っていた親友は、校舎の影から刺すような鋭い視線で自分を、そして涼子が去った正門の方を見ていたなんて、これぽっちも想像していなかったのだから。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る