第27話 6-6.
さっき目の前を通り過ぎたパトカーとリンカーンが車寄せで停車しているのが見えた。
その傍らで、涼子の方に背を向けて20人ほどスーツ姿やイブニング姿の男女が並んでいる。見送りの国連側スタッフだろう。
その周囲に転々と立ち、こちらに身体を向けているダークスーツはUNDASNの警務9課から派遣されているSPだ。
無論彼等の護衛対象は、UNDASNの最高指揮官である事務総長なのだが、今はそんなことを言っている場合ではない。
すぐに対応できる戦力として彼等を使うしかない、いや、巻き添えで事務総長にも危機が及びかねない状況なのだ、そう思ってここまで駆けてきたのだ。
「あ! 」
ガラスで煌く正面エントランスの辺りが賑やかになったかと思うと、SP~このSPは、イブーキか、もしくは国連本部警備を請け負っている米国FBIだろう~が数名、早足で外へ出て来て安全確認を行った後、マヤとイブーキ王国随員の一行10人ほどが登場した。
「急がなきゃ! 」
警備員が殺され、銃が奪われたタイミングを考えると、マヤ殿下を狙う何者かは、ここを機会と狙っているのだろうし、もっと言えば、銃を奪ったと言う事は、関係者を装っている可能性が高い。
外部からのテロリストなら、警備員を襲って銃を奪い、それからマヤ殿下を、という二重のリスクを負う必要などない筈だ。
涼子は腰を低め、ヒールの音にも気を遣いながら、そっと国連側スタッフの背後から近付く。
「あれ? 」
涼子に気付いた、顔見知りのSPが声を上げるのを、ひとさし指で制して、彼に近寄り、耳打ちする。
「マヤ殿下を狙っている暗殺者がいる! 通用口の警備員を殺害、銃を奪って、この周辺に潜んでいる可能性が高いわ。VIPのリスクレベルを最上級へ引き上げて
涼子のスカートの裾がどす黒く染まっているのを見て取り、SPは喉を押さえて骨振動マイクで伝達を始めた。
「ふぅっ! 」
とにかくSPを動かし、マヤを車に乗せてしまえば一安心だ、と涼子が小さく吐息をついた瞬間、マヤの声が響いた。
「涼子様! 嬉しい! お見送りに来てくださったんですの? 」
”しまった! ”
思わず首を竦めたところへ、マクドナルドが追い討ちをかける。
「おお、石動首席武官。貴官も殿下のお見送りですか。どうぞ、こちらへおいでなさい」
「急いで! 」
SPに鋭く言い捨て、涼子は止むを得ず人垣を掻き分けて最前列へ進み出た。
「涼子様、本日はご無理を申しまして、本当に申し訳ございませんでした」
「あ、あの殿下」
「でも、涼子様のお蔭で、今夜は本当に一生忘れることの出来ない、素晴らしい一夜になりましたわ。心よりお礼申し上げます」
「殿下、こちらこそ拙いステップで殿下には恥ずかしい目を……。そ、それより殿下」
緊急事態でございます、お早くお車へ、と言おうとして、涼子はマヤの悲鳴に遮られた。
「きゃあっ! りょ、涼子様っ!? そのス、スカートッ! 」
白いロングスカートを染める血の紅を見られてしまった、已む無く涼子は声を上げる。
「SP! 殿下を早くお車へ! 」
言いながら涼子はマヤに駆け寄り、「殿下、御免遊ばせ! 」と叫んで、左手をマヤの背に、右手をマヤの膝の裏に回して一気に抱き上げた。所謂『お姫様抱っこ』である。
刹那、視界に、階段を駆け下りてくるSP達の姿が映る。
「車へ! 」
涼子が車寄せに止まって後部ドアを開いているリンカーンに向かって踵を返した瞬間、流れる視界の端、イブーキ側スタッフの列に”異物”を捉えた。
黒光りするマズルが人垣の間から真っ直ぐに自分~マヤだろう、本当は~へ向けられている恐怖感を背骨に感じ、涼子は本能的に身体を竦めた。
”撃たれる! ”
次の瞬間、自然と身体が動き、声が出ていた。
「銃! 全員伏せてっ! 」
言いながら涼子は、なんとかマヤを射線から外そうと、マズルに背を向け盾となる。
「涼子ちゃん! 」
唐突に響いたハーグ時代の呼び名に驚くと、向き直った正面に、やはり驚いた表情のマクドナルドが立っていた。
「閣下、危ない! 伏せて! 」
涼子はまるで、マヤをマクドナルドにパスするようにして彼に向かって飛び込んだ。
刹那。
カーン、というヤケに乾いた銃声が響いた。
続いて、どこかでガラスの割れる音がした。
マクドナルドとマヤを身体の下に敷きながら、涼子は反射的に首を捻る。
全員がその場に伏せたエントランスで、ただ一人立っている男。
それが犯人、テロリストだった。
弾が外れた事に、ダークスーツ姿の男は呆然とした様子だったが、次の瞬間、我に帰って、今度は両手で銃を支持して構え直す。
涼子は、マズルを発見したときに感じた恐怖感も忘れて、マヤを倒れているマクドナルドに押し付けておいて、身体を起こしていた。
何を考え、どう動いたのか、落ち着いてから振り返ってみても、どうにも思い出せない。
それくらい、本能的な行動だったのだろう。
意識が戻ったときには、恐怖を顕わにした土気色の顔をした中年男が目の前で震えていて、白い手袋をした自分の左手の人差し指が、黒光りするリボルバーのマズルに突っ込まれていた。
「トリガー引くと暴発するわよ! 」
エントランスに響き渡る声が、自分の声とは思えなかった。
相手の得物はどうやらS&Wの45口径のようだ、指一本で暴発するのかどうかは心許なかったけれど、まずはハッタリで時間を稼ぐ。
テロリストがヒッ、と息を飲む気配を感じ、涼子は少しだけ声を落として続ける。
「私が失くすのは左手だけだろうけど、貴方は命を失くすわよ! 」
「涼子様! 」
「涼子ちゃん! 」
マヤとマクドナルドの声が同時に響く。
男の顔が、くしゃりと泣きそうに歪んだ。もう一押しだと思った。
「早く銃を離しなさいっ! 」
涼子が叫ぶと同時に、一瞬にして犯人の姿が消えた。
「え? 」
間抜けな声を上げた次の瞬間、身体に衝撃を感じ、涼子は後ろへ弾き飛ばされて仰向けに地面へ倒れこんでしまった。
「キャアッ! 」
しこたま尻と後頭部を打ち付けて、眼に涙を滲ませながら、首を擡げてみると、さっきまで自分が立っていた場所に、ダークスーツ製の小山が出来ていた。
遅れ馳せながら駆けつけたSPや警備員、イブーキ王国側の随員達が、涼子を押しのけて犯人の上に~犯人は見えなかったが~およそ20人近くが折り重なって押さえ込んでいたのだ。
小山の麓に、リボルバーが一丁、所在無さげに転がっているのを見て、涼子は事件が終わったことを知った。
「お……、終わった……」
涼子は、思わずその場で仰向けに寝転がり、大の字になる。
瞼を閉じた途端、どこかへお出掛けしていた恐怖心が戻ってきたらしく、涙が後から後から溢れてきて、困ってしまった。
嗚咽を堪えるのに苦労して、もう泣いてもいいかな、と諦めかけた刹那、艦長の無愛想な顔が浮かんできたので、どうにか堪える事が出来た。
瞳を閉じているから涙が出るんだわ、そうに違いないもの、と脈絡もなくそう思い、ゆっくりと瞼を開くと、心配そうな表情で覗き込んでいるマヤとマクドナルドの顔が逆様に映った。
「あら。マクドナルド閣下に、マヤ殿下。……だ、大丈夫、でしたか? 」
「涼子ちゃん! 君こそ大丈夫か? 」
マクドナルドが涼子の右手を握り、顔を歪ませた。
「私達は大丈夫だ! 掠り傷ひとつしとらんぞ! 」
まだ呼吸が整わない涼子だったが、無理矢理笑顔を見せて、マクドナルドに頷きかけた。
「あは、あはは……、は。良かったぁ。閣下に怪我でもされたら、私、奥様に顔向けできなくなっちゃうもの」
「私のほうこそ、君に怪我をされるとニコルに殺さ」
突然、凄い勢いで、マクドナルドが横っ飛びに視界から消え去った。
まさか奥様? とチラ、と考えた途端、マヤの顔のどアップが近付いてきた。
マクドナルドはマヤに突き飛ばされたらしかった。
「涼子様涼子様涼子様涼子様! マヤを残して死んじゃいやああっ! 」
マヤは倒れたままの涼子に縋り付いて覆い被さり、わんわん大泣きに泣き始めた。
なんだか先に泣かれちゃうと、醒めちゃうわね、と涼子は吐息を零す。
しかもその泣きっぷりは身も世もないほどに大袈裟で、涼子は流石に閉口して、慌ててマヤを宥めにかかった。
「殿下、殿下! 私は大丈夫です! 大丈夫だから、お、お離しくだ、ください! 」
マヤが、しゃくりあげながらゆっくりと顔を上げた。
同性の涼子でさえドキッとするくらい、儚げで美しい、泣き顔だった。
涼子は少し顔を赤らめ、優しく言った。
「私は大丈夫、ね? だから、殿下も泣きやんで下さい……。涼子は、殿下の笑顔を守る為に頑張ったんですもの」
マヤは、涙を少女の様に拭い、鼻水を啜り上げながら、こくん、と肯いた。
「ほんと……? 涼子様、ほんとに大丈夫なの? 」
「はい、ほんとですよ? 」
マヤは涙を指で拭いながら、涼子の身体に被せた自分の上半身を起こし、傍に座り込んだ。
機会は逃さないとばかりに、涼子は投げ出していた両脚を急いで折り畳み、長いスカートの裾を丸めて膝の間に押し込んだ。
さっきから階段の大理石の冷たさとは別の冷気が下半身を侵略しつつあったのが気に懸かって仕方なかったのだ。
”うわーん! なんか、全開クサい! ”
まさか写真なんか撮られてないだろうなと冷や汗を拭いながら周囲をキョロキョロ見渡すが、普段は煩いマスコミのストロボが、今は一発も輝いていないことに気付いた。
こう言ってはイブーキ王国には失礼だけれど、まあ、特別重要度や関心度が高い大国ではない、本会議直後ならともかく、パーティーの出待ちをされるほどでもなかったのだろう。
いずれにせよ、恥ずかしい写真が出回ることはなさそうだった。
そっと胸を撫で下ろしていると、眼の前に手が伸びてきた。
顔を上げると、マクドナルドがいつも涼子に見せる穏やかな笑みを浮かべて、手を差し伸べてくれていた。
「さ、涼子ちゃん」
マクドナルドにエスコートされて涼子が立ち上がった途端、周囲で拍手が沸き起こった。
「ブラボー! 」「素晴らしい! 」「英雄だ! 」
まるで自分のパンツが褒め称えられている気がして恥ずかしくて仕方なかった。
涼子は慌てて、マクドナルドに耳打ちする。
「閣下、お願いですから、今日の件……。UNDASNにはご内密に! 勿論、プレスリリースは禁物ですわよ! 」
「何故だね? お手柄じゃないか! 」
「いえ……、実は、UNDASNって結構こういう事に煩いんですよぉ。やれスタンドプレーだの、やれ地球を守る大きな使命を持ったものが任務外の事で命を粗末にするとは、だの」
髭もじゃの合間から覗く赤ら顔を、もっと赤黒く染めて睨みつけるヨッフム三将の顔が脳裏に浮かび、涼子はブルッと肩を震わせた。
「私、怒られるの、ヤです」
途端にマクドナルドは渋い表情を浮かべる。
「う、む……。君がどうしても、というなら仕方ないが……」
「ね? お願い! 」
手を合わせる涼子を暫く見ていたマクドナルドは、ふ、と力を抜いて笑いながら言った。
「よしよし、わかったわかった……。涼子ちゃんがそう言うなら、そうしよう。だが、私と妻からのお礼は、必ずさせてもらうからね? 」
こうしてこの事件のヒロインは、刺殺された
涼子が後から訊いたところによると、テロリストはイブーキ王国外務省職員で、反マヤ派の一人から今回の犯行を金で請け負ったものらしい。
それを知って、涼子は改めて胸を撫で下ろしたものだ。
これが『動機は主義主張』となるとそう簡単には行かない。そう言う連中は、大抵、主義主張の為、例え自分に死が迫ってもためらわず引き金を引くだろう。
反対にイブーキ王国側の事情を考えると、所詮は権力闘争であり、金が絡んでいるに決まっている。そう言う連中は、死を恐れるのだ。
それにしても、とその時の涼子は、大理石の階段上に座り込んだまま、自分の無事だった左手をしみじみとみつめていた。
よくもまあ、銃口に指を突っ込む等という無茶を仕出かしたものだ。
と、涼子は、マヤがまだ、元の位置で座り込んでいるのに気づいた。
「さ、殿下……。もはやお立ちあそばせ」
手を差し伸べた涼子から顔を逸らしてマヤは、顔を赤らめ、小声で言った。
「そ、それが……、お恥ずかしいんですが……、腰が抜けてしまって……、た、立てませんの……」
それはそうだろう、と涼子は思う。
マヤには判っているだろう。自分の命が狙われたのだ、しかも、たぶん普段は近侍している顔馴染みの側近に。
トラウマになったって仕方ないような、17歳の娘にはインパクトがでか過ぎる事件だったろう。
「殿下、失礼」
涼子は、笑顔でそう言って、返事も待たずにさっとしゃがみこみ、マヤを抱き上げた。
これがほんとの、お姫様抱っこ、だわ。
ああ、ナシ。
一瞬浮かんだ下らない洒落を涼子は首をぶんぶん振って追い出した。
と、マヤのか細い声で、涼子は我に返った。
「あの、涼子様……? このまま、車までお連れ頂けませんか? 」
涼子の体力は、実はもう限界だったのだが、抱き上げておいてそれは嫌ですと言う気は毛頭なかった。
だから、この日二度目の、顔で笑って心で泣いて、を実践する事にした。
「御意のままに」
涼子はマヤを抱きかかえたまま、車に向かう。
その横を侍従長が泣きそうな顔でついて歩く。
この事件は、彼にとっても衝撃的だったろうな、と涼子は心からの同情を込めて思う。
謹厳そうな男爵閣下の鋭い眼光の奥、マヤを心の底から愛し、心配する温かな光が、パーティの間中はっきりと見えていたから。
歩き出して涼子は初めて、足元が冷たい事に気付いた。
”あれ? 靴、ない”
いつの間に脱げてしまったのか、思い出せなかった。
たぶん、あの乱闘の時~正確には、弾き出された時だ~だろう。
零種に合わせるパンプスは、フェラガモだ。士官の軍装は基本的に自費購入であり、特別に値の張る零種も例外ではない。服本体だけでなく、靴や各種小物も含めると、軽く1ヶ月分以上の給料が吹っ飛ぶ。
失くしちゃった、また買わないと、そう言えばスカートもオシャカだわと思うと、なんだか泣きそうになってしまった。
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