第19話 5-4.
私は、その時の喜びが忘れられなくて、時折は艦長室に押し掛けて、自分から質問をするようになった。
そのうち、ほんとはキチンと理解できていることでも、判らない振りをして訊ねるようになってきた。
なんだか、小学校の頃、久し振りに家に帰ってきたお父さんに、宿題を教えて貰いに行くみたいで、私の艦長室訪問は殆ど日常業務のようになっていった。
普段は無愛想な艦長も、艦長室では少しだけ口数も多くなり、また、表情もほんの少しだけ豊かなように感じられて、それも私の『艦長室詣で』の楽しみのひとつだった。
その日も私は、艦長の淹れてくれたコーヒーを味わいながら~お蔭で、すっかりブラックコーヒーに舌が慣れてしまった~雷撃回避操艦術について、マニュアルにはないテクニックを教わって、
「おかえりー」
C0194五十鈴の
美香先輩は幹部学校ロサンゼルス校の1期上で、生徒時代は何かと可愛がってくれたひと。
着任初期の神経衰弱時代も、唯一、私を庇ってくれていた。もちろん今も、変らず可愛がってくれる、美人で、だけど姉御肌の、大好きな先輩。
「先輩、ただいま」
私が挨拶して、先輩の隣のデスクに携帯端末を置くと同時に、ガンルーム付きのボーイ~従兵のことだ、何故だか女性でもみんな”ボーイ”と呼ぶ、なんでも古い海軍の習慣らしい~が寄ってきた。
「分隊士、夜食はどうなさいますか? 」
私と同い年らしい艦士長の男の子を振り向いて、オーダーを口にした。
「えっとねぇ、私バナナパンケーキにしよっかな」
「アイアイ、マム」
「お願いしまーっす」
ボーイにヒラヒラと手を振って見送った後、美香先輩を振り向くと、彼女は煙草に火を吸い付けながら私の顔をみてニコニコ笑っていた。
「? 」
私が首を傾げて見せると、美香先輩は我に帰ったように、顔の前でヒラヒラ手を振る。
「なんですかぁ、先輩? 」
「や、ごめんごめん。ちょっと、ね」
先輩はフッ、と煙を吸煙機の方へ吐き出して、言葉を継いだ。
「涼子、ほんっと、変ったわよねぇ」
「ふぇ? 何が? 何処が? 」
美香先輩は、呆れたように言う。
「貴女、自分で気付いてへんの? 」
私は腕を組み、天井を向いて首を捻る。
「……先輩、ヒント」
「まあ、涼子らしいっちゃ、らしいけど。アハハハハ!」
先輩の高笑いが合図でもなかったろうが、殆ど同時にボーイがバナナパンケーキを運んできた。
「わぁ、美味しそう! ありがとっ! 三沢君も何か食べたら? 私につけといてくれていいよ? 」
「ありがとうございます! それじゃ、遠慮なく! 」
「どぞどぞ! 」
ボーイの三沢士長とそんな会話をしていたら、それを聞きつけた
「んん? なんだなんだ、石動、貴様リッチな話してるな? 」
「貴様、俺にも奢ってくれよ」
続いて機関分隊の不破二尉が割り込む。
「だ、駄目ですよ、そんなお金ないですもん! 」
「三沢に奢れて俺に奢れんとは理不尽だ! 」
私がケプガンや不破二尉とやりあっていると、ガンルームに居た皆が集まってきた。
「なんか、いい話してますね、ケプガン。自分もマゼて下さいよ」
「お、宴会? 宴会っすか? 」
「いいねえ」
「次の入港いつだっけ? 」
「リトオオ入港は来週だな」
「いいねえ。”村さ来”でも繰り出すか! 」
「んじゃあ、五十鈴ガンルームのご苦労さん会ってことで」
「幹事は石動か? 」
「いや、幹事はマックスでいいじゃん。石動はスポンサーだから」
「あ、じゃあ自分いい店探しますよ」
「じゃあ、もうちょい、いい店にしようぜ? 焼き肉とかの方がいんじゃね? 」
「そうだな」「うん、ヤル気出てきた」「あー、楽しみだなあ」「他人の財布ってのは格別だねえ」
私がアワアワしているうちに話がまとまったらしく、全員がこっちを見て声を揃えた。
「石動! ごちンなります! 」
「駄目ぇぇぇえっ! お給料、なくなっちゃうぅ! 」
「ほんっま、涼子、変ったな。ええ傾向や思うで」
その後、自室に戻り、部屋の灯りを消してベッドに潜り込んだ途端、隣のベッドから美香先輩が声を掛けてきた。
五十鈴では、初級士官の個室は二人部屋で、着任当座の私は、美香先輩に随分愚痴を聞いてもらったものだ。
美香先輩は、四国の出身だとかで、日本語で話すときに出る彼女のお国訛りが、ささくれだった心には随分と優しく感じられたものだ。
「先輩、さっきも言ってましたね。ドサクサに紛れちゃったけど、結局……」
「ちゃんと皆と笑い合えてるやない? ええ笑顔するようになった、ゆうことや」
「きゃあっ! 」
さっきまで隣のベッドから聞こえていた美香先輩の声が、いきなり耳元で、しかも息を首筋に吹きかけるようにして聞こえてきて、私は思わす叫んでしまったのだった。
「ちょ、ちょ、ちょっと先輩! 何勝手に布団に潜り込んでんですか! 」
私が振り向くと、目の前に美香先輩のどアップ。こんな美人の顔が1センチも離れていないところにあると、女性同士とはいえ心臓がバクバクしてくる。
先輩は私の怒鳴り声もどこ吹く風、ニコニコしながら私の髪を撫でつつ、しれっと言った。
「ええやん、私と涼子の仲やない」
そう。
美香先輩は、美人で優しくて面倒見が良くて仕事もバリバリこなして、大好きなんだけど、ちょっと、困ったところもあるのだ。
男性にもモテモテ、生徒時代からかなり派手に遊んでた先輩は、その実、女の子も大好きで、男性経験よりも女性経験の方が多いくらい。
……らしい。本人談。
私も実は、そう言う意味でも可愛がられていた。もちろん、最後の一線は許してないけど。
だけど、男の人と違って、なんだか、まるでお母さんに抱かれてるみたいで、抵抗はしてみせるものの、実はあんまりイヤじゃなかったりもする。
まぁそれはともかく、美香先輩は私の頭を両手で抱いて、その豊満な胸に抱き寄せながら髪を撫でてくれた。
「まあ、私は喜んでる訳よ。涼子がみんなと楽しそうに笑ってるシーンが見られて。何があったか知らんけど、よう頑張って乗り越えたなあ」
いいこ、いいこと髪を撫でられ、背中を優しくトントンされているうちに私は、涙が零れそうになった。
「……信じてみよう、って思って」
「……ん? 」
小首を傾げる美香先輩になら、話してもいいかな、と思った。
「艦長が信じてるこのフネのみんななら、信じられるんじゃないかな、って……」
「艦長? 」
美香先輩の形の良い眉が、ピク、と動いた。
もうこれだけで勘の良い先輩は粗方察しがついたかも知れないけれど、微笑んだまま無言で私に先を促してくれた。
「艦長が、そう、私に言ってくれたから」
私の話を聞き終えて、美香先輩は納得したと言いたげに、うんうんと頷いていた。
「そうなんや、そんなことがなぁ……」
それから急に、悪戯っ子の顔になった。
「それで涼子は、私のことを放り出して、毎日足繁く艦長室へ夜這いをかけとった、ゆう訳じゃね? 」
「よ、夜這いって先輩」
激しく額に縦線を下ろした私を無視して、美香先輩の瞳は暗い部屋でも不思議と、キラキラと輝いている。
「涼子? 」
「……ふぇ? 」
美香先輩が、フフッ、と悪魔のように笑った。
「貴女、艦長に……、惚れたね? 」
そんなんじゃ、ない。
「分隊士、なにか仰いましたか? 」
「ふぇ? あ、や、ん。なんでもない、ごめんね、なんでもないよ」
知らぬうちに、声に出していたようだ。
操舵席から振り返った三曹に笑って誤魔化し、私はそっと溜息を吐いた。
昨夜の、美香先輩の言葉が脳裏から離れず、私は殆ど寝付けなかったのだ。
おまけに、今夜はワッチ。睡眠不足の身体と脳に、ダブルシフトはキツい。
ああ、駄目だわ。こんなじゃ、五十鈴のみんなどころか、艦長一人だって守れない。
ワッチ交替まで後、1時間。
気合い、入れ直さなきゃ。
私はナビブリッジのキャノピー越しに広がる、煌く星もまばらなエンルート監視に注意を振り向ける。
……つもりだった、けれど。
いつの間にか、思考は元へと戻ってしまうのだった。
艦長に……、恋、だって?
そんな訳、ないじゃん。
艦長は、恩人だ。
暗闇で動く事も儘ならず、怖くて怖くてほんの半歩すら足を踏み出す勇気もなく、自分で自分を抱き締めて、唯、震えるばかりだった私に、明日はあっちだ、生きていくつもりなら足を踏み出せ、怖ければ、痛ければ戻ればいい、大丈夫だったらもう一歩踏み出せ、隣には俺がいる、仲間がいるんだと、教え諭してくれた、大切なひとだ。
私は、艦長を、五十鈴のみんなを、そしてUNDASNの全員を守り、そして皆は私を守ってくれる。
いい船乗りの条件は、いつも能天気に笑っていられること、そして必ず生きて帰ってくること。
それを実践することが、結局は仲間を守り、守られて、そうして生きていくことになる。
今では、まるで地球に重力があるのと同じ当然さで胸の内にすっきり収まるこの”公式”を、私に教え、そして信じさせてくれたひとだもの。
愛だとか、恋だとか、そんなんじゃ……、ない。
だって、信じてみてもいい、そう私が思えた切欠は。
お父さんの姿とだぶって見えたから。
それだけ。
うん。
勘違いしちゃ、いけない。
そうだ、これだって、私は小学生の頃を思い浮かべていたじゃないか。
「お父さん。宿題の判らないところ、教えてくれる? 」
そう。
二度と戻らないあの頃が懐かしくて、思いがけず取り戻したこの時間が愛惜しくて。
だから、楽しみに思う、それだけじゃないか。
自分が経験を、知識を、そしてそれらに裏付けられた自信を積み重ねることで、艦長を、フネのみんなを、UNDASNのみんなを、守る事が出来る。守ってもらえるだけの存在価値を得る。
だから、私は毎日のように教えを乞いに、艦長室へ通う、それだけじゃないか。
まるで自分自身に言い聞かせるように、私は口の中で呟きながら、最終耐爆区画へと歩く。
だが、その足取りは、いつだったか擦れ違った部下に『スキップ踏んでどこ行くんですか? 』と言われたものとは程遠い、重い足取りだった。
一体、私は何故こんなにも気分が重いんだろう?
何故、こんなにくどいほど自分自身に言い訳しなきゃならないんだろう?
私は、何を誤魔化し、何を違うと言い張り、いったいどうであれば安心だと思い込めると言うのだろう?
……私はいったい。
何を、怖れているのだろう?
怖がるな、守ってやる、一歩踏み出せ、俺が、皆が隣に居ると励ましてくれた、艦長。
今はもういない、お父さんとの触れ合いを思い出させてくれた、艦長。
……何か、違う。
どこかが、違う。
やっぱり私は、何かを怖れ、それ故何かを誤魔化そうとしているんだ。
ピ! という安物臭い、でも聞き慣れた電子音に私の意識は一気に現実へと引き戻された。
私は知らないうちに、艦長室のドアの前で佇んでいたみたいだ。
と、言う事は……。
予想通り、電子音はドアの開く音だった。
「あら。分隊士」
「ワイズマン先生」
開いたドアの向こうで立っていたのは、C0194五十鈴の軍医、ワイズマン先生。
なんで?
なんで先生が艦長室に?
ひょっとして、艦長、病気?
そうなら、ワイズマン先生がここにいるのも判る。
でも。
それならなんで、先生はいつもトレードマークみたいに羽織っている白衣を、今日は左腕に架けているの?
どうして、ワーキングカーキの、シャツのボタンをとめながら出てきたの?
ふわふわのブロンドが綺麗なウェーブヘアとシャツの襟の境界線、まるで日本人みたいに肌理細やかな白磁の肌の首筋に薄っすら残る赤い、小さな痣のような、それはなに?
「どうした、サム? 」
部屋の奥から聞こえる、艦長の声。
助けを求めるように、私より10cmほど背の高い先生の肩越しに視線を向ける。
「石動か? 今日はワッチだったか? 」
艦長が、私室からワーキングカーキのシャツを羽織りながら公室へ入ってくる姿が目に焼きついた。
「ちょっとアンタ、レディがいるのよ! 包括内規12条抵触、人生粉砕されるわよ、セクハラ親父! 」
ワイズマン先生はからかうような口調で、背後の艦長にそう言うと、私のほうを見てニコ、と笑った。
「ごめんね。私の用はもう終わったから、入んなさいな。あ、艦長がちゃんと服、着てから、ね」
「あ、あの、わた、私……、後で、また後で、来ます」
掠れる声でそう答えるのが精一杯だった。
敬礼もせず、私は踵を返し、駆け出した。
「ちょ、ちょっとぉ? 分隊士ぃ! 」
背中から先生の声が追いかけてきたけど、無視してそのまま私は走った。
憎い、そう思った。
同じ女性にそんな事を思うなんて、初めてじゃなかったかな。
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