第18話 5-3.


「外の世界には、艦長はいないから。外の世界は怖いです。UNDASNは外に較べてマシだったけど、それでも怖かったです、さっきまでは。でも」

 思い返すと、これほど自分の気持ちをはっきりと口に出したのは、UNDASN入隊後初めてかもしれない。

「でも、今は艦長がいるここから、離れたくないです。艦長が守ってくれるここを、離れたくないんです」

 艦長は、煙草を咥えたまま、じっと私の顔を見ていたが、ツ、と眼を逸らし、口を開いた。

「石動、お前は」

 今度は『お前』に変わっていた。距離が縮まったように思えて、嬉しかった。

 煙草を灰皿に押し当てて、艦長は私の目を見て、言葉を継いだ。

「お前は、俺を守ってはくれないのか? 」

 意味が判らなかった。

 だって艦長は、確か任官してから10年以上も経つ二等艦佐で、ブロンズスターやシルバースターとか、沢山勲章も貰ってて、それに乗組員は皆、尊敬していて、要は凄い経歴の軍人なのに。

「わ、私なんか、私みたいな半人前が、そんな……」

 語尾が小さくなった。

 考えてみれば、部下として、上官の安全を確保し、任務遂行、戦闘継続に支障がないように……。

「守りたい、です。力不足かもしれないけれど、でも、私だって艦長を守りたいです」

 自然と言葉が唇から洩れ出た。

 部下とか上官とかそんな、それこそ建前じゃなく、心の底から守りたい、いつの間にか私はそう思っていた。

「判った」

 艦長は呟くように言うと、微笑んだ。

 そう。

 笑ってくれた。

 私に。

 さっきみたいな、唇の端を上げるだけの、微かな笑顔じゃなくて、本当に、私の言葉に対して合格だ、それでいいんだと励ましてくれているような、涙が滲んでしまうような、優しい笑顔だった。

「言われなくても俺は、艦長として乗組員の安全を、生命を確保する義務がある。もちろん乗組員にも、各々の配置と任務を全うすることで上官や同僚部下の相互の安全を確保し合う義務がある。だけどな、石動。俺が言ってるのは、そんなことじゃない」

 判るな、と言う様に言葉を区切る艦長に、私はこくん、と頷く。

「哨戒艦だろうが駆逐艦だろうが、空母だって戦艦だって、何も違いはない。艦乗りふなのり、ってのはそういうものなんだ。大昔の太平洋の荒波にもまれる帆船が、宇宙を光よりも速くぶっ飛ぶ空間戦闘艦になったって、『板子一枚下は地獄』、『死なばもろとも』、それだけは結局変わってないんだ。そう言う兵科なんだよ、艦隊マークってのは」

艦長は2本目の煙草に火を吸いつけた。

「軍人なんて偉そうにしていても、所詮は合法的な大量殺戮者だ。敵に対しては勿論、味方にだってそうだ。特に士官は、自分の命令一つで部下の生命を左右できる。艦隊マークだと、自分の命令や行動が、自分が乗ってる艦だけじゃなく、僚艦の何千という生命を左右する事だってあるんだ。これはな、石動。脅そうとして言ってるんじゃない。この事実は、裏を返せばこう言う意味だ」

 私は、思わずごくりと生唾を嚥下する。

「裏を返せば、俺達は部下や同僚、上官達を、守ってやることも出来るんだ。もちろん、自分自身も、だ」

 すっかり冷めたコーヒーを、艦長は一口啜り、不味いとでも言うように顔を顰める。

「誰だって、死にたくなんかない。自分の命が大事なのは当然だし、それは全然恥ずかしいことじゃない。二階級特進なんざクソ喰らえ、だ」

 吐き出すように言った言葉を自然に見せる為に、艦長は冷めたコーヒーを啜って見せたのではないか、と私は思った。

「自分の命を後生大事に守る、死にたくない、生きていたい、その為に見っとも無く足掻きながら懸命に戦う。それが、同じ艦に乗っている上官や同僚部下を、僚艦を救うことに繋がる。それが、艦乗りって奴の本質なんだ」

 艦長はマグカップをぐいっと傾け、一気に飲み干した。

「お前はさっき言った。もっと強くなる、もう泣かない、だからここに置いてくれ。つまり、俺に守ってくれ、そう言った」

 私は、こくんと頷く。声が、出ない。

「誰かを守る、誰かを救う。それは立派な行為だ。だけど、それは、自分自身も救えて初めて成り立つことなんだ。自分を犠牲にすることで誰かを救うなんて行為、俺は認めない。自分も、相手もちゃんと無事で、良かったと笑いあえて初めて、人は他人を守れるものだと、俺は思う」

 艦長は、少しだけ語調を緩めた。

「大切なのは、自分を大事に想う事、だ。それが、自分を守ることになり、同時に俺や皆、仲間を守ることに繋がる」

 艦長の顔から、眼が離せなかった。

「お前は娑婆が怖いと言った。その理由を俺は知らんが、だけどお前が言うんだ、きっと恐ろしい何かがあるんだろう。だからお前はUNDASNに残りたいと言った。残ればいい。もとより俺は、お前を辞めさせる気なんか、これっぽっちもなかったけどな」

「ホ、ホントですか? 」

 思わず声を上げると、艦長は苦笑しながら頷いてくれた。

「だから、これからも俺はお前を守る。そしてお前ももっと勉強して経験を積め。それが俺を、この艦の皆を守ることに繋がる。それは同時に、石動。この艦の全員が、UNDASNの全将兵3,500万人が全員でお前を守ってくれるということなんだ」

 UNDASNの全員が、外界と較べてマシなだけで地獄には違いない、そう考えていたUNDASNが私を守ってくれる。

「それが、互いに砲弾の下を潜ってきた仲間、ってものだ。俺が異動してこの艦を降りたって、次にくる艦長もきっと守ってくれる。お前が異動でどの艦に行こうと、どの惑星に行こうと、そこにいる仲間はきっとお前を守ってくれるし、お前は皆を守るだろう。だから、石動」

 艦長は煙草を灰皿に押し付けて、私の顔を覗き込むようにして、言った。

「お前も、自分の想いに、抱える恐怖に捉われるな。お前が、UNDASN3,500万の命を守り守られて生きていくことが、お前が恐れている娑婆の35億の人々を結果的には守っているんだ。だから、恐れてばかりいるな。お前には、俺がいる。この五十鈴の乗組員1,000名がいる。UNDASN3,500万人がついてる。だから、まず、俺達を信じろ。守ってやる。そして守ってやれ」

 信じられそうな気がする。

 艦長なら、信じてもいいと思える。

 艦長が信じている皆を、私も信じられたら素敵だ、そう思う。

「艦長……。私、皆を守りたいです。それで、皆にも守ってもらいたいです」

 そう言った私に、艦長はゆっくりと頷いてくれた。

「それでいいんだ。だから、別に強くなる必要もないし、涙を禁じる必要だってない。ただ、自分の思いで自分を縛るな。自分の言葉で自分の行く手を遮るな。怖くても、一歩踏み出せ。痛ければ戻ればいいんだから。戻ったらそこには、俺がいる。UNDASNの仲間がいる。我慢できるのならもう一歩踏み出せ。その隣には、俺がいる。UNDASNの仲間がいる。それが、生きていく、と言うことなんだ」

 実感できた。

 暴漢に襲われた~らしい~私を、怪我を負わせられながらも助けてくれた事実はあったけれど、正直、実感はなかった。

 だけど、今、こうして、普段のサイレント・オフィサー振りをかなぐり捨ててまで、語ってくれるこの人が。

 朴訥な口調だけれど、それでも私のような二十歳にも満たない小娘に、これほど真剣に語ってくれるこの人が。

 守ってくれる。いや、今この瞬間でさえ、私を優しく包み、守ってくれているという、確かな手応えが、私の心を震わせた。

 泣きません、と宣言したばかりなのに、もう約束を破ってしまいそうだった。

 これまで涙は、私にとって、恐怖や哀しみだけを象徴するものだったけれど、今は違う。

 人は、嬉しくても泣けるんだ。

 艦長は、そんな格好悪い私を見て見ぬふりをしてくれているように、そっぽを向いて3本目の煙草に火を吸い付けながら、軽い口調で言った。

「まあ、これ以上は蛇足だし、建前論のように聞こえるだろうが、俺はある意味、真実だとも思っている」

 そう前置きして艦長は、まるで照れ隠しのように空のマグカップを弄びながら言葉を継いだ。

「お前がUNDASNに残り、仲間達を守り、守られ、生きていく。その1日1日が結果的にはお前が怖がっている娑婆の35億の人々を守ることに繋がる。そして、地球に残った娑婆の人類、お前が怖いといったその連中もまた、俺やお前、UNDASN3,500万を守ってくれる」

 ふっ、と短い吐息をついて、艦長は私を見て笑った。

「考えてみれば、これほど痛快なことはないじゃないか」


 翌日から私は勤務に戻った。

 航海艦橋ナビ・ブリッジに早めに上がり、所属長である航海長や運航班長、操舵長、そして部下である航海分隊の下士官や兵を前に挨拶をした。

「出航前の忙しい時に休んでしまい、ご迷惑をお掛けしました。本日より職務に復帰します。休んでいた分を取り戻せるように頑張りますので、改めてよろしくお願いします」

 昨日は言った端から約束破っちゃったけど。

 今日から、再挑戦。

 泣かない。

 そして、笑うんだ。

 艦長が信じてる、皆に。

 艦長が守ってる、皆に。

 艦長を、そして私を守ってくれる、皆に。

 これから私が守ってあげる、皆に。

 上手く笑えたかどうか、自信がなくなってしまった。

 いつもギロリと睨む航海長が、いつも揚げ足を取って文句ばかり言う運航班長が、いつも馬鹿にしたように私を見下す操舵長が、いつも慇懃な態度で、だけど無視ばかりする下士官が、いつも私の背後でコソコソ何やら話している兵達が、驚いたような表情を浮かべ、無言で私をみつめているから。

「あ、あの……? 」

 沈黙に耐え切れず口を開いた私に、先任曹長CPOのしゃがれた、野太い声が届いた。

「『笑わん姫』が笑った……」

「こら、宇崎曹長」

 さすがに航海長が、CPOを咎める。

 そして、ゴホン、と咳をしてから、私に向き直った。

「よくなったのなら、安心した。迷惑をかけた分を取り戻す必要なんぞない。貴様は、貴様の手の届く範囲でベストであればよろしい」

 航海長の後を、運航班長が引き取った。

「届かないところは俺達がやる。それが、仲間ってものだ」

 そう言って、笑ってくれた。

 艦橋にいた全員が、笑いかけてくれた。

 艦長の言った通りだと思った。

 嬉しくて、また、泣きたくなってしまった。

 やっぱり意地悪だ、ふと、そんなことを思ってしまった。


 それから数ヶ月、私は、少なくともC0194五十鈴の艦内では何とか上手くやっていけるようになった。

「分隊士。『笑わん姫』の愛称は過去のものになりましたねえ」

 髭面のCPOがワッチの最中、そう言ってくれたのは、本当に嬉しかった。

 艦長は、あの日以来、また何事もなかったかのようなサイレント・オフィサー振りを見せていたけど、そのうち、作戦行動や戦闘行動等、作業が一段落する度に、ぽつり、ぽつりと私の動きについてアドバイスやサゼッションをくれるようになった。

 ある日、先行する戦隊旗艦からの発光モールス~間隔を詰めろ、だったかな~を、自動読取機より先に解読して運航制御班に指示を出すと、艦長がポツン、と言った。

「分隊士。モールス・コードが得意なのか? 」

「はっ」

 なんだろうと思っていると艦長はうんと頷いて、言葉を継いだ。

「今のは機敏で、良かったぞ。艦隊行動時の遭遇戦や反航戦の際には、発光信号に対するリアクションの速さが命運を分ける事も多いからな」

「あ、ありがとうございます」

 艦長は、うん、とひとつ頷いた後、私から視線を外し、独り言のような口調で呟いた。

「良い船乗りの条件、ってのはな? いつだって能天気に笑ってられること、そして必ず生きて帰ってくることだ」

 無愛想な、朴訥な口調だったけれど、艦長のその言葉に。

 艦長の言葉に、私の心臓は、きゅっ、と鷲掴みされた。

 艦長が、あの日、艦長室でぐちゃぐちゃになっていた私に言ってくれた言葉。

 それが、私の心の拠り所になっていたのだけれど、それが真実、艦長が日々実践されている、艦長にとっても拠り所なんだ。

 それを、あの日の私は、艦長に貰ったんだ。

 嬉しかった。

 普段、アドバイスを貰ったり、ちょっとした事で誉められたり。

 それも私には嬉しい出来事には違いなかったけれど、この日貰った言葉は。

 生きていて良かった、そう心の底から思えるくらいに、嬉しくてたまらなかった。

 たぶん、私は。

 この日、艦長に恋したんだ。

 そう、思う。

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