第17話 5-2.


 彼と初めて出逢ったのは、幹部学校卒業後、三等艦尉任官初任配置の軽巡洋艦C0194五十鈴いすず

 航海分隊士としてブリッジに立つ私にとって、艦長だったその頃の彼は、単に”脅威”でしかなかった。

 私を傷つけるかもしれない、いつか私に牙を剥き爪をたてようとするかもしれない、潜在的な”脅威”。

 別にそれは、彼だけに限ったことではない。

 私にとって、この地球に生きる人々の半分~つまり、男性~は、そうだった。

 そんな地獄から逃れる為に、適性のあるなし関係なく逃げ込んだUNDASNで、当然の報いといえばそうだけれど、逃避のツケを払わされてフラフラになっている私にとって、他の人達とは違い、非難誹謗中傷悪口陰口は叩かない、冗談も言わない代わりにセクハラ行為も交際申し込みもしない、ただ黙って私の最低な勤務振りをじっと眺めている彼は、直接的な害を及ぼさずとも、私にとっては”数ある脅威”の中のひとつだったのには違いなかった。

 直接私を傷つけることはないのかも知れない。

 だけど、卒配の初任幹部の勤務評定は、確実に今後の私の将来と人生を左右する。

 ひょっとすると、このまま『兵科士官としての適性に疑問』の評価とともに、下手をすれば予備役引き入れ……。

 もっと辛いであろう”シャバ”に放り出されるかも知れない。

 安全な檻の外で牙を剥いているであろう外界の脅威と、安全な筈の檻の中にもやはり居た脅威に神経をズタズタにされながら、それでもどちらがマシなのか、判り切った自問自答の果てにこれ以上ヘマをしてはならないというプレッシャーに押し潰されそうな日々を過ごしていた、ある日。

 系外第33艦隊第5戦隊の2番艦だったC0194五十鈴は、艦齢15年で実施される第1次中間定期検査の為に、生誕の地である横浜のIHIへ戻る事になった。

 私が着任してから半年目、久し振りの地球の空気は、少し排気ガス臭くって、それでも弱った私の心には清涼剤のようにも思えた。

 1ヶ月の入渠中、私は夜間高校時代の担任や友人達と会って久し振りに真綿で包まれたような心地良さを感じることが出来たが、思えば、それが油断に繋がったのかも知れない。

 出渠したC019五十鈴は、艦政本部の受入検収の為にサンフランシスコ港に入り、検査担当官が来艦するまでのタイムラグ2日間を利用して、アットホームを開催することになったのだ。

 アットホームとは、所謂、UNDASN戦闘艦艇の一般公開イベントのことだ。人事局からの依頼で、本星に帰還した艦船は兵員募集のアピールも兼ねて、宣伝用のアットホームや体験航海といったイベントに借り出されることが多いとガンルームで聞かされた。

 その2日目、私は一般人に紛れて来艦したストリート・ギャングらしい男達に襲われ、錯乱した挙句気を失った。

 ……らしい。

 目覚めてから、五十鈴の艦医長、ワイズマン先生に聞かされた話だ。

 記憶がすっぽり、抜け落ちていた。あれから5日経ち、明後日には出航だと聞かされて、もう一度驚いた。

 ワイズマン先生は、どことなく不機嫌な様子で~同性の私から見ても頬が熱くなるような素晴らしいダイナマイト・ボディ、ハニー・ブロンドが艶っぽい美人である彼女は、性格的には”竹を割ったような”と言うか、実にさっぱりとした”男前”の女性で、滅多にそんな拗ねたような態度は取らない筈だったのだ~言った。

「分隊士。艦長が貴女を助けてくれたのよ。錯乱していた貴女はその時、艦長に怪我を負わせてしまったの。まあ、不可抗力みたいなもんで、貴女は気に病む必要はないし、悪いのはエエカッコシィの癖に鈍臭いアイツなんだけど、まぁ、一応お礼方々見舞いでもしてやんなさいな。きっと鼻の下伸ばして喜ぶから」

 拗ねたような態度は、ヤキモチなのかな、と思った。

 『艦長と軍医はデキてるらしい』という噂は艦内公然の事実だったし、私も時折、医務室や士官食堂、艦長室や後部デッキとかで楽しげに話しているツーショットを見た事もあったので、なんだか、ワイズマン先生の普段からは想像できないような可愛らしい態度に思わずクスッ、と笑ってしまいそうになった。

先生にお礼を言って医務室を出てから、けれど暢気な感慨に耽っていた私は一気に現実に引き戻された。

「……今度こそ、予備役編入かも」

 初任幹部とはいえ、軍人だ。

 たかがストリート・ギャング~私にとっては充分脅威なのだが~に襲われて、錯乱した挙句5日間も寝込んでいたなど、シャバの素人でもそうそうない不甲斐なさ。

「オマケに、助けてくれた艦長に怪我までさせたなんて! 」

 勤務評定はきっと落第点に違いない。

 予備役にされたらUNDASNを追い出される、追い出されたら、それこそ襲ってきたというストリート・ギャングが溢れる、柵も塀もない外界に”放逐”される。

 恐怖のループ。

 いや、気分的にはスパイラルだ。螺旋を描いてどんどんテンションは奈落へ急降下していく。

 知らないうちに膝から力が抜け、ペタンと床にしゃがみ込んでしまっていた私だったが、やがて、ゆっくりと立ち上がった。

「とにかく……、お礼と謝罪だけはちゃんとしよう」

 重い足を引き摺って、私は最終耐爆区画内にある艦長室へ向かった。

 とにかく、大事に到らなかったのは艦長のお蔭なんだし、怪我をさせたのも私なんだ、ちゃんとお礼を言って、謝罪もきちんとして、その上で、なんとかUNDASNに残してもらえるようにお願いしよう。

 別に、出世がしたい訳じゃない、元々、身寄りもなく財産もない、そして一般社会での生活不適格な私が窮余の一策に選んだ”職業”だもの。

 だから、せめて、どんな任務でも配置でも構わないから、UNDASNから放り出さないで欲しい。


 艦長室の前まで来て、私の身体は動く事を拒否し始めた。

 この部屋の中には、男性がいる。

 当然、艦長室にいるのは艦長一人、しかもここは鍵のかかる個室だ。

 そんな場所に、二人きりでいるなどという勇気が、今の私にはない。

 これまで、何度も艦長室に入ったことはある。

 航海分隊士として、様々な書類や報告書を届けに行ったし、その場で艦長と言葉を交わした事もある。もちろん、任務や業務に関するQ&Aや指示命令くらいだけど。

 その時は、少し怖かったけど、特に危険は感じなかった……、筈。

 過去の艦長室内での出来事~大袈裟だけれど~を脳裏に浮かべて何とかざわめく心と爆発しそうになる心臓を宥め賺し、最後にもう一度深呼吸をしようと大きく息を吸い込んだ、刹那。

「挙動不審だな。衛兵呼ぶか」

 背後で、聞き覚えのある声がした。

 私は、ギギギ、と音が鳴るようなぎこちなさでゆっくりと首を後ろに捻じ曲げた。

「うわあああっ! 」

 思わず悲鳴をあげてしまった。

 流石にムッとした表情を浮かべながら、艦長は私の身体を摺り抜ける様にしてIDカードをスリットに切り下ろし、ドアを開いて室内に入った。

「入れ、分隊士」

「ア、アイサ! 石動分隊士、入ります! 」

 艦長室奥のデスクの前に立っていた艦長が私の方を振り向いて、ニヤ、と笑った。

「! 」

 驚いた。

 艦長は、典型的なサイレント・オフィサーで、無駄口は勿論、航行中でも戦闘中でも必要最低限な指示を短く、しかし明確に告げるだけで、一旦部下に任せてしまうと殆ど口を挟まない。

 「俺も佐官になる頃にゃ、あんなオフィサーになってみたい」等と言われる、結構部下からの信頼厚い、腕利きの二佐と評判だった。

 私にはよく、判らなかったけれど。

 だから、笑う、などと言う、感情に支配された表情を見せた事に、本当に驚いてしまったのだ。

 けれど艦長は、私の戸惑いなど何処吹く風、といった風情で、応接セットの方を顎で指した。

「まったく、本当にズレた奴だな、貴様。早く入れ。そこ座れ」

 こんなに長い”科白”を聞いたのは初めてだった。

 それも驚きだったけれど、それ以上に私は、さっきとは違う心のざわめきを感じていたのだ。

 さっきまでの悲壮な覚悟、疲れ切ってボロボロになった神経がみるみる癒されていく。

 そして、どこがどう、とは判らないが、デ・ジャ・ヴのような、懐かしさ。

 ああ。

 判った。

 普段、艦内ではワーキング・カーキと呼ばれる第二乙種軍装、作業時略装を着用している艦長が、ドレスブルーと呼ばれる第一種軍装を着用しているせいで生まれる既視感であることを。

 どうやら艦長は、明日の出港を控えて港務部かどこかへ挨拶に行っていたらしい。

 私は、改めて艦長をみつめる。

 限りなく黒に近い紺色のダブルのスーツに金ボタン。

 ああ、そうだ。

 袖の4本の金筋。

 だからか。

 私は納得した。

 お父さん。

 自室のサイドボードに立てているフォトフレームの中。中学校入学の春、桜並木の下、セーラー服で笑う私を挟んで、ドレスブルー姿で微笑んでいるお父さんと、お母さん。

 今はもう、どれほど手を伸ばしても、触れる事も、温もりを感じる事も、息吹さえも感じることのできない、戦死したお父さんとお母さん。

 私が唯一、何の脅威も圧迫感も感じる必要もない、唯一の男性であるお父さんと、今目の前に居る艦長は、冷静に見ると体型も顔立ちも性格も雰囲気も、なにもかも違う筈なのに、だけど私の瞳には、懐かしさと優しさだけが伝わってくる。

 不思議だけれど、それが真実だという確信に近い想い。

 何故だろう。

 何故、そう思うのだろう。

 疑問はすぐに解けた。

 艦長がネクタイを緩めた拍子にシャツの襟からちらっと見えた白い包帯。

 そうだ。

 この人が、私を救ってくれたのだ。

 救った私に傷つけられてもなお、この人は私に笑いかけてくれたのだ。

 この人は、違う。

 脅威じゃない。

 私に牙を剥かない。

 爪もたてない。

 少しは温かなのかも、と恐る恐る身を投じ、ああ、やはりこの場所も愚かで弱い私には優しくはなかったのだと打ちひしがれる日々をUNDASNで送っていた私の前に現れた、唯一の”味方”。

 きっと、お父さんとお母さんが生きていれば、そうだったろう、私の味方。

 嬉しくて、嬉しくて、叫び出してしまいたいくらい、物凄く嬉しくて仕方なかった。

「何ぼーっと突っ立ってる、早く座れ」

 艦長の声で我に返った私は、それまで忘れていた現実を思い出した。

 UNDASNを放り出されるかもしれない。

 嫌だ。

 絶対、嫌だ。

 死んでも、嫌だ。

 外界と較べて相対的にマシだから放り出されたくなかった、数分前とは違うのだ。

 ここには、私の味方がいる。

 それが判った今、何が何でも、UNDASNを辞めたくない。

「艦長ッ! 」

 自分では判らなかったが、声が大き過ぎたようだ。こちらへ歩き掛けていた艦長は、両手にマグカップを持ったまま、一瞬立ち止まって私を見た。

 だが、その時の私には、そんなことに構ってはいられる余裕など、なかった。

「この度は、お助け頂きありがとうございました! そ、それと、その、わた、や、自分が暴れて怪我をさせたこと、お、お詫び申し上げます、申し訳ありませんでした! 」

 腰を90度折る。

 怖くて、艦長の顔を見ていられなかった。

「俺のは、大したことはない。後2、3日もすれば完治だそうだ。気にするな」

 艦長は本当に大したことがないようにさらりと言ってくれた。

「それより、貴様の方はどうだ? もう退院してもいいのか? 」

 優しい言葉に涙が零れそうになったけれど、お腹に力を入れて我慢する。

 これ以上、情けない、軍人らしくないところを見られる訳にはいかない。

 UNDASNから放り出されたくない。

 私は上半身を起こして、艦長の顔を真っ直ぐに見た。

「お、お願いがあ、あり、あります! 」

 艦長はなにも言わない。

 視線を逸らしそうになったけれど、なんとか耐える。

「今回は、軍人らしからぬ、し、士官らしからぬ醜態を晒してしまい、その上艦長に怪我まで負わせてしまい、申し訳ありませんでした」

「だからそれは気にするなと言」

「私、辞めたくないんです! 」

 艦長の言葉を遮り、叫ぶように言った。

「わた、私! UNDASN辞めたくない! 辞めたくないんです! お、おね、お願いします! 置いて、ここに置いて下さい! 辞めたくない、辞めたくないぃっ! 」

 涙が零れて仕方なかった。

 駄目だ、泣くな、涙を止めなきゃ、そう思い、我慢しようと頑張ったけど、駄目だった。

 涙と洟で顔がぐちゃぐちゃになる。息が出来ない、胸が詰まる、苦しくて苦しくて仕方がないけれど、ここで止めるわけにはいかない。

「お願いします、お願いします、もっと、もっと頑張りますもっと強くなります明日から泣きません絶対泣きません、だからお願い、辞めたくない、辞めたくないんですお願いしますお願いです」

 もう、子供みたいに、同じ言葉しか出てこなかった。

「お願いします、お願い、私を独りにしないで、私を捨てないで、私を残して何処かにいかないで、もう独りはいや、独りは怖いよ、お願いお父さん! 」

 知らないうちに、私は床に四つん這いになっていた。

「石動、立て」

 声がして、顔を上げた途端、ふぁさっ! と何かが目の前に飛んできた。

「わっ! 」

 タオルだった。

「泣いても構わんが、せめて歳相応な泣き方にせんか。小学生じゃあるまいし」

 言われて初めて、恥ずかしさが込み上げてきた。

「も、申し訳ありません」

 座り込んだまま顔を拭き、洟をかんだら急に気分が落ち着いた。

 試しに足に力を入れると、不思議とさっさと立ち上がることができた。

「タ、タオル、ありがとうございました」

 そう言って差し出すと、艦長は酢を飲んだような表情をした。

「そういう時は、後で洗ってお返しします、とか言うもんだろう」

「あ、あ、そか……、そう、ですよね。あの、後で洗っておか」

「もういい、それより座れ」

 艦長は私の言葉を遮りながらタオルを手から奪い取った。

「イエッサ」

 私がソファに座ると、艦長はマグカップをふたつ持ったまま私の向かい側に腰を下ろした。

「まあ、飲め。あれだけ水分を出したんだ、喉が渇いただろう」

「い、いただきます」

 私は顔を赤らめたままマグを持ち上げて一口啜る。

 ブラックコーヒーは普段飲まないけれど、すごく美味しく感じられた。

 艦長は煙草を咥え火を吸い付けると、首を捻って後ろへ煙を吐き出しながら、言った。

「石動。貴様、そんなにUNDASNに残りたいのか? 」

 私はこくこくと首を縦に振り、それから気がついて慌てて言った。

「はっ! 辞めたくありません! 」

 艦長は無言のまま、煙草を燻らせていたが、暫くして喋り始めた。

「我々、地球防衛艦隊というのは、文字通り、地球人類とその文化文明を外敵から守り、平和と安全、未来を取り戻す為の軍隊だ」

 艦長はそこで一旦言葉を区切り、少しだけ口調を和らげた。

「と、言うことになっとる」

「え? 」

 思わぬ続き方に、私は間抜けな声を上げてしまう。

「もちろんそれは嘘じゃないし、現に俺達はミクニー相手にもう、半世紀以上も大戦争を繰り広げている訳だ。それを踏まえたうえで貴様に訊く。UNDASNに志願したのは何故だ? 」

「そ、それは……」

 私は答えに詰まる。

 これが面接や、外部のマスコミ、一般市民に訊ねられたのならば、さっき艦長が言ったようなことが模範解答になるのだろう。

 だけど、今、それを言うのは違うように感じた。

「正直でよろしい」

 私の沈黙をどう解釈したのか、艦長はなんだか楽しそうに言った。

「別に、建前が聞きたい訳じゃない。立派な理念や信念は、飽きるほど聞かされてきたし、自分でも言ってきたからな。結局は、軍人と雖も職業だ。職業選択に自由があるように、選択の理由もまた千差万別で、立派なことばかりじゃあない。現に俺は、食うに困って幹部学校を受験したクチだ。受験料の払いすら苦しかった程だったよ」

 思わず笑ってしまい、慌てて口を手で塞ぐが、艦長は咎めだてせずに言葉を継いだ。

「だから石動、君にだって何か、本当の理由はあるんだろう。勿論、さっき俺が言ったような壮大で高邁な理想があったって一向に構わん」

 艦長はコーヒーを一口飲んで少し眉を顰めた。

 呼びかけが『貴様』から『君』に変わった事が、私の身体中に溜まった力をどこかへ逃がしてくれたように思えた。

「ただ、これだけは聞いておきたい。何故、辞めたくないんだ? 」

「艦長が、いるから」

 思わず、本当のことを言ってしまう。

 だけど、このひとには本当のことを言っていいんだ、そう思いながら言葉は自然と流れた。

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