第15話 4-6.


「ほんと、凄いわね。涼子様」

 リザの溜息混じりに呟く声が聞こえ、銀環はハンドセットを肩に挟んだままそちらを向いた。

「室長代行は只今武官室でミーティング中です。……は。……は。ええ、ECOSOCへの回答は予定通り……。ええ、はい。……準備しております。……アイアイサ」

 銀環は欧州室11課(EU本部担当)デュッセルドルフ武官事務所からの外線を切って、リザに声をかける。

「ECE向けの草案のことですか? 」

 リザはプリントアウトした紙束を涼子の机に置きながら頷いた。

 リザと銀環は、涼子に指示されたEU経済委員会ECE向けの欧州地域調達特別枠交渉の事務レベル協議最終回答の校正を仮室長室で行っていた。

「ケンブリッジへ向かう途中の、たった20分やそこらで仕上げた草案、A4に120ページが殆どそのままオーケーだよ。清書する必要、ないもの」

 呆れた口調だが~リザは、銀環と二人きりの時、途端に口調が砕けて親しみやすい先輩の素顔を覗かせてくれる~、リザの表情にはありありと自慢が浮かんでいる。

「で、銀環の方は? 出来た? 」

 銀環は、リザに負けないようにと、取って置きの自慢げな表情を浮かべてみる。

 ……成功したかな? 

「ありゃ。問題アリ? 」

 ……失敗したようだ。

「ううん、完璧。指定されたデータベース25種、テーブル38種に項目115個。集計用のクエリ6本、エクスポート用のマクロ12本に出力用の表形式、グラフ形式書式が8種類。全部暗誦されたのメモって、半信半疑で開いてみたら、全部正解でした。チェック除いて15分も掛からなかったです」

 リザは、さもありなん、とでも言うように腕を組み、うんうんと頷く。

「あの記憶力も超人的よね。語学力もそうだけど、まるでブルドーザーみたいに読むもの聞くもの端から端までぜーんぶ記憶して、しかも完璧に理解してる。どんな脳してんのかしら? 」

「先任。なんか悪口っぽいっす」

 銀環が突っ込むと、リザはムゥッ、と唇を突き出した。

「訳ないでしょ。私が涼子様の悪口言うなんて」

 あはははと二人、控えめに笑い合った後、銀環はさっきから気になっていた事を訊ねてみた。

「ところで……。今日のケンブリッジ行き、涼子様どうだったんですか? 」

 途端に、リザの形の良い眉がキュッ、と寄った。

「やっぱり、駄目だったんですか……」

 リザはハァッ! と盛大に溜息をつき、かくん、と首をソファの背凭れに預けて天井を見上げた。

「着いた途端、ファンだって言う男子学生に迫られて、ね」

 男。

 悪いパターンだ。

「迫られて、って……」

「うん。別に酔っ払いでもスケベ親父でもなかったしね。なんせ、出迎えのギャラリー、殆ど全員があのガウンアカデミック・ドレス着てるんだもん、警戒のしようがないよ。……それに、本人の供述によると、プレゼントを贈ってよければ握手でもして欲しかった……、って程度」

 自分の甘さを責めてるんだ先任は、と銀環は思った。

「それで? 」

「それで、会場に入った途端、倒れたの」

 銀環はゆっくりと席を立ち、リザの横に座り直しながら言った。

「先任の責任じゃ……、ありませんよ」

 リザは首を捻って銀環に向き直り、彼女の膝に手を置いて淋しげに微笑んだ。

「優しいね。B副官」

「でも」

 たぶん、涼子がいなかったら、リザが自分のオンリー・ワンだっただろう。

 銀環は頬が熱くなるのを覚えて、慌てて顔を背けながら心の中の、一番上にあった言葉を口にした。

「最近、多くないですか? 」

「そうなんだよねー」

 リザは眉根を顰める。

「私が上番して最初に体験したのは、ほら、ローマで」

「ああ。バチカン出たところでイスラム過激派のテロがあって、機関銃乱射されたっていう? 」

 銀環の着任はその3ヶ月後だ。

「うん。次は、UN本部前で乗ってたリムジンに環境保護団体の急進派がピストル乱射したとき」

「その次は、モスクワの食料寄越せデモの暴走した群集に車を取り囲まれたとき、でしたっけ」

 リザは頷いて、銀環の記憶を肯定した。

「思い返せば、最初のうちは、ホントに危険な状況に出逢った後、頭痛が始まってたんだけど」

「最近は、もっと些細な事でも『症状』が起きる、ってことですよね? 」

 銀環の言葉にリザは天井を見上げて口を開く。

「そ。街歩いてて、手を握られたとか肩を掴まれたとか背中を叩かれたとか」

「花道引き上げるスモウ・レスラーみたい」

 銀環は日本の大相撲が好きだ。

「でも、言い換えればその程度のことで、ですか」

「ひょっとして涼子様……」

 リザは上半身を起こし、言葉を区切って何やら考え込んでいる。

「……なんです? 先任」

「あ、や」

 不安に思った銀環が声をかけると、リザは慌てて、とってつけたような笑顔を浮かべた。

「とにかく、ロンドン・ウィークが終わったら欧州室ウチも少しは暇も出来るわ。人間ドックにでも入ってもらいましょう」

 それでも不安を消せない銀環の表情を読んだのか、リザは必要以上に勢い良く立ち上がる。

「ああ! それにしても楽しみだわぁ。涼子様の零種軍装ドレス・ゼロ! 」

 今回のロンドン・ウィークで、涼子が零種軍装を着る時は、何故かいつも銀環は留守番、同行できずにいた。涼子に『内緒の』事前の籤引きの結果。

「ああん、もうっ! いいなあ先任! 私もドレスアップした涼子様、見たかった! 」

 銀環は天井に向かって吼えるように叫ぶと、真剣な眼差しをリザに送る。

「写真! 先任、写真! 」

「あー、判った判った」

 リザは苦笑を浮かべて、宥めるようにそう言った後、少しだけ眉根を寄せた。

「でも、涼子様って、零種軍装嫌がるのよねえ」

「そうですよねぇ。あんなに綺麗なのに」

「ねえ」

 リザと互いに小首を傾げあい、銀環は腕を組んでウン、と唸る。


 何度も言うが、UNDASNは軍隊だ。

 軍隊だから、制服の着用が義務付けられる。何故なら軍服を着用せずに武器を身に着け使用すれば、それはテロリストと看做されるからだ。

 故に、制服の着用は軍人の義務であり~特殊な命令を帯びて私服で活動する軍人もいるが(UNDASNでいえば、政務局警務部員や軍務局情報部員など)~、だからUNDASNにも諸令則の中に『服装令』なる規定が存在する。

 そこには、以下の数種類の制服を、勤務地や作業内容等に応じて着用しなければならない、と記載されている。


 まず、第一種軍装。これが基本の軍装であり、これで日常業務から儀礼式典まで、オールマイティにこなせる、となっている。一般に、ドレスブルーと称されるのがこれだ。

 昔ながらの典型的な海軍制服と言えばよいだろうか。限りなく黒に近い紺のダブルのスーツにネクタイ、金ボタン、袖には階級に応じて本数や太さが異なる金色の飾り線。上着の右胸には階級章、左胸には略綬とイーグルウィング・バッジ(士官・下士官・兵でデザインが違う)。幕僚もしくは参謀だと、右肩から右胸に掛けて、幕僚飾緒を吊る。所謂『縄付き』というやつで、この縄は所属部署によって色が違う。

 男女の差異は、女性が左膝上にスリットの入ったタイトスカートと5cmヒールのパンプスになる。

 今日の涼子はこの服装であり、これが統幕配置後の通常の服装となった。一等艦佐であり統幕政務局国際部欧州室長兼務欧州1課長である涼子は、銀色の政務幕僚飾緒を吊り、袖口には佐官を表わす4本の金線と一佐を表わす3つの『アンカーマーク~錨を図案化した矢印だ~』、代将待遇だから将官であることを表わす星印が1つ、あしらわれている。

 この第一種軍装の肩に、階級章つきの肩章をつけると『第一種甲軍装』となって、野外での式典~国連事務総長や各国首長級による閲兵式等~で着用する略礼装となる。


 次に第二種軍装、これは第一種軍装着用条件下だが勤務地が暑熱地や夏季の場合の防暑軍装の扱いである。

 基本は第一種軍装の上着を脱いだ状態。即ち肩章付きの長袖白ワイシャツにネクタイでボトムは第一種に同じ。略綬や飾緒、インシグニア類は全てシャツにつける。ドレスホワイトと称される。


 第二乙種軍装、これは通常、ワーキングカーキと呼ばれ、第一種と並んで一般人には馴染み深い軍装かもしれない。

 カーキ色のシャツに同色のボトムでノーネクタイ。略綬や飾緒等を省いた、通称通り『通常作業用』の服装で、艦内や本部以外の出先営内では大抵の士官はワーキングカーキ姿だ。

 涼子も艦隊勤務時は年柄年中ワーキングカーキの腕まくり姿で押し通して、事実、実施部隊での涼子を知る殆どの上官同僚部下達は、脳裏に涼子を思い浮かべたら大抵この格好でイメージされるらしい。

 ちなみに男女差異は、男性がボトムがシャツと同色のズボンなのに対して、女性はシャツと同色のサイドスリットの膝丈タイトスカート、同色のショートブーツ、もしくは黒のローファー。また、帽子も、同色のカバーをつけた制帽か(これは男女とも同じ意匠だ)、ライナーと呼ばれる略帽と決まっている。


 後は、いわゆるBDU、陸上戦闘用の第三種軍装~基本はデジタルのウッド・カモだが、作戦行動地域によって各種のカモ・パターンが存在する~や第三特種軍装~特殊部隊用の黒一色のものブラックファティーグ~、宇宙服にもなる艦内作業用第四種軍装、パイロットスーツに使用される第五種軍装~第四も第五も、どちらも宇宙空間での活動が可能な宇宙服仕様だ~、その他通常防寒・雨天兼用コート~古来より軍人は軍服姿では雨天でも傘はささない~やレスキュージャンパー、寒冷地用防寒コート等、ざっと大まかに数え上げると、百では足りぬほどの軍装が存在している~ちなみに、戦闘地域では下着も決められている、女性制服が殆どスカートなのは、アンダーウェアとして黒のスパッツの着用が定められているためだ~。


 そして、それら数多ある軍装の頂点に輝くのが~少し、大袈裟かもしれない~、室内儀典用の最高位礼装である、零種軍装ドレス・ゼロ

 公務ならば、例え国家元首クラスとの会談時等でも、第一種軍装で決して礼を失する事などないのだが、特例として、最高クラスの儀典~各国政府、国家元首の主催する晩餐会やパーティ、園遊会や受勲式典、国葬や戴冠式等~に招聘され出席する際に着用する、シビリアンで言えば、イブニングやモーニング、パーティドレスに相当する服装が、零種軍装である。

 一般的な部局、部隊への配置なら例え将官でも零種など10年に一度着る機会があるかないか、中には持っていない者もいる~准士官である曹長、三尉以上の士官の零種、第一種、第二種軍装は個人購入となっている~くらいなのだが、国際三部では、一月に一度は着る機会~着なければならない義務、即ち『任務』が生じる。

 男性用は、ドレスブルーをスタンドカラーにして、丈をフロッグコート風に伸ばした上で金刺繍を派手に、ナポレオン帽を被って腰には長剣を佩用する、所謂、昔の大礼服がイメージに近い。

 女性用はと言うと、これはその部内限りの俗称である『ベルばら服』という呼び名が、一番イメージし易いだろう。

 ”ベルばら”とは、その昔20世紀後半に日本で流行った少女漫画だったか少女歌劇の演目だったか、とにかく帝政フランス、ルイ15世治世時代のベルサイユ宮殿を舞台にしたロマンス物で、ブロンドの美女が男装の麗人、近衛士官の出で立ちで、恋に身を焦がす……、まあ、なんか、そんなストーリーらしい。

 そんなイメージを髣髴とさせる、それはそれは派手やかで美麗な”軍装”なのである、零種とは。

 男性用と対を成すように、女性用のそれは金銀の刺繍に色とりどりの鮮やかに煌くガラス玉やビーズを鏤めた白地のタキシード風ジャケット。

 これでもかというくらいに襟や袖、胸元に派手なレースをあしらったスタンドカラーのブラウスには黒のシルクのボリュームあるリボンタイ。

 白のスカートはドレーンを美しく引いたロングの巻きスカートで、腰の一際大きなリボンが鮮やかなアクセント。

 足元は金ラメの12cmハイヒールのバックベルトのパンプス。

 右肩から斜にかけた幅広の記念章ベルトの左腰先端に、女性の場合は長剣ではなく、短剣を吊る~まあ、どちらも竹光だが~ことになる。

 この艶やかで華やか、そしてゴージャスな軍装を、涼子は徹底的に嫌うのだ。

「歩き難いもん! 」

「唯でさえダンスは苦手なのに、こんなんじゃ踊れないよぉ! 」

「ご飯、食べ難い! 」

「漸くドレスブルーに慣れたとこなのにぃ! 」

「私服でもスカートなんか滅多に履かないんだもん! 」

「私、似合わないんだもん! 」

 零種を着用する度に、まるで子供が駄々を捏ねるように両手を振り回し、頬を真っ赤にして膨らませ、可愛い唇を突き出してブゥブゥ文句を言っている涼子の姿を、銀環は思い浮かべて溜息を吐いた。

「なんであんなに嫌うんですかねぇ……。ほんっと、メルヘンやファンタジーの世界から抜け出した白馬の騎士みたいに似合ってるのに! 」

 殆ど独り言のような銀環の言葉に頷きながら、しかしリザは苦笑交じりに言った。

「……でも、なんか判るような気がするわ。ああ、もちろん私も、涼子様の零種は殺人的に美しいと思うけれど」

 銀環はまるで自分が貶されたような気がして、不機嫌な口調でリザに迫る。

「なにが判るんです、先任」

「まあまあ、そう尖がらないでよ、銀環」

リザは両手で銀環を押し返すような仕草をしながら、言葉を継いだ。

「なんか、涼子様の本質って……。ドレスブルーとかベルばら服とかより……、袖まくりしたワーキングカーキにあるような気がするのよね。クールビューティっていうより、やんちゃで腕白なじゃじゃ馬、って言うか、さ? 」

「はあ……。じゃじゃ馬……、ですか……? 」

 呆気に取られたような銀環の表情を見て、リザはクスクスと可笑しそうに笑うと、ポツリと付け足した。

「……銀環は、ブリッジに立つ涼子様、見たことないものね」

 遠い目で暫くは思い出に耽っているようなリザだったが、思いを断ち切るようにフッ!と短い吐息をつくと、口調を切り替えた。

「さ、そろそろ片付けましょう。もうすぐ」

 リザがそこまで言った途端、バタン! と大きな音がしてドアが開いた。

「ごめんねー! 遅くなっちゃった! 」

 涼子が申し訳なさそうに拝む真似をする。

「お疲れ様です。資料の方、添付用補足説明分も含めて完成しております」

 リザの言葉に涼子は嬉しそうに微笑んで、銀環に言った。

「よし。それじゃあ、銀環。ECOSOCのペーターシェン委員長に電話お願い」

 私も、涼子様と同じ艦に乗りたかったな……。

 銀環は涼子に聞かれぬように、そっと吐息をついてから、受話器を持ち上げた。


 出発時間の2130フタヒトサンマル時になったら迎えに来て、と涼子に言われていたリザは、きっかり10分前、仮室長室のドアをノックした。

「先任副官、入ります」

いつもの「はーい、どーぞー」という娑婆っ気たっぷりな返事はなかったが、来客でも打合せもないことは確認済で、リザは遠慮なくドアを開く。

「まあ、いやですわ、バリアント大統領閣下ったら。ご冗談を、私なんかもうオバチャンだって言われちゃって。……あはははは! やだ、面白い! 」

どうやらアメリカ大統領との電話中らしい。

 もちろん、アメリカ合衆国は涼子率いる欧州室の管轄ではない。が、何故か、今期のホワイトハウスは大統領メイン・ハウス副大統領行政府旧館を始めとしてウエスト・ウィングイースト・ウイングも涼子ファンが多く、米州室からも何度か応援を要請されてワシントン出張が組まれた事があったのをリザは思い出した。

 つくづく、不思議な魅力を持った上官だと、改めて想う。

「はい。ええ……。ええ、そうですわね。明日の夜の晩餐会で……。ええ、楽しみにしておりますわ、大統領閣下。それでは……。はい、おやすみなさい。よい夢を」

 受話器を置くと涼子はリザを振り向いた。

「あ、もう時間ね」

「ええ、後7分ほどで。お車は地下駐車場です」

 制帽とアタッシュケースを手にしてドアに向かい始めた涼子を見て、リザは慌てて呼び止めた。

「あ、室長代行、お待ちを! 」

「ふぇ? 」

 リザは涼子の手からアタッシュを奪い取ってデスクに歩み寄り、それを開いて机の上に溜まっていた書類やら携帯端末やらを手当たり次第に中へ放り込みながら言った。

「駄目ですよ、室長代行。さっき申し上げたじゃないですか。未決裁の書類が溜まってますよって。往路の車中で決済お願いいたします」

「ありゃ……。忘れたフリ、バレてた? 」

 悪戯をみつけられた腕白小僧のように、涼子はペロ、と舌を出してみせる。

「ほんとにもう……。お疲れなのは判りますが、どうかお願いします。出来る範囲で自分とB副官で代理決済しておきましたから」

 溜息交じりで言いながらアタッシュを差し出すと、涼子は素直にそれを受け取り、ペコ、と頭を下げた。

「ごめんね? ちょっと……、その……」

「? 」

 涼子が何を言いたいのか、判らずに思わず小首を傾げた途端、開け放たれたドアから小野寺が顔を出した。

「おう、石動。ぼちぼち行こうか? 」

「あ、アイアイ、キャプテン! 準備オッケーでーっす! 」

 帽子とアタッシュを両手で上げて満面の笑顔を小野寺に贈った涼子は、クル、とリザを振り向いて、恥ずかしそうに頬を染めて、小声で言った。

「ごめん、忘れて? ちょっと、魔が差しちゃったんだ」

 ばたばたと飼い主の足にじゃれつく子猫のように小野寺のドレスブルーを追い掛ける、涼子のひとまわりも小さなドレスブルーの背中をみつめながら、リザは人知れず哀しげに顔を歪めた。

 判ってる。

 いや、判ってたんだ。

 あの、太陽のように眩しい笑顔も、キラキラと銀河よりも美しく煌く黒くて大きな瞳も、思わず抱き締めて頬擦りしたくなる愛らしい仕草も、直視してしまうと人生が狂わされてしまいそうなほど完璧な美しさを備えた肢体も、そして、知ってしまえば世界中がきっと好きになってしまうであろう、思い遣りと可愛らしさ、そして少しの儚さに彩られた優しさも。

 彼女は彼女の持てる全ての煌めく魅力を、この宇宙でたった一人の人間に捧げる為に、今日まで磨き続けてきたのだ。

 彼女自身がそれを意識しているかどうかは、判らない。

 だが、それは関係ないだろう。

 無意識であろうが、意識していようが、彼女は、涼子は。

 あの男を、愛している。

 悔しいが、敵わない。

 少なくとも、今は。

 何故なら、違うのだ。

 彼女の声も、瞳の輝きも、笑みも、仕草も、何もかも。

 自分たちを日々魅了してやまない涼子の全てが、”あの男”の前で見せる涼子と比べると、何故か色褪せて見えてしまうのだ。

 敵わないけど、せめて。

 リザは唇をきつく噛み締めつつ、足早に涼子の後を追う。

 愛しい涼子の後を追いつつ、想う。

 せめて、あの男と同じ車には、乗せない。

 セコい、その場凌ぎの下らない、ただの意地悪だ、そう思う。

 だけど、今の自分が『仕事とは言え、日々涼子の傍に立ち、親しげに言葉を交わし、同じ時間を過ごしてゆける』幸せを、1分、1秒でも長く噛み締める為に。

 この手に、勝負に使える手札など、もう、殆ど残ってはいないのだから。

 イヤなおんなだ、と、ふと思った刹那、銀環の顔が脳裏に浮かんだ。

 優しい、と言ってくれた可愛い後輩に。

 いつも『私が作った籤引き』を引いて、ほっぺを膨らませながらも留守番を引き受けてくれている後輩に。

 リザは、口の中でごめんね、と謝った。

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