第8話 3-2.


 ごめんね、リザ? 

 ほんと、そんな大した事じゃないんだ。

 しかも……。

 たぶん、私は楽しみにさえしてるんだと思う。

 明々後日、ロンドン・ウィークの3日目は、バッキンガム宮殿で英国王室主催のダンス・パーティ。

 あのチャラチャラした、派手すぎて動き辛いだけでなんの取り柄もない零種軍装を着なきゃいけないのが憂鬱なのは本当だけれど、”艦長”と一緒にワルツを踊れたらどんなに楽しいだろう……。

 その想いで、今の私の胸は一杯なの。

 身長170cmの豊満な肢体は、同じ女性である涼子の目から見ても艶っぽく、しかし理知的に輝くブルー・アイが絶妙のコントランストを醸し出す、まさにクール・ビューティという表現が相応しい美女、リザに心の中でそう詫びながら、涼子の想いは過去へと旅立つ。


 ええと、あれは何年前だったっけ? 

 場所は、そう。

 ニューヨーク、イーストリバーの川面の乱反射を受けて聳え立つ国連本部ビルの最上階、『水晶の間~UNの前身、国際連盟が本部をジュネーブに置いていたときの、議場の名を冠した大ホールだ~』で行われた、プラチナスター勲章~UNDASN将兵に対し与えられる数ある賞勲、記念章の中でも、唯一、最高指揮官である国連事務総長手ずから受勲されるものだ~授与式の後に開かれた、パーティ。

 当時、国連本部駐在武官事務所の首席武官だった私は、事務方として式に参加し、パーティ会場では気の抜けたビールを片手に壁の花になっていたのだった。

 今よりもずっと、ずっと苦手だった、零種軍装ドレスゼロがまるで、私を壁に縛り付ける拘束衣のように感じられたのを、今でも覚えている。

「おう、石動! 」

 男性にしては、甘い声~それでいて、轟音渦巻く戦場でも不思議と通りが良いのだ~に、まるで耳を引っ張られたように感じて、私は声の方に顔を向ける~まるでアクティブ・ホーミングの中間誘導中のAAMのように~。

 彼が、いた。

 頬が緩むのを、禁じ得ない。

「艦長……」

 本当は名前で呼びたいのだけれど、どうにも照れ臭く、そしてそれ以前に『名前で呼び合う関係』ではないことに気後れしてしまい、切ない妥協を重ねて漸く落ち着いた彼への呼びかけの言葉を小さく、唇の先で呟く。

 それは、出逢った時の彼の職名だ。

 思わず振りそうになる手を、僅かに残った理性で漸く押さえ込む。

 当時彼は一等艦佐、太陽系外幕僚部所属、第3艦隊第2戦隊旗艦B315美濃の艦長で戦隊司令官兼務の代将だった。

 カミー星攻略作戦でゴールドスターS勲章を受勲していた彼は、今夜の主役~思い出した、系内幕僚部の艦隊総群幕僚長がプラチナ・バッチの受勲者だった~と共にこのパーティに招待されていたのだ。

 そう。

 私は、知っていた。

 自分が今、彼と同じ室内に立っている事を。

 だって式典の最中、ずっと貴方をみつめていたから。

 ……ううん。

 嘘。

 貴方が国連本部ビルのエントランス前で武官事務所差し向けのリンカーンを降りたところから。

 いいえ、それだって、嘘。

 貴方が地球へ戻ったその日~彼が美濃艦長からF188コーラル・シー艦長へ転出するついでに、今回の受勲式典に出席すると知った私は、嬉しくて泣いてしまった~、私は堪え切れずに任務をでっち上げ~次席武官は呆れたような、武官補佐官は渋い表情を隠さなかったけれど~シアトル港のUNDASN専用岸壁に駆け付けて、接岸したF219ワスプのデリックを下りてきた貴方の姿を影からそっと~みつめていたのだもの。

 まあ、あの時は、あまりに動悸が激しくて、私はとうとう顔を見せるのを諦めたのだったけれど。

 今日だって、式典の最中、パーティが始まってからも、ずっと、見ていた。

 祈りにも似た願いを~呪いの言葉、とも言うかしら? ~を唇に載せながら。

「こっちを向いて。私に気付いて。こっちを向いて。笑顔を見せて。お願い、1年ぶりなのだから、せめて、せめて、間近で見える貴方の顔を私の網膜に焼き付けさせて」

 そして願いが通じたのか彼は、今、こちらに微かな笑顔を向けながら、シャンパングラスを片手にゆっくりと近付いてくる。

「艦長……」

「久し振りだな、石動」

 そして右手を差し出して、今度こそはっきりとした笑みを浮かべてくれた。

「シルバースターS、3回目だって? おめでとう」

「あ、え、えと……、その、あ、ありがとう……、ございます」

 一旦伸ばしかけた手を引っ込めて、スカートで掌の汗を擦って拭い、漸く彼の握手に応じる~ほんの指先だけしか、握る事が出来なかった~。

 艦長こそゴールドスターS勲章おめでとうございます、そう言おうとした瞬間。

 彼が一歩後ろへ下がり、笑みを消して呟くように言った。

「それにしても石動……、お前」

「ふぇ? 」

 彼の言葉の行方が判らず、思わず間抜けな声をあげてしまう。

「零種軍装、似合うな……。初めて見たが、綺麗だよ。見違えてしまった」

 任務や作業で誉められたことは、何度もある。

 だが、こんな個人的なことで誉められた事など、一切無かった。

 いや、元々がそんな無駄口を叩くようなひとじゃないんだ、彼は。

 いつも不機嫌そうに口をへの字に結び、眉根に皺を寄せている。

 典型的な、サイレント・オフィサー。

 もちろん、必要最低限な言葉ははっきり明確に伝えてくれるし、実際私は、その昔押しつぶされそうになって悲鳴を上げている心を、彼の優しい言葉で救って貰ったこともある。

 だけど、今の言葉は? 

 それって、まさか。

「か、艦長」

 パーティ会場の喧騒に飲み込まれそうな程にか細い私の掠れた声は、しかし彼の耳にははっきり伝わったらしかった。

「や、すまん。……酔ったかな」

 彼はフイ、と視線を外して、わざとらしく背後の人だかりの方に首を捻って手を上げて見せた。

「お呼びらしい。また、後でな」

 呼び止めようとして開きかけた唇を、私は、今は噛み締めざるを得ないことに気付く。

 言葉を、上手く紡げない。

 彼の言葉を、消化しきれていないのだ。

 今の、艦長、どういう意味? 

 それって、私が綺麗ってことですよね? 

 それはその、私のことが魅力的……、って? 

 私に魅力、感じてくれてるんですか? 

 もしもそうなら艦長、私のこと……。

 ……好き、になってくれますか? 

 言いたい。訊きたい。

 言えない。訊けない。

 だって、私は……。

「違う、違うの! 」

 根拠など、ない。

 もし理由を聞かれたとしても、「なんとなく」としか答えようがない。

 けれど。

 私は、綺麗じゃないんだ。

 外見はどうあれ、私自身はけっして周囲の人々から綺麗だ、美しいと誉められるような人間じゃないんだ。

 何故と問われても答えられない、自分自身のことなのに。

 だけど、心の奥底には、目を背けたくなるような、汚れてしまった、洗い落とす事などとてもできないくらいに汚れてしまった『本当の自分』が沈んでいる。

 そしてそれは、たぶん自分自身がその穢れに耐えかねて、理由も何もかも忘れてしまうほど奥の奥の奥底へ押し込め、沈めたに違いないのだ。

 ああ、こんなことなら、いっそ普段通りの無愛想なままでいて欲しかった。

 どうしよう? どうすればいい? 

 混乱する私の中の、『もう一人の私』が、『今は唯、喜んでいればいいの、馬鹿みたいに舞い上がっていればいいの』、そう耳元で囁く。

 確かに彼の一言は、泣きたくなるほどに嬉しかった。

 今後、二度とこんな煌く言葉を他人から、いや彼から貰えることなど、ないかも知れない。

 そう考えて、漸く唇が開く。

「ありがとうございます。ほんと、嬉しいです」

 ようやく空気を震わせた私の声はだけど、会場の中央付近で沢山の来賓達に取り巻かれている彼~ちら、と見えた彼の表情はもう、普段通りの無愛想な~には、今度こそ届いていなかった。

 喜びと戸惑いと切なさと哀しみが胸の中で渦巻いていた。

 思わず涙が零れそうになる。嗚咽が洩れそうになる。

 誤魔化す為に、慌てて呷った生温いビールのグラスに映った自分の泣き笑いの顔を見て、私は悟る。

 自分自身がどうあれ、彼に貰った言葉は私を幸せにしてくれる。

 彼がどんなつもりで言葉をくれたのかはどうあれ、私はやっぱり、どうしようもないほど、彼を愛してしまっているのだ。

 その日以来、零種軍装を着ることに然程抵抗を感じる事が少なくなった~苦手なことには変わりないが~。


「どうかなさいましたか? ……また、ご気分でも? 」

 リザが声をかけると、涼子は驚いたように顔を向けた。

「あ? え、ん、……や、だいじょぶ。ん、だいじょぶ」

 慌てて付け加える涼子の様子に、リザは自分が思ったよりも険しい表情していたことに気付き、こちらも慌てて表情を緩めようとしたが、どうやら間に合わなかったようで、涼子ははにかんだ様子で更に言葉を重ねた。

「ちょ、ちょっと、ね。昔の事を思い出してたのよ」

「そうですか」

「ごめんね、心配かけちゃったね」

 あはははと笑う涼子を見て、リザは自分の表情を険しくさせていた原因が、予想通りのものだったことを確信する。

 彼女が思い出していたと言う昔話には、彼女の瞳の奥に住む人物が登場していたに違いない。

「子供の頃のことですか? 」

「ううん、そんな昔じゃないよ。4年ほど前のこと」

 やっぱり、そうだ。

「えと、国連本部駐在武官だった頃、ですか? 」

「さすが! 凄い記憶力だね」

 このまま話を続ければ、きっと自分にとってあまり楽しい話題は出そうにはない、そう踏んでリザは、強引に話題転換を図る。

「でも、室長代行は防衛大卒業後の幕僚配置では、ずっと国際三部門ですよね。本当に、UNDASNは室長代行を外交部門に得たことで、凄い得をしてますよね」

「あははは! 褒めても何も出ないよー」

「だけど、室長代行」

 作戦は成功しそうだ。

「ご自分で、昔から外交部門向きだって判ってらしたんですか? それとも、どなたかの推薦で? 」

 涼子は照れたように頬を赤らめた。

「ほんとの私を知ってる人なら、きっと国際部で働いてるなんて言っても信じてくれないよ」

「そんな……」

 反論しようとするリザを、涼子は眼で抑える。

「謙遜とかじゃないよ、ほんとのこと。私、人付き合いは昔から苦手だからね。UNDASNやUNの皆は、仲間っていうか、うん、信頼できるって感じだから結構だだ甘えなんだけど……。今でも、全然知らない人とお話しするのは、すごく緊張しちゃうの」

「でも、だって……」

 国連事務総長や米中露EU各国等の一癖も二癖もある名だたる政治家や海千山千の外交官を前に、巧みな論陣を張り妥協を引き出し感服までさせる姿。

 統合幕僚本部長や太陽系外幕僚部長、艦隊総群幕僚長を初めとして艦隊司令長官や参謀長達、貫禄と経験タップリのアドミラルを前にして理路整然とした迫力ある論旨で作戦に物言う姿。

 年上の副長や航海長、反抗期に入った活きの良いガンルーム士官、タテの物をヨコにもしないメンコの数なら数十倍という荒くれ下士官達を、笑顔と誠意と腕っ節で従える堂々たる艦長振り。

 そんな姿を目の当たりにしては、涼子本人の言い分とは言えとても信用することは出来ない。

 あまりにも驚いた表情を浮かべていたからだろうか、涼子は頭一つ高いリザを抱き寄せて、髪を撫でながら言った。

「だから、私が防衛大で外交幕僚課程を選択したのは、人に薦められたから」

 耳元で囁く涼子の甘い声と微かに漂う正体不明の甘い香りに膝から落ちてしまいそうになりながら、リザは感じた一抹の不安を忘れる為に、思わず涼子の背に回した手に力を入れる。

「『お前は、UNDASN以外の人間ともちゃんと交われるように、外交幕僚課程を選んだらどうだ? 外交と言ったって、所詮は人と人との信頼が根っこだ。いい勉強になる。それに、お前のバックには、お前の仲間、UNDASN全3,500万将兵がついていると思えば、多少は我慢も出来るだろう? 』って言ってくれたの」

 ああ、やっぱり。

 リザは祈りにも似た想いを込めて、一層両手に力を込めて涼子を抱き返した。

「艦長が奨めてくれたんじゃなかったら、絶対、防衛大学で外交幕僚課程なんか選択しなかっただろうな……」

 耳に届いた涼子の呟きに、今度こそリザの瞳から涙が一滴、堪え切れず頬へ零れ落ちた。

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