3.戴冠

第7話 3-1.


 夕方から、訪英中のバングラデシュ首相と、昨年発生した死傷者2万人被災者70万人にものぼった大水害への見舞いと復興支援に関する会談があるというマクドナルド事務総長達UN一行をイギリス外務省まで送り届け、涼子達UNDASN一行を乗せたVTOLは再びロンドン上空に舞い上がった。

「ロンドン市街はすっかり、祝祭ムードですねえ」

 窓から眼下を見下ろしながら、リザが呟いた。

「そうね。ようやく『ロンドン・ウィーク』本番か」

 隣に座る涼子の答えに、リザは顔を彼女の方に向けた。

「室長代行、本当にお疲れ様でした」

「やだもう、やめてよリザ。私一人で準備したわけじゃないんだから」

 真っ赤な顔の前で両手を振っていた涼子は、少しだけ引き締めた表情で言葉を継いだ。

「それに、まだ無事に済むかどうかは判らないもの」

 リザも笑顔を収めて、黙って頷く。


 『ロンドン・ウィーク』とは、明日から行われる英国国王戴冠関連行事に関する、一連のUN、UNDA、UNDASN共同参加行事の部内限り作戦コードのことだ。

 正式名称『グレートブリテン及び北部アイルランド連合王国』及び『英連邦王国』の元首、つまりはイギリス国王であるエドワード18世が108歳で崩御したのが一昨年8月末だった。

 直ちに王位継承権第一位で、プリンス・オブ・ウェールズだった長男のチャールズが、チャールズ15世として即位したのだが、その戴冠式が服喪期間を過ぎた今年の2月15日、つまり明日、ロンドンのウエストミンスター寺院で執り行われるのだ。

 リザは、隣に座る絶世の美女~軍人、というより、外交官と言う名の職業の方がピッタリはまるように思える~、涼子の横顔を見ながら、物思いに耽る。

 身贔屓かもしれないが、たぶん、彼女が今のポストに就いていなければ、今回の『ロンドン・ウィーク』は惨憺たる結果に終わった筈だ。

 ”外交下手”と定評があるUNだけでは、こう上手くはいかなかっただろうとは、数ヶ月前のワシントン・ポストだったかシカゴ・トリビューンだったかの社説だが、普段の米国マスコミのヒステリックに過ぎる論調に批判的なエリザベスも、これについては同意見だ。

 元々、今回の英国新国王の戴冠式など、UNにとっては祝賀メッセージ程度で済ませても問題ない程度のイベントなのだから。

 下手にUNが首を突っ込めば、ヤケドをする。

 ましてUNDASNという”純軍事組織”なら尚更、である。

 凋落著しい英国、EUへは出戻り組とは雖も、加盟各国への影響力は未だに高く、英連邦の存在は頻繁に国際問題の俎上に上がる、まさに『栗の埋まった囲炉裏』。

 しかし、その火中の栗さえコントロール出来れば、UNとUNDASNは一挙に、現在抱えている最大の問題をクリアできるかも知れない、それはまさに一発逆転のジョーカーになるかもしれないのだ。

 イギリス及びイギリス連邦各国は明日のウエストミンスター寺院における戴冠式をピークとして、ここ暫くは奉祝ムード一色に包まれているのは当然の事だ。

 勿論、英国政府としては国力アピール、嘗ての大英帝国威信の見せ所として、英連邦各国は当然のこと、国交のある各国元首クラスを招聘。加えて昨今の国際間パワーバランスをも考えたのだろう、国連も事務総長始めとして主な国際機関の代表までもこの一連の行事に招待している。

その目的は言わずもがなで、この期間に積極的な儀典外交を繰り広げ、凋落著しい英国の斜陽にブレーキをかけ、EU内、そして国連内での発言力と影響力を少しでも上げる為であることは明白である。

 だが、招待される側、国連としては、英国との儀礼外交という表面上の意義以外に、もうひとつ大きな狙いがあった。

 他星系文明圏との交流が始まって2世紀、その当初は人類史上初めての事態を迎えた事による、地球規模での一種の”気分の高揚”と”新時代における理想の追求と実現”などの理由も手伝って、『惑星国家=地球統一国家』の概念を実現すべきとの動きが広がり始めていたが、そこは旧態依然として存在する国家エゴ、主義、宗教、文明、歴史、経済状況の違いから、国連主導による地球統一路線も成果が上がっているとは言えない状況を、一気に推進したのが皮肉にも地球人類のファースト・コンタクトの相手、ミクニー星との間に勃発した第一次ミクニー戦だった事は前述の通りだ。

 危機を迎えたからと言って即座に地球統一にまでは至らなかったものの、国連主導主義が積極的にせよ消極的にせよ認知され、また、国連が防衛の為の強大な軍事力を握った事もあり、そして何より『ミクニーから母なる地球を守れ』のスローガンの下、国連を持って事実上の『惑星国家地球代表部』とみなす考えが国際慣習上漸く~渋々、と言い換えた方が妥当かもしれない~認知されたのは確かだ。

 しかし、母星地球防衛の第一次ミクニー戦争、そして太陽系防衛と太陽系外周の地球勢力圏確保を目標とした第二次ミクニー戦争第一段階が一段落し、いよいよミクニー本星への攻撃を視野に入れ始めた第二段作戦発動を前に、UN、UNDASNに、最近とみに求心力がなくなってきたのも、やはり確かな事実だった。

 開戦劈頭、ミクニー侵攻軍による地球全土への無差別大空襲~幾多の悲劇と英雄譚を残しつつ地球軍がミクニー勢を漸く土星軌道の外へ押し返した4月の1ヶ月間を、国連は戦没者祈念月間としている~で幕を開け、漸く太陽系外縁部まで地球安定勢力圏を広げて膠着し、休戦条約締結に至るまでに30年を要した第一次ミクニー戦争当時とは違い、その20年後に再び勃発した第二次戦役では、専ら太陽系外での戦闘が主となり、しかも地球優勢で推移していることによって、地球がミクニーの脅威に直接曝される事が無くなった事は最も大きな理由だろう。

 また、長期化する戦争継続への各国の経済的物質的負担への不満が高まっている事もまた、確かだ。

 しかし、国連及びUNDASNは、ミクニーを完全な地球勢力下におかない限り、何れ再びミクニーの侵攻が始まる事は必至と考えていた。

 その為には、ここでもう一度緩みかけた箍を締め、より強力な地球統一へ向けた、対地球上既存国家への戦略を練らねばならない。

 幸い、国連事務総長はその新年のステートメントにおいて、UNDASNの対ミクニー第一段作戦の完全勝利により、今後半世紀の間、ミクニー軍が太陽系外縁部を脅かす事は90%不可能となり、そして今後の全体戦局の趨勢によっては、最短で20年以内にミクニー本星への侵攻も可能となったと発表した事により、今や地球全体が戦勝ムード、奉祝ムードに包まれている。

 つまり、この英国新国王即位と言うイベントは、ロンドンに集まる世界各国の首脳達や戴冠式関連報道に耳目を傾ける全世界の人々に対する、国連の権威とUNDASNの実力を確実にアピールする絶好の機会なのだ。

 極端な言い方をすれば、これは『国連とUNDASNの対ミクニー戦争完全勝利(予定)の凱旋パレード』とさえ言えるのである。

 国連首脳としてはこの機会を地球統一に利用しない手はないし、いや、それ以前に、実際に前線で命を的に戦い続けているUNDASNとしては、国連に一刻も早く地球統一を成し遂げてもらい、ミクニー戦継続の基盤を固めてもらわなければ、いつ逆転されるか判らないという根源的な不安がどうしても拭い去れない。

 言い換えれば、マスコミが齎す華々しい一方的な勝報は、けっして20世紀半ば敗色濃く漂う戦況を糊塗する某東洋の島国の大本営発表とまでは言わないけれど、銃後の厭戦の声を常に背中で聞き続けながら命を危険に晒す身としては、甚だ薄氷を踏む思いに心を震わせる頼りなげな勝利だったとも言えるのだ。

 結局のところUNDASNとしては、第一次戦役勃発以来、途中20年の休戦を挟んだ『戦争の1世紀』で命を落とした1億1千万の死を無駄にさせない為にも、地球で安寧を貪るシビリアン達~もちろんそのことに不満もなければ文句もない、寧ろそれこそが自分達が望んだことなのだから、けれど、せめて、せめてものささやかな願いとして~に今一度、腹を括り直して欲しいのである。

 その為に、涼子は10ヶ月前から国王即位関連行事に纏わる”国連・UNDASN外交”の為に必要な調整・交渉に、全精力を傾けてきたのだった。

 当初英国政府は、UNはともかくUNDASNまで式典に参加することに難色を示した。

 当然だろう、戴冠式は新国王の威厳を遍く民に、世界に知らしめるための儀式であり、UNやUNDASNの広告塔ではない。

 英国としては国連事務総長~という身分と肩書き~だけならいざ知らず、その下部機関でしかも巨大且つ強大ではあるけれど更に管下の一実働組織を国際外交儀典の表舞台に立たせる等マイナスこそあれなんのプラスにもなり得ないのだから。

 それを涼子は、真正面から、時には搦め手から、時に威圧し時に鼻先に餌を垂らし、二枚舌三枚舌で腹黒さでは敵う者なしと謂われる英国外交相手に、驚異の粘り腰と常にぶれる事のない誠意を芯に据えて、とうとう諾と言わせただけでなく、UN事務総長を、UNDASN最高指揮官の肩書きの併称とUNDASN統幕主要幹部列席という、破格の厚待遇で招聘させることに同意させたのだ。

 それを諾と言わせた涼子の、なんと鮮やかな手腕。

 結果として、だからこのロンドンで明日からUNとUNDASNは、第5作戦域の完全勝利、次段階作戦による敵中枢域への肉薄作戦敢行の為の戦線整理、戦備増強という上げ潮ムードを全世界にアピールする。

 その一環として、明日の戴冠式を初めとする各種式典参加や、戴冠記念閲兵式への艦隊派遣(直接地球防衛第2艦隊インターセプター21FS第1航空戦隊4S第4戦隊、特務艦隊の視察艦・供奉艦)を行う事が、統幕本部長直接命令で決定しているのだ。

 その裏には、現在の統合幕僚本部長統合司令長官であるサー・ジョージ・マクラガン一等艦将や国連防衛機構事務局長が英国出身、それに国連事務総長がイギリス連邦の一員であるニュージーランド出身という事情も手伝っているだろう。

 だが、しかし話をそのレベルまで、ゼロから持ち上げたのは誰でもない。

 今、自分の隣に座り、膝の上に置いた携帯端末を立ち上げてスケジュールのチェックを行っている、儚ささえ感じさせる美貌の持ち主。

 涼子なのだ。

 1年前、統幕着任と同時に準備に着手してから今日まで、統幕のあるヒューストンとロンドンの往復回数は優に100回を超えるだろう。特にここ数週間、涼子は自分の拠点をロンドン駐英武官事務所と定めて、欧州室長代行としてヨーロッパ各地に足を向けつつ、ロンドン・ウィークの総仕上げを行ってきた。

 ”この……、どこを触っても儚く崩れ去ってしまいそうな、美しい女性ひとが”

 まさに全ヨーロッパが、たおやかで儚げで、けれど幼い魂だけが持つ穢れなき煌きに包まれた、天使と呼んでも言い過ぎではない一人の美女に、踊らされたのだ。

 いや、UNさえもそうだったと言えば、まさに全地球が、彼女の小さな掌の上で、いいようにステップを踏んだとも言える。

 本当に、計り知れない智謀の深さを持つ人とは、まさにこの女性を指して言うのかも知れない。

「ふぇえ……。ほんと、明日からは憂鬱な日が続くわぁ」

 涼子の声に、リザの意識は現実に引き戻されて、彼女のラップトップに立ち上がっているAFLディスプレイに視線を移す。

 そこに表示されているのは、明日から始まる『ロンドン・ウィーク』のグランド・スケジュールだった。

「確かにハードスケジュールですけれど……」

 思わずエリザベスの相槌の語尾が濁る。何故ならば。

 これまでの涼子の活動、”全世界を股にかけて”という使い古された比喩がけっして比喩ではない仕事量に比して、それはあまりにも大人しい予定表に見えたから。


1.2月15日1200ヒトフタマルマル時:戴冠式(ウエストミンスター寺院)

2.2月15日1400ヒトヨンマルマル時:戴冠式後バッキンガム宮殿までのロンドン市内パレード

3.2月15日1930ヒトキューサンマル時:英国政府主催戴冠記念晩餐会(ウエストミンスター宮殿)

4.2月16日1000ヒトマルマルマル時:即位記念閲兵式の一環としてUNDASN儀杖艦隊観艦式(サザンプトン沖英国海軍演習区域)

5.2月16日1500ヒトゴーマルマル時:統幕本部長主催の観艦式祝賀パーティ(儀杖艦隊旗艦空母グローリアス艦上)

6.2月17日1100ヒトヒトマルマル時:英国首相主催の即位記念音楽会(オペラハウス)

7.2月17日1600ヒトロクマルマル時:英国王室主催の即位記念舞踏会(バッキンガム宮殿)


 もちろん、先に述べた事情もあり、戴冠式に参列する各国首脳閣僚とUNDASN幹部との”奉祝外交”の会議が、上記のグランド・スケジュールの合間を縫って目白押しだ。

 会議の主役は訪英しているアドミラル達である事は勿論だが、それら外交交渉のセッティングから事前協議までを行ったのは涼子達国際部の各課であり、会談のホスト国となるのは勿論英国だから、英国を管轄する国際部欧州室欧州1課、即ち課長でもある涼子はこれら外交会談にも同行する必要がある。

 ちなみに、UNDASNから今回の『ロンドン・ウィーク』に出席するのは、将官では統幕本部長が2月16日まで、これは未定ではあるが場合によっては17日はその名代として太陽系内幕僚部長、この二人の一将が参加するのをはじめとして、二将である統幕軍務局長と政務局長、三将である軍務局軍務部長、政務局国際部長、国連部長、国際条約部長。それに英国を管轄に置く国際部欧州室長代行で代将としてアドミラル待遇である涼子。

 これだけのUNDASN将官が一堂に会することはUNDASN部内行事やUN、UNDA関連行事以外ではまずあり得ない。

 加えて、4と5に関連する儀杖艦隊~特別編成だ、実態は系内艦隊総群の直接地球防衛第2艦隊の第1航空戦隊1FS第4戦隊4Sに、各特務艦隊の選抜艦で編成されている~の艦隊司令長官である二将と艦隊幕僚の他、国際部や国連部の関係各課長や高級課員、観艦式~部内では演習扱いである~作戦に関連した軍務部12課と政務部12課の課長やスタッフも参加する。

 副官秘書官や駐英武官事務所スタッフ、それに国連事務総長やアドミラルの警護にあたる政務局警務部警務9課のSPまで含めると100名を超える大所帯がこの1週間、ロンドンに集まる。

 要は、涼子はこの1週間、英国は勿論、各国首脳やUNDASN、UN首脳を『コントロール』しなければならないのである。

 普通の人間ならばもとより、どんなヤリ手の政治家や外務官僚でも、ノイローゼになりかねない、センシティヴな~強風吹き荒ぶ深い谷間に張られた細いロープを渡りながら、針穴に糸を通すような、度胸と繊細さを同時に要求される、クレージーな任務だとしみじみ思う~任務を、涼子はその薄い肩に背負わされているのだ。

 憂鬱、その一言で済むような簡単なものではない。

 しかもその任務の行き着く果ては、大袈裟でもなんでもなく『世界の命運』なのだから。

 けれど。

 リザは直感的に思う。

 きっとこの女性は、そんなことを憂鬱がっているのではない。

 そんな『一筋縄ではいかない』感性の持ち主なのだ。

「何か、ご心配事でもおありでしょうか? 」

 思い切って聞いてみる。

 案の定、敬愛する上官は、慌てて両手を顔の前で振り回した。

「や、ううん、なんでもない、なんでもないよ! ごめん、ごめんね? 心配させるようなこと言っちゃって」

 涼子にそんな下手な誤魔化しをさせた自分に腹を立てながら、リザは無言で首を横に振って見せた。

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