第5話 2-2.
自分が『本当に喋り、訴え、問い掛けたかったこと』を脳内のスクリプターに投影しつつも、大聖堂の高い天井に響く言葉は、『国連事務総長という政治的な立場』と『国際法科名誉教授という純粋たるべき学究の徒にして微妙に政治的な立場』に雁字搦めにされた言霊のない言葉の羅列であり、それに万雷の拍手を寄せてくれるガウンを身に纏った学生達の満足そうな表情に、ジョージ・マクドナルド国連事務総長は一瞬、人々から厳格と評される事の多い顔に苦笑いを浮かべ、しかしそれさえも『政治的な立場』に首根っこを忽ち押さえつけられて『満足そうな笑み』へと切り替えられる。
石造りの聖堂の高い天井に未だ遠雷のように木霊する拍手を背にして演台からゆっくりと裏手へ降りてきたマクドナルドは、ふと、頭に浮かんだ唐突な想いを口にした。
「私の判決主文に耳を傾けていた被告達のほうが、よほど手応えがあったよ」
彼は元々は国際法の専門家、嘗てはハーグにある国際司法裁判所の判事を務めたことがある。
「なにか仰いましたか? 」
思わず口をついて出た独り言が耳に届いたのか、後ろで控えているンバヨ官房長が声を掛けてきた。
「ああ、いや……」
内容までは聞こえなかったらしいのをこれ幸いと適当に誤魔化しつつ、彼の意識は、現在彼の抱える、当面最大の懸案事項へと再び移ろい行く。
国連防衛機構宇宙艦隊、所謂UNDASNは、軍隊である。宇宙艦隊、といいつつもその戦力は艦隊のみならず、空軍戦力、陸上戦力の正しく三軍を抱えた押しも押されぬ立派な軍隊なのである。
謂わば、『惑星国家・地球』の正規軍だ。
もちろんシビリアン・コントロールの原則から外れることはなく、国連総会直轄の防衛理事会の監査を受ける国連防衛機構、UNDAがその行政監督官庁として統制に当たり、UNDA及びUNDASNの最高指揮権を持っているのは『惑星国家・地球』の代表である国連事務総長だ。UNDASNの組織は、第一次戦役停戦後の20年間で、計画的軍備増強とともに現在の形に整えられた。
実施部隊としての高級司令部としては、作戦行動地域とその特性により、太陽系外幕僚部と太陽系内幕僚部に分かれ、それぞれに艦隊総群、陸上総群、航空総群の3兵科幕僚監部と各幕僚部長直轄の防衛ミサイル群・警戒防空衛星群を持っている。
現在の戦況を考えると、太陽系外幕僚部は対ミクニー戦の正面担当軍として保有戦力のほぼ7割を占めており、残る3割、太陽系内幕僚部は絶対防衛線~太陽系外周と最古の太陽系外開発恒星系であるガシコー、リトオオを結ぶ円周~守備戦力兼控置予備戦力となる訳だが、実は国連にとっては地球上の加盟各国へのバラストとなる『常設国連軍』としての役割を、太陽系内幕僚部、特に本星控置各実施部隊に担わせているとも言える。
そしてこの太陽系外、太陽系内のふたつの幕僚部を統括し、最高指揮監督権限を持っている最上級司令部が、統合幕僚本部である。
統幕はこの他、”9本部”と呼ばれる専門軍事行政組織~艦政、航空、施設兵装、電装通信、医療、科学、調達実施、エネルギー、輸送~や幹部学校、防衛学校、防衛大学、防衛医大等の教育機関をも統べる。
よってUNDASN全部隊の事実上の最高指揮官は、統合幕僚本部長であり、故に正式職名は『統合幕僚本部長統合司令長官』と呼ばれる。
現在の統幕本部長統合司令長官、イギリス出身のサー・トーマス・マクラガン一等艦将とジョージ・マクドナルドとは、若い頃ケンブリッジで同じ寮に暮らした、古い友人だった。
つい最近、お茶を飲みながら交わした雑談での、彼の言葉が国連事務総長の脳裏に甦る。
「正直言って、今のUNDASNの在り方は、世界各国はもちろんUNやUNDASN自身さえ誤魔化し切れるものではないと思う。所詮、今の地球の政体にとって、UNやUNDA、UNDASNは『金のかかる放蕩息子でありながら、力だけは強い潜在的DV勢力』でしかないんだ。『一朝事あらば』の時、現在のUNDASNが『同胞相撃つ』ことは、純軍事力では勝っていても、実際出来るものではないし、けっしてしてはいけない行為なんだよ、ジョージ」
判ってはいるんだよ、トーマス。
残る手は、各国正規軍の解体と常設国連軍への編入~今のUNDASNが内々に受け持たされている使命ではない、正に文字通りの意味での国連軍だ、各国正規軍の指揮権をUNDASNへ委譲する提案は、第一次戦役の最初期10年間のみ緊急避難行為として実現しただけで、継続については廃案とされてしまった~しかなく、そしてその為には、地球の連邦化、『惑星国家・地球連邦』の創設~今の国連の立場は、ファースト・コンタクトの際にミクニーが国連を地球の中央政府と看做して接触してきたのを幸い、緊急避難的に『全地球の意思を代表』しているに過ぎない~しかない。
しかしその実現までの道程が、どれほど遠い道のりになるのか。
思えば今世紀初頭、文字通り『地球人類滅亡の危機』、崖っぷちに立たされてさえなおも、地球人類は遂に『国家』を捨て去る事は出来なかったのだ。
長引く戦い、優勢とは言え一体いつまで続くのか判らぬ、百年戦争が喩えではなく真実となりそうな現在~第一次戦役30年、ギャラクシー・ホリデーと呼ばれる停戦期間20年、そして現在の第二次戦役は勃発から今年で既に18年だ~の状況に、地球人類の殆どが不満を溜め込んでいる。今にも溢れ出しそうな不満と不安を、何とか飲み込みながら暮らしているのだ。
今、戦いを止めれば、遠くない将来、再びミクニーは地球を襲うかも知れない。
なんの確証もない、ただ漠然とした『不安』を拭い切れない、それだけの理由で、地球は今もその知識と資源と人々の命を注ぎ込んでいる。
しかしそれも、もう限界だ。
人類の欲望には、際限がない。
『絶滅するかも知れない』という、生物としての根源的な恐怖が薄らぎ始めた今、次は『もっと楽しい、豊かな暮らし』を望み始めているのだ。
それは仕方のないこと、なのだろう。止めようとしても、止められるものではない。
だから、それはいい。
恐ろしいのは、それら止めようもない願いを背景にして、現在の『強い国連』、『事実上の地球を代表する政権を気取る国連』の『圧力』を跳ね返し、何とかして『有限不実行』『理想は高く、拳は弱く』の、昔ながらの国連にまで弱体化させ、新しく世界を再編し、あわよくば新たな秩序を自国に有利なように建設したい、そう画策している『旧大国』の策動だ。
単に既得権益既存利権の遣り取りだけなら損得勘定の範囲内だが、恐ろしいのは、旧大国が『国民の戦争の行方への不安』を振りかざし、対ミクニー戦の停戦を要求した場合。いや、正面切っての停戦要求もそうだが、何やら理由をつけて~国連分担金の不払、物資や人員装備の供出拒否~継戦不可能な状況に追い込まれたらどうするか?
太陽系外に展開するUNDASN2,400万の将兵が消費する様々な物資は、あっと言う間に底を尽き、そうすればミクニーは第一次戦役以上の苛烈さで地球を今度こそ責め滅ぼすだろう。
だからこそ、地球統一しかない。
UNDASN将兵が己の命を盾にしてミクニーを窒息寸前にまで押さえ込んでくれている今こそが、内部のゴタゴタを整理してしまうチャンスなのだ。
狭い地球を230以上に細かく区切る国境、百を越す言語、様々な自然地理気候とそれに支えられ育まれてきた宗教、文化、生活習慣、価値観。
生命を脅かされつつも遂に捨て切れなかったそれらを、ならばいったい、どんな形で統一するのか?
問題課題は気が遠くなるほど山積みで、それが果たして解決できるのか否かも判らない。
だが、やるしかあるまい。
これは、ツケだ。
ミクニーとの戦いが始まった直後に……、否、本来ならば『宇宙の中の一知的生命体』として『他星系』との接触を求めようとした時に、クリアされていなければならなかった筈の課題を、後回しにして今日まで過ごしてきた人類の払うべきツケなのだ。
いつかこのツケを清算しておかねば、きっとその利子で人類は必ずや『絶滅』するだろう。
だから、やるしかあるまい。
彼の任期は既に4年を過ぎ、残りは1年だ。三選への道が慣例上閉ざされているこの状況、再選されたとして後6年。全てに決着をつけることは年齢的にも不可能だろう。
しかし、なんとかして連邦化への路線だけでも、自分の任期中に目処を立てたいものだ。
自分一人ですべて清算できるかどうかは判らない。
だが、やれるところまでやろうと思う。
そこまで考えて、マクドナルドは思わず我に返る。
確かに、地球連邦化は彼の就任直後からの悲願であり、対ミクニー継戦路線と表裏一体を成す国連方針として常日頃からその為の研究と政策立案のための活動を行ってきたことだ。
しかし、今更ながら拳に力を入れてそんなことを思い直している自分が、妙に可笑しく感じられたのだ。
”彼女なら、私が例え倒れたとしてもきっと後を継いで……”
マクドナルドは涼子の、まるで美の女神ヴィーナスが地上へ遣わした自らの化身か、とさえ思えるほどの美しい容姿、そしてその外見とは正反対の無邪気で可愛い幼女のような笑顔を脳裏に浮かべ、我知らず笑みを浮かべてしまう。
「そう言えば、このケンブリッジの風景も、ケルト神話によく出てきそうな牧歌的な風景だしな……」
ロンドンから北北東へ50km、ケンブリッジシャー州の州都であるこの町と、涼子はビジュアル的にもぴったりに思える。
この薄暗い大聖堂の廊下を、スタッフやSPに囲まれて歩いていくその果てに、涼子が待ってくれているのだと考えると、自然と頬が緩む。
自分の姿を認めた途端、凛々しい表情で美しい敬礼姿を見せてくれるであろう、涼子。
目が合った途端、悪戯を見つけられて照れ臭そうにはにかんでみせる子供のような、あどけない表情を浮かべる、涼子。
そんな涼子は、『ヴィーナスの化身』というよりも、ケルト神話に登場する妖精~フェアリー~のようにも思え、そんな彼女と共にこの町に存在している事自体が、不思議にすら思えてくるのだ。
彼女と初めて逢ったのは、6年前だったか。
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