第3話 1-2.
リザは、肌理細やかな白磁器のような涼子の肌を、濡らしたタオルで丁寧に拭いてやりながら、思わず吐息をつく。
”本当にこの人は、どこまでも綺麗で、可愛らしい……”
そして、しても仕方のない嫉妬を覚える。
涼子という女性は、本当に世界中の女性が望む全ての”美しさ”と”可愛らしさ”を持っている、とリザは改めて思う。
八頭身とはこのことを言うのかと思わず首肯してしまうスマートな肢体。
細過ぎもせず太過ぎもしない長く美しい脚、女性らしい優しいラインを描くヒップ、大きめに作られた第一種軍装の上着を羽織っていてさえその存在を堂々と主張する豊かで美しいバスト、バストとヒップの間を繋ぐ優雅でいながら気持ちよく引き締まったウエストライン。
非の打ち所のない、まるで美の女神ヴィーナスが自らの分身を地上に遣わせたかのよう。
そして女性らしい優しさを具現化したかのような滑らかなカーブを描く肩、そこから続く、白く、そして細く長い首。
そこに乗る頭部、そして顔立ちが、自然が生んだとは思えぬほどの精密な美を表わした肢体とよくマッチしているのだ。
どこまでも黒い、そして照明の加減で幾重にも、時には虹色の輝きを放つ細い髪は、ミラクル・ストレート。統幕勤務になってからは伸ばしているらしく、今は肩を少し越えた辺りのセミロングなのだが、風に、肢体の動きに合わせて舞うように動くその髪は、まるで繊細な生き物のようで、きっと指で梳くと水のように掌から零れるのだろう。
すっきりした顎のライン、大きすぎず高すぎず、言葉に表わせばそれだけで価値が半減してしまいそうな、可愛らしい、でもスッと通った鼻筋、その下にある唇は、手垢のついた表現だが、チェリーのようにふっくら、艶やかで、自然と笑みを浮かべたような可愛らしい口の形にピッタリだ。
一言で言うと、世界中の人々~男女問わず、だ~が一目見ただけで恋に落ちてしまいそうな、超絶的な美人。
そんな彼女のビジュアルが、見掛け倒しではないことは、今では誰もが知っている。
”ビジネス・モード”発動時の彼女こそが、石動涼子の表看板だ。
ソフトな物腰、ウィットと広範な教養に満ちた会話、そこまでなら世界中の外交官や政治家達の中にも腐るほど在る才能だろうけれど、英仏伊露独中西葡亜印馬泰朝と使用人口の多い言語は勿論、スワヒリ語やノルウェー、スウェーデン、デンマーク、アイスランド、スロバキア、トルクメン、バシュトゥー、ボツワナ等々、一体現地滞在以外の何時如何なるときに使うのか首を捻るような言語まで、40以上の言語をまるでネイティヴのように操る人間はそうそういない。
その上彼女には呆れるほど巧みで強靭な粘り腰に支えられたタフ・ネゴシエーターの才能がある。
巧みと言っても、UNの権威と権力~20世紀半ば、国連創設期の誰が、UNにそんなものが備わると想像しただろうか? ~、UNDASN~自分達の職場、国連防衛機構宇宙艦隊のことだ~の軍事力を背景にした強圧外交は彼女の好むところではない。
常に誠意を忘れず、Win-Winではなくまずは相手のWinにプライオリティを置き、その交渉の過程の中で、巧みな
侵攻してくる異星文明に対抗し得る強大な軍事力~即ち、世界最強~を持たざるを得なかったUNが、ひいてはその軍事力を利用して地球上のパワーバランスを指先の天秤のように御することも可能でありながら、けれどもスポンサーを国連加盟の230を越す国と地域に頼らざるを得ない『奇妙な頼りなさ』をアキレス腱に抱えるUNDASN~だからこそ、統幕本部政務局内に”国際三部門”と呼ばれる国際部、国連部、国際条約部と言う外交部門が存在するのだ~になくてはならない”政務幕僚”なのだ、石動涼子という人物は。
もちろん、そう言った『軍隊』の中における後方・間接幕僚任務でのみ、涼子の存在意義がある訳ではない。
最前線で文字通り『命を的にして』闘っている太陽系外幕僚部の幕僚部長や艦隊総群幕僚長、各艦隊長官や戦隊司令はもとより、各艦配置の現場将兵まで。
涼子の実施部隊現場復帰を希望する熱烈な”運動”は、彼女に統幕異動の辞令が出たその日から始まったと言っても過言ではない。
『野生のリョーコ』、『マルスの憑依したヴィーナス』、『戦闘妖精』エトセトラ、エトセトラ……。
彼女の持つ二つ名はけっして伊達ではなく、そしてそれが半ば公式であることは、彼女の第一種軍装左胸、4段に並ぶ煌びやかな略綬の群れが表わしている。
艦隊戦闘、個艦戦闘を問わず、砲雷戦、防空戦を問わず、涼子の操る艦、艦隊は、敵味方の予想の遥か斜め上を超光速でかっ飛んで、まるで魔法のような航跡と信じられない程大量の敵艦隊の残骸を残す。
考え得る最大限の打撃を敵に与えつつ、味方の損害は遥か予想を下回る。
それが、”戦闘モード”。
典型的なサイレント・オフィサーでありながら、数少ない指示と命令は的確且つ効果的、効率的で、老練な
その美しいビジュアルが、
任官後12年の軍歴は然程長いとは言えないが、その間に得た戦闘功労章の数と25歳での一等艦佐昇進は、兵科幹部としては抜き難い新記録~戦時中のために、全体的に昇進速度が上がっているせいでもあるのだが~だ。
それだけなら高嶺の花、近寄り難い印象に陥るところだろうが、それを寸でのところで救っているのが、細く形の良い眉と、ほんの少し下がった目尻だ。
垂れ目、と言えばそれまでだが、大きな、まるで黒曜石のように……、いや、ミルキーウェイ、といった方がより似合いだろう、キラキラと小さな銀河を詰め込んだような瞳がまるで子供のようで、それこそが彼女を『単なる、凄い美人』から『誰もが愛したくなる、素敵に美しい女性』へとランクアップさせている秘密だと、リザはそう思っているし、もしそんな論文を書けば~もちろん、書く気はなかったが~、誰もが諸手を上げて賛同してくれる筈、博士号取得だって夢じゃないわと、リザは根拠はないけれど絶大な自信を持っている。
”超絶美人なのに可愛いなんて、反則よ、反則! ”
理不尽な思いが頭に湧いてくるが、それさえも嬉しい。
彼女が上官である、というその事実が、リザには堪らなく嬉しいのだ。
だが、正式な意味で、涼子はリザの上官ではない。
リザの辞令上の原隊は、統合幕僚本部総務局秘書部副官2課。
そこから、政務局国際部欧州室長A副官として派遣されている。
A副官としてのリザの、本来の上官であるアドルフ・シュトレーゼン三等空将は、欧州室着任翌日、交通事故で3ヶ月の入院加療が必要となってしまい~ひき逃げだったそうだ、テロの疑いもあるとの事で、現在も警務部とFBIが合同捜査中である~、その穴埋め人事の結果、シュトレーゼン室長と同日付で欧州1課長として外幕艦総7航艦から着任した涼子が欧州室長代行を兼務することになり、リザの上官となった訳だ。俗に言う『パテ・オフィサー』である。
シュトレーゼン三将は、予定通りに3ヶ月で退院されて、すっかり元気になったけれど、何故かすぐに航空本部航空兵装研究センター長の辞令を貰ってロズウェルに行ってしまった。
だから依然として、涼子は代将で欧州室長代行、『パテ』のまま、リザの上官のままである。
けれどリザは、その成り行きを大歓迎していた。
お陰で、こうして常に彼女の傍に居られるのだから。
「これは憧れか、尊敬か、それとも……」
シャツを肌蹴て白い肌を惜しみもなく曝した無防備な状態のまま、気持ち良さそうに目を細めてリザのいいようにさせている涼子の後姿に、思わず胸の内の想いが声になって空気を震わせていた。
幸い、耳には届かなかったようだ。リザは安心して、しかし続きは口の中に留める。
その気持ちは、恋、なのだろうと、今では素直に思える。
年上で上官で~見ていても、話していても、とてもそうとは思えない、普段は~、しかも同性に対して、こんな想いを抱くようになるなどとは、未だに自分でも信じられない。
これまで惹かれてきた相手は全てヘテロだったし、歳相応に~今年で26歳だ、とすると愛すべき上官とは4歳の差、か~処女でもない。
しかし、胸に渦巻くもどかしさや切なさ、鈍い痛み、身体の芯で疼く熱い何か、すべての自覚症状が、これは恋だと叫んでいる。
そして同時に、これが遂げることのできない想いである、ということもまた、確かなものに感じられた。
だって彼女は、その煌く小銀河のような瞳の真ん中に、いつもリザではない誰かを捉えていたから。
「あっ! 忘れてた! 」
突然そう叫び、涼子はこちらを振り向いた。
ベッドに座った状態で上半身を捻っているくせに、これっぽっちも崩れないウエスト・ラインが艶めかしく、リザは瞬間的に血液が頭に昇るのを自覚する。
「ど、どうなさったんですか? 」
「事務総長の記念講義は? もう、終わっちゃった? 」
リザはその愛想のないくらい白いブラ~まるでスポーツブラのように、それはなんの飾り気もなかった~を弾き飛ばさんとするような、豊かな胸の谷間から苦労して視線を引き剥がし、力任せに涼子に前を向かせながら答えた。
「大丈夫です、室長代行。5分程バッファがあります」
「よかったぁ! 」
安心したのか、あからさまに涼子の肩から力が抜けたのが判り、リザは来年は70歳になると言う国連事務総長に、理不尽にも嫉妬心を覚え、タオルを持つ手に必要以上に力を込めた。
「痛いよ、リザ! 」
少しだけ、気が晴れた。
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