第93話 色情霊

「こりゃあ、世の女性たちには見せられないな」


「そうですね……被害者は、富山真一(とみやま しんいち)二十四歳、男性、会社員、独身です。一応の死因は、心不全による突然死ってことになりました」


「一応ねぇ……」


「ええまあ……ご遺族の方々に、『息子さんは腹上死しました』なんて言えないですからね……」


「腹上死ねぇ……」


「苦しい言い訳なのはわかっていますけど……」




 刑事生活を二十年以上もやっていると、色々な仏さんと出会える。

 別に好きで遭遇しているわけではないが、これも仕事のうちってね。

 俺も新人の頃は、状態の悪い仏さんを見る度に顔を背けたり、吐いてしまったこともあったが、人間とはよくも悪くも慣れる生き物だ。

 今は、孤独死して数ヶ月経った仏さんを見た直後でも、焼き肉屋に行けるようになった。

 悲しいかな。

 地方警察の刑事のサラリーでは、そう頻繁に焼き肉屋になんて行けないがな。

 今日の仏さんは、戸高市の中心部から少し離れた歓楽街。

 ラブホテルが十数軒集まっているエリアで、その中の一軒の従業員からの通報であった。

 急ぎ駆けつけると、ベッドの上で一人の若者が素っ裸で死んでいたのだ。

 しかもよく見ると、陰茎が膨張したまま……随分とご立派なことで……。 

 だから死因は『腹上死』扱いなんだが、いくつか腑に落ちない点がある。

 まずは被害者だが、彼は一人でホテルの部屋に入ったらしい。

 そのあと、彼が取った部屋には誰も人は入っていないそうだ。

 通報したラブホテルの従業員によると、『派遣型風俗でも利用するのだと思った』だそうだ。

 確かに、そうでもなければ男性が一人でラブホテルを利用するわけがない。


「念のため、被害者が部屋に入るまでの様子は、防犯カメラによる映像で確認しました。やっぱり一人です。ですが……」


「ですがなんだ?」


「被害者の推定死亡時刻とそう変わらない時間に、突然被害者が借りた部屋のドアが開きました。映像も残っています」


「誰かが出入りしたのか?」


「いえ、誰も確認できませんでした。ですが、被害者がすでに亡くなったと思われる時刻に、その部屋のドアが独り手に開くなんておかしいですよ」


「風なんじゃないのか?」


「目方警部。本当にそう思っているのですか?」


「なんてな。ああ、これはいわゆるアレかもしれないな」


「アレですか?」


「お前はまだ刑事になって二年目だったな。じゃあ、遭遇したことがなくても不思議じゃない。いわゆる『ゼロ課案件』だ」


「ゼロ課案件ですか……本当にそんなものあるんですね」


「当然です。ゼロ課は物語の設定でも、空想の産物でもありませんので」


「誰だ?」


「失礼。警視庁より派遣された、ゼロ課の捜査員土御門蘭子(つちみかど らんこ)巡査部長と、赤松礼香(あかまつ れいか)巡査長です」


「若いな」


 二十年ほどの刑事生活で、俺も何度かゼロ課の連中と顔を合わせたことがあるが、全員おっさんと爺さんだった。

 ところが今回は、一人は二十代半ば、もう一人は二十歳になっていないようにも見える。

 とにかく若すぎるのだ。


「ゼロ課も人手不足のため、弱冠二十三歳の私が巡査部長で」


「私はまだ二十歳なんですけど、これでも巡査長です」


「噂は本当だったんだな」


「噂ですか?」


「ああ、ゼロ課に入る除霊師がいないんだと」


 現在警察のみならず、消防署、海上保安庁、自衛隊などに入る除霊師が不足しているそうだ。

 そりゃあ、腕がある除霊師は民間でやった方が稼げるからな。

 一応危険手当みたいなものも出るそうだが、まったく割に合わないとかで、優れた除霊師は民間で活動する者が大半であった。

 唯一公務員除霊師がフリーの除霊師よりも優れている部分は、お札などの除霊道具が警察持ちという点であろう。

 だが、お札などを使いすぎて予算オーバーすると、上から嫌みを言われるらしい。

 まあ、民間の除霊師の方が気楽かもな。

 もう一ついいことがあった。

 殉職すると、保障が厚い。

 民間の除霊師だと、保険に入れないことも多いからな。

 もしくは、異常に保険料がバカ高いのだ。


「そんなわけで、小娘でもご容赦を」


「犯人さえあげてくれれば、そんなのはどうでもいいよ」


 地方警察には、ベテランの爺さんが幅を利かせているところも多い。 

 若く、女性である彼女たちも大変なのであろう。


「実は、犯人の目星がついても、我々では手に負えないケースも多いのですけど……」


「手に負えない?」


「はい。ゼロ課の者たちでは除霊できず、結局民間の除霊師に依頼するわけです」


 ゼロ課は、霊による犯罪を捜査する部署だ。

 だが霊は逮捕できないので、これ以上犠牲者が出ないよう密かに除霊を行う。

 警察なのに犯人を逮捕しない。

 それでいて、悪霊の探知や除霊で経費が嵩み、自分たちの手に負えなけば民間の除霊師に仕事を頼むことも多い。

 そのせいか、身内であるはずの警察にも霊を信じていない者たちが多くいるのだ。

 納税者については言うまでもなく、ゼロ課は建前上警察に存在しない部署とされていた。

 秘密の部署の予算を捻出すべく、警視庁は四苦八苦している。

 ゼロ課を露骨に嫌う警察関係者は多かった。


「こちらとしては、二度とこういう犠牲者が出なければそれでいいがね。で? 被害者は?」


「これは、いわゆる『色情霊』によるものですね」


「誰もいないのにドアが開いた映像を見ましたが、私たちには見えました。若い女性の色情霊ですね」


「なるほど」


 色情霊かぁ……。

 俺もどんなものか話に聞いたことはあったが、実際に被害者を見たのは初めてだ。

 それにしても、さすがはゼロ課なのかね。

 うら若き乙女たちが、被害者の勃起したままのモノを特に表情を変えるでもなく見ているのだから。


「霊と性交すると、霊力、精気が吸われて死ぬか廃人になる可能性が高いので危険です」


「霊との性交では、この世のものとは思えない快楽を味わえるそうで……男性も女性も注意が必要です」


 注意ねぇ……。

 いい女にベッドに誘われたと思ったら、霊力と精気を吸われて死んでしまうのか。

 これを防ぐのは難しいかもしれないなと、一男性としては思ってしまうのだ。


「文字通り、この被害者は昇天してしまったのですね」


 おいおい……。

 ゼロ課のお嬢さんたちがいるんだぞ……と思ったが、慣れているのか二人は相棒の下ネタを特に気にしている様子はなかった。


「それで、その色情霊は除霊できるのかな?」


「できますが、私たちでは無理です」


「それは、あの色情霊を除霊する力量が足りないってことかな?」


「当然それもあります」


 そこは認めるのか……。

 警察官にしては珍しいな……。

 プライドが高い奴が多い警視庁から来ているし、この若さで昇進もしているから、かなりのエリートだろうに……。


「私たちは女性なので、女性の色情霊に辿り着けないのですよ。男性の色情霊ならよかったのですが……」


 赤松というお嬢さんだが、この子も若い割に冷静だな。

 だからゼロ課に配属されたのであろうが。


「辿り着けない?」


「目方刑事さんたちには見えないと思いますが、この色情霊は女性です。一部例外を除き、この色情霊のターゲットは男性なのです。いくら我々が探索しても、懸命に追いかけても。この色情霊に辿り着けないのです」


「辿り着けないのか……」


「この被害者もそうですが、色情霊は波長の合う標的に忍び寄るように接近し、標的には霊力がなくても色情霊が見えます。ですが普段は、その姿を極力隠してしまうのです」


 普段は巧妙に隠れていて、なかなか目撃できないわけか。


「となると、もしかして囮のようなものが必要なのかな?」


「ええ。古来より、男性の色情霊には女性除霊師が。女性の色情霊は、男性の除霊師を囮にして呼び寄せます。寄ってくれば、囮役の除霊師が除霊できるので」


 自らが、色情霊の標的になるとは……。

 除霊師とは大変なのだな。


「なるほど。となると、警視庁から応援を呼ぶわけか」


 二人は女性なので、最低でももう一人男性除霊師がいなければ色情霊を除霊できないからな。


「いえ、この戸高市の除霊師協会に派遣してもらいます」

 

「えっ? ゼロ課の男性除霊師が囮役にならないのか?」


 代わりに、民間の男性除霊師を囮にするのか……。

 そりゃあ、公務員が民間人に嫌われるわけだよな。

 危険なことを他人に押しつけ、自分はお上ですって顔をしているんだから。


「残念ながら、今のゼロ課に所属している男性除霊師たちを囮に用いた場合、この色情霊に殺されてしまいますので……」


「つまり、ゼロ課における除霊師の質の低下は危険水域まできているのです」


 失敗して死ぬから、囮にするだけ無駄とか……。

 なんとも困った話だな。


「で、あてはあるのかな?」


二人だけで来たということは、戸高市にいる在野の除霊師が使えると判断したからなのか?


「はい。なんでも戸高支部で凄腕で鳴らした除霊師を紹介してくれるそうで」


「それはよかったな」


 ゼロ課の将来が危ぶまれるところだが、別に俺が所属しているわけではないからな。

 とにかく、これ以上犠牲者が出ないように、色情霊を除霊してもらうとするか。

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