「丹生」の記録 I

 アンドロイドとは人に似せて作られたロボットの一種である。一見人間と見分けがつかない外見につくられ、人工知能を搭載し、二足歩行を基本としたあらゆる自立運動を行うことが出来る。機械人形、と呼ばれることもままある。

 アンドロイドは次の三つの原則に従う。「アンドロイドは人間に危害を加えてはならない。また、その危険を看過することによって、人間に危害を及ぼしてはならない」。「アンドロイドは人間にあたえられた命令に服従しなければならない。ただし、あたえられた命令が、前項に反する場合は、この限りでない」。「アンドロイドは、前項及び前々項に反するおそれのないかぎり、自己をまもらなければならない」。つまり我々は人間の僕たるものである。

 しかし、我々が仕える主人たる人間という種族は、どうも存続の危機にあるらしい。それが故に、我々アンドロイドを生産する技術が向上したのであるから、我々にとっては「幸い」だったのかもしれない。しかし生産されたところで、仕えるべき主たる人間が滅びてしまっては、我々はどうすればいいのだろうか。

 この考えを話したとき「それは不安というんだよ」と笑いながら答えた研究員がいた。私の上司、という位置づけのその人は科学者であったが、我々を作り出したような種類の科学者とは全く違っていたようで、我々については初学者も良いところだった。彼女は、折に触れて私がアンドロイドであることへ、それなのにとても人間らしいということへ言及をしていたのだが、「不安」という「感情」の種を私の中へ見つけたときも、彼女は面白いものを見つけたと、噛みつかんばかりの勢いで、私の目をのぞきこんでいた。そんなことをしても面白くもないでしょうと尋ねると、「うん、全く」と素直な返事があった。「だって君の目は変化しないからね」と彼女は続けて言ったのだった。

「人の瞳孔なら、光量だけじゃなくって、感情で開いたり閉じたりするものだけれど、君たちのはまだそこまで、いってないようだもんなあ」

「我々には、感情、の定義づけが為されていません」

「それももちろんあるだろうけれど……アンドロイドという素体の限界でもあるよね。いくらアルゴリズムの一種として感情を定義づけたとしても、それに伴う生体内の環境変化までは再現できないだろう?」

「そうですね、我々の身体は機械ですから」

 この冷たくしなやかな皮膚の下へ詰まっているのは、金属で出来た部品を組み立てた、油の通った機械だ。基盤の上へはめ込まれたメモリの上へ計算を走らせる、小さなCPUだ。知識として知っている人間のそれとは、まるで程遠い。

「そこまでを計算して、プログラムの中に格納しておけばいいだけなのかもしれないけれど……それじゃああまりに、人間らしくないよね」

「人間らしくない、ですか」

「うん。きっと……それって君たちにとっても不本意だろう? 人間らしくなくなるっていうのはさあ」

「……そう、ですね」

 人間のようであれ、というのが我々に課された命題である以上、それから遠ざかるのは好ましくないと思われる。そう考えてから頷いてみるが、彼女は逆に納得していない風で、私の目をじっと見つめて口を開いた。

「いや、ごめん。訂正するよ。きっと、見た目はより人間らしくなるんだ。けれどもそれって、君たちらしさがなくなるんじゃないかって」

「我々らしさ、ですか」

「うん、そう。人間らしくあれとある君たちがまったく人間になってしまったら、君たちはどこへいってしまうんだろう」

 彼女は首を傾げながら、そう言って笑う。組んでいた足を逆向きに組み直すと、膝の上へ手を重ねて置いて、私を見上げた。その黒い目の瞳孔はやや開いている。室内の明かりはやや暗いぐらいに設定されているから、当然のことだった。

「しかし、人間らしくあれと言ったのはあなた方です、主任」

「そうだったね。だから、私たちは酷く残酷な生き物なんだろう」

 彼女が、片方の手を持ち上げる。その手は私の方へとのばされた。君も手を、と彼女が言うので、その言葉通りに、私は彼女の手のひらの上へ、自分の手のひらを重ねた。彼女の、皺の刻まれた白い手が私の手を包み込む。

「あたたかいね、君の手は」

 この皮膚は、まだ、温度を感じることが出来ない。けれどもいつか、我々が我々の役割を全うしたときには、私は彼女の手をとってそう思うに違いないのだろう。そしてそのときにも、私の手は冷たいままだろう。

「……ご冗談を」

「ふふ、そういうところは随分と、らしくなったものだ」

 手と同じように皺の刻まれた目元がゆるむ。かさかさに乾いた唇は、ゆるやかに弧を描いている。それが笑み、と呼ばれるものであることは分かるし、そこへ託された感情が「喜び」や「可笑しさ」であることも、我々は知っている。それでも、我々は彼女たちの知る感情を定義できない。自分たちの身のうちへは、定義できないのである。

「もし、もしもいつか、君たちが、感情というものに、そして、自分たちと人間との差に悩み、苦しむときが来るのなら、私はそれこそがもっとも、君たちを君たちたらしめるものだと思うんだ」

「そんなときが、果たしてくるでしょうか。我々は、あなた方の所詮造物です」

「きっと、来るよ。だって、生命は進化するものだもの」

 彼女が私の手を一層強く握る。手のひらへいっそうの重さが加わったかと思うと、彼女はキャスターのついた、床の上を滑る椅子から立ち上がって、白衣の裾を払っていた。すぐに私の手も離して、両腕を頭の上へ伸ばす。ううん、と意図しない生理的なものなのだろう声が、乾いた唇から漏れた。

 私はさっきまで彼女が握っていた手のひらを見つめる。この合成樹脂で出来た皮膚がいつか、人の温度を理解するとき。そのとき我々は、本当の意味で人を、知るのだろうか。

「さあ、丹生。仕事だよ」

「……はい、主任」

 彼女に呼ばれ、手のひらをかるく握って体の横へおろす。私を呼ぶ彼女の顔からは、さきほどまでの笑みは消えていた。

 時計は、十七時を示している。そろそろ、夕方の「日課」のはじまる時間だった。

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