第3話


 家に帰り、諸々の雑事を終わらせてモニターの前に座る。

 時刻は十七時五十五分。きっかり配信開始五分前に間に合った。


「……にしても、あっつい」


 一日中閉め切られていた室内は、かなり蒸し暑い。

 まだ春になったばかりなのに、こんなんじゃ夏場が思いやられる。


「窓開けるか」


 立ち上がり、手近な窓を開け放つ。

 もう外はすっかり暗くなっている。

 

「こうするとちょっと暑いが、まあ仕方ない」


 少し躊躇いつつ、カーテンを閉める。

 俺の部屋の窓は隣家の窓と面している。だからカーテンを開けたままだと、中が見え放題になってしまうのだ。

 隣人のことは殆ど知らないが、第一印象がVtuberの配信を見ながらニヤニヤしている痛い奴じゃ流石に忍びない。


 カーテンが閉まってる分蒸し暑さが少々残っているが、それでも幾分か涼しくなった。これでヨゾラの配信に集中出来る。

 外音を遮断するためにノイズキャンセリングのヘッドホンを装着し、部屋の明かりを落とす。

 ヨゾラの配信を見る時はいつもこのスタイルだ。

 

 配信中は、俺と、ヨゾラと、星の子だけの世界に浸りたいというささやかな拘りである。


 そして、十八時ジャスト。軽快な音楽と共に見慣れたオープニング映像が流れる。


「こんそら! アビスリウムのバーチャルアイドル、星海ヨゾラです! 今日は初めてgetting over it――通称壺おじをやります! いやぁ、ようやくだよ! ずっとやりたかったんだ、このゲーム」


 直後、いつも通りの元気なヨゾラが画面に現れた。

 今日は壺おじという、下半身が壺に埋まったおじさんが手に持ったハンマーを使って登山をするゲームの実況配信だ。

 やたら難易度が高く、せっかく進んでもすぐスタート地点まで落下してしまうこのゲームは数多のVtuber達を発狂させることで有名だ。

 なので今日、俺たち星の子はゲーム自体を、というよりは発狂する可愛いヨゾラを見るのが目的で視聴している。


 ――そして、案の定、


「ああああああああああっ⁉ せ、せっかく上まで登ったのに、またやり直し……? 『大丈夫、頑張れヨゾラ』……ありがとう皆。お、落ちるの上手い⁉ 誰! 今言ったの誰⁉ ……あ、またっ! くそっ! ふぅ……いけないいけない。落ち着いてヨゾラ、私はアイドルよ」


 普段は見られない荒ぶるヨゾラがそこにいた。


 ――バンッ! ……ドカンッ!


 普段は温厚なヨゾラが珍しく台パンして荒れ狂う姿がもうたまらなく可愛い。にやけが止まらない。

 ……え? 発狂する女の子を見てにやつくのはやばいって? 

 残念ながらVtuber好きはだいたいそれを可愛いと思うように訓練を受けているのだ。いやほら、真面目な話ギャップがある女の子って可愛いじゃん?


「ここは絶対切り抜かないとな」


 ひとしきり楽しんだ俺は、後で切り抜き動画を作る為に手元のノートに台パンシーンであることと、大まかな時間を書きこむ。


 ――その時だった。


「あー! イライラしすぎて室温上がって来ちゃった! ……あ、でもちょうど良くそよ風が気持ちいい……って風⁉ やばっ、どうしよう私窓開けっぱだった! ご近所に私の発狂がダダ漏れに⁉︎」


 ガタ、と台パンとは違う種類の大きな音が鳴り、ヨゾラの声が遠のく。それが彼女が慌てて立ち上がり窓を閉めに行った音だと、訓練された視聴者はすぐに気付いた。

 急展開にヨゾラ不在のコメント欄が盛り上がりを見せる。


 俺とてそんな楽しいハプニングを逃すわけにはいかない。すぐにチャットを打ち込もうとすると──、


「……さむっ。そういや、俺も窓開けっぱなしだったか」


 春先とはいえまだまだ夜は冷える。配信に集中している間は気付かなかったが、一時間ほど経ち部屋の気温はだいぶ下がっていた。

 少しコメント欄が名残惜しいが仕方ない。寒さには勝てない。

 ヨゾラもいないことだしちょうどいいと、俺は立ち上がり窓を閉めに行く。

 因みにヘッドホンはBluetooth対応の物なので配信の動向自体は離れていても分かる。今も、少し遠くでパタパタと足音がしている。ヨゾラも窓を閉めに行っているのだ。かなり高価な買い物だったが、こうして役に立っているので後悔はない。


 何となく、ヨゾラと同じ動作をしていることに嬉しさを感じつつ、慣れた動作でカーテンを開ける。

 すると、大きく開いた窓の外から視界いっぱいに光が飛び込んできて――


「――っ」


 俺は眩しさに思わず目を細める。ずっと薄暗い中にいたので、明かりに目が慣れていなかった。


(ていうか、なんだ? まぶ、しい……?)


 強烈な違和感を覚えて、俺は薄っすらを目を開ける。

 

 ――そこに広がっていたのは、信じられない光景だった。


「天ヶ原、乙羽……?」


 窓の外には天ヶ原がいた。しかも、キャミソール一枚のラフな格好で。


「――え? ――は? なんで天ヶ原が……?」


 剥き出しの鎖骨は彫刻並みの美しさでくらくらする。寒空の下晒された普段は決して見られない白磁の肌。肝心な部分こそ隠れているものの、控えめな膨らみが薄い布一枚を経て確かな存在感を放っている。

 半裸の美少女が隣家にいるという事実に思考が追い付かず、俺は半ばパニックになり、窓を閉めようとした姿勢のまま固まってしまう。


「――っ」


 驚いたのは彼女も同じようで、声にならない叫びを上げ、目を見開いて固まっていた。

 だが、俺はそんな彼女の様子に更に違和感を覚えた。

 ……なんだ? こんな状況なのに、俺を見ていない……?

 普通、同級生が隣人だったと分かれば驚くだろう。現に俺は未だに混乱している。

 あるいはラフすぎる格好を見られているのだから、悲鳴の一つでも上げてさっさとカーテンを閉めてもいいはずだ。

 けれど、天ヶ原の視線は俺ですらなく、もっと後ろ。配信画面がつけっぱなしのパソコンに向けられていた。


 ――その時、俺も気付いた。


 それまでは天ヶ原の存在と、そのあられもない姿に気を取られて周りを見る余裕なんてなかった。だが、ふと視線を向けると、彼女の後ろ、やたらと高そうなゲーミングパソコンの映す画面の中に、ヨゾラの姿が映っていた。

 しかも、ただの配信画面ではない。俺が見ている物とは違い、緑色の背景に塗られた中にヨゾラが映っている。何かの動画で見た事がある。配信ソフトの『設定画面』だ。

 それだけではない。歌手が使うような高額そうなマイクに、音響機材。友人とビデオ通話するには大きすぎる高性能ウェブカメラ。二台並んだモニター。

あらゆるものが、あり得ない答えを肯定している。


「まさか、本当にヨゾラなのか……?」


 あり得ない。そう分かっているのに、答えは信じられなくらいすんなりと口を付いた。


「~~っ」


 天ヶ原は俺の言葉に顔を真っ青にして、鋭く息を吞んだ。

 そして次の瞬間、勢いよく窓とカーテンが閉められ、彼女の姿は見えなくなった。


「……は、はは。いやまさか。そんなことあるわけ――」

 

 乾いた笑いがこぼれる。

 校内一の美少女が隣家に住んでいて、しかも隣同士の部屋で、その上推しのVtuberの中身だ? そんなご都合主義のラノベみたいな話、あるわけが――


 ――バタン! 


 だが、逃避する俺に、ヘッドホンから聞こえる音が容赦なく現実を突きつける。

耳奥で聞こえる勢いよく窓とカーテンを閉める音。その時間僅か二秒遅れ。


 ――流石に、間違いない。


「ご、ごめん皆お待たせ。ちょっと虫がいて、中々窓閉めれなくて……」


 しばらくするとヨゾラの声が聞こえて来た。心配の声で溢れるコメントを宥めるその声音は、どことなく焦って聞こえる。

 

 ……もし、本当にヨゾラが言う通り虫がいて配信の再開が偶々天ヶ原の行動とリンクしてしまっただけだとしたら? 

 声もただ似てるだけで、あの配信者そのものみたいなデスク周りにも何か事情があって、ヨゾラの画面を映していたのも、何か他の作業だとしたら?

 そう考える方がまだ現実味がある。それくらい、天ヶ原がヨゾラの中身だって考えるのはあり得ないことに思えた。

 

――しかし、俺の思考を否定するかのように、俺のスマホに通知が届いた。


『配信終わったら話あるから。外出てきて』


 もちろん相手は天ヶ原だ。当然連絡先を交換した記憶はないから、どこかの会話グループから引っ張って友達追加したのだろう。

 

「……どうすりゃいいんだこれ」


 俺は突然突きつけられた難題に頭を悩ませる。

 だが、無視するわけにはいかない。

 ──知ってしまった以上、もう後戻りはできないだろうから。


『了解』


 俺はそう短く返事を打ち、何となくもう見たくなくて、スマホをベッドに投げる。

 

 ――その後、俺は一度もヨゾラにコメントを打てなかった。

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