飛び込んでく、泉の中、何も迷わずに(転)

 泉はそこそこの深さがあったが、水面からすぐ下になかなか頑強な岩があったため、良知氏はそこに頭をぶつけて死亡したのだろうということが推測された。その証拠に、頭の皮膚が割れて、出血している。溺死ではない。間違いなく、この岩が良知氏の命を奪ったのだ。

 では、なぜこんなところで頭をぶつけているのだろうか。僕にはそれが引っかかっていた。ここは宝探しエリアの外。事前に、黒府さんから立ち入り禁止だと説明されていた場所ではないか。いったいどうして、そんな場所に彼がいるのだろう。それも、相当ゲームに集中していたはずの彼が、どうしてこんなところで事故死なんかするのだ。

 僕としては怪しさは感じるものの、加瀬月さんたちの調べによれば背中を押されたような形跡はなく、事件性はないということになった。

 水に落ちて岩に頭をぶつけて死んだというのなら、そこそこの高さの場所から落ちたことになる。僕たちは、良知氏が落ちた場所を探すことになった。泉の周辺をぐるぐると回り、少し崖のようになっている箇所――ちょうど泉に真っ逆さまに落ちていけるような場所を見つける。周辺には靴のあとが見つかり、それが良知氏の履いていた靴と一致した。事前にこの山の下見に来たのでなければ、この足跡は今日ついたものであり、これが良知氏の、文字通り最期の足取りとなる。調査のために立ち入った僕たち以外の靴の跡も見つかったが、常識的に考えればそれは山の持ち主である、椎谷くんの親戚の男性のものだろうということになった。念のため、昼食から帰ってきた参加者全員の靴を調べたが、これに一致する物はなく、リュックなどに靴を隠し持っているようなこともなかったそうだ。もちろん、外に出ている間に――良知氏の亡骸が見つかる前に、その靴を処分されてなければの話だが。

 また、良知氏が所持していたスマートフォンと宝探しのビー玉はその崖に置いてあった。

 そうなるとやはり、良知氏はどういうわけかひとりで、泉を見下ろす崖のような場所から飛び降りたことになり、殺人の線はないことになる。

 これが推理小説やマンガなら、周辺の木や土にトリックの痕跡があるのだろうが、残念ながらそういったものは何もなく、加瀬月さんたちは本件を事故か自殺とみなして撤退して行った。

 しかし問題は、崖には何の痕跡もなかったということだ。もし滑り落ちた事故だとしたら、地面には滑った跡が残っているはずである。

 何もなかったということは、滑らなかったということだ。バランスを崩して、足元が地面を踏みにじった痕跡がないということは、泉の中に飛び込んだ可能性の方が高くなるのではなかろうか。

 たまたま迷い込むような場所じゃない。良知氏は、何かしらの意図があってここに来て、水の中に落ちたのだとしたら……。


 楽しいはずの宝探しで、死者が出たという事実。参加者であるバンドマンと、彼らについていた女の子たちは、信じられないといった様子で俯いていた。宝探しを機に異性とお近づきになったものの、人が死ぬという最悪のオチでゲームは幕を閉じることになったのだ。来なければよかったと、思っていたに違いない。特に、バンドマンたちからすれば大事なメンバーを失ったことになり(良知氏はギタリストだったらしい)、今後の活動にも大きく影響してしまう。

「良知は、自殺なんかするやつじゃねぇよ」

 バンドメンバーたちに話を聞いてみると、メンバーのひとりがそんなことを呟いた。良知氏の死を聞いて眉をひそめていたからだろう。眉間に施された簡単なメイクが崩れかけている。

「気にいらねぇことには真っ向から噛みついて行くし、恨みを買うことはあっても、抱え込んだ不満が爆発、なんてことはありえねぇって」

 その、彼への恨みをもっていたであろう沢辺さんが、メンバーに尋ねた。

「あなたたちも含めて、今回の参加者の中に、良知への恨みをもってそうな人はいる?」

 沢辺さんからの質問に、メンバー4人は目を丸くする。

「まさか、良知は殺されたってことか?」

 ぽろりとこぼれた「恨みを買う」という言葉を広げられることが、どういう意味なのか察したらしい。僕と沢辺さんは首を振る。

 僕は言う。

「あくまでも、可能性です。現場の状況からは、良知くんが自分で飛び込んだとしか考えられないようですから」

 だから僕は、沢辺さんから「恨み」に関する質問が出たことに、内心驚いていた。彼女も、良知氏が自殺をするような人間ではないと考えているのだ。そして、それについてただ「信じられない」と絶句するのではなく、信じられないからこそ、何かあったはずだと真実を求めている。

 黒髪の中に赤いメッシュを入れているメンバーが口を開く。

「さっきこいつは、恨みって言ったけどさ。良知はだいぶ変わったんだよ。人付き合いで不器用なところはあんまり変わらないにしても、それでも、高校の頃とかに比べれば全然丸くなったと思ってる」

 赤メッシュの言葉に、青いメッシュのメンバーが続ける。

「俺たち、高校から一緒にバンドやってきてるんだ。高校の頃はそれこそ、ライブハウスの関係者や他のバンド、観客や俺たちとさえケンカするようなことも多かったけど、今はせいぜい嫌味を言ったり悪態をつくぐらいで、手や脚が出るようなことはなくなったよ。ああ、特に女には暴力が酷かったな」

 彼の青いメッシュの位置が、赤メッシュのメンバーとシンメトリーになっているので、おそらくはライブでもふたりの立ち位置は左右対称になっているのだろうことが想像できた。

 しかし、あれでも落ち着いた方なのか。手が出る脚が出るままだったら、沢辺さんはもっと早くにサークルを止めていたかもしれないなと思う。不機嫌を隠そうとしないし、悪態も嫌味も出るなら、恨みを買うにはまだまだ十分ではあるけれど……。

 僕は良知氏との最期の会話を思い出す。僕に得点を聞いておいて、自分の点数は自分から言い出さなかった。相手を励ますことは頭にないから、相手の点数と自分を比べてしまえばどうだっていい。

 だが……。

 僕が彼のアクセサリーについて尋ねたとき、少しだけアクセサリーを隠したあの動き。そのときの表情。声のトーン。あれは、ある種の照れ隠しだったような気がする。

「大学で変わってきたっていうなら、そのきっかけって何かしら?」

 沢辺さんがメンバーに質問した。その言葉に4人は目を合わせて、少しだけ俯く。だが、何か都合の悪いことを隠そうとする仕草ではなく、彼のことをいとおしむような、少しの笑みが浮かんでいた。

 口を開いたのは、他のメンバーに比べて腕が太い、ドラム担当だと思われるメンバー。

「好きな女がいたらしい。さっきはあんたにもナンパだなんてからかわれたが、バンドマンは女の乗り換えが早いやつが多いんだ。なのにあいつは、その相手の女を意外にも一途に想い続けてたから、俺たちの女遊びにも付き合わなかった。少しでも好かれるように、やさしくなろうとしてたのかもしれないな」

 僕がサークルの部屋に行ったあの日、黒府さんが想い人である椎谷くんを見つめていた。そして、それを恨めしそうに睨んでいた良知氏。

 良知氏は黒府さんに好意を抱き、変わろうと努力していたのかもしれないが、なかなか実らず、失意の中で自殺をしたのだろうか。


 バンドマンたちへの聞き込みを終えて、念のために黒府さんや実花さんたちのご友人4人にも話を聞いてみたが、彼女たちからは有益な情報は得られなかった。というのも、彼女たちは今日が良知氏との初対面だったらしく、彼については何も知らなかったからだ。もちろん、彼女たちの言葉の全てが真実だとしたら、という前提に基づいているが。

「沢辺さんは、これが自殺だと思いますか?」

 僕はあえて、聞いてみる。彼女は首を振った。

「良知は、殺されることはあっても、自分から死ぬことはないと思う」

 殺されることはあっても、というのはなかなかの酷評だなと、改めて思う。だが、彼女も僕と同じ気持ちだということがわかって、安心する。

「そんな、繊細な青年には見えませんもんね」

 僕は鼻から息を吐きながら言った。

「あいつが繊細だったかどうかはさておき」

 泉の周りを調べながら、沢辺さんが言う。

「こうして近くで見れば大きな岩が待ち構えているのはわかるけど、あの崖の上から見たら、水面に近づくまで岩の存在には気づかなそうね」

 僕たちは、その小さな崖へと向かった。最初は勝手がわからずに迷子になっていたが、今となっては簡単に崖や泉、入口のバス停を行き来することができる。何なら、ここで生活できそうだ。

 生活といえば、泉の近くには小屋のようなものが建っている。椎谷くんの親戚の男性が住んでいるらしいが、しばらく小屋を空けているそうだ。だからこそ、僕たちは今日この山で宝探しができたのだが。

「良知くんはダイミングを趣味にしていて、宝探し中に泉を見つけ、無性に飛び込みたくなった。いざ飛び込んでみたものの、眼下に岩が迫ってきて、もうどうしようもなくなって頭を強打。そのまま死亡、というのはどうですか?」

 なんてことを言ってみたのだが、何も返事がない。ちらりと沢辺さんを見ると、眉をひそめてこちらを見ていた彼女と目が合う。

「それが、今回の名探偵の推理?」

 明らかにそれが軽蔑の眼差しだったので、僕はゆっくりと、しかし力強く首を振った。

「冗談です」

 小さなため息をついてから、沢辺さんが呆れたように言った。

「河童場くんはね、誠実なところが魅力なんだと思うの。もちろん、私好みではないんだけどさ」

 その付け加えは果たして必要だったのだろうか。いや、さほどショックではないにしても。

「真面目にしてればいいのよ。面白いことをしようとすると、面白くなくなっちゃうわけ」

 たしかに、僕が「1発逆転の、100点ビー玉とかないですかね」なんて発言をしても、良知氏はピクリとも笑ってくれなかった。何なら、表情を曇らせた可能性さえある。だからこそ、慌ててアクセサリーの話題を振ったわけだけど。

「良知くんは、黒府さんのことが好きだったんでしょうか」

 ぽつりと呟く。ちょうど、問題の崖についた時だった。

 何の変哲もない、ただの崖。小学校や中学校で、プールに飛び込んではいけないとしつこく言われていたのは、まさにこういうことだったんだろうな。水面の下に何があるかわからない状況で飛び込むのは、文字通り自殺行為になりうる。

 プールのような場所であれば、そこに人がいるかも知れず、被害者どころか加害者になることもありうるわけだ。飛び降り自殺をした人が、たまたまそこを通りがかった人にぶつかり、ふたりとも死亡、なんてニュースをたまに見るが、それも似たようなものだろう。最も、今回の衝突相手にして被害者である岩は、良知氏とは違ってピンピンしていたけれど。

 ……はて。岩か。妙に何かが引っかかるのだが。

「黒府のことが好きだけど、報われなくて飛び降りた、なんてことも考えられるわね。それこそ、ガラじゃないけど」

 沢辺さんの言葉に、僕は小さく頷く。ありえなくはないと思いつつも、完全に同意はできない、という頷き。沢辺さんも同じような気持ちなのか、表情の曇りは晴れず、自分の言葉に自分で呆れ笑いをした。

「あえて今日の日に飛び降りたのは、黒府が頑張って考えた企画に対しての当てつけだった、とかね」

「黒府さんからすれば、たまったもんじゃないですね」

 僕は先日の、実花さんとの会話を思い出す。

「黒府さんは、普段自分で謎や仕掛けを企画して、楽しむ側になれない良知くんのために今回の宝探しを考えたって言ってたようですよ。そして、たぶん良知くんは、何となく黒府さんのそういう気持ちをわかってたんじゃないかと思います。だから、今回はかなり本気で取り組んでいたはずです。適当に時間が経つのを待つでもなく、僕に得点を聞いて、勝ちを獲るために挑戦していました」

 そんな彼が、わざわざ命を捨てて。黒府さんの努力に泥を塗るようなことをするだろうか。もしそのつもりなら、真面目に参加などせず、ゲーム開始数分で自殺を試みたような気がする。

 それに、もし当てつけであったならば、こんな見つけにくい場所で飛び込みなんかするだろうか。例えば、政治的な訴えが焼身自殺として現れる場合もある。周囲への影響を考えれば甚だ迷惑ではあるが、見た目的にはかなりインパクトがあるはずだ。お前のせいで、こんなことになったのだと。

 実際の、頭の割れた良知氏を見たら、そこそこグロテスクでメッセージ性はあるかもしれないが、肝心の黒府さんが見てないのでは意味がない。まさか、僕か沢辺さんへの当てつけだということもないだろう。沢辺さんはここしばらく良知氏とは関わりがなかったわけだし、僕にいたってはほとんど初対面だ。

「ねぇ、河童場くん」

 沢辺さんが、崖の下を見ながら言った。……目線はたしかに崖の下の泉に向けられていたが、実際は何か考えごとをしていたようで、その横顔の焦点は定まっているように見えない。

「もしこれが、誰かの仕組んだ殺人だったとしたら――巧妙に靴の跡や指紋を隠して、誰かが良知を突き落としたものだとしたら、誰が一番疑わしいかな?」

 その言葉に、僕は少しだけ怯んだ。

 サークルメンバーの中に、犯人がいる?

 いや、まさか。事故や自殺は考えにくいが、まだ殺人だと決まったわけじゃない。それこそ、背中を押した痕跡等が出てこない限りは、断定できないのだ。

 椎谷くんに黒府さん、そして実花さんの顔を思い浮かべる。良知氏がいなくなった時間を推測するために、持っていたビー玉を見せてくれた彼らの顔を。悪人顔はいない。誰も彼も、やさしい表情をしていた。その裏に、殺意を抱いていたなんて思いたくない。

「いかんせん、宝探しの最中の出来事ですからね。自分自身もちゃんとゲームに参加していないと後で疑われる。途中から追いかけようにも、良知くんの位置を正確に把握するなんてできないと思いますよ。参加者には無理です」

「そう、参加者にはね」

 彼女の言葉の意味が、一瞬わからなかった。

「――まさか、今日来ていない芽方くんを疑っているんですか?」

 沢辺さんは頷かない。しかし、否定もしなかった。

「たしかに、宝探しに参加していない芽方くんなら、最初から良知くんを尾行することは可能かもしれません。でもそれだと、他の参加者に姿を見られる可能性も出てきます。例えば、今日たまたま良知くんと話をしている僕とかに。芽方くんは今日、体調不良で休んでいたんですから、目撃されれば間違いなく疑われてしまうでしょうし……。それに何より、芽方くんにそんなことをする動機がない」

 僕は、芽方くんの犯行ではないことを必死に証明しようとしている。今日会えなかった彼――先日の1回きりしか会っていない彼をかばっているのは、彼のためというより、沢辺さんのためだった。彼女は今、自分の友人のひとりを疑っている。かつて所属していたサークルの友人に、疑惑の目を向けてしまっているのだ。彼女は既に、想い人が罪を犯したという現実に打ちのめされていた。これ以上、彼女の周りでよくない事件が起きてしまえば、彼女はどうにかなってしまうかもしれない。

 僕は慌しく舌を動かす。

「それに、誰かがもし刃物を持って良知くんを追いかけたら、崖に追いこむくらいのことはできるかもしれませんが、ここに残っている足跡はとても追いかけられてできたようなものじゃない。そういう状況であったなら、もっと土が盛り上がったり、草が散らかったりしているはずなのに。ということは、彼は誰にも追いかけられていないし、こんなところに迷い込むことも――」

 迷い込むことも、ないのだとしたら。じゃあ、いったい何なのだ?

「――とにかく、もう少し話を聞いてみましょう。サークルの人たちに、良知くんのことを。沢辺さんの知らないことも、きっとあるでしょうから……」

 事故なんかじゃない。自殺なんかじゃないだろう。そんなことを言っておきながら、今はこれが事故か自殺であることを、祈ってしまっている。あるいは、もし誰かの手によって良知氏が命を奪われたのなら、その犯人は、見知らぬ誰かであって欲しい。通り魔的な、たまたま通りかかった誰かが……。

 ……こんなところに、たまたま誰かが通りかかるわけがなかった。




「良知の悩みやトラブル、ですか」

 良知氏の死に動揺を隠せない黒府さんを沢辺さんと椎谷くんがなだめている間に、僕は実花さんに色々と質問することにした。

「良知くんは、泉の中の岩に頭をぶつけて亡くなりました。ただ、良知くんがそこにいたのが謎なんです。泉の周辺は、実花さんの禁止していたエリアだったからです。そんなところを探しても、得点の書かれたビー玉がないのはわかりきっているはずなのに」

 実花さんは、僕の言葉に頷いてくれる。

 乱歩の本を読んでいるという共通点もそうだが、彼女はなんというか、非常に波長が合う感じがする。あまり気を遣わず、気楽に話ができる感じ。

「つまり河童場さんは、良知が自殺をしたのではないかと考えてるんですね?」

 僕は彼女の言葉に頷いた。ただ、これは嘘だ。繰り返すように、僕は自殺だと思っていない。しかし、殺人だとも思いたくなかった。真っ先に疑うべきは、ゲームの存在を知っていながらゲームに参加していない、芽方くん――沢辺さんの友人のひとりなのだから。

 だからまず、自殺であるかどうかの判断をする必要がある。自ら命を断たなければならないほど追いこまれていたのかどうか。これらは、バンドメンバーの方からは何も得られなかった。しかし、わざわざ今日を選んだのなら、それは宝探しと関係しているのではないだろうか。誰かへの当てつけだとすれば、それはいったい誰に対してのものだろう。

 もちろん、実花さんが良知氏を追いこんでいた犯人――物理的に崖から突き落としたわけでなくとも、精神的に追いつめていた人である可能性もある。そんなこと、考えたくもないが。そしてそうだとしても、それが実花さんから引き出されるとは思えない。

 結局のところ、実花さんからは「良知氏と他のメンバーの確執」について引き出すことしかできないのだ。

「自殺するほどのことかは、わからないんですけど」

 実花さんが話し出す。僕は彼女の目を見る。レンズ越しの瞳。澄んだ瞳で、何だか恥ずかしいが、今はそんな場合じゃない。

「良知は黒府と、このゲームで良知が1位になったら交際する、という賭けをしていたようなんです」

 報酬、あるいは罰。そんな話を、ついさっきしていたことを思い出す。

「それは、黒府さんも了承していたんですか?」

 実花さんが頷く。

 はて、それは奇妙だ。黒府さんは椎谷くんのことが好きなはずだから、そんな賭けを引き受けるメリットがないではないか。

「それを受けるよう勧めたのは、私なんです」

 僕は顔を上げる。

「良知は結構、黒府にアプローチしていたようですから。相談を受けることも多かったんですけどね。良知が1位になったら付き合うけど、1位以外なら、2度と恋愛対象としてアプローチをしない、というのを条件として提示するように言ったんです。彼女やさしいから、強く拒否することもできないでいたので……」

 なるほど、友人を想ってのことだったのか。たしかに「1位以外」という条件ならそちらに傾く可能性が高いし、今回は黒府さんが企画に携わっているから、ハンデがあるとはいえどゲーム的に有利でもある。それに、黒府さんがうまく得点できなくても、同じく企画に関わった実花さんが1位になってふたりの交際を妨げることができるわけだ。よほど気合を入れないと、黒府さんを自分のものにできないことになる。

 ああ、そうか。良知氏が呟いていた「これから俺のものにするんだ」という言葉は、ゲームに勝って黒府さんと交際するという意味だったんだ。

「もしかすると、私がそんな条件を出したから、良知は……」

 実花さんの体がフラつく。バタリと倒れこみそうになるのを、かろうじて支える。ふわりといい香りがして、歯を食いしばり、鼻の息を止めた。

「実花さんの、せいじゃないですよ。あなたは友達のことを、想っただけですから……」

 ゲームで1位になったら、黒府さんを自分のものにできる。もしゲームの進行中に、1位になれる自信がなくなったとしたら? 決して恋が実らないことを悲観して、立ち入り禁止の場所で飛び込んで自ら命を……。

 結果がわかったあとに目の前で焼身自殺ならまだしも、ゲーム中にそんなことをするだろうか?

 自分を責める実花さんの背中をさすったり、叩いてあげることは勇気はない。けれど、実花さんは何も悪くないはずだ。大丈夫ですよと、僕は彼女に繰り返し小さく呟く。


 黒府さんの気持ちが落ち着いてきたところで、入れ替わるように実花さんが自分を責め始めてしまった。自分なりに推理をしているつもりだったが、故意による殺人じゃないかもしれない中で、僕は不必要に人を傷つけたのかもしれない。これで実花さんが自殺でもしたら、いったいどうするつもりなんだ、名探偵。

 実花さんのことは引き続き沢辺さんと椎谷くんに任せて、僕は話ができるようになった黒府さんから話を聞くことにした。事故であってくれ、自殺であってくれと思いながら、事故であるはずがない、自殺であるはずがないと考えてしまう、アンビバレントな僕の内心。事故でいいじゃないか。いったいどうして、これ以上墓を掘り返すようなことをしなければならないのだ?

 先ほど加瀬月さんに言われたことを思い出す。これは単なる事故なんだ。君が責任を感じる必要はないし、聞き込みをしてぐちゃぐちゃとした人間関係を暴き出す必要もない。その通りだ。たった今、実花さんを追いこんでしまったばかりじゃないか。なのに、どうして僕はまだ、黒府さんから話を聞こうとしているんだ。

 いや、違う。そうじゃない。僕がこうしているのは、黒府さんをも追いつめようとしているからじゃない。

「実花さんから、黒府さんと良知くんが賭けのようなものをしていたと聞きました」

 実花さんのせいじゃないということを、証明するためだ。もちろん、代わりに黒府さんや椎谷くん、そして芽方くんに罪をなすりつけるためでもない。誰のせいでもないと、僕が言わなきゃいけない。事態を引っ掻き回した僕が、責任を取って安心させなければ……。

「そのせいで、彼女は自分を責めてしまっているんですが……。その話のことを、教えてくれませんか? 実花さんではなく、黒府さんの立場から……」

 黒府さんは、こくりと頷いた。

「既に聞いているとは思いますが、この賭けは良知くんから出されたものでした。今回の宝探しで1位を獲ったら、自分と交際してほしい、と……。私はそれを実花に相談し、賭けを受ける条件として、もし1位になれなかったら、私と良知くんはずっと友達のままでいることを約束させました。でもそれは、私を想ってのことなんです。私は良知くんのことが嫌いというわけではないし、いい友達でいたいと思っていたから、強く拒否することもできないし、これをひとつの機会だと思えば、と……。それに、私は……」

 彼女が口を閉じる。僕は続きの言葉を予測した。

「あなたは、椎谷くんのことが好きだから」

 黒府さんは、首を縦に振る代わりに瞼を閉じる。ゆっくりと頷くように、長い時間。

「だから彼女は、ゲームで私が1位になったら、椎谷くんに告白しなさい、と言ってくれました。もしそれがうまくいけば、良知くんも納得する――諦めやすいだろうからって。そして実際に今日私は、66点という参加者トップの点数を獲りました」

 彼女の目線がちらりと、実花さんを心配する椎谷くんの方に向けられる。

「そんなことしてる場合じゃ、なくなっちゃいましたけど」

 何ともいえない空気が、しばらく流れた。彼女がこちらに向き直ってから、僕はもうひとつ質問をしてみる。

「黒府さんは、良知くんのことを嫌いじゃないと言っていました。彼のスマートフォンについているアクセサリーは、あなたが彼にあげたものですか?」

「ええ、そうです。1週間くらい前に、実花とふたりでプチ旅行に行ったんですけど、そこで買いました。とはいっても、サークルの他のメンバー3人に向けて、ですけどね。実花も3人分のプレゼントを買っていたので、メッセージカードと一緒に預けて、実花から渡してもらったんです。ちょうど彼女が、ギフト用の袋を持っていたようですから」

 思い出しながら語られる、彼女の言葉を受け、一拍置いてから僕は言った。

「良知くんは、それをとても大切そうにしていましたよ。黒府さんからすれば、もしかすると迷惑だったかもしれませんが、彼があなたを想う気持ちは本物だったんだと思います」

 黒府さんが顔を上げる。少しだけ、頬のあたりが引きつっていた。涙を堪えているような表情。

「――良知くんは、私を恨んで、飛び降りてしまったんだと……」

「大丈夫です。……あなたが悲しむようなこと、彼はしないはずですから」

 安心させる言葉。実際、良知氏が黒府さんへの当てつけのために自殺するようなことは起こりにくい。少なくとも、僕ならそうだ。想い続けていた人が、できるだけ悲しい想いをしないようにしたいから。

 ただそれは、黒府さんに対して――想い人に対しての話だ。もしかすると、命を犠牲にして届けたかったメッセージは、黒府さんではなく、彼女の愛を受ける椎谷くんに当てたものだったのかもしれないなと思う。

 俺は死んだぞ。彼女から告白を受けたとして、お前はそれを受けることができるのか。俺の恨みはお前に向いているのだ、と。


 今日のところはひとまず、バンドメンバーや黒府さん、実花さんおよびその友人たちには帰ってもらった。彼らを見送ったバスの停留所で、僕たちは大雑把にこれまでの話を彼に報告することにした。もちろん、黒府さんが椎谷くんを好きなことや、良知氏がその椎谷くんを恨んでいたかもしれないことは伏せたけれど。

「へぇ、良知くんが黒府さんのことをねぇ……」

 快活な彼にしては珍しい、複雑な表情。サークルの代表は椎谷くんなので、

「みんな、黒府さんのことが好きなんだね。まさか同じサークル内で、彼女を恋慕う男がふたりもいようとは……」

 椎谷くんが言った。

 ……うん? ふたり?

 僕が突っ込むよりも先に、沢辺さんが切り込んだ。

「ねぇ、ふたりって言った?」

 あまりにも彼女が前のめりに言うもんだから、さすがの椎谷くんも少し怯んだようである。彼はまぶたをパチパチと動かしてから頷く。

「そのもうひとりって、誰? まさか、あんた?」

 沢辺さんの言葉に、先ほどとは少し違った表情で驚いた彼は、吹き出すように笑った。

「いやいや、違うよ! 僕じゃなくて、芽方さ!」

 椎谷くんの、悪気のない笑顔の回答。沢辺さんが、わかりやすくため息をつく。どうしてがっかりされるのか、椎谷くんには心当たりがないようである。

「……ちなみに、黒府の好きな人って想像できる?」

 沢辺さんが、核心に迫る質問をぶつけた。少しはたじろぐかと思ったが、椎谷くんはきょとんとした顔で首を振る。

「まったく、こんな男のどこがいいんだか……」

 ぼそっと呟く沢辺さん。僕は苦笑を浮かべる。

 しかし……そうか。芽方くんも黒府さんに恋をしていたんだ。そうなると、良知氏とは恋敵の関係になるわけで……。

 こい、がたき。

 ふと嫌な予感がして、僕は苦笑を消して椎谷くんに尋ねる。

「芽方くんは、良知くんのこと何か言ってませんでしたか? 憎んでたり、恨んでたり……」

 その言葉に、椎谷くんは目を丸くして叫んだ。

「まさか、芽方を疑っているのかい!?」

 あまりにもその声が大きすぎて、僕と沢辺さんは耳を塞ぐ。その様子に気づき、彼は今更口を両手で押さえる。

「ごめんよ。まさか、幼なじみともいえる彼が疑われるとは思わなくて……」

「いえ、こちらこそすみません……。僕としても、彼を完全に疑っているわけじゃないんですけどね。ただ――言い方は悪いですが、参加者よりも参加してない人の方が怪しまれずに動けるのは確かですから……」

 椎谷くんは唸った。

「誰かが良知を突き落としたような痕跡は、何もなかったんだよね? だとしたら、芽方が何かをしたというのは難しいんじゃないかな……」

 僕は頷く。悔しいが、それについては彼の言う通りだ。

「そもそも、あの泉の周辺は立ち入り禁止ゾーンだったのに、そこに彼がいるということが不可解なんです。自ら飛び降りたのだとしたら、どうしてもっと人目につくような場所で死ななかったのかが引っかかります。仮に自殺だとして、これがひとりのときに行われるならまだしも、今日という日に実行するのなら、発見者がいないと意味がないと思うんです」

「たしかに、ひっそりと焼身自殺をするような人はいないしね」

 まさに、その通りである。なかなか的確なことをいってくれるじゃないかと感心した。

 沢辺さんが言う。

「私もね、自殺じゃないと思うのよ。宝探しに自分の恋愛の行く末を賭けていたのだとしても、せめてゲームの決着がついてから命を断つと思うの。それに……」

 沢辺さんが、そこまで言って口を閉じた。

「……それに?」

 僕は続きを促す。彼女はちらりと僕を見て、自信なさげに呟いた。

「良知のスマホとビー玉が、崖のところに置いてあったでしょう? これから死のうとする人間が、わざわざそんなことすると思う? ポケットに入ったまま飛び込んだって同じでしょ? スマホに遺書のデータがあるなら、話は別だけど……」

 たしかにそうだ。これから命を断とうとしている人間が、わざわざそのふたつを丁寧に置くとは思えない。

 まさか、ダイイングメッセージか? いや、それは難しいだろう。良知氏が手に入れたビー玉は、ゲームの中の早い者順という偶然によって得られたものだ。そこから意図的な暗号を作り出すことは不可能に近い。

 そうなると考えられるのは、やっぱり良知氏は死ぬつもりなどなく、失くすと困るものをあらかじめポケットから出しておいて、崖から泉へ飛び込んだ、とか。

 いったい、何のために? 泉の底に、金の斧と銀の斧をくれる精霊がいたわけでもあるまいし……。

「あの泉は、何かいわくつきだったりしませんか? 埋蔵金が沈んでるとか、そういう神秘的な……。そういう話、親戚の男性から聞いてませんか?」

 問いかけられた椎谷くんは豆鉄砲を食らった鳩のような顔になり、隣の沢辺さんは唇を尖らせ、わかりやすく不満な表情をつくった。

「いや……。だって、そういうのがなければ、あんな泉の中に飛び込むなんてしないじゃないですか。ビー玉とスマホをポケットから出したのは、それをあとで回収するためだとしか思えません。普通、飛び降り自殺の現場に残っているのは靴でしょう?」

 沢辺さんがため息混じりに言う。

「別に、靴を揃えなきゃいけないわけじゃないでしょうに……。もう少し、アッと驚くような着眼点はないわけ? 名探偵でしょ?」

 沢辺さんの言葉に、僕は少しだけムッとしながら返した。

「そもそも、僕のやっていることは推理なんて格好のいいものじゃないんですよ。それに、昼食も取らずに山の中を歩き回ってるんですから、空腹で頭が回らないんす。そういうことにしてください」

 僕の言葉に、沢辺さんが鼻で笑う。あまり不快にならないのは、それだけ僕たちの関係性が親密になっているからか、僕に被虐を好む傾向があるからか。

 僕の何気ない一言に、椎谷くんが驚いた。

「ああ、そうだったね! 僕たちは、ふたりがいろいろと調査をしてくれている間に昼食を取っていたけれど、ふたりはまだ何も食べていないんだった! せっかくだから、泉の小屋で何か食べていかないかい? 宝探しが終わって、打ち上げのようなものをする予定だったから、色々と食材を買いこんでしまっているんだ。残ったら残ったで、叔父に使ってもらえばいいんだけど――厄介なことに巻き込んでしまったからね。せめてものお詫びに、何か手料理を振る舞わせてほしいんだ。意外に思うかもしれないけど、結構料理は得意なんだよ」

 僕と沢辺さんは顔を見合わせる。

「……椎谷の手料理なら、黒府も呼んだ方がいいかしら」

 僕は苦笑いをして、大きく首を振った。


 椎谷くんはウエストポーチから鍵を取り出す。緑色のキーホルダーがついている。まりもに目玉がついたようなキャラクター。どこかで見たことあるような――ありがちなゆるキャラか何かだろう。

「キーホルダーも何もない鍵だったから、失くしやすいと思ってね。ちょうど実花さんから旅行土産をもらったから、それをつけてみたんだよ。かわいいでしょ?」

 斜面をゆっくりと下りながら、沢辺さんがそのキーホルダーをじっと見つめている。

 木々の隙間から、小屋が見えてきた。僕はふたりよりも先に、その小屋の違和感に気づく。

「……あの小屋、電気が点いてますよ」

 誰かがいるかどうかまでは見えなかったが、小さな窓から、電気が点いているのが見えた。

「椎谷の叔父さんが、帰ってきてるんじゃない?」

 沢辺さんの言葉に、椎谷くんが首を振る。

「いや、ここの鍵は叔父から借りているこれだけだよ。合い鍵はないはずだから、ここに入るなんてことは……」

「じゃあ、電気を消し忘れてたとか?」

「いいや、叔父から鍵を借りたときに、小屋の電気はすべて消した。間違いない」

 じゃあ、いったいどうして電気がついているのだろう。タイマーで家電が起動するならまだしも、照明がひとりでに点くのは考えにくい。

 僕の呟き。

「じゃあ、誰かが中にいるということに……」

 沢辺さんと椎谷くんの表情が強張った。

 僕たち3人は、小屋のドアの前に立つ。窓から覗いても、人の姿は見えない。もちろん、死角にいる可能性はあるけれど。

 緊張しながら、椎谷くんが鍵を差し込んだ。くるりと、鍵を右に回す。


 いや、回そうとした。


「――どうしよう。開かないよ、これ」

 椎谷くんが、不思議そうな――少しだけ、恐怖の入り混じった――声を漏らす。

 僕は窓をじっと見つめる。誰かが出て来ないものかと、待ち構えるように。しかしそこには、珍しく顔を緊張させている沢辺さんの表情が、反射しているだけだった。




(結に続く)

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