四 表裏一対

 さて、狄青てきせいのいないこの六年間、開封の宋朝廷では一体何が起きていただろうか。結論から言えば、当時の人々は、そこに改革、保守二派の権力闘争の原型を見ていた、ということになる。

 中央から遠ざかっていた狄青には、直接関係が無いように見えるが、彼の「恩人」たるところの范仲淹はんちゅうえんがまさに渦中の人であったから、彼の経歴を述べずに物語を先へ進めるわけには行かぬ。

 范仲淹その人が、まことに私心なく、常日頃から謹厳実直、自分に厳しく人には優しく、を実践し、人望も厚かったということの片鱗は、先にちらりと述べた。

 端拱たんきょう二(九八九)年生まれのこの老臣は、二十六歳で進士となって以来、広徳こうとく軍司理参事、秘閣校理ひかくこうり、仁宗の親政の折には都に呼び寄せられて吏部員外郎、といった具合にトントン拍子に出世した。そして、時の宰相であった呂夷簡りょいかんに向かって、

「臣下たるものは派閥など作るべきではない。私服を肥やすべきではない」

 と、議会の場で堂々と意見してしまったのだ。怖いもの知らずの若さと、彼が本来持っていた正義感に突き動かされたゆえであろう。

 いつの世でも、同じ考えを持った者同士で群れたがるのが、人間という生き物である。したがって、宋の朝廷の中にも派閥はある。ただし范仲淹個人は、その「派閥」という言葉を嫌っていた。

「私は君子の朋党だよ。臣下たる者、君子を第一としていればよい。派閥など作る必要があろうか」

 と、彼は内外で常々言う。

 そんな彼を支持していたのが、余靖、尹洙、富弼ふひつ欧陽修おうようしゅうらであり、これらの人々は宋代の士風を形成した政治家としてだけでなく、文人としても後に名を馳せることになる。

 そんな彼らの訴えることだから、呂夷簡の件は、恐らく真実であったに違いない。その結果、范仲淹は饒州じょうしゅう(現上饒じょうじょう市鄱陽県)に左遷されてしまったのだが、

「まあいいさ。生まれ育った場所を離れて他の地を見る。これもまたきっと、後の人生に活きてくる。どんな不遇に見えることでも、己に役に立たぬことなどないよ」

 都を去る折、彼を惜しむ仲間に范仲淹は歌でも歌うように言ったものだ。

 この時、徹底して范仲淹を庇い、時には越権行為をもしたというので、欧陽修も左遷され、夷陵いりょう県令に任じられてしまっている。こうして、范仲淹を中心に、若く英邁な四代皇帝の元で形成されかけていた「改革派」は、なんとなく瓦解してしまった。

 この欧陽修、左遷された十年後には、諫官として再び中央に復帰し、宋夏戦争に功労があった范仲淹を副宰相に推した当の人なのであるが、彼はどうやら、左遷される前の若い頃に持っていた情熱を、そのまま持ち続けていたらしい。

 宋夏戦争終結一年後、韓琦や狄青より一つ年長なだけのこの熱血漢は、副宰相となった范仲淹が富弼と取り決めた施策を、

「民のことを第一に、官を後に。これを良策と言わずして何といいましょう」

 などと、ことあるごとに年下の皇帝へ吹き込み続けた。

 その施策の名は、新政十則という。十則というのは、信賞必罰の徹底、僥倖の抑制、若い人を抜擢する、長官人事の慎重化、農業生産の振興、水利の整備、税制の公平化、命令遵守、軍隊に下された命令の徹底、軍隊の再編成を指す。

 現代では……建前の部分はあるにせよ……当たり前すぎるくらいに当たり前のことが、当時は斬新な政策として出されていたのであるから、宋朝廷の腐敗は推して知るべしであろう。

 だが、欧陽修は少々急ぎすぎた。確かに仁宗は北宋時代における、太祖と並んで英邁な気質を持った君主である。ために有能な重臣が多く集まった彼の治世は、後に康暦の治と呼ばれるほどな名誉を受けたが、

「古きも新しきも関係なく、なるだけ多く、広くの意見を受け入れたい。一方だけに偏るのはよろしくない」

 とも考えていたから、あまりに性急な改革を進めようとする欧陽修を、

(諫官、という立場を良いように利用しているのではないか。俺が自分よりも年下だからといって、何でも言うことを聞くと思っているのではないか)

 と考えてしまったとしても致し方ない。

 それから千年後の現代、改めて眺めて見ても、先の十則は決して悪い制度ではない。だが、あまりにも熱の入りすぎた欧陽修の態度は、「朋党」の仲間からも危険視されるようになってしまったのだ。

 そして欧陽修は、今度は滁州(現安徽省)へと、再び左遷されることになった。韓琦もしばしば諌めたし、

「君は少し、肩に力が入りすぎだよ」

 特に范仲淹からもそんな風に苦笑して言われた、ほぼ直後のことである。これが范仲淹らが戻ってきて一年程度しか経っていない頃であるから、欧陽修の急ぎ方がどのようなものであったか、そして新進気鋭の若い皇帝が、それをどれだけ不快に思ったかが大変に良く分かる。

 范仲淹は、それからも彼が掲げた政策を何とか推進しようとした。韓琦もそれを良く助けたが、いかんせん、先の欧陽修が、

「皇帝の怒りを買ってしまった……」

 こともあって、改革派の心はかなり萎縮してしまっている。ゆえに、せっかく掲げた政策も保守派によってことごとく妨害され、日の目を見ぬままにおわってしまったのだ。




 それから、ほぼ六年半が経った皇祐四(一〇五二)年、開封城内全体が、まさにわっと沸き立った。宮城周辺にある自宅にまで伝わってくる歓呼の声に、韓琦は書面に走らせていた筆を止め、顔を上げた。

 部屋の外で、范仲淹からの使いが家人と共に立っている。

(一躍、時の人となった、ということか)

 わざわざ報せに来てもらわずとも、かの刺青将軍が凱旋したらしいことは、その騒ぎで分かる。范仲淹が律儀に寄越したその使いへ手を振って去らせ、韓琦もまた、宮城へ向かうべく準備を命じた。

(ああ、そうだ。大変に喜ばしいことなのだ)

 邸宅を出つつ己に言い聞かせて、

(なぜ私は、私に言い聞かせているのだ。彼が手柄を立てた。誰の目にも明らかで、私は彼を評価していたはずだ。彼の出世は、私にとっても大変に喜ばしいことのはずではないか)

韓琦は密かに苦笑した。かの戦いが集結して以来、

(私と同年。私とは比べ物にならないほどに大きな手柄を立てた。そのおかげで、私も出世できたのだから)

 彼の名を聞かされるたびに、胸の中に突き刺さった何かが、鋭く爪を立てるような気がする。それを(まさに気のせいだ)と結論付けながら、宮城への門をくぐったところで「韓琦殿」と、范仲淹に声をかけられた。

「貴方もこれから宮城へ?」

「はい。范仲淹殿も、このたびは、まことにお疲れ様でした。これであの折の戦いに参加した者は、全て無事に帰還した。めでたいことです」

 彼に慇懃に頭を下げ、口辺に笑みを浮かべながら韓琦が言うと、「ああ、貴方もお疲れでした」と、范仲淹は彼と並んで広間へ歩き出す。

「皇帝陛下は、彼の到着を待ちわびていらっしゃる。かくいう私もだが」

 そしてどうやら范仲淹は、韓琦も己と同じ気持ちでいると信じ切っているらしい。祝賀の準備にざわめきたっている宮殿の天井を仰ぎながら、

「かの刺青殿は、あの年で独り身らしい。一国の副将軍に嫁がいないというのは格好がつかぬ。貴方には、たれぞ良い女人の心当たりはないか」

 だの、

「彼の屋敷を建てるに相応しい土地は、まだ宮城周辺にありましたかな」

 だの、狄青について語るその言葉には、溢れんばかりの好意が感じられる。謁見の間に近づくに従って、美味そうな料理の匂いはいよいよ濃く、

「彼は、果たしてそのようなことを望んでいるのでしょうか」

 広間のまえでついに足を止め、思わず口に出して、韓琦は少しく狼狽した。その狼狽を取り繕うように、

「いや……女人については、私に心当たりがあります」

 (おや)といった風に己を見ている年長の同僚へ、韓琦は早口で続ける。

「亭主に死なれて後家になってしまいましたが、私の妹あたりであれば、年齢的にも釣り合うかと思います。後家ではありますが、容貌も整っておりますし、大変に慎ましく、その上貞淑な妹です」

「なるほど、なるほど。貴方の妹御か」

 韓琦の様子を表立っては咎めることなく、范仲淹は納得したように頷いて、

「貴方と親戚になる、というのなら、彼にとってもより心強くあろう。私からも勧めてよろしいか」

「私自身からも彼に話しましょう」

「ああ、それはよい」

 そこで、二人は顔を見合わせて穏やかに微笑った。

 再び前を向いて歩く范仲淹の横顔を見ながら、

(この人も年を取った)

 韓琦は思う。

 自分も彼の政策を支持していたが、欧陽修の勇み足をしばしば咎めていたし、「朋党」の中では年齢も若く、さほど重要な立場にいないと保守派に見られていたおかげで、こうして中央に残ることが出来た。

 だが、今年でもう六十三歳になるはずの范仲淹は、なんといっても改革派の中心人物である。従って先述の「失策」の責任を取らされて副宰相を外され、河東陝西宣撫使へ格下げされた挙句、穎州への出向を命じられてしまった。任地への出発は間もなくで、狄青の帰還とほぼ入れ違いという格好になるが、はっきり言えばこれも左遷である。

 老境、といって差し支えない范仲淹の心が、この扱いに果たして耐えられたかどうか。事実、赴任が決まってから体調を崩したようであるが、

「思えば、私が中央に腰を落ち着けていた日は、まことに短かったな」

 廊下の角を曲がりながら、あくまで朗々と彼は笑うのである。

 高齢でもあるし、さらには何と言っても先の戦争で多大な功績を挙げている、というような諸々の要因が重なったため、欧陽修の場合と違って、出発は延び延びになっていたらしいが、

「だが、やるべきことはやった。それが天下の心に叶わなかっただけのこと。今はただ、この宿命を受け入れるのみである。後は頼みます」

 続ける范仲淹の顔色は悪いが、しかし表情はしごくサバサバとしているようにも見える。

「はい。よく承知しております」

 韓琦は神妙に頷きながら、

(この人の体調など、詮索しても意味のないことだ。私には関係のないことだ)

 冷たいようだが、敢えてそんな風に思った。その一方で、

(この人は、天下万民のことのみを考えていた、底抜けに良い人なのだ。しかしやり方が拙かった。やはり政治というのは、信だけでは動かない。人を動かすには、ただ単に人が良いだけでは駄目なのだ)

 そんな風にも彼は考えている。

 だが、

「内政は貴方に、そして軍事はかの刺青殿に。まったく物事というのは良くしたものだ。これで私も、いつでも目を潰れようというものである」

 范仲淹が言って、歩む先に知り合いの姿を見つけたらしく「ではお先に」と側を去ってしまっても、韓琦の頬からは引きつったような笑みが張り付いたままだった。

(いけない。この私が、嫉妬などという汚らわしい感情を抱くなどは有り得ない。軍事においては、私など狄青の足元に及ばないのは事実ではないか)

 そこで彼は思わず目を閉じ、首を振る。その拍子に傍らに掲げてある蝋燭の火も激しく揺れた。その焔は、反対側の壁に俯いた韓琦の横顔を大きく映し出す。

 なんということもなしに、それをちらりと横目で見ながら、

(この上は、范仲淹が言った通り、早く彼を私の親戚にしてしまうことだ)

 そうすれば「身内のことだから」と考えられるようになり、胸の奥に刺さった棘のようなものも気にならなくなるかもしれない、と、韓琦は思い直し、范仲淹の後を追ったのである。

 二人の噂となった狄青が、宮城内に到着したのは、それからさらに半刻後のこと。ひときわ大きなざわめきが、ようやく広間の入り口へ移動して、

「来たか!」

 待ちかねていたらしい時の皇帝、仁宗は、中央の座から飛び上がらんばかりにして立ち上がり、一歩二歩、前へ踏み出す。

「枢密副使、狄青にございます」

 その時、仁宗が見たのは、筋肉の盛り上がった体を、青い縫い取りの衿がついた服で包んだ、周囲の文官より一回り以上体の大きい武人だった。

 そしてその武人は、

「このたびは、望外の位を頂きまして、まことにありがたく存じます」

 まことにぎこちなく、礼の言葉を述べて床へ膝を付き、深々と頭を下げる。

「……そなたが、狄青か」

 これが、ある程度宮廷に出入りしている他の軍人であったら、恐らく仁宗はその行儀作法を大いに笑ったであろう。だが、

「はい。左様にございます」

 とにもかくにも、異民族の侵攻から国を守ったのである。そんな大きな功を挙げたにも関らず、それを一向に誇る様子もないどころか、身の置き所がないかのように、大きな体を精一杯縮めているつもりらしい狄青の様子が、

(なんと、素朴で自然な)

「似顔絵通り、まことに良い男だ。絵描きにもたんと褒美をやらねばならぬ」

 笑って言ったこの四代目皇帝には、逆に大変に好ましいものに映ったのだ。

「将軍には、遠路はるばる大変にご苦労であった。さぞや疲れたであろう。今回の将軍の働き、まことに感謝している」

 従って仁宗は、他の軍人にはかけたことのない、しみじみとした言葉を狄青にかけた。恐縮するばかりの彼に、仁宗は続けて、

「そなたはまことに良い男だが、その刺青が玉に瑕だ。将軍となったのだから、刺青を取ったらどうか。男ぶりがもっと上がるのではなかろうか。刺青を取るための薬ならある。そなたさえよければ医師に命じて、即日、治療をさせるが、如何か」

 と言う。皇帝と狄青の様子に、満座の者が好意の視線を寄せる中、

「いえ、それは」

 狄青はそこで首を振って、すぐ右横に立っていた韓琦の眉を少し顰めさせた。

「いかぬ、というのか。それは何故だ」

 仁宗は、驚いて言った。狄青の顔に入れた刺青は、逃亡を防ぐためのものである。軍部副宰相、という地位に就いた今では、全く無用のものであろう。

 言うまでもないことながら、仁宗もまた、兵卒に刺青をさせるという習慣が、当の兵士たちには決して喜ばれるものではないことを良く知っている。ゆえに、

(皇帝の声がかり、というのでなくとも、刺青を取ることが出来るとなれば、喜んで飛びつくだろう)

 と思っていたのだ。

 しかし、

「畏れながら」

 狄青は、低い声で、きっぱりと答えるのである。

「陛下もお聞き及びのことと思いますが、刺青があったればこそ、私は面具を被って戦うことを思いついた。そして西夏兵の恐怖を引き出すことが出来た。従って、私自身にも思いも寄らぬ手柄を立てることが出来ましたのは……私が本日、こうして陛下の御前にあることが出来ましたのは、ひとえにこの刺青のおかげであると言えます」

「…ふむ」

 頷いて己の言葉へ熱心に耳を傾けている皇帝の顔を、熱を込めて見つめながら、

(俺は、奴のことも覚えておかなければならない)

 狄青の心にあったのは、宋夏戦争の直前、入れられた刺青を抉り取れと己に訴えた、かの古い仲間のことである。

 ほろ苦い思いを噛み締めながら、

「それに、兵卒であった私が、陛下のおかげを持ちまして、将軍という地位に就けさせていただいた。このことは、私にだけではなく、他の兵士たちにも大いに励みになることと存じます。まことに無礼ではありますが、どうぞご承知置きくださいますよう。私の刺青は、なにとぞこのままで。どうかお願い申し上げます」

 言い終えて、狄青は平伏した。

 与えられた席は、范仲淹と韓琦に挟まれたそれである。「良く分かった」と感心したように頷いた皇帝へ、再び深く平伏して席に付いた狄青に、

「……そなたには、本当にはらはらさせられる。陛下の厚意を無下にする言葉をそなたが口にした時には、こちらまで肝が冷えたよ」

「そなたには、欲というものが全くないのだなァ」

こもごも声をかけ、酒を注いでくれる彼らに、狄青はただ恐縮して頭を掻いたものだ。そうこうしてるうちにも、他の官僚たちがひっきりなしに彼に話しかけてこようとする。

(朝廷というのは、まことに摩訶不思議な場所だ)

 彼らの盃を受けながら、

(俺という人間は変わっていない。なのに肩書が変わったというだけで、こうも人は寄ってくるものか)

 狄青は内心首を捻り、しかし同時にただ単に「朝廷というものは、そういう所なのだ」とだけ思った。つまり、人間というものが持つもう一つの側面に気づきもしなかった、というのは、いかにも彼らしい。

 そのよい例が、この宴の最中、范仲淹が彼に向かって、

「明日からは青州へ向かう。後のことはそなたと韓琦殿に頼む」

 としみじみ言った時、

「貴方にはまことにお世話になりました。道中お気をつけて」

 と返した言葉に表れている。

 范仲淹自身、まるで気軽な旅にでも行くように語るものだから、狄青もまた(休養でもなさるのか)と、そのまま受け取ってしまったのだ。

 彼のいない間に起きた「政変」についても、帰還したばかりで詳細を知らされていない。そもそも、朝廷における戦略的な駆け引きなどについても全く知らないのだから、彼の答えにその時、范仲淹がただ黙って返した苦笑の意味を悟れなかったのも無理はなかろう。

 ちなみに范仲淹はその後、命令に従って青州へ向かったのだが、どうしたものかその後さらに、頴州えいしゅうへ移されることになる。そして頴州に赴く途上でなくなってしまうのだが……。

 韓琦から、范仲淹に関する事柄について詳細を知らされたのは、まさにその翌日のことである。

 登庁する前にまず自宅へ寄れ、と言うの彼の言葉通り、翌早朝、韓琦の屋敷を訪ねた狄青は、

「……そういうわけだ」

 と結ばれて、愕然としたように目を見張り、次いで、

「そう、でしたか」

 呟くように言った。

 狄青が通されたのは、韓琦の自室である。広さは相当なものだが、高官にある者にしては飾りつけも少なく、そこに置いてあるもので強いて目につくものを上げろと言われると、机と寝床くらいしかない。

 しばらくの間、狄青の言葉を待っていたらしい韓琦は、

「……これは私が、今までの経験から個人的に体得したことなので、大仰に述べるのは大変に恐縮なのだが」

 何とも簡単すぎる作りのその机へ歩み寄り、上に散らばっている書類を片付けながら、

「政治と言うものは、何より天下万民のためにある。いかに政策そのものがよろしくても、それが周囲の反感を買うようであれば、結果的には下策であるということだ。そなたも高官についたのだから、己が下した結論が拙ければ、その責任を取らされるのは当たり前であると、肝に銘じておくといい。ただ優しいばかりでは人は付いてこない。時には非情な判断を下すことも必要だ。私は、そう考えている」

 むしろ冷淡に告げる。

 彼の表情に瞬時、身の竦むような恐怖を覚えた狄青だが、

(これが韓琦殿の偉いところなのだ)

 とも思った。

(図らずも己は、副宰相という身分になってしまった。望んでいなかったこととはいえ、人の上に立った。そうなった以上は責務を全うすべきで、責務を全うするには、優しさと、厳しさとを同居させることが肝心だと彼は言っているのだ)

 かつて韓琦は、兵役から逃亡しようとした自分の古い仲間を処罰した厳しさを見せた。その一方で、かの戦いの間、貴重な休養時間を割いてまで、同年の己の学問を見てくれた。その間、嫌な顔一つしないどころか、むしろ狄青の学問の上達ぶりを、自分のことのように喜びさえしてくれたのだ。

 そんな韓琦の一面も思い出して、

「よく分かりました。貴方のお言葉、決して忘れません」

 狄青は頷いて答えたのである。

 すると韓琦もようやくそこで表情を緩め、

「ああ、それでいい。さて、ここからは私事になるが、実はこちらが本題だ。出仕まではまだ間はある。もう少しよろしいか」

 再び狄青が「はい」と頷いたのを見て、微笑んで手を叩く。

 閉じられていた扉が開いて、そこから姿を現したのは、簡素ではあるが上品な服装をした一人の女性である。

「私の妹だ。そなたはまだ独り身だろう。嫁にどうだろうか。亭主に死なれて後家であるし、身びいきが入ってるかもしれぬが、慎み深い女には違いない」

 そんな風に紹介され、狄青は今度は目を白黒させた。「返事は急がなくともよい」と言われたので、そのまま彼の屋敷を退出してきたわけだが、

(どうも理解不能なことばかりが起きるものだ)

 朝の眩しい日の光に目を細めながら口を一文字に結び、狄青は鼻から大きく息を吐き出した。思えばこちらの方面も、村を出て以来とんとご無沙汰だったのである。

(女、か。まったく欲しくならない時がないわけではないが)

 宮城への門をくぐると、皆が「刺青しせい」「刺青副使」などと親しみのこもった声をかけ、頭を下げてくる。それらに向かってぎこちなく頭を下げ返すと、

「軍部の建物なら、そちらを右手に曲がってすぐですよ」

 などと口々に教えてくれる。

 礼ともつかぬ「は、は」などという言葉を、口の中でもごもごと呟きながら、狄青てきせいは再び頭を下げた。すると人々は、

「あれ、見よ。なんと気取らない」

「刺青殿の純朴なことよ」

 彼の礼儀作法のぎこちなさを愛して、そんなふうに言うのである。

 好意の微笑で見送られつつ、教えられた道を右手へ曲がりながら、

(だが、俺にはその必要はない)

 既にそのことに対する結論は出ていることに、彼は今更ながら気づいていた。

 そのことを韓琦に告げねばと思いつつ、しかし韓琦のほうも、

「高源州(現ベトナム北部)において、地方豪族の一人である儂智高のうちこうが蜂起した」

「他部族どもも次々に混じって、非常な勢いであるそうな」

 という情報が流れてきたため、そのことへの対策で頭が一杯らしい。共に朝議に出て顔を合わせることがあっても、かの「縁談」には触れないまま、月日ばかりが経っていく。


 皇祐四(一〇五二)年四月に放棄した宋側「官軍」は、その五千人相手に戦う前から逃げてしまって勝負にならない。五月初めに邕州ようしゅう(現広西省壮族自治区南寧なんねい市)を占拠され、そこを守っていた脹日新ちょうにっしんなどは戦死、指揮使は囚われの憂き目を見ることになってしまった。

 これにより勢いづいた儂智高は、自らの国を「大南国」と称して宋側の官僚制度を取り入れ、兵を一万人以上に増やしたそうな。

 それやこれやで、半年も経った頃には、反乱軍によって、西江沿いの都市を九つも占拠され、広州を囲まれてしまっていたというわけである。

「我が国に従属を誓っておきながら、なんたることだ。我が国の軍隊は、やはり腑抜けばかりか」

 仁宗は苛立って、自国軍隊の不甲斐なさと相手国の不誠実さ、双方に何度も怒ったが、怒ってばかりもいられない。急遽、余靖よせい孫沔そんべんの二人を総司令官に任命し、現地に派遣すると決めて、その折の朝議は終わりかけたのだが、

「畏れながら」

 と、その時、韓琦の隣から野太い声が上がった。

「おお、刺青副使か。なんぞ良き提案でもあるか」

 仁宗が、一旦上げかけた腰を下ろして目を輝かせ、そちらを見る。どうやらこの皇帝、皆が声の主のことを「刺青殿」と呼ぶので、その口調が伝染ってしまった模様である。

 刺青殿すなわち狄青は、皇帝が己の面に注ぐ視線にいまだに慣れていないらしく、少々顔を赤くしながら、

「俺、いえ、私が行ってはなりませんか。他に赴かれる方が居られなければ、私にぜひお命じください。俺は兵士から身を起こしました。したがって、これからも戦うことで陛下始め、私を引き立ててくださった方々に報いたいのです」

 それでもはっきりと奏上した。

「それはよく分かったが、勝算はあるのか」

「はっきりとは申し上げかねますが、九割方は」

 仁宗の問いに対する狄青の答えに、隣席の韓琦ばかりではなく、その場にいた皆が思わず腰を浮かしかけた。

 半年という短い期間ではあるが、彼に接したことのある誰もが、彼が途方もないハッタリを飛ばす人物でないことを知っている。何よりも先の宋夏戦争で、狄青はそれを証明してきたのだ。

 しかし、今回は西夏と違い、気候も違えば習慣もまるで違う南方異民族が相手である。

「狄青殿。無謀なことを言ったな。私はそなたを失いたくない」

 韓琦は心配して囁いた。

 もちろん、戦いが勝利に終われば、それに越したことはない。しかしそうなると、後から行った狄青が勝ってしまうと、先に派遣された両名の立場がなくなる、とういう問題も出てくる。

「失敗した場合、私はそなたを庇い切れない。すぐに撤回なさればどうか」

「ありがとうございます……ですが、ご心配なく」

 この恩人に、だが狄青は穏やかに微笑して皇帝に向き直った。そして、

「陛下、どうかご許可をください」

 この、あまり多くを語らぬ枢密副使は、座から立ち上がって頭を下げたのだ……。


 韓琦と狄青の間で、「縁談」の話が再び語られたのは、まさにその日のうちである。

「今更で恐縮だし、ひょっとするとそなたには、もう他に良い女人がいるのかもしれないが」

 と、韓琦は前置きし、

「かの話の返事を聞かせてくれないか」

 再び狄青を自室に招いて促した。

「俺のほうこそ、あの折は突然のこととはいえすぐに返事が出来ず、申し訳ありませんでした」

 狄青は相変わらずの彼の気遣いに恐縮しながら謝罪し、

「ですが、俺には貴方の妹君を嫁には出来ません」

 しかし今回は、きっぱりとそう告げる。

(なんと)

 韓琦は驚き、内心非常に狼狽しながら、

「……何故だ、たれぞ、他の者に世話してもらったか。それとも後家であるのが気に食わないと仰るか」

(彼も高官だ。それに今は誰よりも人気がある。そういった話が他から出てこない方がおかしいのだ)

 後家である己の妹よりも良い縁談を、誰かが狄青へ持ってきたのかもしれない、と思い、日頃の彼に似ず詰問口調になった。

「いえ、そうではありません。俺なぞにそのような話を持ってきた方は、他に誰も。それに俺自身、後家だなんだと条件付で女人を選べるような身でもないと思っています」

 だが狄青はしずかに微笑して首を振るのである。

「では何故だ。君には身の回りの世話をする人間が必要だろう。何より、男子たるもの、家を成さねばならんという義務がある」

「はい、それも存じています。ですが、俺は家を成すつもりはありません」

「ならば、独り身で不自由してはいないのか。その、閨のことなど」

 よい歳をしていながら、韓琦は心持ち頬を赤く染めて言う。瞬間、いぶかしげに太い眉を少ししかめた狄青だったが、これもすぐに彼の言わんとするところに思い当たり、

「女は……どうしても己の心を制しきれぬようになった都度、妓楼で買えばよい、そう思っています。身の回りのことは、自分で始末をつけたいのです。他の人にやってもらうとなると、どうしても気を遣ってしまっていけません。それに俺は、故郷の村を出た時、嫁は生涯もらわぬと心に決めておりました」

 言い言い、頭を掻いた。

「ふうむ」

 あまりに正直すぎる答えに、韓琦も思わず大きく息を吐く。そして、

(男として不能、というわけでもないのだろう。そもそも彼は、こういう人物だったのだ)

 少し前のちょっとした事件を思い出した。


 それは、狄青が都から帰ったばかりの頃である。

 彼と二人で宮廷の廊下を歩いていると、文官の某という者が近づいてきて一礼し、

「僭越ではありますが、将軍のご先祖を調べましたところ、なんと貴方様はかの名宰相、狄仁傑てきじんけつのご子孫であると判明しました」

 何かと思えば、そんな主旨の言葉を告げたのだ。

 狄仁傑というのは、唐において存在した武則天女帝の時代、彼女に気に入られて大いに手腕をふるい、良政を敷いたという高潔な人物で、

「いや、やはり血は争えぬと申しますか、さすがは、といったところですなァ」

 ご丁寧に家系図まで作ってきたらしいかの某は、左手にしていたそれを得意げに開いて狄青に渡し、揉み手をしながら続けたものだ。

 韓琦の方は、さすがにその意図するところに気づいて、少々くすぐったそうな顔をしたのだが、対してただただ目を丸くしていた狄青の方はといえば、押し付けられた家系図へそれでも律義に目を通し、

「何かのお間違えではありませんか」

 と答えた。

 ついでに気の毒そうに某を見て、

「申し訳ないが、私は、田舎の貧農の生まれです。たまたま姓が同じであったというだけでしょう。私の先祖にそのような名宰相がいたなどと、父母から伝え聞いたこともありません。何かのお間違いか、あるいは貴方がお人違いをなさっているのでは、と思いますが」

 太い首を捻りながら真っ正直にそう続けたのである。

 某は首筋まで赤くして恥じ入り、口の中でなにやらもごもごと呟いた後、頭を下げて去っていった。二人の会話を傍らで韓琦は、吹き出しそうになるのを懸命に堪えていたものだ。

 そんな狄青の態度を好ましく思う一方で、しかし、

(危うい)

 とも彼は思った。

 韓琦のみならず、科挙に挑戦して進士になろうとする者は、恐らくはそのほとんどが、「民のために政治をしたい」との純粋な志を抱いているはずである。それが、国政の中枢で実際に政治を動かしているうちに、いつの間にか皆、己の保身のみに汲々とするようになり、それを悟られまいとするあまり、他人の揚げ足を取ることに集中する。

 その良い例が、先ほどの范仲淹はんちゅうえんらの追放で、

(事を急ぎすぎたからだ。それを、時期尚早であるとして、天が罰したのだ)

 自分も支持していながら、彼らをそれほど庇わなかったことを、韓琦は己の中でそのように片付けていた。何よりも、己まで追放されてしまっては、己がやろうと思っている「民のためになる良い改革」が実行不能になってしまうではないか。

 ゆえに、比較的身近で見てきた様々な事例とも考え合わせて、

(追放されないためには、己がまず出世し、宮廷内外において誰にも負けぬ力をつけることこそが肝要なのである。出世すれば、己の理想とする政治を、民のためにもなる政治を存分に行うことが出来る。ゆえに己は出世しなければならない)

 韓琦は近頃、そういった結論を抱くようになっていた。

 だが、己の目の前にいる男は、今までに韓琦が出会ったどんな人物とも違う。彼と親戚になることは将来の出世を約束されるようなもので、従って常の人間なら、喜んでこの縁談を受けようものを、

(一体何のために、彼はここにいるのか)

 時々、実際に首を傾げたくなるほど韓琦は思うのである。

 科挙を経験したこともなく、まさに「現場からの叩き上げ」で副宰相にまでなった、この見上げるような大男は、

「申し訳ございません。俺は家を成すつもりも、出世するつもりもないのです」

その体を精一杯縮めて、まことに申し訳なさそうに繰り返す。

(欲がなく自然体で、その性質でもって兵士たちばかりでなく、その他の人間の気持ちをも集めてしまう。しっかりと己というものを持っている)

 恐らくは、その言葉は本心から出ているのだろう。だが、これからも狄青がこの態度を貫くなら……きっと不器用な彼はそうするに違いないし、態度を変えることを考えもしまい……、

(宮廷では、到底生き残れない。味方とするには、甚だ頼りなさすぎる)

 韓琦はそう考えて、

「よく分かった。それがそなたの考えなら、もう無理強いはしまい。悪かった」

 謝罪しながら、

(向後は、彼と運命を共にはすまい)

 密かに決心したのだ。

「南へ行くに従って気温は高くなるし、何より蒸すと聞いている。道中、気をつけられよ」

 気遣いの言葉に恐縮しながら去っていく狄青の、幅の広い大きな背中を見送って、

(身内にならなかったのだから、私が彼をこれ以上気にかける理由もない)

 再び冷たく思った。その考えの中に、彼がかつて嫌っていた「私情」が混じっていることに、韓琦自身は気付いていない。


 韓琦の屋敷を辞した後、兵士宿舎へ戻りながら、

(俺には賑やかすぎる街は合わない。息が詰まりそうだ)

 狄青は思わず大きく息を吸い込んでいた。

 この大男は、副宰相という身分にありながら、未だにそれに相応しい屋敷を建ててもらっていない。官僚どもが、彼の屋敷を我こそ建てようと群がってくるのを、

(誰に頼んでも角が立つらしい)

 ということが分かって、すべて断ってしまった結果なのだ。

(俺という人間は、何一つ変わっていない。なのに今や、宮中はおろか街の中を歩いただけで人は集まるし、女はこぞって俺の袖を引く。いやはや、疲れることだ。このままここにいたら、俺はやはり駄目になる)

 韓琦など、己に好意を持ってくれている人には悪いが、やはり反乱討伐へ赴くことになって良かった。と思う。それに、

(韓琦殿にはもう一つ、不義理を重ねてしまったが)

 故郷の方角の空を仰ぎ見ながら、彼は吸い込んだ息をゆるゆると吐き出した。当然ながら韓琦は、狄青の心に未だに生きている少女のことを知らない。

 己は、心の中でその少女の面影をひっそりと守りたいだけなのだが、

(軽蔑されたかもしれない)

 女を妓楼で買えばいい、とこちらが言った瞬間、韓琦の目は何やら不潔なものを見るような光を湛えていた。

 強いて言うなら、そこが今のところ、狄青の唯一の不安なのであるが、

(だが、韓琦殿なら大丈夫だ。彼は公事へ私情を交えることはない)

 思い直して彼は宿舎へ入っていったのである。

 己の部屋に入り、真っ先に開いたのは机の引き出しで、そこには、先だっての戦いで使った、あちらこちらに傷のついた面具が入っていた。

  それをいったん手に取って、

(今回は、もうこれは要らない。今となってはもう、宋に人材なし、とは、さほど思われておらぬだろう)

 思い直し、狄青は再び引き出しを閉じた。己の刺青のことと、一兵卒が副宰相に出世したということは、既に宋内どころか周辺の国にも知れ渡っていよう。

 手早く準備を整え、

(今度は、南に住む人々を助けに行こう。彼らの生活を、南方の異民族から守るのだ)

 思いつつ部屋を出ながら、

「これより長江を渡り、さらに南へ向かう! いよいよだぞ」

 彼は誰にともなく出発を告げた。

 途端、部屋の前の廊下にたむろしていた兵士たちが、一斉に歓声を上げる。狄青についていけばきっと負けぬであろうし、出世も出来るかもしれない。という希望が、皆の士気を上げていたのだ。


 ともあれ、こうして狄青は、今回は十五年前と違って、都中の人々から歓喜の声でもって見送られながら、兵士とともに南へと出発した。仁宗もまた、盛大な宴を張って彼を送ったというから、まさに人々の期待を一身に背負っていたと言える。

 狄青の新たな「仲間」は、故郷の村を出た時からの古馴染みたちと、かの宋夏戦争で彼を慕うようになった兵士たち数百騎、そして近衛兵の一部である。

「後は現地で兵を徴収するように」

 との皇帝の命令で、特に健康の優れぬ者は都に留めて来たのであるが、

(なるほど、これは確かに暑い)

 首都開封からほぼ南へ一千キロ。この大陸を流れるもう一つの大河、長江を越えると、目に入る風景ががらりと変わった。

 記録によると、この時狄青が南方へ到着したのが十月とあるから、

(季節は、間もなく秋の半ばに差しかかろうとしているはずだが)

 と、馬上で周囲を見回しながら、狄青は額にじわりとにじみ出てきた汗を、無造作に右袖で拭ったものだ。周囲の木々の葉は、未だに青々としており、落葉する気配を微塵も見せていない。

 目指す地方へは、長江を渡ったところにある都市、長沙から、南へ伸びる道をさらに南下していくと到着する。その道は、長沙より先の衝陽しょうようで三つに分かれており、狄青側から向かって一番左へ行くと、今回反乱軍が占拠している広州へ、真ん中の道を行くと邕州(南寧)へ辿り着く。

 今回は、何より敵の本拠地となってしまった邕州を重点的に奪回する、という計画が立てられている。従って狄青は先発の余靖、孫沔らも辿った真ん中の道を取った。その道中には桂州(現桂林)という都市があり、

「まずはそこを目指そう」

  暑さで疲労の色を濃くしている兵士を励まし、彼は行軍し続けたのである。

 当然ながらこの地方は、地図上において、赤道により近い。北方の乾いた気候とは対照的に、穏やかに吹く風にはたっぷりと湿気が混じっているし、何より生えている植物からして違う。

 温度が高いだけならまだしも、湿度もより高いので、狄青が率いてきた北方の兵士たちは「すぐにへばって」しまった。中には現代で言う、熱中症らしき症状が出た者もいたから、「慣れない暑さ」がまず、彼らの敵になったと言えよう。

 確かにこれでは、北部出身の兵士の活躍はあまり期待できぬ。

(現地で徴募しろ、といわれたのはこのためか)

 心中密かに納得した狄青は、武漢、長沙など主だった都市で小憩を取りつつ、そこで兵士を募集したのであるが、もうその時点で、新兵たちのやる気のなさに苦笑する羽目になった。

「刺青将軍が来た。彼は西夏との戦争を勝利に導いたのだ」

 そんな風に宣伝して、かの戦争の時と同様、ようやく頭数だけは集めたものの、

「西夏との戦争では、運が良かっただけさ」

 と考えているのが、こちらを見るどんよりとした目によく現れている。それに、かつて狄青らもされたように、顔に刺青を彫られたことの衝撃のほうも大きかったに違いない。

 先の戦いと同じように、傷心を抱えた兵士たちを代わる代わる夕餉に招き、共に食事を取りながら、

(まずはここからだ。味方の中に、不信感という敵がいては話にならない)

 彼は思った。

 今はあの面具の代わりに、かつて范仲淹からもらった左伝が彼の懐の中にある。その中の一項を思い出して、

「近くに、人々の信仰を集めている廟などあるだろうか。だとしたら、そこへ勝利祈願のために詣でたい」

 狄青は、豚の脂身を手にもって無造作に食いちぎりながら、新兵へ向かって言った。ちょうど軍隊が桂州郊外に到着した折のことである。

 副宰相から食事に招かれ、さらに長年の友に対するような調子で言われるものだから、桂州付近の村々で新しく徴集した兵士たちも、相当戸惑っているらしい。

(結局は、官が民にまるきり信用されてないということなのだ。ならば神に頼るしかないではないか)

 心の中で考えて、彼は少し微笑った。自分も今やすっかり官の一人なのだ。

 その微笑を見て、少しだけホッとしたらしい兵士の一人が告げたとある廟へ向かったのは、あくる朝のことである。

 桂州は、山間にある小都市である。そこは既に反乱軍の手中にある、というが、山の中腹に作られた廟から見下ろす街は、それを感じさせぬほど、まことに静かな佇まいで、

(どことなく俺の故郷に似ている)

 狄青は思い、分厚い右の手の平を上へ向けた。

 周囲の者が何事かとそれを見ると、

「銅銭だ。百枚ある。これを投げて、俺はここの神に今回の戦いの行く末を問おうと思う。全て表が出たら、この土地神は宋へ土地を返してもよいと思ってくれている、ということだ。つまり、俺達の勝利は間違いなし、ということになる」

 太陽が昇った途端、少しは凌ぎやすかった空気が途端に暑くなる。彼の武骨な手の平の上にあるそれらの銅銭も、既に彼の汗に少し濡れて光っていた。

 言うまでもないことだが、この銭は、中央に持ち歩くための紐を通すための四角い穴が開いている、何の変哲もない宋の一般通貨だった。長沙へ寄った時、狄青が密かに朝廷の鋳銭院(造幣局のようなもの)へ通じて作らせていたものである。銭の受領のために長沙に駐屯させていた数名の部下たちに、

「なるべく軍隊が桂州に到着する刻限までに届けろ」

 と命じていたのだ。

 狄青の部隊に、汗みずくになって何とか追い付いた部下たちは、狄青の大恩人、范仲淹の死も併せて知らせた。

 先にも述べたが、范仲淹は青洲から穎州へ移る途中で亡くなった。その知らせが長沙へ届いたのが、狄青がそこを発って数日後のことだというのだ。

 部下から銭を受け取りながら、

「そうか」

 と言ったきり、狄青は口を結び、しばし目を閉じていた……。

 それから一夜明け、現在。

「良いか、これからしばし祈りを捧げる。その後で俺はこの銭を投げる」

 言い置いて桂州の廟に向かい合いながら、銭を乗せた手の平を再び閉じ、

(范仲淹殿)

 狄青は心の中で恩人の名を呼んで、軽く頭を垂れる。

(どうか、今しばらく俺をお見守りください。貴方がいつも気にかけておられたこの国に、もう一度安定をもたらすことが出来るよう)

 そんな彼を見ながら、

(刺青将軍らしくない)

 古くからの仲間たちはむろんのこと、新兵たちも、そして軍隊が朝から何事かと集まっていた近隣の住人たちも、興奮を隠せぬようすでヒソヒソと言葉を交わし合っていた。

 一枚二枚ならともかく、百枚もの銭が全て表を向けるなど、常識で考えても到底有り得ぬことだろう。

 祈り終えて振り向いた彼へ、「やはり無謀だ。お前らしくない」「やめたほうがいい」などと、ふるくからの仲間が口々に言い合って止めようとするのへ、

「何、構わない。これで表が出ないなら、この戦いは神の心にかなってないという、ただそれだけの話さ。そうなったら俺が全ての責任を取る」

 涼しい顔で言ってのけ、狄青はそれらの銭を地面へばらまいた。

 途端、部下たちが「俺にも見せろ」と口々に言い、押し合いへし合いしながらそちらへ向かう。その「結果」を見た彼らの間から、どっと歓声が上がった。

 驚くなかれ、その百枚の銭は全て表を向けて転がっていたのである。兵士たちと、集まっていた住人たち、双方皆、驚き、肩を叩いて喜びあっているのへ、

「手数を掛けるが、その銭をすべて釘で地面へ差しておいてくれないか。縁起がよいから、戦いが終わるまではこのままにしておきたいのだ」

 狄青が命じると、彼らはいそいそとその作業にかかった。その有様を、

「良いか。縁起物ゆえ、俺が戻るまで決して触れるな。触れたら我らに仇なす者として厳罰に処す」

 彼は口に謎めいた微笑を浮かべながらそう言って、じっと見守っていたものだ。

 時代が下っても、目に見えぬものでもよいから何かにすがって、根拠はなくともその保障を得たいと人々が思うのは変わらないものらしい。単純なもので、「土地の神の加護がある」と思った宋の兵士たちは、これで気力を回復させ、桂州を一気に奪還した後、余靖、孫沔らが駐屯している賓州ひんしゅうへ翌皇祐五(一〇五三)年一月三十日に到着したのである。

 賓州は、邕州から北へわずか十数キロしか離れていない街である。その気になれば、一気呵成に攻撃を掛けられよう。

 官軍が邕州へ迫りそうだと聞いて、東の広州を囲んでいた儂智高軍は少々慌てた。慌てたことは慌てたのだが、邕州城を占拠している……占拠して、己の国を「大南国」と号した……国王、儂智高が、ふんぞり返って座っていた王座から、

「宋の奴らは腰抜けである。その援軍など何あろう。攻めてきたら、こちらも迎え撃つだけだ。その時には一気に踏み潰してやれ!」

 濃い髭だらけの中に埋もれた真っ赤な口を開け、まさに吠えるように怒鳴ったものだから、

「王の言うとおりだ」

 兵士たちも軽く考えて、すぐに持ち前の剽悍さを取り戻したものだ。

 さても、宋に対して「反乱」を起こしたこの大南国国王は、一体如何なる人物であったか。以下、彼が反乱を起こすに至るまでの経緯を、かいつまんで記したい。

 儂智高、反乱当時三十歳。祖父の儂民福みんふくの時代に、彼の部族は広源州一体における最大勢力となり、宋の周囲の国がそうであったように、宋の冊封を受けた。民福の後を継いだ父の全福が、天聖七(一〇二九)年に広源州ばかりでなく、その周辺地域をも手中に収め、その国を「長生国」と改めて、自ら昭聖皇帝と名乗った。宋においては、ちょうど仁宗が皇帝として即位したばかりの頃である。

 皇帝を名乗る、ということは、つまり独立を宣言したということに他ならない。全福もまた、表面上は服従を誓っていながら、心の中では多大な不満を宋朝廷に対して持っていた、ということになろう。

 全福は、宋だけではなく隣国の交趾こうし国(ベトナム)にも服従を誓っていた。先ほどの独立宣言をした後、そちらにも「もう服従はしない」と正式に通達してしまったものだから、全福はまず、距離的に近いそちらと戦う羽目になった。その結果、虜になったあげく、長子の智聰ちそうと共に殺されてしまったのである。

 その時、二十三歳だった儂智高は、母と共に安徳州(現靖西県安徳鎮)へ逃れ住んだらしい。そして三年の間に周辺地域の六十一部族全てを従えて、再び勢いを取り戻した。言うまでもない事ながら、父や兄を殺された智高は、交阯国を骨の髄まで憎んでいる。

 勢力を盛り返したと見るやいなや、彼は仇敵である交阯国へ戦いを挑んだ。だが、干戈を支える都度、智高のほうが逆にじりじりと力を削られていく。ゆえに彼は、

「再びそちらに正式に従わせてほしい」

 交阯国を倒すために後ろ盾が欲しい、と、宋朝廷へ何度も申し出た、という。

 宋側にしてみれば、たかが地方の一豪族が、こちらの許可を得ず勝手に建てた国の事情に過ぎない。

「諍うなら勝手にしろ」

 というわけで、交阯国という敵を新たに作るつもりはさらさらなかった。

 儂智高の願いは申し出の都度、無視されることになり、

「宋を頼るのはもうやめだ。俺は俺自身の力で父の仇を取る。支配するばかりで、肝心な時に協力すらしてくれてない宋の奴らからも独立する」

 最後の嘆願を握り潰されてほどなく、彼はそう宣言して、宋の領土内にあった邕州を手に入れるべく攻め入っていたのだ。

 先の彼の「独立宣言」は、同じように宋の支配を受けていた異民族からの、絶大な支持を受けたらしい。かくして彼の下には宋朝廷に不満を持つ大衆が集まり、先だって述べたような大規模な反乱になった、というわけである。

 二十代、三十代といえば、男女問わず人生で一番、気力と体力に満ちた時期であろう。そしてそのような時期にある程度の成功を収めてしまった人間、特に男は、その年齢が若ければ若いほど、

「俺が優れていたためだ。俺一人でもやれる」

 といったように、己の能力を過信してしまう。己の成功は周囲の協力があったればこそではないか、あるいは、時運に乗ったからではないか、とまでは、あまり考えぬ。

 しかも彼の場合、先だって一気に九つもの都市を落としたという「実績」がある。その時に、拍子抜けするほどあっさり官軍が破れたので、

「宋軍など何あろう。ひょっとすると、このまま勢いに乗って開封にまでもいけるのではないか」

 と、すっかりそう思い込んでしまった。あまりにも簡単に成功してしまったゆえの悲劇、というものかもしれぬ。

 さて、城内では大南国兵士たちがこうして士気を高めている一方で、

「これからは、すべて私の指揮するところに従うように。抜け駆けは厳禁とさせていただく。抜け駆けした場合は、その首を刎ねる」

 郊外では、余靖、孫沔らと合流した狄青が、兵士たちにそう言い聞かせていた。

 滅多に強気に出ぬ狄青がそのように言ったのは、自分なりに心に描いていた闘いのやり方があったからである。それに、何と言っても今は、彼が総大将なのだ。そのことは分かっているが、表面上は神妙に頷いていても、

(科挙にも合格していない、学もない一兵卒の成り上がりが何を言うか)

 と心の中でそっぽを向いていた「エリート」たちも多かったろう。くどいようだが、現地に派遣された将軍たちは、狄青を除いて皆、科挙試験に合格した文官なのである。

 さすがに都にいる間、狄青と二、三言葉を交わしたことのある余靖、孫沔らは、彼の言うところももっともであると頷いていた。特に余靖のほうは、狄青の恩人である范仲淹の「朋党」派であったから、多分に仲間意識も働いていたに違いない。

 従って、

「実は隣国の交阯国が、こちらに協力すると申し出てくれています。私の判断でこれを受けることにしました。何と言っても儂智高とは仇敵の間柄ですから、双方にとって悪い話ではないはずです。数日前、朝廷へも上奏しようと使者を遣わしたところです」

 その夜、さっそく開かれた軍議で、余靖は狄青への限りない親しみを見せながら、少し得意気に、これまでの経験をあますところなく報告した。ひょっとすると、己の手腕を自慢するつもりだったのかもしれない。

 だが、

「それは少し慌てすぎです」

 余靖の話を聞いた狄青は苦笑し、

「国内の反乱を治めるのに、隣国の助けを借りたとあっては、宋国にとって後々災いとなっても益はない。早速その使者を呼び戻すように手配願う」

 有無を言わせぬ口調で命じた。

「……承知しました」

 それへ、いささかムッとしながら余靖は答える。狄青の戦いぶりを自分も聞いていたし、尊敬もしているが、やはり(元兵卒風情が)という思いは心のどこかにあったろうし、仲間意識を裏切られたとの感もあったろう。

 そして余靖はそのことを告げるべく、陣幕の外に出て行ったのだが、

「大変です! 陳曙ちんしょ袁用えんようの二人が、大敗して邕州より戻ってきたとのことで!」

 すぐに血相を変えて戻ってきた。

 その場にいた全員が、席を蹴って外へ出る。見るとなるほど、南側から幽鬼のような一軍がやってくるのが分かった。

「私はまだ攻撃の命令を下していない。従って、あなた方がしたことは、抜け駆けということになる」

 傷付いた兵士たちへはすぐさま休養を命じてから、狄青はその軍の先頭にいた陳曙、袁用らを引きとめ、淡々とそう告げたのである。

 この大陸には古くから。「抜け駆けが禁じられていたとしても、それが結果的に成功すれば許される」という不文律のようなものがあった。恐らく陳曙、袁用も、

(兵卒上がりの狄青が来て、これに手柄を占められたら、自分たちの面目は丸つぶれである)

 そんな風に考えたのだろう。つまりは功を焦ったということだ。

 地面に引き据えられて膝を付き、ふて腐れたように俯く二人へ、狄青はその理由を問わなかった。こういった己への反発があるだろうことは、既に覚悟していたことだったからだ。

(ここは、非情にならなくてはならない)

 恩人、韓琦の顔を思い浮かべながら、

「命令違反を犯して、天子から預かった多くの貴重な命を失った。その罪は重い。二人の首を刎ねよ」

 むしろ冷たく彼は命じた。古くからの彼を知る人々には、まるで人が変わったかと思えるような言葉であったろう。この時、責任を取らされて、共に処刑された者は他に三十一名。

 ここで慌てた余靖が、

「二人の罪は、部下である彼らの進軍に気づかなかった私の罪です。彼らは文官でもありますので、兵法をよく知りません。彼らも宋のために良かれと思ってやったことです」

 と言い、穏便な処置を乞うたが、

「文官であろうと軍人であろうと、人の上に立つ者の責任は皆同じです。兵士は将棋の駒ではない。命の重みというものを、よく考えてもらわなければならない」

 狄青はそう答えて、耳を貸さなかったのだ。

 これでつまり、「兵将股栗、咸思用命」、兵士も将軍も彼の厳しさに肝を冷やして、以降は命令の遵守を誓った、ということに相成る。狄青を物知らずだと密かに侮っていた文官たちも、彼を惧れと敬意の入り混じった目で見るようになったし、兵士たちも「やはり刺青将軍ならでは」と、彼を再評価したものだ。

 しかしその翌朝、狄青は、

「我々は到着したばかりだ。長旅で疲れているし、昨日の大敗で先発の兵も精神的に動揺しているだろうから、これから十日間休養する」

 そんな命令を出し、再び人々を不審がらせた。

「そんなことをしたら、相手はますます図に乗って、今夜にでも攻めてくるのでは」

 孫沔は、いかにも実直そうな顔をさらに引き締めて、恐る恐る言上したが、

「ああ、そのようなことはありません。貴方もどうか、ゆっくりと体を休めてください。ただし将校以上の者は、軍装を決して解かれることのないよう。他の将軍各位にもご伝達ください」

 狄青は再び、謎のようなことを言った。

 実は彼は、例のごとく兵士たちと食事や寝起きを共にしていて、どうやら長生国側から間諜が潜入しているらしい、ということを知っていたのである。

 通常は、街の人間が、街へこっそりと物資を買い付けに来た兵士に、「見慣れぬ輩がいる」ということを日常会話の延長のように話す。その兵士がまた、夕餉の折などに兵士同士で話す、というように事態は進展するのだが、残念なことにそこまでで情報の流通が止まってしまう。

 なぜなら、上官たち側に、

「一兵卒の話など聞いていられるか。どうせ奴らが話すのは、女や食い物のことばかりで、付き合うなど無駄だ」

 などという先入観があるためで、兵士たちの話へ耳を傾けるだけの度量が、てんで無いからなのだ。

 だが狄青は、

「お前たちの話を聞かせてくれないか」

 あくまで気取らず、彼らの輪に混じって彼らの話を聞いた。彼らの愚痴へ丁寧に耳を傾け、彼らの不満に対して、決して怒ることなく、なるだけ便宜を図ろうともした。

「彼は果たして、噂通りの人物であった」

 と、わずかな時間で心を開き、

「賓州城内に、我々宋の人間とは、少し雰囲気の違う人間が混じっているらしいのです。ひょっとすると、あちら側から何か探りを入れにやって来ている輩では?」

 そんな貴重な情報を話したのだ。

 官軍が、軍装を解かないまでも、休養を取ってしばらくのんびりするつもりらしい、という噂は、すぐに邕州へ伝えられた。ここで儂智高が、「好機である」と攻め入ったなら、もしかすると彼らが再び勝ったかもしれないが、

「それ見ろ。奴らは結局、暑さにさえ参るような腰抜けだったということだ。お前たちも休め」

 度量の広いところを見せようとしてなのか、それともよほど自信があったのか、彼はそんな命令を下してしまったのだ。

 討伐に来ておきながら休養を取っている宋軍のことは、街の人間も呆れたように話しているくらいだから、事実には違いない。違いないのだが、

「聞けば、奴らの総大将は刺青者だというではないか。たかが兵卒上がりの大将が考えることだ。たとえ作戦が立てられたとしても、大したことはない。俺もしばらく休むよ」

 宋側の「不甲斐なさ」を好きに嘲り、儂智高自身も飲めや歌えの境地に入ってしまったのだから、始末に負えないとはこのことだろう。

 それを、人々の噂として伝え聞いて、かつこちらからも送り込んでいた間諜による裏付けも取り、微苦笑を漏らしたのは狄青である。彼らが休養に入って三日目の夜半、孫沔らを呼び寄せて、

「これから邕州城へ向かう。まず、ここから南西にある崑崙関を落とす」

 と告げた。松明に照らされたその顔は、ゆるぎない自信に満ちている。

 驚いて顔を見合わせる将軍たちへ、

「敵は油断している。俺はこれを待っていたのだ。油断しているところへ攻め入れば、こちらの被害も相手の被害も少なく、勝利を収めることが出来る。全軍に出撃を命じよ」

 続けて、狄青は陣幕を出た。

 崑崙関が落ちたのは、それから間もなくのことである。

 夜に紛れて関を落とし、さらに南下した宋軍は、そのまま帰仁舖きじんほへ攻め入った。緊張感は伝わりにくい反面、弛緩は一気に伝わるのが世の常である。そこを守っていた長生国兵士たちも、「国王」自らがあんな風に言っていると、すっかり警戒を解いてしまっていたのだから、ひとたまりもなかったろう。

 あまりに上手くいきすぎて呆気なささえ感じるかもしれないが、現代のように軍事的な知識でさえ端末一つで簡単に手に入る時代とは違い、この頃の一般的な兵士たちの判断はどうしても上官たちの命令頼りである。一部には頭の回る者がいて何かを察していたとしても、それを発信する方法も限られている。ましてや上官たちが面倒臭がってそれを軽視し無視すれば、全体に伝わることもない。

 結局、兵士一人一人の力など敵も味方もそう大差ないのだから、それを指揮する大将の采配一つで、油断一つで、まるで冗談のような結果に終わるということは現実に起こるのだ。狄青は、味方である宋軍のこれまでの不様な姿を見てきたからこそ、上に立つ者の油断や侮りが大きな失策を招くことを身に染みて知っており、それを利用することが出来たのだろう。

 ともあれ、今回の作戦はまさに彼の読み通りとなった。もちろん運も味方したのだろうが、その運を呼び寄せたのもまた、彼の才覚だと言えるのかもしれない。

 ここから邕州城までは、目と鼻の先とさえ言える。従って、

「無理はするな。敵にも我らの動向はすでに伝わっているだろうから、今回はここまででよい。休息を取れ」

 帰仁舖を奪還して布陣した後、狄青はそう命じた。

 実際、夜でもうだるような暑さが続くのと蒸すのとで、さすがの彼も満足に眠れない。あまりの寝苦しさに寝返りを打ち続けて、気付けば夜明け、という夜を幾度か過ごしている上に、心身ともに負担を掛ける夜襲を行ったのだから、

(兵士たちの体力も格段に落ちていよう)

 狄青はそう考えて、今夜も陣幕を見回り、中の兵士たちに「体調はどうか」などと声を掛けていた。

 何番目かの陣幕を覗いた後、

「先だって、貴方が軍装を解くなと、お仰ったのは、このためだったのか。すまなかった、私は貴方を少し誤解していたようだ」

 背後から彼の肩を叩きつつ、しみじみと述懐した者がいる。

 生暖かい夜風のせいで乱された髪は、汗の浮いた頬にぺたりと張り付く。それを手の甲で拭いながら、

「ただ命じていれば、その通りに兵士は動く。そう考えてばかりいて、兵士たちも人であり、心があるということを、私はすっかり忘れていたようだ。他の誰でもない、親身になって彼らの話へ耳を傾ける貴方だから、兵士たちは喜んで言うことを聞くのでしょう」

 その人物、余靖は首を振り振り、心底感服したように言うのだ。

「なに、俺にはこれがある」

 狄青は懐を叩いて、中にある左伝をちらりと覗かせながら、

「ここに全てが記されている。兵士たちが俺の命令通りに動いてくれるのも、俺がこれに書かれている通りにしてるからですよ。ただそれだけです」

 故范仲淹の顔をも思い浮かべて、照れたように頬を少し染め、頭を掻きながら答えた。

 二人の話し声を聞きとめて、こちらへ向かってきた孫沔も、微笑を含んで二人を見ている。

 照れ臭さを隠すように、

「敵兵たちは、どうしていますか」

 彼は続けて尋ねた。今回の戦いで、酔って騒いていたために逃げ遅れたかの国の兵士たちは、今は捕虜となってこちら側の陣内にある。

「副使が仰ったように、我が国の兵士たちが暴行を加えぬよう、かつ彼らが逃げ出さぬよう、厳重に監視させています」

 今度は孫沔が代わって答えるのへ、

「分かりました。これから俺が直接会いましょう」

 狄青は頷いて、

「その後で、彼らを解放してやりましょう」

 至極当然のように言ったのである。

 それを聞いても、

(これが彼なのだ)

 そんな風に思い、二人はもう驚かなかった。既に狄青の「性癖」は聞き知っていたし、実際にその戦いぶりや下された判断の的確さを間近で見て、

(彼にはそうしてよいだけの考えと、勝算があるのだ)

 理屈ではなく、それを肌で実感したからだ。

 果たして、

「故郷へ帰るのも、もう一度儂智高の軍に加わって俺達に戦いを挑むのも、お前たちの自由だ。だが、故郷に帰るというなら、そこへ辿り着くまでの金はやる」

 そんな風に諭されて、解放された大南国軍兵士たちは、たいそう決まり悪そうにすごすごと宋側の陣を去っていった。

 それを寛容とみるか甘いと見るかはそれぞれだろうが、実際に彼らを見て少しばかりの言葉を交わした狄青が受けた印象として、彼らは決して本心から儂智高に心酔し忠誠を誓っているのではないと感じたのだろう。単にたまたまそこにいたことで、今は儂智高に従っておいた方が得策だと考えた程度の「普通の人々」だったのだと思われる。

 これがもし、狂信的に自らの主君に服従し宋を敵視していたのであれば、狄青とて容赦はしなかったのだろうが、そこまでする必要もない者たちだったに違いない。

 故に大南国軍兵士たちとしても、情けを掛けてもらえた相手に再び刃を向けることは憚られた可能性は高かったのではないだろうか。

 かの兵士たちのうちのどれだけが、再び宋軍に戦いを挑んだかは分からない。だが、そのことを伝え聞いて、

「お前たちは、腑抜けどもらに崑崙関を突破された挙句、懐柔されたのか」

 儂智高は激怒した。

 彼にとっては、戦としては初めての「敗戦」である。国同士としての交渉では辛酸を舐めさせられたが戦となってからは順調そのものだった。『話し合いなど、頭でっかちの間抜け共のすることだ。力で奪い取ることこそがやはり王道なのだ』と悟れたというのに。

 崑崙関は、宋側にとっては南方へ至る際の最後の砦とも言うべき難関であった。そこさえ守り抜けば安泰のはずだった。なのにそれを突破されてしまったのだから、当然ながら邕州どころか元々の彼の領地そのものさえ危うい。

 だもので、彼はそんな風に激怒するあまり、敵に情けは掛けられたがやはりもう一度彼の下で戦おうと戻ってきた兵士二、三の首を自ら刎ねて、

「俺が自ら帰仁舖へ行く」

 そう宣言したのである。このあたり、彼が若かったというだけでなく、直情径行型の人間だったのではないかとも見ることが出来て、大変に興味深い。それ故、交渉事が苦手だったのではないかと。

 国王自らが出ると聞いて、さすがに大南国兵士たちは奮い立った。

 邕州城から、まさに南国の虎のごとく、吼え喚いて襲い掛かってくる一軍があるとの報告を受けて、

「では、かねてからの打ち合わせ通りに、先陣はあなた方に」

 帰仁舖では、狄青が冷静にそう命じていた。

「承知しました」

 余靖、孫沔らが神妙に頷いて頭を下げ、出発していく。相手側の国王と直に矛を交えるため、彼らの顔もこれまでないほど引き締まっていた。

 二人が兵を率いてしばらくして、

「余靖殿、孫沔殿、敗走してこられます!」

 とある兵士が慌てて陣内に飛び込んでくる。それを聞いて、

(ようやく来たか)

 待ちかねたように狄青は腰を上げ、外へ出る。その左手には白旗が握られており、

「弓騎兵は、かの位置にあるか」

 彼が尋ねると、部下の一人が心得ているとばかりに頷いた。

 そこへ、凄まじい蹄の音が聞こえて、

「よろしい。今だ!」

 かの二人が率いていた部隊が、いかにも周章狼狽したようにこちらに戻ってくるのも見え、狄青は用意していた白旗をさっと振る。

「そうれ見ろ。奴らが崑崙関を落とせたのはただのまぐれだ」

 そう侮って、更に勢いづいて迫ってきた。

 もしこの時、白旗を見て降伏の意志ありと見做して追撃の手を緩めていれば結果も違ったのかもしれないが、すっかり頭に血が上っていた儂智高は、降伏など認めぬ、とことん蹂躙して骨の髄まで敗北を味合わせてやると思っていたのかもしれない。

 しかしそんな彼に率いられて調子づいた大南国軍にとってこの時起こったことは、まさに青天の霹靂であったろう。狄青の合図と共に、左右に埋伏していた弓兵たちがずらりと現れて、一斉に矢を射かけ始めたのである。

 計算をすっかり狂わされて、今度は大南国軍側が狼狽する羽目になった。

 その有様を見ながら、

「緩兵の計、というらしい。この作戦も、こいつの受け売りだ、まさかこうまで図に当たるとは思わなかった」

 左右の部下に懐の左伝を叩いて言い、狄青もまた馬に乗って敵に向かっていく。

 つまりわざと負けて敵を誘い出し、油断したところを伏兵によって叩く、という作戦で、兵法の研究者のみならず、現代では子供でも知ってるようなごくありふれたお馴染みな作戦なのだが、それゆえに逆に、

「私なら、それを思いきって実行できたかどうか。きっと機会があったとしても、実行する勇気が無くて、逃してしまっていたに違いありません」

 戻ってきた孫沔は素直に称賛し、

「儂智高は、どうやら邕州城へ逃げ帰った模様。今回の戦いで、彼奴らめの軍の大部分は叩けたと言えるのではありますまいか」

 そう付け加えた。

 孫沔が言ったように、結果的には、この戦いが反乱軍壊滅のきっかけになったと言える。実際に、この帰仁舖の戦いにおいて、逃げる大南国軍を宋軍が追いかけること十五里、二千二百の首級と千五百人の捕虜を得た。大南国側の将校階級者の死亡が五十七人にも上り、儂智高はわずか五百ばかりの兵と共に邕州城へ引き上げたと記録にある。

 直情径行型の人間は、勢いに乗っている時にはどこまでも上り詰めるが、挫折を経験すると意外にもろい。このたった一度の失敗で、狄青に対することの愚かしさを身に染みるほどに感じたのだろうか、儂智高はその晩、城に火を放ち、六人の妻及び六人の子と共に闇に紛れて密かに逃げ出したのだ。当初の勢いはどこへやら、である。

 ともあれ、肝心の指導者が真っ先に逃げ出してしまったのだから、もう戦いは戦いの様をなさぬ。

 今度は宋軍のほうが再び勢いづいて、儂智高がこもっていた邕州城をなんなく落としたのが、その翌日のことだ。もっとも勝手に燃え盛り混乱しているだけの城など、落すも何もないのだろうが。

「無用な血は流すな。まずは消化に努めよ。住民を落ち着かせるほうが先である」

 士気揚々たる兵士たちの興奮を抑えることに苦労している狄青へ、

「これこそ儂智高その人ではありませんか」

 城内での言いつけどおり、儂智高の姿を探し求めていた兵士たちは、玉座付近で金銀の縫い取りの服を身に付けて倒れていた人物を見付け、息せき切って報せに来た。

「一刻も早く朝廷に報せましょう」

「まあ待て。俺が見て見よう。迂闊に報せて万が一、人違いであれば、朝廷のお歴々を欺く結果になる。それに誰よりも陛下に対して申し訳ない」

 興奮している兵士たちを微笑苦笑交じりになだめながら、狄青はゆっくりと玉座へ向かう。なるほど、そこには配下の者の言うように、瀟洒な服に着膨れて倒れている人物がいて、

(……どこか違うな。顔つきが野卑だ)

 しかし、薄汚れたその死に顔にどことなく、一般庶民であるところの己に共通するような感覚を抱き、狄青は首を捻った。

 つい先刻まで戦いに出ていた人間が、このように小奇麗な格好でいるのはおかしい。衣服を変えた可能性はあるとしても、これは、少なくとも王族の顔ではないような気がするのだ。

 だもので、

「かの兵士の生き残りを連れてきてくれ。将校階級以上の者だ」

 彼は部下に命じ、

「ただし、暴行は加えるな」

 そう付け加えることを忘れなかった。

 しばらく経って、後ろ手に縄を掛けられたまま連れてこられたかの国の兵士へ、

「縄を解いてやれ」

 狄青は言い、

「……これは、お前たちの王か?」

 穏やかに尋ねた。

(いよいよ殺されるか)

 そう思っていたらしいその兵士は、思いのほかの扱いに戸惑ったらしい。そんな兵士へ、

「もしも知っているなら、正直に言ってくれ。命まで取るつもりは毛頭ない」

 狄青は重ねて問う。

 彼の意図を計りかねたのであろう、しばらくためらっていた兵士は、

「王は、闇に紛れて逃げました。大理国へ行くと申しておりました」

 南方に住む人間独特の、少し浅黒い色をした顔を伏せて答えた。元より王に対して心酔しきっていた訳でもなく、流れに乗って戦いに参加しただけであったのだろう。自分たちを見捨てて逃げた王に義理立てする気にはなれなかったと見える。

(大理国か、か。そこまで逃げられてはもう手は出せぬ。これ以上は無駄に敵を増やすことになりかねん)

 それを聞いて、狄青は思わず天井を仰いで唸った。

 大理国は、現在で言えば、中国の南西、雲南省に当たる。

(もし攻め入るとしても、本格的な山越えをせねばならぬし、そこまでの兵糧もない。険しい山を越えるだけの準備をしていない)

 儂智高本人は逃げたが、厳しい追跡の結果、彼の母や弟、そして子を二人捕らえてある。これらのことは、既に早馬を仕立てて開封へ報せてあるが、

(恐らくは、生きてはいられまい)

 反乱軍の首謀者の一族として、彼らは処刑される運命にあるだろう。

 彼が反乱を起こした経緯を聞けば、なるほど無理もないと頷ける個所もある。だが、

(そのために他国を侵そうというのは、やはり許されたことではない)

 そう考えることで、狄青は芽生えた苦い思いを必死に頭の隅へ追いやろうとしていた。

(何よりも、それが彼にとって大きな罰になるに違いない。それに今回は、彼は復讐の手段すら失ってしまったのだ)

 そのようにも狄青は思っている。

 何より第一に、宋軍そのものの問題がある。山越えをしてまで敵を叩こうという士気が、果たしてここまでの戦いで疲れ切っているであろう今の部下たちに期待できるかどうか。

「如何なさいますか。攻め入りましょうか、それとも?」

 それやこれやで考え込んだ狄青に「副使のお考えのままに」と孫沔は言う。笑みを浮かべた口から紡がれたその言葉には、彼に対する信頼が溢れており、

「残念だが、ここまででしょう。これ以上は朝廷の判断を仰ぐしかない」

 それに対して感謝の念をもって向き直りながら、狄青は答えた。

 すると孫沔は、おや、といった風に片方の眉を上げ、

「ここで追跡をやめてしまっては、儂智高は得たりとばかりに舞い戻ってくるのではありませんか」

 決して詰問しているようではない口調で再び尋ねる。

「いや、彼はもう」

 孫沔に対し狄青もまた口元に笑みを浮かべ、答えた。

「ここへは戻ってきません」

「……なるほど、分かりました。あなたがそう仰るのならそうなのでしょう」

 きっぱりと言われて、孫沔は「何故分かるのか」と尋ねる代わりに、深く頷いた。

 恐らく儂智高は、戦闘の経験は多くあっても、これほどまでに大規模な敗北を経験したことはなかったのだろう。今まで憂き目を見ながらもしぶとく保たれていた兵力その他、彼の基盤そのものが、今回の戦いで木っ端微塵になったのである。

 それに、父の仇を討とうと考えるほどの人間が、

(我が父と同じように……)

 家族が敵に囚われて、その末路はと考えた時、苦しまぬはずがない。だが、その仇を討とうにも、武力がなければどうしようもない。ために、ついに心がくじけ、逃亡という手段しか、取ることが出来なくなってしまったのだろう。

 それやこれやを考え合わせて、彼にはもう一度戦いを挑んでくるだけの力はない、と、狄青は見た。くどいようだが、狄青が儂智高に与えた打撃は、物理的にも精神的にも、それほどまでに大きいものだったということである。

 加えて、自軍の消耗も考え合わせるに、これ以上の深追いはむしろ自らの首を絞めることにもなりかねない。儂智高が再び牙を剥くようなことが、やはり考えにくいことではあるが万が一にもあるとしても、それを見越してこちらも準備をすればいい。

 なお、実際には、狄青に大敗を喫して大理国へ逃げた儂智高は、元江沿いの山中に隠れ住み、その後の至和二(一〇五五)年、大理国の王によって殺され、その首が開封に送られることになる。狄青の戦いぶりを伝え聞いた大理国の王は、そういう形で恩を売っておいた方がいいと判断したのかもしれない。

 ともあれ、結果だけを見れば、この戦いは宋側の「大勝利」に終わったと言えよう。西江の都市を占拠していた反乱軍もここが潮時とばかりに逃げてしまったことだし、風も少しずつ穏やかになってきている。

「俺が出来ることはここまででしょう。後の始末はお二方にお任せします。戦いしか知らない俺は人民を落ち着かせる術に疎いですから」

 狄青が言うと、余靖、孫沔は、ともに目を丸くした。

 この場合、後始末を任せるというのは、手柄をこの二人にほぼ譲る、ということに等しい。向後、反乱軍が逃げてしまった後の都市においては、残党による小競り合いくらいはあったとしても間違っても大きな戦いなど起きないであろうし、だとすれば彼ら二人が行うことは荒らされた街の復興のみ、ということになる。

「戦いにおいてもあまりお役に立てなかったのに、そんな楽をさせて頂いては」

 孫沔が言うと、

「なんの、楽なことがあるものですか」

 狄青は軽く笑い声を上げた。そして、

「何よりも人々のことを考えねばならぬ、大切な仕事でしょう。気の利かぬ俺の、もっとも不得手とするところです。それに武漢や長沙で集めた兵士たちは、まだまだ大手を振って褒賞を要求できるほどの手柄を立てていない。ですから、どうか彼らにも、復興という大仕事で手柄を立てさせてやってください。俺は北の兵士たちと共に、開封へ戻ります」

 言い言い、もう引き上げる支度を始めるつもりなのか、玉座の間を出て外へ向かおうとしている。

「副使、しかしそれではあなたの出世は」

「俺は、もうこれ以上出世しなくても良いのです」

「そんな馬鹿な。しかし……ですが」

 彼の答えを聞いて、孫沔は限りなく混乱しているらしい。人間なら当然、誰しも栄達を望むものだと孫沔も思っていたから、

「それでは、貴方が大いに損をすることになりましょうが」

 次にそう言った時には、反って責めるような口調になってしまっていた。

「孫沔殿」

 狄青は、生真面目に己を心配してくれている孫沔の名を呼び、行きかけた足をぴたりと止めた。

「この戦いの結果を報告した後、俺は今まで頂いた官位の全てを返上し、故郷へ戻るつもりです」

 告げた瞬間、孫沔、余靖ばかりでなく、それを聞いていた将校たち全てが改めて驚いた。そんな彼らの顔を一つ一つ見ながら頷いて、

「俺は、故郷へ帰ります。軍人ではなく、ただの一庶民の狄青へ戻りたい」

 彼はその言葉を繰り返す。

 その時、狄青が心の中で描いていたのは、彼の初恋の少女が眠る場所であり、

(そうしよう。それがいい。都へ戻ったら、まず范仲淹殿への恩返しをさせていただこう。それが終わったら故郷へ帰って、残りの人生を、かの場所を守るためだけに使おう)

 高位に上ることや勢力闘争はおろか、都の賑やかささえも、自分には嫌というほど合っていないと思い知らされた。戦いが始まる前からぼんやりと考えていたことを、そうやって改めて口にすると、はっきりと決意できたような気がする。

 それに、今なら故郷やセイの眠る場所などを思い浮かべても、ただ懐かしいばかりで、もう心が痛むことはない。さらには年齢も四十代半ば、当時の認識では初老といっていい年齢に差し掛かっている。ゆえに戦うことにおいても、程なく役に立たなくなるだろう。やはりこの後は、一線を退いて古巣に戻るのが正しいのだ。

(いや、そう思うと実にさっぱりする)

 そんな自分に心の中で苦笑しながら、

「では、後はお任せしました。貴方もどうかお元気で。いつかまた会う日があれば酒でも酌み交わしましょう」

 狄青は晴れ晴れとした顔で言う。

「刺青副使」

 くるりと背を向けた大きな後ろ姿を、我に返った孫沔は慌てて追いかけた。

「何でしょう」

 振り向いて何とも言えぬ微笑を向けてくる狄青へ、

(当代において、他の誰にも貴方の真似は出来ない。貴方はまことに素晴らしい人だ)

 そう言おうとして、

(これではただの世辞になるではないか)

 狄青には相応しくないと思い直し、急ぎ言葉を探す。

 しかし結局は、

(他によい言葉が見当たらぬ)

 心の中で密に苦笑しながら、

「……道中、どうか気を付けられて」

 孫沔は限りない敬意を込めてそれのみを言い、ただ深々と頭を下げたのだ。

「ありがとう。だが俺は、まず桂州へ寄らねばならない」

「はて、それは何ゆえです」

 頭を上げた孫沔が次に見たものは、珍しく悪童のようにニヤリと笑った狄青の顔で、

「この戦いの前に、俺があの土地の神に必勝を祈ったというのは、かねてからお聞き及びでしょう」

「はい、それは確かに。確か副使が投げられた銅銭は、百枚が百枚、全て表を向いていたと聞いておりますが」

「はは、その通りです。今から俺は、その銭を回収しに行くのですよ。考えても御覧なさい。通常、百枚もの銭が、全て表を向けて転がると思われますか」

「……はあ、まあそれは、確かにありえぬこと、かもしれませんがなァ」

要領を得ない風の孫沔へ顔を近付け、さらに狄青はニヤニヤと笑った。

「実は、あの銭にはちょっとした仕掛けがあるのです。その仕掛けが他の者に漏れてしまっては困るので、釘で地面にしっかりと留めさせたわけで」

 言いながら、何事かを囁いたのである。


 こうして、狄青は南方の反乱を征し、去って行った。開封へ向かう軍隊を城内から見送りながら、

(なんと、まあ……両表の銭であったとは。しかしその程度の細工、気付かぬ者がいないはずもないだろうに、あえてそれを口にする者が出なかったことが、彼の器だったのかもしれませんな。それにしても、狄青殿はどのような顔をして銭を投げたのやら)

 こみ上げてくる微笑を堪えきれず、孫沔はついに吹き出してしまった。

 迷信を利用することは、武将ならば誰もが思い付く方法である。しかも縁起を担ぐ為に敢えていい結果が出るようにインチキをすることもあるだろう。しかし、インチキをするにしてもここまで抜け抜けと、むしろ清々しいほどの真似をするその愛嬌に惹かれる者も多かったのかもしれない。

 気付かなかった者はありえぬはずの奇跡に高揚し、気付いた者は彼がそうやって不安がっている者達を安心させようとしているのだと察し、兵士たちの士気を見事に高めた訳だ。

 笑いを堪えるために下を向き、ふと気が付いて再び顔を上げれば、狄青率いる軍隊は、はやはるか北方へ去ってしまっていた。蟻のように小さくなってしまったその姿へ、

(誰もが……神でさえ、貴方の策略を後押ししてくれた。お見事です、刺青殿)

 孫沔は再び深々と頭を下げたのである。


 時に、至和元(一〇五四)年。春は北方より早くこの地に訪れて、城内の桃の木は小さな花を咲かせていた。


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