◇5分で読書参加◇笑顔への努力~花を咲かせた意思~

Chromewrite(クロムライト)

〇〇小学校ふれあいカフェ

◇この物語はノンフィクションです。◇


私が小学校6年生の時だった。


私の通っていた市立小学校は「学び合い」が重視されていて、そのための企画、イベントも多数あった。1年生から6年生まで縦のつながりが強く、合同授業も日常茶飯事だった。そのうち一つが、私の主催した「〇〇小学校ふれあいカフェ」というものだ。


当初私とその仲間、H君、K君、R君、S先生はこの企画を簡単に考えていた。


明確になっていたやらなければいけないことは主に4つ。


①企画書を書き、校長先生に申し出る。

②空き教室を一つ確保し、机、椅子、絨毯、文房具などを運ぶ。

③主要4科目それぞれ得意な人を集め、教えることのできる環境を作る。

④お知らせの放送をし、休み時間や放課後にオープンする。


③については、私たちの得意教科が運よくバラバラだったのですぐに解決した。

①も協力してクリアした。


最も大変だったのは②だ。私たちの学校は市内でも人数が多く、空き教室が存在しなかった。


何度か話し合い、そこでいくつか案が出た。

3階と屋上の間の階段部分(屋上に行かないためほとんど使用していない)や、

多目的室(部屋の端に物資を寄せておき、休み時間の間だけ改装する)、

中庭(簡易竪穴式住居を建てる)など。


僕らは屋上への階段部分を掃除し、段さ部分には安全対策としてシリコンクッションのシートを付け、そこに机、椅子等を運び込んだ。(踊り場が2か所あるため、意外と広かった)


そして私とH君で放送し、ふれあいカフェ第一段がオープンした。

僕たちの目標「学び合い、触れ合い、励まし合い、分かち合う」のうち、触れ合いを特に重視し、各先生の許可をもらって、雨の日のみ、トランプやウノ、人生ゲームなどができるようにもした。


ちなみに、一番来ていたのはあの生意気な三年生たちの担任を持つI先生だった。私の見ていた様子では、1、2年生の子達とゲームをしたり、S先生と雑談したりして過ごしていたようだ。皆が笑顔で、楽しんでくれたようで何よりだが。


第一段と書いてあるので察していると思うが、ここは好評だったにも関わらず、たった一ヶ月ほどで廃止されてしまった。(やっぱりここは危ないとS先生が言い出した)


その後多目的室にてふれあいカフェ第二段が完成。階段よりも広く使えるため、より多くの人が参加できた。しかし、教室2つ分の大きさがあり尚かつ、物を端に寄せていても、もとの4分の3ほどしか使えないので狭い。というクレームが入り、一ヶ月たたないうちに廃止となってしまった。


少々やけくそになりながらも片付けをした。悔しかったのだ。こんなにもあっけなく物事を終わらせられたことが。


だからこそ、私たちは諦めなかった。学年の先生や教頭先生(今は副校長先生というらしい)と何度か話し、説得したり、場所を探したりした。


その努力を認めてくれたのか、支援級担当のT先生が、支援級専用の学習室(学びの部屋)を使ってもいいと声をかけてくれた。


そう。これが後にカフェ第三段(学び合い重視)のオープンとなった。


支援級の教室とはいえ、あまり使われておらず物置のようになっていた。私達は掃除や整理を施し、そこにおいてあった資材も最大限有効活用し、スペースを創り上げた。


だが、人生楽あれば苦あり。支援級の子がこれじゃ集中して勉強できないと言い出したことをきっかけに、僅か一週間で廃止に。


流石にそれはひどいと思ったが仕方がない。僕らは一週間使わせていただいたことにお礼をいい、片付けをした。


そして8月。小学校最高学年の一年が折り返し地点に入った。まだ大きな企画を成立させていない人の方が既に少なくなっていた。


もうあとがなくなってしまった私達は、このまま失敗で終わるよりはと、ついに中庭に作ることを決心した。


先生とも少し相談すると、すぐに事は決まった。


私たち4人は夏休みに、埋蔵文化センターという資料館に自分たちだけで出かけ、作り方や材料を必死に調べた。


私はそこで舞切り式火起こしのマイスター認定証を手に入れた。(まあなんの役にもたたないのだが。)


ここで一つ、なぜそこまでしてでもカフェを完成させようとしたのか話しておこう。


私たちの一つ上の先輩はとても優秀な学年だった。少なくとも私達にはそう見えた。毎月のように3、4つの企画を立ち上げ、この学び合いの文化を後世に引き継ごうと努力し続け、そして卒業していった。


私たちはそんな先輩方に影響され、今年、昨年からの夢であったこの企画を立ち上げ、仲間とともに取り組んだ。そしてついにオープンした、階段での第一段カフェでは、特に低学年が、好奇心旺盛にやって来てくれた。


そんな子たちが言ってくれた。「ここにいるだけで楽しい。だから、頑張ってほしい。そして、いつか自分たちが引き継ぐから。」と。


もともと学校内有数の問題児だった自分でも、このような人のためになることができるんだ。と思い、もっとみんなの笑顔を創れるように、この企画だけは絶対成功させると決めたのだ。


話を戻そう。埋蔵文化センターで情報を得ると、私たちは2学期から早速竪穴式住居の建築を始めた。


まずは材料集め。近くの林などにでかけたり、技能員さんに廃材を貰ったりして集めた。


次に中庭の建築予定地をシャベルやスコップ、荷台などで整地し、穴を掘っていく。昼休みしか作業できないので、中々作業が進まない。


最後に支柱を立て、それに沿うように横木を組み立てる。そして屋根となる藁をかぶせていく。


もちろん、S先生や技能員さんも手伝って下さり、2学期の終わり、つまりクリスマスイブに住居は完成した。


3学期には、ついにふれあいカフェ完成版がオープンできると思っていた。

しかし、そうはならなかった。1月は肌寒く、雪も何度か降ってしまった。つまりみんなが中庭に出てこられないのだ。もちろんオープンは中止。


そして卒業式の準備が始まってしまい、私たちの代ではオープンできなかった。


2月、私達の代最後の企画が行われた。それは最高学年を少しだけ体験してもらい、自分たちの代に活かしてほしいと言うものだ。題して「ワイ•キッザニア」だ。


5人程度のグループ単位で体験ブースを作ることができる。もちろん私たちはこの「カフェ」企画のブースを作った。


体験内容は、「悩みを解決してみよう」

ブース内の、わざと適当に使いづらく設置された物資を、客(私たちが演技)の声を聴いて設置し直したり、勉強を教えたり、お悩み相談(実際に客が来た)を体験してもらった。


そして、体験に来てくれた子のうち、一つ下の学年の子に依頼し、引継ぎを申請した。そして、無事に後世の店員が決定した。彼らのイニシャルを挙げておこう。I先生、K君、A君、T君だ。


僕たちは意思を引継ぎ、やがて市立小学校を卒業した。


最近は様子を見に行っていないので、今もふれあいカフェが続いているかは分からないし、そもそも学び合いが重点かも分からない。新しい校長先生によりけりだ。


僕たちの必死に作った、竪穴式住居が残っていないかもしれない。あそこには幽霊が住んでるとか変な言い伝えができているかもしれない。ついに空き教室が見つかって、次の店員がそっちに移動したかもしれない。


でも、やり残したことは無いと僕たちは思っている。だって、私たちの築き上げた意思、笑顔への努力は、今も必ずどこかで笑顔の花を咲かせているから。


私の夢はあのときから変わらない。一年後、二年後私はどんな道を歩いているのだろうか。


それは誰も知らない。けれど、きっと誰かの役に立てる行動に励んでいてほしい。この小学校での経験を活かせる仕事を。


私も、私の仲間たちも、そう強く思っている。


「思いは、いつか必ず花を咲かせる。」

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