第五話 どうして君を選んだんだっけ?
僕の人生を僕が現時点から振り返るとするならば、決して自分の人生を『有難』い人生とは呼べず、むしろ『無難』と表現することの方が自然のように思われる。
裕福とまではいかなくとも、決して貧困に悩まされたことのない家庭。
両親からはそれなりに愛情をもらって、苦しいときにも励ましてもらった。
友人だって決して多いとは言えないけれど、それでも少なくもない。日常生活を営む上で困らない程度には交友関係もある。
だから無難。
つまるところ、彼女の予想というか見立てというか、そういったものはおおむね正解だということになる。幸せそうというよりも、悩んだことがなさそうな人間を標的としていたのなら、この上なく正確な選択だったと言える。
だからそこには別に問題はない。
「えっと…僕が悩んだことがなさそうだっていうのが理由って、どういうこと?」
問題があるとすればここだ。質問の意図が理解できないのか、少女は首をかしげている。
「どういうことって…?」
「いや、だからさ。君は心中してくれる人を探していたんだよね。率直なところ僕は心中なんて嫌なんだけど、それより先に僕を…ひいてはそうした人物を相手として探していた理由を知りたいんだ」
だっておかしいだろう。
「普通心中って――心中に普通があるのかどうかは知らないけれど――境遇が似た人同士とか、添い遂げる覚悟をした関係とか、そういう人たちがするものじゃないのか?誰でもよかった、というのは別に疑わないけど…自殺したいって考えるってことは人生に困難があったんでしょ、君。だったら僕よりももっと困ってる人を相手に選ぶのが普通じゃないかなって思ったんだ」
心中が情死と言われる所以は、それ自体が、感情による自らの魂の殺害であるという点にある。自分と全く境遇が違う相手に死に際の感情など僕なら託せないし、託すべきでないとすら思う。もちろんそれは人それぞれで、もしかしたらただの僕個人の考えなのかもしれないけれど、少なくとも僕の世界でその理論は一般論として確立していた。
少女は僕の言葉に唸っている。自分でもそれが説明できないからなのか、はたまた理解してもらえるかわからないといった疑念があるからなのかは分からないが、彼女としても思うところというか、自分でも納得しきれていない部分があったらしい。
「そうだね…君の言う通りかもしれない。私が心中相手を選ぶとして、まず君のような人間は選ぶべきじゃない。君は死を任せるには、少し死から遠すぎる。死ぬことに納得どころか理解すらできないししたくない、そんな一般的な思考を持ってそうだしね」
でもね、自分でも分からないんだけど、と首をかしげながら、それでも彼女は自分の言葉に自負をのせて続ける。
「私が君を選んだ瞬間、そこには明確な理由……確証にも似た何かがあったはずなんだよね。曖昧な感覚で申し訳ないし、聞かされている身からするとなんだよそれってなるかもしれないんだけど、一時の気の迷いなんかじゃないんだ。君に何かを期待していたというのは分かるんだけれどね。……でもなるほど
、確かにこのままじゃ納得して死にきれないな」
彼女は思考の身辺整理でもするようにそう呟いた。自殺という物事において、それは最も大事な儀式なのかもしれない。自殺というのはあくまで手段だ。目的ではない。その過程にはそこに至るまでの苦しみがあり、そうであるからこそ辛い現実から逃れるための手段である自殺が成立するのである。
だから譲れないのだろう。
死を選ぶ者にもプライドはある。
そのまましばらく迷っていた彼女は、数分ほどたって、ようやく結論というか、思考に区切りをつけて僕に視線を寄越した。
何かを決心したような視線に、思わず
それを見た彼女は「緊張しなくてもいいよ」なんて笑いながら、顎に手を当て、困ったような可憐な笑みを浮かべて、「お願いがあるんだよね」と切り出す。
「うーん…じゃあさ、君、私のお話をしばらく聞いてくれないかな」
それは簡単なお願いだった。心中してくれだなんて荒唐無稽な頼み事よりははるかに論理的な頼み事。
「それぐらいなら…それに僕はまだ自分の命を諦めていないからな。もしその過程で君が僕を生かそうとする何かが見つかるかもしれないし、僅かでも可能性があるなら協力するに吝かでない」
だから僕は快諾した。
少女は嬉しそうに笑った。
「あはは、しぶといね。でもありがと。じゃあ改めてお願い。私が納得して死ねる理由を、改めて整理する手伝いをしてほしい。それが見つかるまで、死ぬのは我慢する」
死ぬのを我慢する。
つまるところ、その疑問が解決されるまで、彼女は死なない。つまり僕も死なない。これが意味するのは、僕がその疑問の解決に協力しなければ安全だということ。
それは分かっている。
けれどなぜか、僕は今、彼女の心の闇を少しだけ覗いてみたいだなんて、妙な願望を持ちはじめている。
それがこの非日常的状況に起因するのか、それとも僕が元来持つ同情の感情によるものなのか。それはまだ、僕には分からない。
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