第三話 ささやかなお願い

 突如現れたのは、少女だった。幼くはない、けれど決して大人びてもいない。僕と同級生くらいの女の子。子供と大人。そのどちらにも属さないともいえるし、両方に属しているともいえる、曖昧な年頃の少女は、僕に向かって自然な笑みを見せた。

 余りに自然すぎて、逆に不自然な笑みだった。

「改めて、おはよ。どう?誘拐された気分は?」

 男物のぶかぶかのコートに、薄手の白いワンピースという奇妙な出で立ちの少女は、その場でくるりと回って得意げに訊いてくる。可愛らしいが、逆にその可憐さが不気味だ。

 そして僕はというと、質問の答えに窮していた。

 どう、と言われても。

 唖然とするほかなかった。まさか感想を求められるとは。ずっと気になっていた犯人が、まさかこんな女の子だなんて思いもしなかったし、そんな質問をされるとは思っていなかった。

「うん…困ってる、かな?」

「あはははっ、だろうね。困らせてるんだもん。困ってくれないと寂しいよ」

 からからと楽しそうに笑う少女。普段なら真っ先に可愛さに対する感想が出るのだが、状況が状況だ。油断せずに剣呑な視線を送る。すると少女はそれに気が付いて、肩を竦めてまた一つ笑った。特に罪悪感は感じていないようだった。それどころか自分が罪を犯したという感覚さえ曖昧なのかもしれない。

 真冬だというのにサンダルを履いた少女は、瓦礫が散らかった廃ビルの一室で踊るようにステップを踏む。操り人形のような不規則なリズムだというのに、その一挙手一投足から目を離せなくなる魅力がそこにあった。感覚の赴くまま、ただひたすら静かに動く。静と動を同時にこなしている。完璧なように見えてちぐはぐな動作をひとしきり終えてから、彼女は僕の隣に腰を下ろした。

 綺麗な体育座りだ。透き通るほどに色素の薄い肌と触れただけで手折ってしまいそうな華奢な指先、染み一つない丸くて小さい膝。どれをとっても儚げな印象がある。

 右肩を僕の左肩にくっつけた少女は、僕と視線を合わせないまま、おもむろに、僕に毛布を放った。上質な…とは決して言えないが、この状況では贅沢も言っていられない。犯罪者の気前がいいうちになんでももらっておこう。

「はい、これ。寒かったでしょ。ごめんね。本当はもっと早く起きるつもりだったんだけど、寝坊しちゃって…でも仕方ないよね、昨日夜遅くまで君を誘拐してたんだから」

「全然しょうがなくないと思うが」

「そうかな」

「そうだろ、だって犯罪なんだから」

「そっか」

 君が言うなら、そうかもしれないね、なんて。知ったような口を叩いて彼女は真っすぐ前だけを見ている。

 僕を見ないようにしているのか、何も見たくないのか、それとも彼女にしか見えない何かが見えているのか。僕はそのうちのどれなのか判断しかねたまま、彼女の話に耳を傾ける。

「さて、ここらでもういちど言うね」

 改まった様子で口を開いた。

「私が君を誘拐したんだよ」

 ・・・やはり改めて言われると字面に圧倒される。腕が縛られていなければ微塵も信じていなかったようなセリフだ。しかし彼女はまるで夕飯のメニューでも語るような軽快さで話を進める。続いて彼女は続けて口にした。

「私のお願いを叶えてほしくて、誘拐したんだよ」

「おい待て、お前、お願いを叶えてほしいって言ったか」

「うん、言ったよ。どうしても叶えてほしい悩みがあってね」

「もし僕がお願いを叶えてやれたら、僕を自由にしてくれるのか?」

 少し面食らったような顔つきを浮かべられた。そりゃそうだ。自由にしてくれる保証なんてのは彼女が決めることだ。この状況で得意げに交渉するのは本当は間違っている…のだが、少女は顎に手を当てて、何かを考え込み始めた。

 そして何かに納得したかのように一つ頷いた。

「…うーん、そういうわけではないんだけど、ある意味そうとも言えるのかな」

「なんだよ、胡乱な言い回しだな」

「ごめんね…でも私も上手く言語化できないんだ。その時になってみないと分からないから…うん、そうだね。まだやっぱりわからないかな」

 乾いた笑い声を響かせる少女。

 その表情は僕に向けられてはいないけれど、どことなく寂しいような、そんな感情を滲ませているようにも思えた。

「じゃあその願いってのも今はまだ分からないのか…?」

「あ、それはもうちゃんとあるよ。流石にその目的を見失うことはないから」

 怪訝そうに質問をすると、手をぶんぶんと振って、僕の隣で笑った。人懐っこい笑み。それが元来のものなのかは分からないが、どんな環境にも一瞬で馴染んでいけるような、そんな都合の良さがあった。

 そして彼女は僕の耳に口を近づける。

 まるで他の誰かには聞かせまいとするような、そんな様子で。

 よく子供たちが好んでするような、ちょっとした隠し事。

 ただまぁ一つありふれたその動作に関して、僕が語っておくことがあるとすれば。

 僕と少女が初めてした内緒話の内容は――。


「私のお願いってのは簡単だよ。ただ、私と――心中してほしい、それだけだから」


 ――想定以上に、ヘビーだったってことくらいか。

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