10
アレサとメイは年も近いこともあって、貴族令嬢とそれに仕えるメイドというよりは、友人に近い存在だった。
立場を飛び越え、いつもアレサに対して言いたいことを言うメイ。そしてそんなメイに反発しながらも、いつもどこに行くにも彼女を引き連れていくアレサ。二人は、他の誰が見ても明らかなほどに、心の奥底で分かり合えていたのだ。
しかし、アレサがメイを屋敷に受け入れたあと、すぐに二人が今のような関係になったわけではなかった。
メイ自身も話していたように、出会ってからしばらくの間は、彼女はアレサを警戒して心を許していなかった。そしてまたアレサのほうでも、もともとは自身の博愛主義というポリシーにのっとってメイを助けただけで、彼女個人に思い入れがあったわけではない。だから、今まで過ごしてきた環境も考え方も自分と全く違うメイに戸惑い、大きく距離を置いて接していた。
最初は微妙だったそんな二人の関係が、十年近い年月を経ていくうちに――おそらくは様々な衝突やすれ違いを繰り返して――、いつの間にか今のような気のおけない唯一無二のものへと変わっていったのだ。
早い段階でアレサに想いを寄せるようになったメイにとってはきっと、そんな関係の自分たちのことは少なからず葛藤もあっただろう。それでも彼女は、誰よりもアレサの近くにいられる自分の立場を心地よく思っていた。そしてアレサも、そんなメイの気持ちにこそ気付かなかったものの、自分に遠慮なく接してくれるメイのことを誰よりも大事な友人として考えるようになっていった。日々の嬉しかったことや悲しかったこと、それに何でもないただの世間話でも、アレサはいつもメイに話すようになっていた。アレサが初めて自分のウィリアへの想いを打ち明けて相談したのも、メイだった。
二人は、こんな関係がこれからもずっと続くのだと思っていた。学園を卒業して大人になっても、互いに年老いていっても。今のように親しい関係のまま、ずっとそばにいられるのだと思っていた。
しかしそんな二人の関係は今日、完全に壊れてしまった。
屋敷の屋上から落下したメイは、地上にスタンバイしていた使用人たちによって馬車にのせられ、郊外にある薬草治療が可能な病院へと運ばれた。
魔法が発達しているこの世界では、医療の分野でも魔法を用いるのが一般的だ。薬草治療なんて、魔法の存在を良く思っていない古い世代のドワーフなどのために、風邪や浅い切り傷などに対して一時的に使用されるのがほとんどで、重症患者に対して使用された例などない。そもそも、その病院までメイの命がもつ可能性自体がかなり低いと言わざるを得ず、状況は明らかに絶望的だ。
屋敷に残ったメイドたちから、アレサはそんな報告を受けた。しかし、先程からずっと声を出して泣いていた彼女には、その声はほとんど届いていないようだった。
幼いころから一緒に育ち、親友と言えるような関係になっていたメイから突然の告白を受け、その直後に彼女を失った。その状況が、アレサにとってどれだけつらいことかは、屋敷の誰もが分かっていた。
普段から、残念お嬢様として身内からも他人からも嘲笑の対象となっていた彼女。しかしそれは逆に言えば、それだけ彼女の存在が周囲に笑顔を与えてきたということでもある。ある意味では、アレサは意識的に自らの地位をおとしめ、道化を演じてきた。残念お嬢様という仮面をかぶって自分の人間らしさを隠すことで、周囲の者たちに安らぎを与えてきたのだ。
そんな彼女が今は、周囲への配慮など一切なく、ただひたすらに涙を流している。悲しみという感情を前面に押し出し、幼い子供のように泣き続けているのだ。
そんな彼女にかける言葉など、誰もあるはずもない。
だから、メイドたちも最低限の報告を終えると、せめて今は彼女を一人にさせてあげようと、アレサを部屋に残して去っていったのだった。
それからも、アレサは自分の部屋で一人、泣き続けた。
涙が枯れても声が枯れても。自分の手の届かないところに行ってしまったメイを、ひたすらに呼び続けるように。あるいは、自分の全ての生命力を吐き出して、自らもメイのもとへと向かおうとしているかのように。
ずっとずっと、泣き続けた。
いつの間にか、彼女のそばには女神のヌル子が立っていた。
『あ、あの……アレサさん』
ダ女神の彼女にも、さすがに今がどんな状況なのかくらいは、分かっていた。
『な、何か……私が今のアレサさんのためにできることがあれば、いいのですが……』
だが、世界を統べる立場の彼女には、アレサ一人に肩入れして何かをしてあげることはできない。それは、親友を失ったアレサを前にしても変わらないルールだった。
『…………』
結局彼女はダ女神らしく、何もできずにその場に立ち尽くすだけだ。
「どうしてよ……?」
ヌル子の代わりに、枯れ果てた声でアレサがつぶやく。
「どうして、わたくしがこんな風に泣かなくちゃいけないのよ……? 違うでしょう……? こんなの、逆でしょう……?」
それは、さんざん泣きはらして最後のしぼりカスとなってしまった彼女の生命力を、更に無理やり吐き出しているような声だった。
「本当なら……泣くのはわたくしじゃなくって……メイメイの方でしょう……? あの子がわたくしに告白して……でも、わたくしはウィリアのことが好きだから、その気持ちには応えられなくて……。
それで、メイメイが涙を流すのが普通でしょう……? こんなの、おかしいわよ……。間違ってるじゃないのよ……」
『アレサさん……』
そこで突然、アレサはヌル子につかみかかる。
「ねえ! 答えなさいよっ! どうしてこんな風になっちゃったのよ! 何で、あの子じゃなくてわたくしが泣かなくちゃいけないのよ! 何であの子はここにいないのよ! ……何で、泣くことさえもできなくなっちゃってるのよ!
貴女、何でも分かる女神なんでしょう⁉ 何か言いなさいよ! ねえ! ねえ! ねえ!」
『そ、それは……』
やがて、糸が切れたように力をなくして、床に崩れ落ちる。
「ねえ……教えてちょうだいよ……。
どうしてあの子は、こんなわたくしなんかを、好きになっちゃったのよ……。どうしてあの子は、最後にわたくしに笑ってくれたのよ……。ねえ……どうして……? どうしてなのよ……」
彼女の感情は、もはやバラバラだ。
言葉にならない言葉をつぶやきながら、アレサはまた泣き続けた。
それから数時間後。夜が明け、外が白んでくると、休みなく続いていたアレサの泣き声がそこでようやく止まった。
突然スクッと立ち上がったアレサは、部屋の出口に向かって歩き出す。ずっと無言で付き添っていたヌル子が、驚いて尋ねる。
『あ、あの……どちらへ?』
アレサは部屋のドアを開けたところで立ち止まり、振り返らずに答えた。
「やっぱりこんなの、おかしいわ」
『え?』
「貴女の与えたチート能力のせいで、わたくしとメイメイの関係は壊されてしまった。あの子は負うはずのない怪我を負って、わたくしは流すはずのない涙を流してしまった。今のこの世界は、間違っている。チート能力のせいで、この世界の
あの力は、この世界にはあってはならない力なのよ」
『で、でも、それは……』
「だからわたくしは、あの力をこの世界から排除するわ。誰が何と言おうと。どんな手を、使ってでも……」
そう言って、アレサは部屋をあとにした。そのときの彼女の瞳には、絶対に曲がらない強い意志と……明確な殺意の炎がともっていた。
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